2017年5月21日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (439) 「ネトイ・トンケ・背負越」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ネトイ

net-o-i
漂木・多くある・ところ


せたな町北檜山区の東部に「丹羽」というところがあるのですが、その丹羽の南側(後志利別川沿い)にある集落の名前です。地形図を見ると「ねとい温泉」という温泉もあるみたいですね。戦前の地形図(いわゆる「スタンフォード図」)には「寧土井」とあるのですが、いつの間にかカタカナ表記に戻ってしまったようです。

丁巳日誌「報登宇志辺津日誌」には次のようにありました。

また少し下りて右の方
     子ートイ
小川有。此川口底に寄り木多しとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.432 より引用)

あー、なんとなくわかったような。永田地名解にも記載があったので見ておきましょうか。

Netu nai  ネト゚ ナイ  寄木澤
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.132 より引用)

はい。どうやら net-o-i で「漂木・多くある・ところ」だったと考えて良さそうですね。永田地名解は inay に差し替えた感じなんだと思います。上流で伐採した木が滞留するような、流れの淀んだところがあったのでしょうね。

トンケ

to-{un-ke}-i?
沼・{そこに入っている}・もの(川)


後志利別川の南側の地名で、同名の川も流れています。東西蝦夷山川地理取調図や永田地名解には記載が無かったのですが、戊午日誌「報登宇志辺津日誌」に記載がありました。

又暫し下りて酉(西)北に向て
     トンケイ
左りの方小川。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.432 より引用)※ カッコ内は解読者による註

うーん……。to-{un-ke}-i で「沼・{そこに入っている}・もの(川)」と考えるべきでしょうか。-ke は「自動詞について他動詞をつくる」語根かなーと思ったのですが、どうでしょう……?

背負越(そいこし?)

i-ika-ru
我々・越える・道?


後志利別川の河口にほど近いところです。「背負越」は旧地名で現在は「兜野」と言うみたいなのですが、地理院地図の地形図には「兜野」の下流側に「背負越」の文字が健在です。どうなってるんでしょう。

「そいこし」というルビは戦前の地形図を参考にしました。現在は違う読み方をされているかも知れません。

丁巳日誌「報登宇志辺津日誌」には次のようにありました。

扨是より又針位北に取りて下るや
     イヽカル
此処人間言にて背負越と云事也。是より浜まで何によらず物を背負こせしによって号る也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.435 より引用)

現在の後志利別川はしっかりと整備されているので、ほとんど蛇行すること無く海へと向かっていますが、川の南側に三日月湖が多数あることからも分かる通り、もともとは結構蛇行していたみたいです。そのため、下手に川を下るよりも、まっすぐ砂丘を突っ切って浜に向かったほうが早かった、ということなのでしょうね。

i-ika-ru であれば「我々・越える・道」と言ったところでしょうか。穿った見方をすれば、ika には「溢れる」という意味もあるので、「それ・溢れる・道」だったのかもしれませんが……(高潮とか)。

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