2007年10月27日土曜日

リロイ・ブラウンはどんな奴?

10/23 付の記事「リロイ・ブラウンは悪い奴(ぇ」において、そもそも「リロイ・ブラウンって誰?」という謎かけに答えていませんでした。

リロイ・ブラウンは、残念ながら(?)架空の人物です。そもそもは、溶接の、じゃなくて夭折のシンガーソングライター、ジム・クロウチの、1973 年のヒット曲 "Bad, Bad Leroy Brown" にて歌われた「架空のキャラクター」でした。"Bad, Bad Leroy Brown" の邦題が「リロイ・ブラウンは悪い奴」だったわけです。

で、そのリロイ・ブラウンがどんな奴だったかと言えば、悪い奴だったわけで(←

まぁ、どんな風に悪かったかと言えば、懐にはいつも 32 口径の銃を隠し持ち、靴にはかみそりを忍ばせるといった風体が描かれています。一言で言えば「チンピラ」ですね。

詳しくは、Wikipedia の"Bad, Bad Leroy Brown" の記事を見てくださいませ。英語ですけど。

ジム・クロウチはどんな奴

で、「リロイ・ブラウン」という(架空の)キャラを、軽妙なテンポに乗せて歌った「リロイ・ブラウンは悪い奴」は、1973 年にリリースされ、クロウチの母国・アメリカでナンバーワン・ヒットになったわけですが、そのリロイ・ブラウンの生みの親、ジム・クロウチ本人が、1973 年 9 月 20 日に、飛行機事故でこの世を去ってしまいます。享年 30 歳。早すぎる死でした。

さて、ジム・クロウチとともにこの世を去ったと思われたリロイ・ブラウンですが、翌年に奇跡の復活を遂げていたのでした。リロイ・ブラウンはいつの間にか大西洋を渡り、クイーンの 3 作目のアルバム、"Sheer Heart Attack" の B 面 5 曲目に、"Bring Back That Leroy Brown" として甦ります。

マーティ・フリードマンの定理」によると、「B 面の後半」ということですから、どちらかと言えばカス扱いの曲ですね(こらこら

甦るリロイ・ブラウン

"Sheer Heart Attack" は、かの "Stone Cold Crazy" が収められているアルバムで、大学生の頃にレンタルして聞いたのですが、あいにくテープがテープが散逸してしまい……。また今度借りて聞いてみます(残念)。

まぁ、リロイ・ブラウンに「帰ってこい」と歌ったフレディ・マーキュリー自身が HIV で帰らぬ人になってしまったというのも、何とも皮肉な話ですね。

エヴァ・キャシディはどんな奴

アメリカの、夭折のシンガーと言えば、エヴァ・キャシディも忘れてはいけませんね。まぁ、彼女についてもご多分に漏れず、故人となった後で初めて聞いていたりするのですが……。"Over The Rainbow" とか、オススメです。

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2007年10月24日水曜日

Bojan のホテル探訪~「ハーバープラザホテル」編

昨日から今日にかけて、愛媛県は八幡浜というところに、またも仕事で出張してきました。何の仕事で~という話をできれば良いのですが、職業倫理上、依頼者の秘密を口外することはできないわけで……(← そんな職業だったか?

まぁ、少なくとも「美味い海の幸」を喰いに行ったわけでは無いことだけは確かなのですが、結果として、「とびきり美味い海の幸」を食して参りましたです(えへへ

昔ながらの繁華街の一角にありました

てなわけで、旨い寿司屋の話は置いておきまして、まずはいつもの「ホテル探訪」から。今週は、愛媛県は八幡浜市の繁華街にほど近い、ハーバープラザホテルを訪れました(泊まったんだって)。

お部屋はこんな感じ(どんなだよ)です。ふつーのセミダブルです。取り立てて特筆すべき点も見あたらないのですが、強いて言うならば、物価が格安な四国において、一泊 \8,000- を越える……割には、ふつーだな、なんて(こら)。
曰く、「八幡浜市で最高級のホテル」だそうなのですが、寿司屋で聞いた話ですと、長期出張者(あるいは単身赴任者)のために、企業がホテルを長期的に借り上げることが多いのだそうです。つまり、立派な売り手市場だ、ということですね。八幡浜恐るべし。

何となく窓から景色を眺めてみる

部屋から海を望んでみました。
写真にすると、わけがわかりませんね(笑)。たぶん、宇和海の端っこだと思うのですが……。

あの人?は今?

