2017年6月3日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (442) 「良瑠石・鵜泊・日昼部」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

良瑠石(らるいし)

rar-us-i
潜る・いつもする・ところ


太櫓から、ずっと未開通区間が残っていた道道 740 号「北檜山大成線」で南西に向かった先にある地名です。ひとつひとつの字に当てられた音は決して変わったものではないのですが、こうやってひと纏めにするとなかなか読めないですよね。

この「良瑠石」ですが、竹四郎廻浦日記には「ラルシ」と記されていました。肝心の地名解ですが、西蝦夷日誌には次のように記されています。

岩傳ひラルシ〔良留石〕(川有、幅五六間、舟澗也)大轉太石の義なり。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.30 より引用)

ふーむ。「大轉太石」つまりは「大きなゴロタ石」の意味なんだよ、とあります。

現在の地形図を見てみると、太櫓と良瑠石の間にその名も「古櫓多」(ごろた)という地名があります。このあたりの地名を東西蝦夷山川地理取調図で見てみると、「シユマモエ」あるいは「カワルシユマ」と言った suma 系の地名が目につきます。suma-moy であれば「石・入江」、kapar-suma であれば「水中の平らな・石」と言ったところでしょうか。

一方、永田地名解には次のように記されています。

Rar'ushi  ラルシ  泳處 アイヌ云往時アイヌ此海ニ泳リテ鮑等ヲ捕リシニヨリ名ク古宇郡ニ「ラルシュナイ」アリ同義「ザルイシ」ト云ヒ「ラルイシ」ト云フハ並ニ訛ナリ 今良瑠石ト稱ス
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.139 より引用)

ほー、そう来ましたか。rar-us-i で「潜る・いつもする・ところ」ではないか、という説ですね。西蝦夷日誌の記述と矛盾するのは少々厄介ですが、「ラルシ」あるいは「ラルウシ」という音からは、rar-us-i という解はごくごく自然なものに思えます。

鵜泊(うとまり)

moyre-tomari
静かな・泊地


良瑠石から 500 m ほど南西に行ったところに「鵜泊」の集落があります。一見良くある漁村に見えるのですが、なんと高台に「鵜泊団地」なる一角があるようでして……ちょっと驚きですね。津波対策の高台移転だったんでしょうか。

東西蝦夷山川地理取調図には、「ウートマリ」と「モエレトマリ」という地名が仲良く並んでいます。一方、竹四郎廻浦日記には次のようにありました。

     ムイレトマリ
人間にて鵜のトマリと云。此辺より人家有。此前海中に大岩三ツ有よって号るなるべし。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.284 より引用)

んー、これを見ると「ムイレトマリ」=「鵜のトマリ」と読み取れますよね。つまり「ウートマリ」と「モエレトマリ」は同じものじゃないか、という説ですが……。

永田地名解も見ておきましょうか。

Moire tomari  モイレ トマリ  遲滯ノ澗 此邊ヨリ毎灣遲々滯留スル者多シ故ニ名クト云フ和人ハ鵜ノ泊ト云フ灣中三大岩アリ鵜糞ノ爲メ〓白シ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.139 より引用)※ 〓は解読不明

可能な限り旧字を使って引用してみましたが、なんとなく読めますよね? 雰囲気で読んでいただければと思います(汗)。

永田地名解もやはり「モイレトマリ」=「鵜のトマリ」と見ていたようで、何故「モイレトマリ」が「鵜のトマリ」になったのかについては「海中の岩に鵜の糞が沢山ついていたから」だという……(汗)。まぁ、これはこれでリアリティが高いと思われるわけですが(汗)。

ということで、「鵜泊」の原型?は moyre-tomari で「静かな・泊地」だと考えて良さそうでしょうか。

日昼部(にっちゅうべ)

net-un-pe
漂木・ある・もの
o-net-un-pe
河口・漂木・ある・もの


鵜泊の西にある「水垂岬」を通り過ぎ、道道 740 号を更に南に進むと「日中戸岬」という岬があります。日中戸岬の更に南には「日昼部トンネル」があるのですが、どうやら「日中戸岬」と「日昼部トンネル」の間あたりに「日昼部」という集落があったみたいなのですね(現在、地形図で確認した限りでは、建物らしきものは存在しないように見えます)。

東西蝦夷山川地理取調図には「ニツチウヘ」「ホンニツチウヘ」という地名が記録されています。一方、竹四郎廻浦日記には次のようにありました。

此処に則、
     ヲニチウベ 大岩壁の上、弁天社有。
     力子ホリルイカ
     ワ シ リ 岬を廻りて、
     ホンニチウヘ 転太浜。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.283 より引用)

「ヲニチウベ」には「弁天社有」とありますが、確かに戦前の地形図には鳥居のマークが記されています。現在の地形図には見当たらないようですが、果たしてどうなったのでしょう……?

永田地名解も見ておきましょう。

Netunbe  ネト゚ンベ  寄木アル處 「ネッウンベ」ノ急言今日中邊ト云フ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.140 より引用)

うーん。どうやら net-un-pe で「漂木・ある・もの」か、あるいは o-net-un-pe で「河口・漂木・ある・もの」あたりだったと考えて良さそうでしょうか。後者は川の存在が前提ですが、どうやら「日中戸の沢川」という川が存在するようです(OpenStreetMap の情報より)。

それはそうと、この漢字表記の揺れ方は見事ですよね。永田地名解には「日中邊」とあり、戦前の地形図は「日晝部」(「晝」は「昼」の旧字体)で、現在のトンネル名は「日昼部」なのに岬の名前は「日中戸」だったりします。どれも「にっちゅうべ」と読めるので、多分読みは同じなんじゃないかなーと思うのですが……。

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