2017年11月5日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (483) 「入沢・望路川・釜別川」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

入沢(いりさわ)

i-ru-e-san?
アレ・足跡・そこから・浜へ出る
i-ru-o-sar?
アレ・足跡・そこにある・葭原


落部駅(函館本線)の南西に位置する集落の名前です。地形を見た感じでは川がありそうなところですが、常時流れを維持するほどの水量が無いのか、地形図には川として記されていません。

この「入沢」、「竹四郎廻浦日記」や「東西蝦夷山川地理取調図」には記載が無いのですが、「角川──」(略──)には次のように記されていました(盛大に孫引きですいません)。

地名は,「ゆうらふ19」にはアイヌのイルエサン(熊の足跡がそこで浜の方へ下がる意)に由来するとあり,「改訂八雲町史」にはアイヌ語のイルエサラ(熊の足跡ある莎草(すげ)の原野の意)に由来するとある。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.153 より引用)

ふーむ。i-ru-e-san で「アレ・足跡・そこから・浜へ出る」と読み解けますね。i-ru-e-sar なら「アレ・足跡・そこで・葭原」になりますね……あれっ? これはちょっと意味不明なことに。i-ru-o-sar なら「アレ・足跡・そこにある・葭原」と読めそうです。

i は「熊」となっていましたが、単なる指示代名詞「アレ」と解釈するのがより正確かなぁと思ってます。もちろん「熊」かも知れませんが、「蛇」の場合もありますし「マムシ」である可能性もありますからね。ただ、土地によって暗黙の了解があったと思われるので、落部の場合は「熊」と解釈するのが正解である可能性も十二分にあります。

望路川(ぼうろ──)

poro
大きな


かつてこのあたりに大阪で生まれた女が住んで……いたら面白かったのですが、そういった事実は確認できていません(ぉぃ)。

落部川を遡ると、「下の湯」と「上の湯」の間のあたりに養豚場があって、その上流側に「望路川」という西支流があります(OpenStreetMap で確認。位置が違っていたらすいません)。一見和名のようですが、「竹四郎廻浦日記」に次のような記述があることに気づきました。

     ヲトシヘ川
川有、巾弐十余間。沢広く、柳多し。其川筋の字は先壱里斗上りてボロの温泉、デトノ温泉、リウスシ、バンジヤク沢、クスリ温泉。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.593 より引用)

はっ……、これはやはり大阪で生まれt(ry

コホン。現在の「望路川」は「下の湯と上の湯の間のあたり」を流れているようですが、大正の頃の陸軍図を見ると現在の「下の湯」あたりの地名だったようです。

ここまで引っ張っておきながら、肝心の地名解は良くわかりません。poro で「大きな」という意味なのは間違いないかなと思うのですが、果たして何が大きかったのかは……。

釜別川(かまべつ──)

kama-us-pet
平らな岩盤・ある・川


落部川を遡ると、「上の湯」に「銀婚湯温泉」という温泉があることに気がつきます。この「銀婚湯」といういかにもめでたい名前ですが、なんでも大正天皇の銀婚式の日に掘削を行ったからなのだとか。

落部川は「銀婚湯温泉」の少し川上で「下二股川」と「上二股川」に分かれています。八雲と厚沢部を結ぶ道道 67 号「八雲厚沢部線」は「上二股川」沿いを遡って厚沢部に向かっています。

「釜別川」は、「上二股川」の最大の支流と言うべき川です。「東西蝦夷山川地理取調図」には「カマウシヘツ」という名前で記録されています。なるほど、kama-us-pet で「平らな岩盤・ある・川」なのでしょうね。

ちなみに、釜別川に北から注ぐ「逆川」という支流があります。古い地形図を見ると「逆川」の位置に「ホリカベツ」と記されています。horka(U ターンする)の意味するところを正しく理解していたのか、それとも単なる偶然か……。

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