2007年9月26日水曜日

Bojan のホテル探訪~「第一ホテル東京シーフォート」編

えと、今夜は品川区は天王洲にある第一ホテル東京シーフォートにお邪魔しています(いや、客として泊まってるんだけどさ)。

今日、ホテルに着いたのは、実は 14 時過ぎでして……。内心密かに「いくら何でもこいつは早すぎるか?」と思いつつも、他のホテルでの過去の経験を鑑み、「ま、だいじょぶじゃね?」との結論に達したため、おもむろにフロントに足を向けたのでした。

つーか、こんな Blog で「鑑み」なんて表現を使う人間は、そんなにいないかも。「~から(考えて)」とか「~を考慮して」の代わりに使えて、ほんのちょっぴり重厚かつボールドなテイストが漂います。あ、「ボールドなテイスト」って何?

やっぱお部屋には案内してもらいたいですよね

で、2F のフロントに向かったところ、すでに外人さんがフロントとやりとり中。2 ブースあるフロントはどちらも対応中だったので、少し離れたところで待っていると、CASHIER にいたお姉さんが対応してくださることに。

そうそう、外人さん相手のホテルの場合、チェックインとチェックアウトのカウンターが違う場合がありますよね。うまく日本語にできないんですが、「受付」と「会計」みたいな感じでしょうかね。んまぁ、そのお姉さんは、たまたま空いていた「会計」のカウンターに呼んでくれたのでした。

クレジットカードのコピーを取ってチェックインを完了。「お部屋までご案内しますか?」というオファーもあり、ちゃっかりお願いしたのでした。もちろん、クソ重たい仕事カバンを持ってもらったのは言うまでもありません。ホテルのお仕事って大変ですよね。ただ、礼儀作法が身につきそうな気はします。新人研修の一環にいいかもしれませんね。

やっぱお部屋はツインがいいですよね

お部屋はこんな感じ。かなりチェックインが早かったにもかかわらず、ツインが引き当てられました。ラッキー☆
ベッドはこんな感じ。
外の景色はこんな感じ。微妙にカーテンが写り込んでしまってますね。失敗したなぁ。
広々としたビジネスデスクもあります。

本日のお風呂写真

特筆すべきはお風呂でして、完全に足を伸ばした状態で湯船につかることができます。これはなかなか無い話ですよ! 今までいろーんなホテルに泊まりましたが、ここまで寛げる風呂は無かったような気がします。水道橋の東京ドームホテルも良かったですけど、それ以上かもしれない……。

ちなみに来月からプチ改修だそうです

ええ、今日の宿、第一ホテル東京シーフォートですけど、総じて満足です! 機会があればまた使ってみたいですね。うちの会社の出張規程を考えると、限りなく赤字に近いってのが唯一の問題点なんですが……。

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2007年9月20日木曜日

安い、速い、狭い(笑)

出張が多いわたくしは、当然ながら「モバイラー」なる人種……じゃなくて種族……じゃなくて、なんだぁ? まぁ、そういう類の人だったりします。

白黒液晶、640×400 でした

初めて持った(親が買った)ノート PC が、えーと、何でしたっけね。PC-9801 なんとかというモデルで、16MHz の Intel 386SX なる CPU を搭載していました。確か 1992 年か 93 年あたりだったかと思います。私の人生に重大な転機が訪れた頃、というか、訪れた直後あたりでしょうかね。ええ、微妙に死にかけた頃です(今となっては笑い話……でもないか)。

もっとも、その頃は無線 LAN や携帯電話などある筈もなく、ましてやアナログモデムすら持っていなかったような記憶があるので、モバイラーはおろか、単なるキーボード・ディスプレイ一体型 PC に成り下がっていた記憶もあります。だったらこんなところでだらだら書く必要は無かったですね。え? 「文字数稼ぎ」じゃないかって? うん、いい線行ってますね(ぇ)。

最初は 32Kbps でした

その後、比較的まともな会社(どんなのですか)に就職が決まったタイミングで、大枚はたいて VAIO PCG-505EX/64 を入手した頃から、立派な(?)モバイラーになったような気がします。かれこれ 8 年ほど前ですかね。最初に買ったのは、DDI ポケット(現在のウィルコム)の、PCMCIA カード型電話機でした。

世間では携帯電話が普及しつつあったその頃、最初に買った「携帯電話」(PHS だけどさ)が PCMCIA カードだったあたりを高く評価してもらいたいな、なんて(何の評価なんだか

ちなみに、このカード型 PHS、イヤホンをつければ電話機としても使える優れものでした(笑)。実際に何度か通話もしたのですが、PC のソフトウェアが起動していないと電話が出来ないという素晴らしい仕様のために、さすがに嫌気が差した記憶があります。ほどなくふつーの PHS に機種交換したことは言うまでもありません。

回線交換(風)だと 64Kbps、最大 25 時間限定だったりしました

で、その後、転職して、今度は会社から PHS が支給されることになり、今に至ります。最初は 32Kbps だったのが、H"(エッジ)で 64Kbps となり、会社から支給された PHS カードでは、最大 128Kbps(パケット通信時)のパフォーマンスを誇るわけですが……、このご時世、これでは死ぬほど遅いのは、皆さんご理解いただけるかと思います。ADSL 全盛の世の中に、未だに ISDN で頑張っているようなものですからね。

最近は、コーポレート契約で、VODAFONE(現在のソフトバンク)のパケット通信カードを持っている人が増えていて、密かに羨ましく思っていたのですが、よーく考えたら、3G ケータイのパケット通信で月額固定のサービスが、イーモバイルで始まっていたのでした。

