2017年10月21日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (478) 「小砂子・メノコシ岬」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

小砂子(ちいさご)

chis-emko
立岩・(の)水源?
中凹み・水源?


上ノ国町南部の地名です。小砂子の集落は日方泊岬の上にあり、南側には短いながらも川も流れています。なるほど、漁港を構えるには悪くない地形かもしれません。pikata は「南風」あるいは「南西風」を意味するのですが、ちょうど日方泊岬が南からの風を防いでくれる形になっています。

上原熊次郎の「蝦夷地名考并里程記」には次のように記されていました。

小砂子(チイサゴ)            休所江良町村江四里
  夷語チシヱムコなり。則、高岩の水上ミといふ事。扨、チシとは高岩の事。ヱムコとは水上と申事にて、此沢辺亦は海岸にも高岩の所ゝにある故、此名ある哉。未詳。
(上原熊次郎「蝦夷地名考并里程記」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.89 より引用)

最後が「知らんけど」で締められているのが少々気になりますが、なるほど、chis-emko と考えたのですね。

emko は「水源」と考えていいのかな、と思います。chis知里さんの「──小辞典」によるといくつか解釈があるようで、「立岩」と見るか「中凹み」と見るか、解釈が分かれそうな気がします。chis を日方泊岬のことだと考えると「立岩・(の)水源」となりそうですし、集落の南を流れる「アイ泊川」のことだと考えると「中凹み・水源」となりそうです。

さてどっちが……と考えてみたのですが、なんかどっちでも良いような気がしてきました(ぉぃ)。純粋に地形だけを見て考えると、川を遡ると途中で二手に分かれているのが特徴的に思えるので「中凹み・水源」説を推したいところですが、川の名前が「小砂子川」じゃなくて「アイ泊川」なのがちょっと引っかかるところです。

ややこしいことに、「小砂子川」は小砂子の集落から見て山の向こう側(東側)に実在しています。ただ、小砂子川と上小砂子川を遡ると、峠を越えて小砂子に向かうことができるので、たとえば ru-kus-{chis-emko} (「道・通る・{小砂子}」と読めます。おなじみルークシュポールと同じ考え方ですね)だった可能性もあるかと思います。

なお、「アイ泊」は「北風の泊地」ですから、なるほど、岬の南北をうまく使い分けていたということになりそうですね。

最後に、「角川──」(略──)でちょっと興味深い説が記されていたので、引用しておきます。

地名の由来には,アイヌ語のチシヱムコ(高岩の水上の意)による説(蝦夷地名考井里程記),小人島の小人達が来訪したという伝説による説(蝦夷記・蝦夷喧辞弁)がある。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.852 より引用)

これはコㇿポックㇽ伝承の一種でしょうか。コㇿポックㇽは北樺太の民であるという説もあるようで、そう考えると妙に辻褄も合っているところが面白いですよね。

メノコシ岬

menoko-wen-sir
女・悪い・場所


日方泊岬の 1 km ほど北にある岬の名前です。このあたりの海岸は断崖続きで相当な難所ですが、実際に「竹四郎廻浦日記」にも次のように記されていました。

     境 川 小流
     一ツソリ岩 沖に有。
此処より右の方九折を山に上り行也。歩行にて、勝手を能く覚し者は此岬を廻りて、
     メノコワシリ
と云大難所を越て転太石浜。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.218 より引用)

ふむふむ。やはり当時は海沿いを歩くのが基本だったようですね。ただ「メノコワシリ」のあたりは難所なので、一旦わざわざ坂を登ってメノコワシリを回避していたようです。

順序が前後してしまいましたが、「メノコシ岬」は元々は「メノコワシリ」だったと考えて良さそうな感じです。

更科さんに聞いてみた

このあたりは「──ワシリ」という地名が多く記録されているのですが、「北海道地名誌」には次のように記されています。

「ワシリ」は海岸の波が荒く走って通るところをいう。もともとは日本語か。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.203 より引用)

ふむふむ、なるほどねぇ~。

山田さんにも聞いてみた

この「ワシリ」については、山田秀三さんの「下北の旅の記録」にも次のように記されていました。

ワシリは北海道に多い地名だ。手許にある対岸の渡島の地図に印したメモ丈でも、ムマトリワシリ、クロワシリ、メノコワシリ、ツバメワシリ(現在の地図では「燕走」)、ワシリ、三平ワシリ、サワシリ、クロハシリ(多分ワシリの転であろう)と記入されてある。多分もっとあるだろう。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 3」草風館 p.122 より引用)

おっ、「メノコワシリ」がありましたね。「燕走」も小砂子から町境を越えて南側に実在しています。

何れも海岸の崖地帯の地名である。之でも判るように、只のワシリは一つ丈で、後は識別語が上についている。その識別語も大体日本語で「黒」とか「三平」(人名ならん)とかついている。あまりワシリが方々にあったから和人が上につけたのだろう。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 3」草風館 p.122 より引用)

そんなところでしょうね。「ツバメワシリ」なんかは和語由来と考えるのが自然そうです。

金田一さんにも聞いてみた

この山田さんの論考には、実は元ネタがあったのかもしれません。他ならぬ金田一京助さんの「北奥地名考」には、次のように記されていました。

渡島の白神岬の嶮の手前にアヲワシリ、さきに、三平ワシリがあり、松前郡西岸に燕ワシリ、檜山郡の浜にメノコワシリ・クロワシリ・ハハワシリ・ムマトリワシリがあるが、秦檍丸の『陸奥州駅路図』巻四を見ると、同じ様に津軽半島、綱不知の附近の浜にワシリ嶮岨・中のワシリ嶮岨・新ワシリ嶮岨がある。尚竜飛の岬を廻って西浦へ出ても嶮岨な処にワシリの名が見える。
(金田一京助「北奥地名考」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.280 より引用)

山田秀三さんは東北で役人をしていた頃に地名に興味を持ち、独力で研究をしていたところ、後になって「北奥地名考」の存在を知り、自身の研究成果を遥かに上回るものが既に立論されていたことにショックを受けたのだそうです。

そして、その「ワシリ」の考え方ですが、金田一京助さんは次のように記していました。

これらの地名は凡て岩磯で岸が通られない。嶮しい、アイヌ語の所謂ヱン・シリといふ所である。駅路図の著者が云ふ様に此は嶮岨のことであり、アイヌ語の音韻法則上、サ行の前のンは母音化してイに響く故、ヱンシリ即ちヱイシリである。これがヱーシリ──ワシリとなって来たものに他ならない。
(金田一京助「北奥地名考」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.280 より引用)

ふむふむ。wen-sir で「悪い・土地」だったものが「ワシリ」に転訛したのではないか、という説ですね。

潮の引きしなに辛うじて走りぬける意味から、ヱシリを走と民衆語原が手伝ふので、馬が取られたとか、メノコが波に取られて死んだとかいふやうなことで、それぞれの名が生じたのではあるまいかと思ふ。
(金田一京助「北奥地名考」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.280 より引用)

そんなところなんでしょうね。menoko は「女性」という意味で、より限定した用法では「アイヌの成人女子」を指すとされます。「メノコワシリ」は menoko-wen-sir で「女・悪い・場所」ということでしょうか。かつてアイヌの成人女子が波にさらわれるようなことがあったということでしょうか。

それがいつしか「女・走り」と俗解され、それが更に「女・越す」と解釈されて「メノコシ岬」になった、と言ったところかもしれません。

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