気になったのが、壁にかかっていた「謎の絵」ですね。どうにも、かつての Suicaイメージキャラと印象がかぶるのですが……。ペンギンじゃないですよ。スイカに顔が書いてあったようなヤツがあったじゃないですか。

あの曲は今?

さて、昨日は激ウマな寿司を食して、程なく眠りについたのでした。今朝は 10 階のレストランにて朝食を食べていたのですが、朝からムーディーなストリングスの音色が……。うん、これはどこかで聞いたことがありますね。クラシックかなぁ。でもどう考えてもショスタコーヴィチでもチャイコフスキーでもムソルグスキーでも無いし……(人選偏りすぎ)、などと小首をかしげながらイチゴジャムをトーストに塗り塗りしながらパクついていたのですね(具体的すぎ)。

そのうち、件の曲が終わって、次はびみょーにアップテンポな曲が。む、コイツは……。「ああ、なぁんだ」と、私は膝を打ったのでした。というわけでぇ(つづく

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2007年10月23日火曜日

リロイ・ブラウンは悪い奴(ぇ

うじきつよしさんはお元気でしょうか

というわけで、ホテル紹介は後回しでカーゴカルトおよびバヌアツ共和国におけるジョンフラム信仰について、Wikipedia さんのご意見を伺います(ぇ

まずはカーゴ・カルトについて。Wikipedia の「カーゴ・カルト」の記事から。

カーゴカルトCargo Cult、直訳すると「積荷信仰」(つみにしんこう))とは、主としてメラネシアなどに存在する招神信仰である。いつの日か、先祖の霊・または神が、天国から船や飛行機に文明の利器を搭載して自分達の元に現れる、という現世利益的な信仰である。

現世利益的な」という表現が良いですね(笑)。続けましょう。

近代まで文明の利器を知らなかった現地人は西洋人が持ち込んで来た工業製品に対して、これは当地の先住民の為に神が作った物であり、白人は神と特別な繋がりを持って不当にそれらを占有したのだ、と考えた。 従ってカーゴ・カルトでは、白人達の振る舞いと同じ様な儀式を行う事で「白人」の影響を打ち破り、先祖が自分達を認識し白人にではなく自分達に積荷を送ってくれる様になる、とされている。また白人は先祖が姿を変えたものだ、という理解もある。

ふむふむ。わかったようなわからないような(笑)。まぁ、要するに、いつしか「神の使い」が「文明の利器」を満載してやってくる、という発想の「信仰」だ、ということになりますね。

南洋の僻地にジョン・フラム現る!

さて、バヌアツのいちぶちいきにおいては、この「カーゴ・カルト」が現実に起こった、というのがそもそもの話題でした。その「神の使い」の名前はジョンフラムというお名前だとされています。

ジョン・フラム信仰」についての Wikipedia の記事を見てみましょう。

ジョン・フラム信仰
バヌアツ・ニューヘブリデス諸島のタンナ島では、アメリカにはジョン・フラムという神が居り我々に工業製品を授けてくれる、という信仰が生まれ、アメリカ人を崇拝の対象としている。

うわ、あっさりしすぎ(笑)。件の「世界の小さな国」では、このカルトぶり(ぇ)がきちんと描かれていましてですね……。あ、その前に、もう少し背景をきちんと説明しないと意味が通じないですね。彼らは星条旗をあがめているわけなんですが、そもそもなんでジョンフラムはアメリカ人なのか、これでは話が通じません。

ちなみに「リロイ・ブラウン」は悪い奴です(ぇ

ジョン・フラムの正体を暴く!