それがいきなり最大 3.6Mbps ですからね

イー・モバイルと言えば、(PHS と比較して)圧倒的なスピード(下り最大 3.6Mbps)と圧倒的なエリアの狭さ(笑) を誇るわけですが、最近は地方での仕事よりも都内での仕事が多い私にとっては、後者は無視できるかと考え、某所での打ち合わせ中に勢いでオーダーしたのでした。電話機は結構な値段がしましたが、一年契約すると \5,000- 程度になるようなので、「ま、いっか」てな感じで。

で、勢いで契約してからちょうど一週間後、ちゃんと自宅に届きましたですよ。圏外だったけど(笑)
実際に使ってみての感想は……。うん、やっぱめちゃくちゃ速いわ(笑)。平均 1Mbps は出ているようだし、当然 VPN も OK なので、下手な無線 LAN なみに使えますね。こいつはライフスタイルを変えるかもしれません(大げさ)。

安い、速い、狭い(笑)

ちなみに、ライトデータプランとか言う、いわゆる「2 段階定額」をチョイスしたのですが、ふつーにものの 30 分ほどネサフ(死語?)しただけで、上限の 426,667 パケットを超えてしまいました(笑)。とは言え、一ヶ月間まったく使わない場合は \3,480- で済むので、それはそれでありがたいのかもしれません。

注意点は、とにもかくにもエリアの狭さですね。事前にちゃんと確認されることをお勧めします。例えば、四国に至ってはエリアマップすら用意されていません。ご注意あそばせ(笑)。

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2007年9月19日水曜日

「アラル海」の運命は「ソ連」と共に

みなさんこんばんは。ひたすら「内陸湖」について語る Blog が、今日もやってまいりました(何

いい加減本題に移らないと、他のネタがつかえて○秘状態になってピンクの小粒が欲しくなるので、さっさと本題に移りませう。

びみょーに地味な内陸湖「アラル海」

カスピ海から東に、経度にして 10 度ほど行ったところに、「アラル海」という内陸湖があるのをご存じでしょうか。大きさは約 67,499 平方キロと言いますから、琵琶湖(約 670 平方キロ)の約 100 倍、北海道(約 83,456 平方キロ)の 8 割程度という、でっかいというか内海と言うか、まぁそんなもんです(まだ拘ってる)。世界で 4 番目に大きな湖として、びみょーに地味なポジションをキープしてきました。

ただ、これは過去(1960 年)の話。2003 年時点では、そもそもひとつだったアラル海は「大アラル海」と「小アラル海」に分割民営化……じゃないや。分割されてしまい、双方を合わせても 17,158 平方キロにしかならないそうなのです。地味な順位をキープしていたはずが、気がつけば世界 17 位に後退。ついにトップシードからも落ちてしまいました(

消えゆく内陸湖「チャド湖」

失われつつある湖としては、アフリカの「チャド湖」が有名です。チャド湖は約 26,000 平方キロの面積を有していたにもかかわらず、今や 1,500 平方キロを割ったと言います。近い将来、確実に干上がると見られています。

チャド湖の場合は、灌漑用に汲み上げられる水が飛躍的に増加したことも縮小の一因とされますが、主因は流域全体の乾燥化傾向にあると考えられます。平たく言えば「砂漠化」というヤツですね。ある意味、地球規模で起こりつつある気候の変化(あえて「異常気象」とは言わない)の影響をモロに受けた、と言えるでしょう。

失敗はみんなスターリンのせいにしよう!

ところが、アラル海の場合は、どうやら人為的に「消失」を余儀なくされたフシがあるようなのです。スターリン時代のソ連において、「灌漑事業」の一貫として、アラル海に流入する大河のひとつである「アムダリア川」の上流部から、トルクメニスタンを経由してカスピ海に注ぎ込む「カラクーム運河」なる、世界最大の運河を建設したことにより、アムダリア川の流量が激減。蒸発量はそのままで、流入量が激減してしまったため、需給のバランスが崩れたアラル湖は、干上がるほかなくなる、という悲惨な事態を招いてしまったそうです。

もちろん、ソ連の科学者の中には、アラル湖が干上がる事態をあらかじめ想定して、警告を発した者もいたそうです。以下 Wikipedia の「アラル海」の記事から引用。

ソ連の科学者の中にはそのような事態を招く事をあらかじめ想定し反対を唱えた者もいないではなかったが「社会主義を妨害するもの」として処分の対象となった。 中央政府は当時このように説明していた。「アラル海で捕れるチョウザメのキャビアがどれほどの利益になろうか。それが社会主義の勝利にどれほど貢献するというのか。それよりも砂漠の地を緑に変え、そこで栽培される綿花がどれだけの利益を生み出すだろう。なるほど、灌漑によってアラル海は干上がるかもしれない。しかし社会主義の勝利のためにはアラル海はむしろ美しく死ぬべきである」と。

さすがはソ連です。いや、皮肉ってるわけじゃないです。真剣に感心しているのですよ。ソ連はかつて、ベーリング海峡を封鎖して、北極海からの流氷を封じ込める計画を考えたこともあったと言います。カムチャツカをやオホーツク海を温暖化させて、肥沃な大地にする、という発想だったそうですが、実現していたら大変な気候変動を招いていたのは間違いないでしょう。少なくとも「流氷観光」ができなくなります(ぅ

ちなみに、このカラクーム運河、1954 年に建設が開始され、1988 年に完成したとか。つまり、建設が開始された頃にはスターリン時代は終焉を迎えていて、完成した頃はソ連自体が終焉を迎えつつあったということになります。何とも皮肉な話ですね。

「アラル海」の運命は「ソ連」と共に

かくして、アラル海を死滅させてまで敢行された、この「灌漑事業」。結果は悲惨なもので、砂漠地域に通された運河は、多くの水が地下に失われ、地下水の水位を上昇させたはいいものの、地中の塩分を地表に噴出させ、結果として農耕不適地を増やしてしまっただけだったとか。アラル海の死と引き替えに行われた「壮大な実験」は、「ソ連」という「壮大な実験国家」の死と同じく、破滅のみをもたらしたのでした。

