2017年12月30日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (495) 「虻田」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

虻田(あぶた)

ap-ta-pet?
鉤針・作る・川
hap-ta-us-i?
ウバユリの球根・掘る・いつもする・ところ


虻田郡洞爺湖町の郡名で、道央自動車道には「虻田洞爺湖 IC」があります。JR 函館本線には「洞爺駅」がありますが、かつては「虻田駅」という名前でした。ということで、まずは「北海道駅名の起源」を見てみましょうか。

  洞 爺(とうや)
所在地 (胆振国) 虻田郡虻田町
開 駅 昭和 3 年 9 月 10
起 源 もと「虻田」といい、アイヌ語の「アプ・タ・ペッ」(魚のかぎを作った川)か、「ハㇷ゚・タ・ウシ」(ウバユリの根を掘る川)の意味でないかといわれていた。その後洞爺湖の出入口に当たるので地元の人びとの要望により、昭和 36 年 11 月 1 日、「洞爺」と改められた。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.65 より引用)※ 原文ママ

ふむふむ。近年では「弟子屈駅」が「摩周駅」に改名された例がありますが、「虻田駅」が「洞爺駅」になったのは 1961 年のことだそうですから、随分と先を行っていたことになりますね。

秦さんに聞いてみた

地名解は両論併記の体となっていますが、たとえば秦檍丸(村上島之允)の「東蝦夷地名考」には次のように記されていました。

一アブタ
  アフは鉤の称。タの語解し難し。一にアブトといふ。アブトは雨の名なり。地名となりたる事、つまひらかならす。
(秦檍麻呂「東蝦夷地名考」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.18 より引用)※ 原文ママ

秦檍丸は ap を「鉤」であると考えていたようですね。そして apto は確かに「」を意味するようです。upun で「吹雪」ではないかとされる地名もある(雨紛)くらいですから(個人的にはちょいと疑義もありますが)、「雨」という地名があってもいいのかもしれません。長崎あたりとかね(ぉ

上原さんにも聞いてみた

上原熊次郎の「蝦夷地名考并里程記」では、秦説をより正確に解釈しようとしていました。

アプタ
  夷語アプタとは鉤針を作ると云ふ事。扨、アプとは鈎針の事。ターとハ作る、又は拵ると申意なり。此故事未詳。
(上原熊次郎「蝦夷地名考并里程記」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.49 より引用)

秦檍丸の「『雨』を意味するのかも」という説は姿を消し、ap-ta(-pet) で「鉤針・作る(・川)」と考えたようです。

松浦さんにも聞いてみたよ

松浦武四郎の「郡名之儀ニ付奉申上候條」には次のようにありました。

虻田郡 西山越内領東ウス領界チヤランケ石ヲ以テ海岸九里十九丁、一郡ニ仕候。
  夷語アブとは釣針の事。夕とは製スル義。釣針ヲ作ル故事御坐候。釣作卜訳シテ宜シク候。
(松浦武四郎「郡名之儀ニ付奉申上候條」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.121 より引用)

わざわざ引用するまでも無かったのですが、「虻田」という漢字表記が誕生した瞬間かもしれないので引用してみました。「チヤランケ石」という場所?を境界にしているのは面白いですね。

知里さんに別件で聞いてみた

この「チヤランケ石」、なんと知里さんの「──小辞典」に出てきます。

cháranke ちゃランケ ((完動; 名)) 弁論(する);談判(する)。~-suma[弁論している・石]チャランケ岩。この岩はイブリ国ウス郡ダテ町字ウスの海岸にあり,陸の方から見れば,累々たる巨岩にすぎないが,遠く海上から眺めると人の起伏している姿に見える。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.14 より引用)

ほうほう。場所も一致するので、「郡名之儀ニ付奉申上候條」に出てきた「チヤランケ石」と同一のものを指していると見て良さそうですね。この「チャランケ岩」の伝説ですが……

昔,この海岸に鯨がより上ったとき,アブタのアイヌが先に見つけてそれを自分たちのものにしようとした。ウスのアイヌがそれに異議をとなえ,三日三晩ぶっ通しにチャランケしたあげく,ついにウスのアイヌが勝った。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.14 より引用)

うわわ。これはアブタのアイヌが不遇すぎますね。「チャランケ」は単なる言い争いではなく、今で言う「ディベート」に相当するものだと思うのですが、勝者が勝ち取る「名誉」は相当なものだったのだとか(敗者が逆なのもまた然りです)。

その瞬間弁者たちは石に化した。それで一方の石は勝ちほこって豪然と肩をそびやかしているのに対して,片方は面目なげに平伏しているのだという。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.14 より引用)

まるでメデューサのような話ですね(笑)。それはいいとして、「アブタのアイヌが見つけた鯨をウスのアイヌに言い負かされて失った」というストーリーは興味深いですね。往古に実際あった故事なのか、それともなにかを隠喩しているのか……。