「カーゴ・カルト」の歴史について、またしても Wikipedia から引用します。

アメリカ合衆国が大日本帝国を相手に戦った太平洋方面作戦中、アメリカ軍の膨大な軍需物資がメラネシアの島々に空中投下され、島民の生活が一変した。戦後アメリカ軍が引き上げ文明の利器が投下されなくなると、島民は物資投下を期待して模倣施設や模倣軍隊を作り始めた。

ということだったのですね(笑)。日本軍に不意を突かれ、オーストラリアに撤退を余儀なくされたダグラス・マッカーサーは、その後「リープフログ戦法」にて反攻を開始します。

兵站に重大な問題を抱えていた日本軍とは違い、圧倒的な国力を背景に、豊富な物資を大量投入したアメリカ軍は、物資を惜しみなく現地の住民にも振る舞ったと考えられるわけで……。その現実を目の当たりにした現地の住民が、カーゴ・カルトが現実のものになったと考えても不思議は無いわけです。

で、ジョンって誰よ

「ジョン・フラム」という、いかにもありそうな名前も意味深でして、実はこれは、"John from America" が訛ったのではないか、とも言われているようですね。結局、太平洋戦争が勃発するまでは「文明的な生活」とは一線を画していた現地の人々にとって、"John from America" は、崇拝に値する存在であり、今でも「神の使い」として崇められている、という楽しいお話でした。

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2007年10月22日月曜日

南太平洋の地にジョン・フラムを見た

休日はひたすらテレビを見るだけの Bojan さん(引きこもり中)です。こんにちは。

世界の小さな番組

ちなみに、どんな番組を見ているかと言いますと、「銀魂」や「名探偵コナン」といったアニメから、「新日本紀行ふたたび」のような、いつ放送しているか良くわからないもの(最近では日曜日の朝 4:05 から放送されることが多いのですが、意外とイケます)まで多岐にわたる(でも偏りすぎ)のですが、今日は随分前に録り溜めておいた「世界の小さな国」という 10 分番組を見ていました。

世界の小さな国」は、文字通り世界各地の「小さな国」を取り上げた 10 分番組です(そのまんま)。例えばヨーロッパなんかですと、アイスランド共和国アンドラ公国サンマリノ共和国リヒテンシュタイン侯国なんかが取り上げられています。あとはモナコとかマルタとか。エストニアが「小さな国」として取り上げられているのは Markko MARTIN としてはどうなのよ、という話もありますが、それはさておき。

まぁ、所詮 10 分番組ですので、内容はその国の基本的な紹介に留まるのですが、何かと勉強になることは少なくありません。例えば、ツバルの次に国全体が水没するんじゃ無いかとも言われるモルディヴは、実は完全なイスラム国だ、なんてネタは、意外と知らないものですしね(ん、知らないのは私だけ?

坩堝って読めますか?

ほかにも、かのエドガー・ダーヴィッヅアーロン・ヴィンテル(古い?)の出身地としても知られるスリナムは、実はインド系住民が一番多く、ほかにもインドネシア系住民も少なからずいる、とか。スリナムは 1975 年に独立を果たしているわけですが、その前の宗主国がどこだったかは、サッカーに詳しい人なら想像がつくでしょう(だからどうした)。

ダーヴィッヅやヴィンテルがどこの国の代表だったかが判れば、自ずと答えが出てきますね。あ、「坩堝」は「るつぼ」と読みます。坩堝読んでゴー!