ただ、人類は「失敗から学ぶ」ことのできる生き物なわけで、こういった「失敗」の事例を数多く提供してくれた「ソ連」という国には、感謝しないといけない点も多々あるかと思います。いや、皮肉じゃなく真剣にそう思ってますよ。

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2007年9月18日火曜日

ディサポイントメント湖に落胆する

今日も懲りずに、カスピ海を始めとする「内陸湖」について語ってみます。この混沌とした世の中にあって、暢気に「内陸湖」について語る Blog がどの程度あるのか、とっても興味を惹かれますよね(惹かれません)。

内陸湖」についての Wikipedia さんの見解は、次の通りです。

内陸湖は、流れ出す川がなく、蒸発によってのみ水が失われる湖。

はい、ありがとうございます。それでは本題に入る前に、久しぶりのこちらのコーナーです。

前回の傾向と対策

みなさまお久しぶりです。

まず、前回の題名として使われた「『海』or『not 海』、that is the question」ですが、これはシェイクスピアのハムレットにおける有名な一節「To be, or not to be: that is the question」のもじりであることは言うを待たないことですが、作者曰く、「『To be』と『海』で韻を踏んでいる」とのこと。はぁ、そうですか……。好きにしてください。

続きまして、「ホセ・カレーラスが唄う『川の流れのように』」ですが、こちらは 2001 年に発売された「Around The World」というアルバムの 5 曲目に納められています。もちろん日本語で歌っています

以上、久しぶりの傾向と対策のコーナーでした☆

ありがとうございました。「ハムレット」と言えば、小学生の頃に始めてこの単語を聞いたとき、何とも美味しそうな印象を持ってしまったのが思い出されます(「ハム」+「オムレツ」ですか)。

Around The 内陸湖

では、本題に戻りましょう。「カスピ海」に代表される内陸湖ですが、Wikipedia を見た限り、ほかにも色々とあるようです。例えば日本の「摩周湖」も、「流出河川がない」という点からは内陸湖になるそうですね。ちょいと前にオリンピックが開催された「ソルトレークシティ」の名の由来でもある「グレートソルトレーク」も立派な内陸湖です。

個人的にウケたのが「ディサポイントメント湖」ですね(笑)。和訳すると「がっかり湖」となるのですが、その由来を Wikipedia さんに聞いてみると、

ディサポイントメント湖の名前となっている "Disappointment" には、『失望させる、落胆』という意味があり、この名前は 1987 年に探検家フランク・ハン (Frank Hann) によって名付けられた。彼がピルバラの東とルダル川の周辺を探検しているとき、その地域で内陸を流れる小川に気付き、大きな淡水湖があると予期してその流れについていった。そこで彼はその湖が塩でできていることに気付き、それが彼にとっての失望であった。

そいつはがっかりですよね(笑)。

グレートなディサポイントメントをフェルトしたわけです

さて、Wikipedia の「内陸湖」カテゴリの中には、カスピ海や摩周湖、ディサポイントメント湖の他にも、チャド湖アラル海というエントリもあり、それについて書こうと思っていたのですが、スペースが無くなってしまいました。こいつはグレートディサポイントメントトゥギャザーフィーリングです。ではスィーユートゥモロー!

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「海」or「not 海」、that is the question(←無理矢理

タッチの差で間に合わなかったあぁぁぁあぁ!(T_T)

まぁ、「連続投稿記録」なんてものが有名無実と化しているのは明々白々なわけですが(ぇ)、なんつーか、エントリだけでも残しておきたかったなぁ、なんて思ってます。うーん、残念無念。ここはやはり潮時か……(何の?

「海」or「not 海」、that is the question(←無理矢理

さて、昨日の記事では(いきなり立ち直ってみる)、「カスピ海」は海か湖か、という実にどうでもいい内容を、しかも書きかけのまま逃亡するという、素敵な内容でお送りしました。本日はその続編に当たります。

細かな経緯は昨日の記事を参照いただくこととして、新明解さんの解釈としては、「カスピ海」は「湖」にあたる、との見解であるように思われます。そんなに長くないので再掲しますと、

〔水海の意〕まわりを陸に囲まれて水をたたえた所。

だそうですので。実際、カスピ海には流出河川がありません。従いまして、「陸に囲まれて水をたたえた所」という表現が、必要以上に適合するのです。

ホセ・カレーラスが唄う「川の流れのように」

では、なぜこんな自明なことをだらだらと記しているかと言いますと、やはり、異論があるからなのですね。異論を述べる前に、「川」について考えて見ます。

懲りずに新明解さんのお力にすがりましょう。

地上のくぼんだ所へ集まって、自然に流れ、海・湖などに注ぐ水(の道)。

いやぁ、実にお見事です。惚れ惚れしますね。

確かに、この定義からは、「カスピ海」が「」である、との答を導き出すことはできません。実際、新明解さんの考えでは「カスピ海」は「湖」なのですから、むしろ整合性が取れていて美しいわけですが。

セカンド・オピニオン(違

で、ようやく私の考えを記すタイミングとなったのですが(長かったね)、「川」の定義を、私は、少々哲学的に考えてみたいのです。具体的には、「すべての川は海へ注ぐ」という命題?を与えたいのです。

例えば、「日本一大きな湖」である滋賀県の琵琶湖には、県内のほぼ全ての河川が流入しています(例外は瀬田川大戸川水系です。中学校の地理の時間で習いましたよね、って、滋賀県内の中学校だけだろうけど(笑))。

琵琶湖の水は、一部は琵琶湖疎水によって京都市内へと流れてゆきますが、その殆どは瀬田川から流出し、宇治川と名前を変え、木津川・桂川と合流して淀川となり、大阪湾へと注ぎます。従って、琵琶湖に注ぐ河川であっても、最終的には「すべての川は海へ注ぐ」という命題をクリアできます。

