2017年8月5日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (460) 「宿野辺川・軍川・横津岳」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

宿野辺川(しゅくのべ──)

supun-ot-pe
ウグイ・多くいる・もの(川)


小沼の北西、七飯町(──ちょう)と森町(──まち)の境界を流れる川の名前です。近くに道央道の大沼公園 IC や JR 函館本線の赤井川駅があります。

「竹四郎廻浦日記」には次のように記されていました。

     宿の部
前に川有、巾五六間、橋有。此川小沼の水大沼に通ふ筋也。此処人家一軒(作六) 有。松前家より引続にして一ヶ年米十俵づゝ被下候。通行人晝飯所に成る也。此辺槲柏多くして此主人当時炭を多く焼出すなりと。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.600 より引用)

また、戊午日誌「東部作発呂留宇知之誌」には次のようにありました。

廿五日シユクノツヘ治六家にて昼休、鷲の木村会所泊り。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.34 より引用)

あれっ。「作六」と「治六」、似ているけど微妙に違いますね。あと「作発呂」が意味不明なんですが、これって「サッポロ」のことなんですかね……?

本題に戻りましょう。現在の「宿野辺川」のあたりを「宿の部」あるいは「シユクノツヘ」と記した記録があった、ということになります。また、「東西蝦夷山川地理取調図」には「シユクノヘ」とあります。この点を押さえて永田地名解を見てみると……ありました。

Shupunope,=shupun-o-pe  シュプノペ  ウグイ魚ノ川 宿野邊(村)ノ原名
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.160 より引用)

至極真っ当に思える解が出てきました。supun-ot-pe で「ウグイ・多くいる・もの(川)」と考えて良さそうですね。

軍川(いくさがわ)

i-kusa-p
人を・舟で川を渡す・もの?


大沼駅の東方を流れる川の名前で、川の東側には同名の集落もあります。では、まずは更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」から。

 軍川(いくさがわ)
 明治維新に徳川幕府の旧臣らが、最後の血戦をした箱館戦争の決戦場であった
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.15 より引用)

えっ!?

という伝説がすでにこの地名につきかけている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.15 より引用)

ですよねぇ。

もちろん軍川という地名はそれ以前からあったもので、幕領時代相馬藩がここを開拓した時、イクサップ(渡し守)が住んでいたので名付けたといわれている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.15 より引用)

ああなるほど。i-kusa-p で「人を・舟で川を渡す・もの」と読み解くことができますね。「渡し守」であれば i-kusa-kur という語彙があるので、むしろ「渡し舟」というサービスのあるもの(場所)を指していた可能性もありそうです。

大沼と小沼の間に JR と道道大沼公園線の橋が架かっていますが、このあたりに渡し舟が出ていたのでしょうか。やがて原義が失われ、近くの川の名前になってしまった、と言ったあたりかも知れません。

ちなみに、JR 函館本線には「大沼公園」と「大沼」の二つの駅がありますが、この両駅にはなかなか数奇な歴史があるようです。

  大 沼(おおぬま)
所在地 (渡島国)亀田郡七飯町
開 駅 明治 36 年 6 月 28 日(北海道鉄道)(客)
起 源 当初「大沼」と呼ばれたが、大正 9 年 7 月 15 日、隣駅の「大沼公園」を「大沼」と改め、当駅を「軍川(いくさがわ)」とし、昭和 39 年 6 月 1 日、またもとの「大沼」と改めた。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.5 より引用)

函館本線にはコロコロと名前が変わった駅がいくつもあるのですが、元の鞘に納まる率がとても高いような気がします。どなたか調べてみてください(他力本願)。

横津岳(よこつ──)

和名?
yuk-ot-nupuri?
鹿・多くいる・山


横津岳は亀田半島の最高峰(標高 1166.9 m)で、実はお隣の秀峰・駒ケ岳(1,131 m)よりも高かったりします。渡島半島全体で見ても、遊楽部岳(1,277 m)と冷水岳(1,175 m)に次ぐ高さでしょうか(遊楽部岳の周囲の無名峰を除けば)。1971 年に起きた飛行機事故で一躍有名になってしまった山でもあります。

この「横津岳」の名の由来は不詳ですが(素直に「横にある山」とも取れるので)、かのジョン・バチェラーが面白い説を考案?していたので、ご紹介しておきます。

YOKOTSUDAKE(横津岳)──Yuk-ot-nupuri「鹿のいる山」。
(J・バチェラー「アイヌ地名考」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.237 より引用)

なるほど、うまい解を考えたものですね。積極的に肯定できるものでもありませんが、明確に否定もできないように思えます。まぁ、あくまで「もしかしたら」レベルということで。

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