2017年10月7日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (474) 「スズキノ沢川・及部川・唐津内沢川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

スズキノ沢川

supki-nay
茅・沢
(典拠あり、類型あり)
国道 228 号は福島町と松前町の間を白神岬(北海道最南端)経由で結んでいますが、国鉄松前線は渡島吉岡と渡島大沢の間を「白神トンネル」でショートカットしていました。白神トンネルを抜けた先は「スズキノ沢川」沿いを走っていたことになります。

この「スズキノ沢川」ですが、「東西蝦夷山川地理取調図」には「スヽキサワ」と記されています。また「竹四郎廻浦日記」には「スツヽキ川」とあります。

永田地名解には次のようにありました。

Shupki nai  シュㇷ゚ キ ナイ  茅澤
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.151 より引用)
あ、なるほどそういうことでしたか。「須築」や「朱太川」と同様に supki-nay で「茅・沢」と考えて良さそうですね。

及部川(およべ──)

o-yu-un-pe
河口・湯(温泉)・ある・もの(川)
(典拠あり、類型あり)
松前町の東側を南北に流れる川の名前です。国鉄松前線にも「及部駅」が存在していました。ということで「北海道駅名の起源」を見ておきましょうか。

  及 部(およべ)
所在地 (渡島国) 松前郡松前町
開 駅 昭和 32 年 1 月 25 日 (客)
起 源 アイヌ語の「オ・ユ・ウンペ」(川尻に温泉のある川)から出たものと思われるが、福山湾にそそぐ及部川の川口にある及部村の名をとったものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.22-23 より引用)
あ。なんと。こんなに単純に答が出るとは思ってませんでした。o-yu-un-pe で「河口・湯(温泉)・ある・もの(川)」と考えられるのですね。

「──駅名の起源」の「及部」の項は永田地名解を参考に書かれたのかもしれません。ということで永田地名解も見ておきましょう。

O yu un pe  オ ユ ウン ペ  川尻ニ溫泉アル川  及部(町、川)ノ原名、現今ハ溫泉見エズト雖モ往時ハ必ス川中ニ溫泉アリシナラン此地名アル處ハ多少溫泉アレバナリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.151 より引用)
ん、ちょっと不穏な空気が漂ってきました。「現今ハ溫泉見エズト雖モ」……「雖も」は「いえども」と読むのですが、これを見ると「今は温泉が無い」と書かれているように見えます。これは知里さんの言う

「但シ,コノ岩,崩壊シテ今ハナシ」というような但し書をつけておいて,あらかじめ証拠の方は隠滅しておくのである。
(知里真志保「アイヌ語入門 復刻─とくに地名研究者のために」北海道出版企画センター p.23 より引用)
っぽい雰囲気がプンプンと……(汗)。

そう思えば、「角川──」(略──)にもこんなことが書かれていました。

地名の由来には,アイヌ語のヲユウンベ(温泉のある所の意)による説(蝦夷地名考井里程記),オユウンペ(川尻に温泉のある川の意)による説(北海道蝦夷語地名解)などがあるが,
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.331 より引用)
あっ。確かに上原熊次郎の「蝦夷地名考并里程記」にも「温泉の有る所と譯す」とありますね。ただ、これには続きがありまして……

当地に温泉が出たという記録はない。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.331 より引用)
(汗)。ちょっと話がややこしくなるのが、隣の「大沢川」を少し遡ったところに「松前温泉」という温泉があるらしいのですね。この温泉は江戸末期の頃から存在していたとのことで、もっと古くから地元民の間では認識されていたと考えられるかもしれません。

このことから、二通りの仮説が立てられるかと思います。一つは「及部川(の河口部)にもかつて温泉が存在していたが枯渇してしまった」という説、もう一つは o-yu-un-pe は現在の「大沢川」を指していたという説です。

改めて「東西蝦夷山川地理取調図」を見てみると、「大サワ」(大沢川を指すと考えられる)の上流に「マツクラ」という支流が描かれています。これが現在の「松倉沢川」のことであれば、実際には松倉沢川は及部川の支流ですから、認識に混同があったことを伺わせます。o-yu-un-pe が実際には「大沢川」のことだったとすると、「河口・湯・ある・もの」と考えるのは間違ってないと言えそうですね。

唐津内沢川(からつないさわ──)

karus-nay?
椎茸・沢
karku-oma-nay?
姪・そこにいる・沢
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
松前の中心街には「大松前川」「小松前川」そして「唐津内沢川」の三本の川が並流しています。永田地名解に次のように記されていた……というのは前回の「松前」の記事でも記したとおりです。

小松前町ノ橋西ヲ唐津内町ト云フ原名「カラクオマナイ」 (Karaku-oma nai) 姪居ル澤此等ノ名ハ必ズシモ妻妾姪ノ居リシ處ニアラズ唯澤ノ大小ニ因テ名クルノミ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.12 より引用)
karku-oma-nay で「姪・そこにいる・沢」ではないかという説ですが、karku は「姪」ではなく「甥」なので、「姪」であれば本来は matkarku とすべきだ……というのも前回書いていましたね(すいません)。

ただ、上原熊次郎の「蝦夷地名考并里程記」には異説が記されていました。

唐津内
  夷語カルシナイなり。則、椎茸の澤と譯す。昔時此沢の傳へに椎茸のある故に地名になす・べし。
(上原熊次郎「蝦夷地名考并里程記」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.39 より引用)
ふーむ。karus-nay で「椎茸・沢」ではないかという説のようです。うーん、これはどう考えたものでしょう。個人的には、mat-oma-ipon-mat-oma-i が並んでいたので、それに引きずられて karus-naykarku-oma-nay に化けた可能性もあるんじゃないかなぁ、と思ったりするのですが……。ほら、やっぱ「姉妹」より「三姉妹」のほうがストーリー性があるじゃないですか。

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