「Last Resort」というコトバも、なかなかディープですね

ところが、カスピ海に注ぎ込む河川は、カスピ海が「海」でない限り、この命題をクリアできません(そういう意味で、新明解さんの「湖など」という表現は実に正しいのです。これが「惚れ惚れした」要因です)。

カスピ海は適度な塩分を含み、また、流出する河川を持ちません。これは、雨となって地表にしたたり落ちたしずくの Last Resort ということになるので、やはり、「海」と考えるべきではないのか、などと思ってしまいます。

こういった、流出河川を持たない湖のことを「内陸湖」などと呼んだりもしますが、もうちょいと書きたいことがあるので、また明日に続きます。今夜もご覧頂き、ありがとうございました(ぇ

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2007年9月10日月曜日

世界の車窓から

昼間、新幹線に乗るときで、天気が良さそうな時は、たいてい「山側」をリクエストします。なぜかと言うと、富士山が見たいから。まぁ、別に見えたからどーの、ってことはないんですけど、何となく、すっきり見えたらラッキーじゃないですか(ぇ

世界の車窓から

さて、東海道新幹線にて「山側」に陣取っていると、こんなものも見ることができます。はい、ニッポンの田園風景ですね。
特別さーびすぅ、ということで、少しズームしてみましょう。
ん、何かの看板が見えますね。見えませんか? では、更にズームしてみましょう。
デザインのシュールさでは、かの「セブンツーセブン化粧品」に敵いませんが、見るものに問いかける謎の深さでは、割と良いセンを行っていますね。

何の看板かと言いますと、ご存じプチプチ川上産業の看板なのですが、この会社、名古屋が本社なんですね。この看板は、なぜか神奈川県にありますけど……。

懲りずに世界の車窓から

まぁ、この「プチプチ」の看板は、場所が場所なだけに、かなりの上級者(何)にならないと見逃す率が高いのですが、初心者(何)の皆様のために、「こだま」に乗車するだけで、確実に見ることができる看板もご紹介しておきましょう。

そんなヤツはおぉらぁへぇんやぁろぉ~」って? すいません。

えと、名古屋駅のひとつ手前に三河安城という駅があります。のぞみに乗っていると、三河安城を通過すると、大抵アナウンスがありますね。「この列車は、三河安城駅を定刻で通過しました。まもなく名古屋に到着します」と。このように、通過することに意義がある駅だと思われがちですが、いえいえ立派な看板が用意されているのですよ。

三河安城駅の近くには、ニチバンの工場がありまして、そこにはカントもデカルトもびっくりの名言が記されています。

なくしてわかる ありがたさ 親と健康とセロテープ®」

うん、泣けてきますね。地上の☆ですね。まるでプロジェクト×ですね。

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2007年9月8日土曜日

GUAM の旅 2007/夏 #16 「幻の出国手続き」

出国の朝(ちと早朝すぎ

グアム国際空港に着いたのが、朝の 4:30 頃でしたかね。まずはノースウェストのカウンターでチェックイン(搭乗手続き)して、そして手荷物を預けた後、保安検査(セキュリティチェック)&出国手続きが待っています。

そうそう、搭乗手続きは、入国した日に旅行会社のアシスタントの兄ちゃんが代行してくれていたのでしたね。ですから、ここでの「搭乗手続き」は、最終確認のようなもの、になります。手荷物の預託も、別になんと言うことはありませんでした。

何かあったら大変なんですが、そういえばサイズ超過を指摘されている人がいましたねぇ。追加料金を支払ったのでしょうか。

さすが米国……

続けて、セキュリティチェックが待っているのですが、そこには長蛇の列が。さすが米国、靴底までチェックする念の入れようです。そういえば、昨年の LAX(ロサンゼルス国際空港)でもチェックされましたね。

セキュリティチェックの途中で、なぜかパスポートのチェックを行っている人たちが。さすが米国、事前のチェックも怠りがありません。そういえば(← 文章の回し方がワンパターンすぎ)、白人でも日本人でもない一家(現地の人か、東南アジアの人か)が、その係員にやたら細かく質問を受けていました。書類に不備でもあったのでしょうか。

典型的日本人の我々は、「パスポート拝見」「どうぞ♪」のワンツースルーパスです。

バーガーキングに挑戦

さて、金属探知をクリアしたのが朝の 5 時前。微妙に小腹が空いたので、たまたま視界に入ったラーメン屋でも行こうかと思い、歩き出しました。するとそこはちょっとしたフードコートになっていて、BURGER KING を発見。

空港と言えばバーガーキングということで(ぇ)、今回もチャレンジしてみました。「なんとか」じゃなくて、「なんとか Whopper」をゲットです。
お味はですね、その……。ぶっちゃけ、ダメでした(笑)。いや、いっしょに頼んだダイエットコークが最悪に不味くて。わっぱもね、食べ応えはあるんですけど、ジューシーさがイマイチだったかな、とか。グアムでいろいろ食しましたけど、一番良かったのは、トニー・ローマのリブだったような気がします。

幻の出国手続き

その後、搭乗ゲートまでてくてくと通路を歩いていて、ふと我に返りました。「そういえば、出国手続きって?」

カンのいい方はもうお気づきですね。セキュリティチェック渋滞の途中でパスポートをチェックしていたおじさん二人組。あれがどうやら出国手続きだったようなのです。あれだけ立派な入国ゲートとは裏腹に、出国についてはなんといい加減なことか……(笑)。パスポートに出国印を押すことすらしないんですからね。びっくりしちゃいましたよ(笑)。

隣の門は底特律への扉

ノースウェスト 79 便は、やはり行きと同じく B757-200 で、シートは 3-3 でした。機内はやはり満席にちかく、お世辞にも快適とは言い難かったですねー。