永田さんにも聞いてみた

永田地名解の「國郡」の項には、次のように記されていました。

虹田郡 元名「アㇷ゚タペッ」(Ap ta pet)鉤ヲ作ル川ノ義、「アイヌ」口碑ニ云往時ハ大川ニシテ鉤ヲ作リ魚ヲ釣リシガ臼岳噴火ノ時埋沒シテ今ハ小川トナリ魚上ラズト「アイヌ」謂フ所ノ噴火ハ蓋シ文政五(壬午)年正月十五日(弘前蝦夷志二月朔日ニ作ル)ノ噴火ヲ言フナラン虻田ノ會所此時噴火ノ害ヲ蒙タ後「フレナイ」ニ移シタレドモ舊名ヲ稱シタ虻田會所ト云フ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.15 より引用)※ 原文ママ

なんか、色々と書いてありますが……。少なくとも地名解としては ap-ta-pet で「鉤・作る・川」で違い無さそうですね。つまり、ここまでの諸氏は全て ap-ta で「鉤針・作る」と解釈していたことになります。

更科さんにも聞いてみたよ

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には、次のように記されていました。

 虻田(あぶた)
 いま、洞爺駅のあるところ。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.58 より引用)

はい、これはいいですね。続けましょう。

ここはもとフレ・ナイ(赤い川)という川があったので、この付近をそう呼んでいたが、現在の入江と呼んでいるあたりにあった虻田運上屋が、文政五年(一八二二)有珠岳の噴火で、村落が全滅しフレナイに移ったが、移ってからも虻田運上屋といったので、ここを虻田と呼ぶようになった。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.58 より引用)

相変わらず一文が長すぎますが、言わんとする事は永田地名解と大差無さそうですね。元々「アブタ」は現在の「入江」のあたりの地名だったが、1822 年の有珠山の噴火で集落が全滅し、今は「赤川」のあたりに移ったという話です。

これ、実は全く同じようなことを 21 世紀に入ってからも繰り返しているんですよね。道央自動車道の「虻田洞爺湖 IC」なんですが、もともとは虻田町入江からほどちかいところに IC がありました。ところが 2000 年の有珠山噴火で国道 230 号が埋まってしまい、北西にある「赤川」の近くにトンネルを掘削して復旧しました。虻田洞爺湖 IC も、国道の新ルート開通に合わせて移設されています。

閑話休題。地名解の話に戻しますと……

アブタはアプタペッのなまったもので、アプは樺太アイヌ語のハプで、姥百合の根(鱗茎)で "姥百合の根を掘る川" の意味ではないかといわれている。姥百合の根は昔の植物質食糧として大事なものであった。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.58 より引用)

ようやくここで、hap-ta-pet で「クロユリの鱗茎・取る・川」という新説が出てきました。ただ、時系列で考えると「──駅名の起源」がオリジナルである可能性が高いかなぁと思われます。

北海道駅名の起源(昭和 29 年版)を見てみた

先程は、北海道駅名の起源(昭和 48 年版)を引用しましたが、今度は昭和 29 年版のものを見てみましょう。

 虻田駅(あぶた)
所在地 胆振国虻田郡虻田町
開 駅 昭和三年九月十日
起 源 アイヌ語「アプ・タ・ペッ」の上部を採ったもので、意味は(魚鈎を作った川)といわれているが肯けない。
(「北海道駅名の起源(昭和29年版)」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.342 より引用)

この時点では ap-ta-pet が定説と化していた筈なので、それに対して「頷けない」とした上で、新説を続けています。

樺太アイヌ語ではウバユリの根を「ハプ」と称する、この地のアイヌは古く樺太アイヌと同系と考えられる節があるので、地名も古くは「ハプ・タ・ウシ」(いつもそこでウバユリの球根を掘った所)であったのではなかろうか。
(「北海道駅名の起源(昭和29年版)」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.342 より引用)

ふーむ。「この地のアイヌは樺太アイヌと同系と考えられる節がある」とは中々思い切ったことを言いますね。昭和 29 年版の「北海道駅名の起源」は、高倉新一郎・知里真志保・更科源蔵の三氏に河野広道が加わった四人で編纂されたものですが、このようなダイナミックな仮説を世に問うことができたのは、おそらく知里さんだけだったんじゃないかなぁと思ったりします。

山田秀三さんにも聞いてみた

山田秀三さんは、「北海道の地名」にて ap-ta-pet 説と hap-ta-us-i 説を紹介していました。ap-ta-pet で「鉤針・作る・川」については

釣針はここだけで作ったわけではないだろうが。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.410 より引用)

至極ごもっともなツッコミですね。一方で hap-ta-us-i で「ウバユリの球根・掘る・いつもする・ところ」という解釈については

音に合わせて考えられた研究的一案である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.410 より引用)

と評していました(あくまで「研究的な一案」であると捉えたようですね)。全体的には、次のように考えていたようです。

とにかく,古く秦檍麻呂,次いで上原熊次郎の時代からずつと釣針説が土地のアイヌの解だったらしい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.410 より引用)

確かにその通りですね。実際の語源はさておき、少なくとも地元のアイヌは「釣り針」に由来すると考えていた、ということは間違い無さそうです。

ここの駅名も虻田だったが,昭和36年洞爺と改名した。駅に行ったら洞爺と書き直されていて唖然としたのだった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.410 より引用)

この辺の感覚は、今も昔も変わらないみたいですね(笑)。

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