「印僑」について語るブログ

海外に進出して独自のコミュニティを作って成功している例としては、華僑が名高いですが、印僑も侮れません。例えば、南太平洋最大の島国であるフィジーなんかも、フィジー系が 51%、インド系が 44% となっていて、1999 年には遂にインド系の首相が誕生するなど、その影響力は国家を指導するレベルにまで達しているわけで、在来のフィジー系は危機感を募らせていると言われます。

それにしても、「印僑」に Wikipedia のリンクを張ろうとしたのですが、意外や意外、記事がありませんね。ちょいとびっくりですが、文字通り「華僑」のインド人版のことです。

Fulham とは関係ないですよ

そして、今日見た中で一番面白かったのが、バヌアツにおけるカーゴカルト(積荷信仰)の一種とされる「ジョンフラム信仰」が紹介されていたことですね。

っと、これから長々とカーゴ・カルトを語ると分量が多すぎますね。それではまた明日……。

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2007年10月19日金曜日

Bojan のホテル探訪~「ホテルマリナーズコート東京」編

じぇっとすとりぃーむ……(違

かつて、オタクの聖地と呼ばれた場所があった(城達也ボイス or 窪田等ボイスでお読み下さい ← 無理)。毎年、夏と冬のある時期には、街は巡礼者で溢れかえったと言う。その街の名は「晴海」。今では「強者どもが夢の跡」とばかりに静まりかえっている。この地に、再び喧噪が戻る日は来るのだろうか。

いやねぇ、確かにクリスペプラーとかジョンカビラとか、いい声していると思いますけど、窪田等さん、あるいは故・城達也さんの声に優るものはなし、ですよ。窪田さんの声はシグマ・セブンのウェブサイトで聞くことができます。うん、いつ聞いても惚れ惚れしちゃいますね。

Bojan のホテル探訪~「ホテルマリナーズコート東京」編

さて、今日は、そんな「強者どもが夢の跡」にひっそりと佇む「ホテルマリナーズコート東京」にお邪魔しています。
コミケとモーターショーの街」だったのが、「埠頭の街」になってしまったのを反映してか、「海」をメインテーマに据えたインテリア、にしようとしているようですね(ぇ。「海」と言えば「海の男」。そういえばフロントもおじさんばかり(←

何となくひっそり感が漂っている中、例によって、シングル料金でツインルームを用意してもらいました。うん、今日はツイてます☆

いろは坂もびっくり(ぇ

部屋は 7 階の端っこ。入り口を開けると……。
ここまでくねくねしたレイアウトは久しぶりです(笑)。
くねくねの先には、ベッドが二つ並んでいます(そりゃツインだからね)。そして、その先にソファーとビジネスデスクが……。

この問題は、リフォームの匠に託すしか無いのか!?

うん、面積は広いし、寛げるのでいいんですが、何とも珍妙なレイアウトの部屋でした(笑)。ただ、問題が二つほどあって……。

まずひとつ。ソファーの奥に電気スタンドがあるのが見えるでしょうか。どうやらこいつの電球が切れていたのか、それとも、スイッチの所在がわからなかったのか。ついぞ点灯させることができませんでした。

電気スタンドを点灯させることができないのは、このホテルに限ったことでは無く、意外とスイッチの所在を探してしまうんですよね。ルームキーを非接触 IC カードにして、かざすだけで点灯できるとか、そういった洒落た仕掛けが欲しいところです。

The issue of 異臭

それと……。風呂に入った直後からなんですが、部屋が妙に臭ったんですよね……。排水部分からの異臭だと思うのですが、こいつには閉口しました。こういった被害に逢わずに済むように、それなりの金額を支払っているわけで……。ちょっと(いや、かなり?)残念でした。

翌朝は 1 階のレストランでバイキング。極めてありがちなメニューですが、そういえばウェイターも殆どがおじさんでした。おじさん好きの方には自信を持ってオススメできるホテルです(ぇ

悪臭の件を除けば、とても静かで寛げるホテルなので、良いと思うんですけどね。都内中心部に出たい場合に、隠し球的に使えそうです。

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2007年10月14日日曜日

あなたドイツ式、わたしアメリカ式!

