2018年1月21日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (502) 「アルトリ岬・エントモ岬」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

アルトリ岬

ar-utur
向こう側の・間


有珠駅から見て南西の方角にある岬の名前です。「東蝦夷日誌」には次のように記されていました。

アルトル(沙地、鰯小屋、夷家有)名義、山の向ふの義也。是も臼の方より言事か。今は地名と成たり。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.75 より引用)

また、永田地名解には次のように記されていました。

Aru uturu  アルー ト゚ル  山ノ彼方(アナタ) 直訳一半ノ間、○「向フ」トモ意訳ス
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.185 より引用)

ふむふむ。ar-utur で「もう一方の・間」と読んだ、ということでしょうか。確かにアルトリ岬はやや陸繋島っぽい形をしている(実際のところは良くわかりませんが)ので、陸と繋がっている(かもしれない)部分を指して utur と呼んだ……というのも考えられなくは無いのですが、個人的にはちょっと厳しいような気もします。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、この疑問に対する解(の案)が記されていました。

アルトリ
 伊達市内の地名。海岸名,岬名。アルトリの名は北海道内の方々にあった。原型はアルトㇽ(アㇽ・ウトㇽ。ar-utor 向こう側の・側面)という意。アㇽは「対になっているものの片一方」をいうことであるが,地名では,事実上,山とか海の向こう側を指していた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.409 より引用)

なるほど、ar-utur ではなく ar-{ut-or} と考えたのですね。これだと「もう一方の・{肋骨のところ}」と解釈することができます。地名人体化は知里さんの十八番ですが、有珠駅のあたりが「背骨」だとすれば、有珠湾の北西(「チャランケ石」のあったあたり)が「肋骨」となり、「アルトリ岬」のあたりが「もう一方の肋骨」となりそうです。

謎の「ホロシレト」

ところが、お隣の「エントモ岬」のことを調べていて、妙なことに気づいてしまいました。実は「エントモ岬」という名前は古い記録に出てこないのですね。代わりに「東西蝦夷山川地理取調図」には「ホロシレト」と「ホンシレト」という名前が出ています。そして「アルトル」は両者のの地名として記されています。あれ、これはもしかして……という話です。

つまり、「ホロシレト」(大岬)が現在の「アルトリ岬」で、「ホンシレト」(小岬)が「エントモ岬」だと考えると、「アルトル」は岬の地名ではなく、現在の「伊達市南有珠町」のあたりの地名だったと考えざるを得なくなります。となると「もう一方の肋骨」という解釈が俄然トンチンカンなものになるのですね。

そう思って、明治の頃の地形図を眺めてみると、そこには「アルトリ岬」という名前はなく、代わりに「イソキソキ」という謎の名前が記されていました。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「イソクソク」という名前が「ホンシレト」の東側の地名として出てきますが、この位置関係は誤りだ……と考えたいです。そうでないとこの先の推論が成り立たなくなりますので。

更に謎を呼ぶ「イソキソキ」

ちなみにこの「イソキソキ」ですが、永田地名解には次のようにありました。

Isokisoki  イソキソキ  啄木鳥岬(キツツキザキ)
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.185 より引用)

キツツキ……(汗)。確かに知里さんの「動物編」を見ると、「エゾアカゲラ」を意味する esóksoki(エそㇰソキ)という語彙が記されています。でも、岬の名前として適切であるとは思えないんですよね。

じゃあどういう意味なんだ……という話ですが、うーん。iso(-k)-sotki で「波かぶり岩・寝床」とかどうでしょう。「-k」の出処が不明じゃないか? というツッコミがあると思いますが、なんとなく入れてみました(全く説明になってない)。

あるいは etok-soske で「頭の突出部・剥げている」というのもアリかもしれませんね。直訳すぎて本質を見失いそうですが、要するに「削られている岬」ということです。

「アルトリ」は岬じゃない説

閑話休題。「アルトリ」が、岬の名前ではなく、岬と岬の間の土地の名前ではないかと考えてみたのですが、たとえば「初航蝦夷日誌」には次のように記されています。

ホンウスヱト 廻りて岩岬をこえ
ヲタサンケ 幷而
ヲタムイ 少し浜有。越而
ヱソキリキ 又ホロシレトとも云り。岩岬也。樹木多し。越而
アルトル 少し越而
シユマシレト 大岩サキ也。此上の方雑樹立なり。越而
リヒラ またヒラノと云り。虎杖多し。
等越而 小石浜を行ことしばし。此処より本道へ出るニよろしと。海岸立木原也
ヲサルベツ 川也。此上往来而渡る時も深し。此巾十三間。舟渡し也。
(松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 上巻」吉川弘文館 p.264-265 より引用)

あっさりと答が出ていました。やはり「ヱソキリキ(ホロシレト)」と「シユマシレト」が「岬」である、としています。また「ヲサルベツ」(長流川)との位置関係を考えると、「シユマシレト」が「エントモ岬」となりますので、「ヱソキリキ(ホロシレト)」が現在の「アルトリ岬」である、ということになります。

「アルトル」は、やはり現在の「アルトリ岬」と「エントモ岬」の間の地名だったと考えられそうです。となると、永田地名解の ar-utur (「向こう側の・間」という解釈がこれ以上無いものに思えてきます。有珠湾から見て、岬の向こう側にある「(アルトリ岬とエントモ岬の)間」になりますからね。

エントモ岬

{en-rum}?

etu-moy?
岬・静かな海


長和駅の西に位置する岬の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」では「ホンシレト」、「蝦夷日誌」では「シユマシレト」とある岬のことだと思われます。pon-sir-etu は「小さな・大地・岬」、suma-sir-etu だと「岩・大地・岬」でしょうか。

「アルトリ岬」と同じく、この岬は名前の変遷が激しかったようで、明治の頃の地形図では「エンルム」となっていましたが、大正六年に測図された陸軍図では「エントモ岬」となっています。ちなみに前述の「アルトリ岬」も、大正六年の時点で岬の名前として登場しています。諸々の間違い?が確立した図と言えるのかもしれません。

{en-rum} は「」を意味します。知里さんの語源解では en-rum で「つき出ている・頭」では無いかとのこと。問題は現在の名前である「エントモ」で、有名なところでは室蘭の「絵鞆」と同じだと思われるのですが、今ひとつしっくりくる解釈に辿り着けません(永田地名解によると {en-rum}-etu-p ではないかとされていますが、疑義もあるようです)。

案外、etu-moy で「岬・静かな海」あたりじゃないかと言う気もするのですが……。いかがでしょうか?

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