機体は特に揺れることも無く、関西空港には予定より 40 分近く早着したのでした。ターミナルに入ると、そこには「底特律」の文字が……。なんか Deja vu を感じますね。

本日も、ご覧頂き、大変ありがとうございました(松平さん風

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2007年9月7日金曜日

GUAM の旅 2007/夏 #15 「ROCKSTAR で Have a energy break !」

無知故の過ち

ちと恥ずかしい話というのはですね。お勘定の時に、言われた金額をほぼそのまま渡してしまった、という話です。何のことはない、チップを乗せるのを忘れていたのです。そういえば、お勘定を受け取ったときのお姉さんの挙動が一瞬固まっていた記憶があります。うむむむ……。

有償のサービスに対するチップの相場は、だいたい 15% 程度だそうですね。ディナーの代金は 60 ドルとちょいだったので、10 ドル払えば良かったのですが、気が動転していたせいか、手元にあった 1 ドル札をありったけ(笑)、あわてて追加で手渡したのでした。7 ドルくらいだったですかね。

まぁ、若さ故の過ちということで認めちゃいましょう(笑)。

コーヒーブレイク……ではなくてエナジーブレイク

その後は、1F の ABC Store でおみやげを買ったり、飲み物を買ったりしてからホテルに引き揚げました。いよいよ明日は日本に引き揚げです(ぇ)。

そうそう、トマス・エンゲでおなじみの(ぇ)ROCKSTAR が売っていたので、買ってみましたよ。要するに Bad... じゃなくて Red Bull 互換の代物で、「アメリカ製」がウリだそうです(笑)。
エナジードリンクにして 473 ml ですよ(笑)。「どんだけ~」と叫びたくなるのを自重したくなりますね(← 叫んでんじゃん

IRL でのエンゲは割といい線行ってたと思うんですが

ちなみに、ROCKSTAR の邪道ぶりはサイズに留まらず、こんなフレーバーものまで見つけてしまいました。
POMEGRANATE、つまり、ざくろ味のエナジードリンクです(笑)。他にも何種類かありましたね。さすがに全部を試す勇気は無かったですが。

ちなみに、このざくろ味のロックスター、お味はなかなかとの評判でした。自分で飲んでみても、「うん、普通のジュースと大差無いな」と思いましたし。

チェックアウトは混乱無し

さて、こうして 3 日目の夜も更け、4 日目は朝から強制送還、ではなくて帰国です。ホテルから空港までは、某旅行会社の送迎バスが出るのですが、出発が……午前 3:50 だとか。誰ですか、こんなスケジュール組んだのは。責任者出てこ(ry

「3:50 までに各自チェックアウトを済ませて、ロビーで待っててくださいねん」との旨。「なんだチェックアウトは自分でやるのかよ」と思いながら、気合いを入れてフロントへ。

わたし「チェックアウトお願いしまーす(怪しい英語で)」
フロント「はい、承りました。ありがとうございました(英語で)」
わたし「……。」

わたし「もういいの?(怪しい英語で)」
フロント「はい。間違いございません(英語で)」

うわー、簡単……なのか、てきとー……なのか(後者の可能性大?)。

そんなこんなで、グアム国際空港に向かったのでした(まだつづく!?

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2007年9月6日木曜日

GUAM の旅 2007/夏 #14 「グアムの地に『わんこそば』システムを見た」

K マートでは……。とりあえず買い物してきました。うん、色々買いましたよ。変なモノばかり(笑)。そうですね、何を買ったかとゆーとですね……

LISTERINE Whitening

言わずと知れたリステリンですが、LISTERINE Whitening というタイプのもので、なんとなく美白効果がありそうなので買ってみました。ちなみにまだ試してません(笑)

LISTERINE PocketPaks

「またリステリンかよ」との声に応えてみました(ぇ)。LISTERINE PocketPaks という、フィルムタイプのリステリンなんですけど、最近、日本ではあまり見かけないんですよね(以前はコンビニで売ってましたので、未上陸ってことではないです。もしかしたら撤退したのかも知れませんが)。

三年ほど前に、シンガポールで偶然ゲットしたのがそもそものきっかけでして……。なぁんとなく、殺菌効果とかありそうな感じがするじゃないですか。で、ちまちまと愛用していたのですが、最近どこにも売っていなくて、少し寂しい思いをしていたのです(おおげさ

バブルバスの素

私の高祖父のひとりはクリミア系のタタール人でして、つまり、私には 1/32 ほど西洋人の血が流れています(← もちろん全部ウソです)。そんなわけで、お風呂も「欧米化」したくなるわけで、「バブルバスの素」も買ってきました。写真をお見せできないのが残念なのですが、結構なボリュームでそこそこのお値段。さすが本場は違います(ぇ)。

とまぁ、こういったつまらないものを中心に、いろいろと買い物をしてきたのでした。

最後の晩餐(ちと大げさ

さて、グアム 3 日目にして最後の晩餐と相成ったわけですが……。初日、諸事情によりたどり着けなかった「アウトバック」に行くしかあるめぇ! ということで、行ってきましたよ。
見た感じ、入り口に屯する人が数名。「これは待たされるか」と覚悟を決めたのもつかの間、女性スタッフが我々を席に案内してくれることに。これは、もしや飛行機で言う「優先搭乗」みたいなものなんでしょうかね。何だか少し悪い気がします。

席に着くと、そこには完全に日本語化されたメニューが。さすがグアム、日本人の扱いには慣れていますね。

グアムの地に、「わんこそば」システムを見た

まず、ソフトドリンクをオーダーし、続けて「お店のおすすめ」を注文することに。相方曰く、「ステーキロブスターがいいらしい」とのことなので、それを注文。さすがにウェイトレスのお姉さんは日本語を話さないので、私がびみょーな英語でテンポ良く(爆笑)オーダーを完了。

ほどなく、お姉さんがジョッキに注がれたソフトドリンク(何だったかなー。フルーツパンチとか、なんかそんなのを頼んだような)を持ってきてくれました。喉も渇いていたので、ちまちまと喉を潤しながら飲み終えると……。

すかさず同じ種類のドリンクのおかわりが!(笑) うん、確かに「おかわり無料」とは書いてあったような気がするけれど、最初のオーダーが最後まで生きるとは思わなかったさ(笑)。

来た、見た、食った(元ネタは?

