2017年6月9日金曜日

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江差線日帰りの旅「渡島当別 14:00・釜谷 14:11」

 

木古内行きの 132D は、茂辺地駅を出発すると再び海沿いを南下します。
葛登支(かっとし)灯台を過ぎたあたりでほぼ 90 度右に向きを変えて、当別トンネルに入ります。

渡島当別 14:00

車内も随分と空いてきたので、海側のボックスシートを確保することができました。前に乗っていた人が少し窓を開けていたみたいですね。
ということで、渡島当別に到着しました。ここで列車交換のために 5 分ほど停車します。
渡島当別駅の開業も、上磯線の上磯-木古内間の開業と同時でしたから、1930 年 10 月 25 日のことになりますね。駅名が「渡島」を冠していることについて、国鉄北海道総局が発行した薄い本「北海道駅名の起源」には次のように記されています。

駅名は他に類似のものが多いので、国名の「渡島」をつけた。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.15 より引用)
「当別」という名前で真っ先に思い出すのが「石狩当別駅」ですが、そう言えばあっちも「石狩」がついてますよね。開業したのが早かったのはどっちだ……という話ですが、石狩当別駅の開業が 1934 年 11 月 20 日ですから、渡島当別のほうが 4 年ほど先輩だったことになります。

……となると、薄い本(やめなさい)の記述が俄然疑わしく思えてくるわけですが、1930 年の時点で「駅名は他に類似のものが多い」とした、「類似のもの」とは何だったのでしょう? 根室本線の「10$駅」こと「十弗駅」ではないかという説も聞いたことがあるような気もしますが、もしかしたら 1927 年に開業した「江当軌道」の「当別駅」だったのかな、と考えたりもします。

江当軌道の「当別駅」は、建設時の資金不足のために当別川を渡ることができず、町外れに設置された駅だったそうです。当別川すら渡れなかった江当軌道は石狩川を渡ることもできず、「江別の町外れ」と「当別の町外れ」を結ぶ形を余儀なくされましたが、案の定、国鉄札沼南線の開業とともに経営が傾き、1936 年にちゃっかりと保証金をせしめて廃止になっています。

渡島当別に話を戻しましょう。渡島当別駅の西側の丘の上に「トラピスト修道院」があります。確かバターなどの乳製品で有名だったでしょうか。
渡島当別を出発して、次の「釜谷」に向かいます。海沿いの風光明媚な景色が続きます。

釜谷 14:11

渡島当別から 6 分ほどで、次の「釜谷」に到着です(テンプレ書き出し)。
釜谷も上磯線の木古内延伸と同時に開業した歴史のある駅です。……ん、もしかして上磯-木古内間って 1930 年の開業以来駅の改廃が無かったんですかね。

サラキ岬付近 14:13

釜谷を発車して 1.5 km ほど走ると、江差線の線路は再び右に 60 度ほどカーブします。左手の国道の向こうに、何やら公園のような場所が見えてきました。
よーく見ると、船が……陸上に!?
どうやらこの船、「咸臨丸」のレプリカらしいですね。詳しくは木古内町観光協会の Web サイトでご確認ください。

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