ステーキ&ロブスター(ポテトフライつき)は、うん、それなりに美味でした。ぶっちゃけ初日のトニーローマのほうがインパクトはありましたけど……(お店の人ごめんなさい)。

この後、ちと恥ずかしい話があるのですが、紙面も尽きてきましたので、今日はこの辺で。わずか 3 日の旅でどこまで引っ張るんだ、という指摘もありますが……

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2007年9月5日水曜日

GUAM の旅 2007/夏 #13 「見つからなかったってばよ!」

買い物に行ったのでした

さて、無事初体験を済ませてきたわたくし。前回のポストでも書いた通り、お昼からはマイクロネシア・モールK マートでお買い物をしてきました。「ミクロネシア」じゃありませんよ。「マイクロネシア」ですからお間違いなく。

にしても、「ぽ」の連想変換で、最初に「ポアソン分布」が出てくるわが ATOK 2006 は只者じゃないですね。こんな言葉、十年以上使っていない気がするめいか!(お通語)。

ちなみに、「み」では「ミクロ物流コスト」が最初に出てきました。何ソレ。

そうそう。「ミクロ」ではなく「マイクロ」なのは、グアムがアメリカ領だから、ですね。彼らの口にかかれば capacity も「けぃぱしてぃ」なので、まぁ当然なんですが、ね……。そうだ。alias は「えいりあす」でいいんだろうか。「えぃらぃえぃす」だったら泣くに泣けない(そうか

てなわけで、バス(ラムラムだったか、いや、ザ・ショッピング・バスだったかな?)に乗って、てくてくとマイクロネシア・モールに向かったのでした。

おまけフォト

なんとなくグアムの風景などを。バプテスト教会だったかな?

グローバリゼーションの波はまだ遠く……(ぇ

タモン地区を世界の中心と考えると、町外れにあるマイクロソフ……いや、マイクロネシア・モール。とりあえず 2F のフードコートに行って腹ごしらえを、ということで、ちらっと覗いてみた結果、入り口近くのイタリアンでいいか、ということになりました。

ピザを一切れオーダーして、ついでにドリンクを、というシチュエーションになったのですが……、やってしまいました。何も考えずに、"Large size, please." と口走ってしまったのです。
うわ、でかっ!!

見つからなかったってばよ!

その後、レコード屋に行ったり、本屋に行ったりしました。本屋では某嬢向けに土産でも~と思って眺めていたのですが、残念ながら G も R も見あたりませんでした(謎)。NARUTOONE PIECE はいっぱいあったんですけどね。それと、なぜか BLEACH が大量にありました。もちろん Case Closed もありましたよ(買ってないけど)。

で、結局ロクに買い物をしないまま、マイクロネシア・モールを後にして、K マートに向かったのでした(つづく)。

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2007年9月4日火曜日

GUAM の旅 2007/夏 #12 「すべてを上向きモーメントのせいにしてみる」

てなわけで、ようやく 3 日目の朝を迎えたのでした。密度の濃い旅行というよりは、トラブル率の高い旅行と言った方が、より正確なのでしょうね。ええ、存分に楽しんでいるので、良いのですけどね。体調を崩すことも無いですし。

あ、今日は久々に写真ナシですよ。

そうだ、○○、しよう

さて、昨日はタクシーを借りて「島めぐり(というほど大それたものでは無いが)」したわたくし。今日は何をするか……。何しろ事前準備ゼロ予習皆無で来ているので、ネタのストックが無いのです。そうそう、昼からはマイクロネシア・モールK マートでお買い物だそうです。うん、これは楽しみ。

てなわけで、午前中何をするか。どうせだったら日本でできないことを……。そ う だ、拳 銃、撃 と う(←←←

つーことで、行ってきました。何も考えずにタクシーの運ちゃんに連れられた(そう言えば、今回の運ちゃんの名前は KIM でした。あらら)先には、いろいろな銃器が並べられていました。「これがジェームス・ボンド、あれはターミネーターね」などと店のおっちゃんが説明してくれるのはいいのですが、出口の前でにこやかに腕組みをしているマッチョな兄ちゃんが怖くて……。

何が何だか訳がわからなかったのですが(←

結局、ショットガンを含む 5 種類でいくら、というコースを選びました。いや、無理矢理選ばされたんじゃないですからねっ! 38 口径のリボルバー(日本警察も愛用とか)と、マグナム 44 と、それと、無理を言って変えて貰ったベレッタと、なんかのショットガンでした。あれ? 4 種類しかないな。マグナムの前になんかも一つあったような気がします。

銃の種類が決まると、マッチョな兄ちゃん二人組に小部屋に連れて行かれ、まずはイミテーションでのインストラクション。「引き金を引いて、構えて、両手をまっすぐに……」てなことを教えてもらっただけで、"Okay, here we go !" こんなに簡単でいいのだろうか、さすが名うての銃社会……。

兄ちゃんにゴーグル耳当てを手渡され、装着後に「実弾射撃場」に。何のことはない、出口の隣のドアが、射撃場の入り口でした。つまり、兄ちゃん二人組は本来の持ち場から出てきていただけだったのですね。なんだ、意外と良いヤツじゃん(←

すべてを上向きモーメントのせいにしてみる

最初は、もしかしたら 22 口径のリボルバーから入ったのかもしれません。兄ちゃんが弾を装填してくれるので、あとは引き金を引いて撃つだけ。銃はチェーンで柱と繋がれているので、まぁ、安全と言えば安全ですね。

あ、ターゲットは紙で、心臓にあたる部分が「的の中心」になっています。私は初めてだと言っておいたので、本来あるべき位置よりも、随分と前寄りにずらしてくれていました。

というわけで、撃ってみました。うっほー、当たらねー(笑)。いやー、やっぱ衝撃(反動)がもの凄いですね。両手で構えているものの、支点は銃身よりは下方にあるわけで、発砲の反動はどうしても上向きのモーメントになってしまうのです(言い訳 135 %)。中心を狙って引き金を引いている筈なのに、結果はと言えば、はるか上方をかすめてしまうのですね。

そのうち、アシスタントのマッチョな兄ちゃんも、「コイツは下手だな」ということを悟ったのか、構えた時点で「もっと下を狙え」と声をかけるようになってきました(はははっ情けねぇー

だいもんくうぅん!

最後の仕上げはショットガンです。これはもしかしてレミントンというヤツなんでしょうか(たぶん違う)。だとしたら、西部警察の「大門くん」とお揃いですね……。

まぁ、見るからに今までの拳銃とは一回りも二回りも違う銃弾が装填されたので、発砲時の衝撃もいかほどか! と、多少ビビり気味だったわけですが、こいつは二の腕で支えるのではなく、肩で支えるのが正しいらしく……。三発の持ち弾のうち、二発はやはり上方に逸れてしまったものの、最後の最後、本当に最後の一発が、かなりいいところに命中しました!

怒濤のように十数分が過ぎ、最後にターゲットとなった紙を、受付のおっちゃんが採点するというイベントが執り行われました。最後の「命中弾」が良かったのか、それとも、結果不問なのかはわかりませんが(後者の可能性が高いような)、採点は「A 評価」でした。ま、どんなものでも、評価や査定がいいのは嬉しいものですね(笑)

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2007年9月3日月曜日

GUAM の旅 2007/夏 #11 「高級リゾートの時はゆっくり流れる」

さて、グアム 2 日目の様子をお伝えしていますが(まだ 2 日目かよ)、その日の晩は、シェラトンにて旅行会社主催のバーベキューパーティーが行われました。

このシェラトン、ガイドブックなどには記載がないものが多いのですが、どうやら今年の春にできたばかりのようですね。道理で何もかもが小綺麗な筈です。

てきとーに焼いて喰ってました

ま、こんな感じで、てきとーに焼いて喰ってました。
さて、麗しきシェラトンを、「時間ですよー出てってねー♪」とばかりに追い出された我々は、アウトリガーの自室に戻って、風呂に入って、さっさと寝る準備を始めたのでした。

まぁ、部屋が違ったり、電話番号が違ったり、店を間違えたり、タイヤがパンクしたりと色々とあったわけですが、更なる酒肴……じゃなくて趣向が用意されていました。さすがリゾート地、エンターテイメントには事欠きません(←

トラブル発生!(またか

次の主役はこちら。
はい。何の変哲もない洋式トイレです。海外なので、温水洗浄便座などと言う文明の利器はありません。

何が起こったかと言うと……。ぶっちゃけ、詰まりました(笑)。ハイ、私が詰まらせました(わはは)。ちょっと紙の量が多かったんでしょうねー。

タフ・ネゴシエイター(違う

本来ですと、フロントに電話すればいいのですが、あいにく夜も更けていて、相方が寝てしまっていたので、下手に電話がかかってくると厄介です。仕方がないので、フロントに直談判しに行きましたですよ。

えいてぃーんふぉーりぃーの者だが、トイレがトラブっていて」
「わかりました。スタッフを向かわせます。掃除? それともエンジニアリング?」
「エンジニアリングで」
「おっけー。待ってて」

てな会話が交わされたつもりです

高級リゾートの時はゆっくり流れる

で、案の定、15 分経ってもスタッフはやってきません。私もいい加減眠くなってきたのですが、いつエンジニアリングスタッフがやってくるか判らない状況では、うとうとと眠りにつくわけにもいきません。

そのうち、嫌な予感がしてきました。日本語ですら滑舌の悪いわたくし。「えいてぃーんふぉーりぃー」なんて発音の英語で、果たして通じていたのか。そういえば、フロントのお姉さんは復唱すらしなかったではないか。このままだと、「なかったこと」にされかねない……!

てことで、念のため、ルームナンバーとトラブル内容(英語で「トイレの水が流れない」と。英会話本から丸写し(笑))をメモに残し、再度フロントへ。「トラブル内容書いてきたから(よろしくねー)」とばかりに、フロントのお姉さんに手渡したのでした。

その後、30 分経ってもスタッフは来なかったけれど、1 時間後、ようやく「スタッフ」がやってきました。ものの 5 分でトラブルを解決してくれた彼に、とりあえずチップを 1 ドル渡したのでした。

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2007年9月2日日曜日

GUAM の旅 2007/夏 #10 「異常事態発生……!」

売店にてソフトドリンクを味わう

さて、人の気配が感じられない太平洋戦争国立歴史公園を後にして、私を乗せたタクシーは、マリンドライブって言うんでしょうかね、海岸沿いの幹線道路を東に向かい始めました。途中、日本で言う「酒屋さん」のような売店があり、運ちゃんはその店の前にタクシーを乗り入れました。

「ノド渇いたでしょ?」とのことで、運ちゃんに連れられるままに店内へ。うん、色々ありますね。運ちゃんが何を頼んだかは覚えてないのですが、私は確かダイエットペプシを頼んだような気がします。うん、ダイエットペプシの味でした(← 当たり前

駐車場脇でペプシを一気飲みした後、空き缶を捨てようと思うと……ゴミ箱が無いわけで。運ちゃんは、空き缶を店の軒先に置いてそのまま去ろうとするので、「これでいいのか?」と聞いてみたところ、「問題ない」とのこと。なるほど、問題ないのか。そうか。うむ。

異常事態発生!

てなわけで、人類に欠くことが出来ない「水分」(「糖分」に非ず)を補給した我々は、一路東に向かって幹線道路(二車線)を走り出したのでした。すると突然、車の後方から異音とともに振動が。

車はたまたま左車線(日本で言う「追い越し車線」相当)を走っていたので、右側の路肩に車を寄せることはできないと判断し、運ちゃんは車を左折車線に入れて、すぐさま停止したのでした。

車から降り、後ろを確認した運ちゃん。曰く、「タイヤ、パンク、しました」と(笑)。「ホント申し訳ナイデス」と平謝り。

とは言え、道路の真ん中(日本で言う「右折車線」だと理解してください)でタイヤ交換をするわけにもいかないので、一旦本線に戻り、右側に車線を変更し、ほどなく林道(あるいは私道?)のようなところを折れていきました。

必死にタイヤ交換をする運ちゃんの図

わざわざタイヤを替えるだけなら、なにも人っ気の無い林道?に車を入れる必要は無いわけで、「ついに身ぐるみはがされるか!?」と、ちょっぴり緊張したのも事実だったりしますが、何のことはない、運ちゃんは安全な場所で黙々と作業を始めたのでした。

問題のタイヤ

身ぐるみでもキグルミでもなく、トレッドがはがれて、コードが見えちゃってます。

微妙に不安定なところに車を止めて作業を行っていたので、二度ほどジャッキが外れる危険な場面もありましたが、何とか無事に終わり、タクシーは再び走り始めたのでした。

タクシー定額制あれこれ

その後、「横井庄一記念館があるんだけど閉鎖中」なんて話を耳にしながら、タクシーはアウトリガー・グアム・リゾートに戻っていったのでした。

そうそう、今回のチャーター?は、「100 ドルで」という形の定額制だったわけですが、これ、どうやらグアムでも適法ではない(びみょーな表現)ようですね。乗車してから少したったタイミングで、運ちゃんが「コレつけとかないと怒られるから。100 ドルでいいから」と説明をしながら、メーターをオンにしていました。

そういえば……。昨年、台北に行ったとき、ホテルから中正国際空港(当時)までタクシーを走らせたのですが、その時は、最初っからメーターは回っていませんでした。途中で気がついて、「メーター倒さなくても大丈夫なのか?」と聞いたところ、「いいのいいの問題ない」と言ってましたが……。お国柄、なんでしょうかね?

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2007年9月1日土曜日

GUAM の旅 2007/夏 #9 「世界の常識、ニッポンの非常識?」

というわけで、前回は「北マリアナ諸島」と「グアム」の違いについてお勉強しました(ぇ

まぁ、正直なところよく判らないのですが、かつてグアムはスペイン領だった、ということだけは間違いないようです。地名も微妙にエスパーニャっぽいですし。

同族嫌悪?

さて、件の「アプガン砦」にやってきた運ちゃんとわたくし。しかし、そこには先客が。運ちゃんは眉を曇らせながら「マタ韓国人ダヨ」と。話した感じ、運ちゃんは敵なんか作りそうにない良い人っぽいのですが、どうにも韓国人に対しては嫌悪感のようなものを抱いている様子……。「よっぽど韓国人の行状が悪いのか?」とも思ったのですが、もしかすると、そうではなくて……。

タクシーですから、当然、運転手の氏名が車内に明記されているのですが、そこには「AHN」と。つまり、「安さん」だったわけです。

今頃気がついたのですが、日本が北マリアナ諸島を支配していた頃は、朝鮮半島も日本の領土だったわけで、日本人の安さんが南洋に新天地を求めて移住した可能性もあるわけなんですね。そう考えると、運ちゃんの韓国人に対する「嫉妬」に似た感情も理解できます。同時に、日本人として、とっても申し訳なく思えてきますけどね。

星条旗よ永遠に、ご利用は計画的に

それから……。アプガン砦を離れて、次の目的地に向かいました。次の目的地はやや山中なので、少しドライブになったのですが、その間も「大韓航空のリゾート開発で死者がどうの……」なんて話が……。どう反応したらいいのやら(笑)。

さてさて。大韓航空のリゾート開発にまつわるエトセトラを伺ううちに(笑)、タクシーは次の目的地にたどり着いたのでした。「太平洋戦争国立歴史公園」というところらしいのですが……。
駐車場には、タクシーのほかには車が一台だけ。そして何故か、休憩所に一人でたたずむ女性が一人(日本語おかしい)。サングラスをかけたおねーちゃんだったのですが、なぜかダニカ・パトリックのことを思い出してしまいました。

この公園は、基本的にはモニュメントしか無い感じで(後で調べたところ、資料館もあったらしいのですが、気づかずじまい)、まぁ、平たく言えばこんな感じです。

世界の常識、ニッポンの非常識?

1941 年から 44 年までの、日本(軍)による統治の犠牲者を偲ぶ記念碑もありました。
南洋群島(死語?)の悲劇と言えば、日本人の視点で言えば、サイパンの「バンザイクリフ」に代表される、守備隊の全滅と運命を共にせざるを得なかった民間人の悲劇が思い浮かぶのですが、これは日本人にしか通用しないセンチメンタリズムだということを、改めて思い知らされました。

まだまだ、「世界の常識ニッポンの非常識」は多いですね。グローバリズムのかけ声のもと、価値観の押しつけがあってはならないとは、常々思っているわけですが、あまりに孤立した世界観を持ち続けることも、やはり危険ではないか、なんて思いました。うん、なーに小難しいことを語っているんでしょうね(笑)

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