国境の長いトンネルを抜けてから、長岡まではもっと長かった

気がつけば新清水トンネルを抜けていたわたくし。電車はその後も順調に走り続け、終点の長岡に到着しました。水上から約 2 時間、途中軽く居眠りしたりもしたのですが、意外と距離感は無かったですね。

長岡からは、特急「北越 6 号」にて富山まで。「北越」は金沢行きなんですが、乗り継ぎの「サンダーバード 40 号」が富山発なので、「それじゃあ富山で乗り継ごう」となりました。

海が見たくて……

……とまぁ、こんなプランを出発前に立てていたのですよ。で、昨日の朝、某駅の「きっぷうりば」にて特急券を買い求めたのでした。少し前(いや、数年前か)にテレビで見た「青海川駅」あたりの日本海を見たかったので、指定券を買うときに「海側希望」と書いておいたのですね。

某駅「きっぷうりば」のおじさんは、なかなかできた人で、ちゃんと「列車編成表」なるものを持ってきて、どの席が「日本海側」なのか確認してくれました。おじさんが渡してくれたのは 3 番 A 席。うん、間違いなく窓側ですね。
さて、「北越 6 号」がやってきましたので、意気揚々と 3 番 A 席に向かいましたですよ。あ……れ……?

山側(進行方向左側)じゃん

責任者出てこい!(w

某駅のおじさんの名誉のために言い添えますと、実は私も「列車編成表」を見て確認したのです。つまり、どうも「列車編成表」が間違ってるんじゃないかと。JR 東日本に連絡しようと思います(まだ連絡してない)。

車内は幸い空席が目立ったので、素知らぬ顔で「4 番 D 席」に移動(笑)。車掌さんが首をかしげながら検札にやってきたので、「こっちがいいので移動しました(にっこり)」と。「お客さんが来たら戻りますから」と言うことで、無理矢理移動を承諾させたのでした。

青海川駅をちょいと過ぎたところで撮った写真がこいつです。
ケータイで撮ったので、「カシャ」音が目立ってしまって。あれは、車内マナーとしてはあまり宜しくない行為でしたね。はい、反省してます……。と思いきや、2 番 A 席のお客さん(おじさん)が、ケータイ片手に 1 番 D 席に移動(笑)。なんだ、みんなでやれば怖くないのね(← こらこら

Bojan、死電区間を往く

あとは、ひさびさに「デッドセクション」を抜けました。北越 6 号の車両は国鉄時代に作られたものなので(要するに割と古い)、デッドセクションを通過する際に、車内の蛍光灯が落ちるんですよね。

新潟地方は、首都圏などと同じ「直流」で、北陸地方は、送電コストが比較的安い「交流」なんですね。糸魚川駅の東側で、直流から交流に切り替わるのですが、その間、数百メートルほど電気が通っていない区間があるのです。

だいたい、日本の電車も変ですよね。直流があり、50Hz 交流(東北や北海道)があり、60Hz 交流(北陸や九州)があり。そもそも、商用電源からしてフォッサマグナを境に 50Hz と 60Hz に別れているわけで。50Hz がドイツ式、60Hz がアメリカ式、ですね。

などと、相も変わらず詰まらぬ事に思いを馳せつつ、親不知の絶景を瞳に焼き付けながら、列車は富山を目指したのでした。半分居眠りしてたけどさ(笑)

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2007年10月13日土曜日

国境のもっと長いトンネルを抜けると、そこは

Burrrrrnnnn!!!

失言」や「舌禍」(あ、どっちも同じ意味か。まぁいいや)でブログが炎上することって、ままありますよね。まぁ、うちのような弱小ブログではあり得ない話ですが、少なくとも人を傷つけてしまう可能性はゼロでは無いわけで。

難しいのが「毒のある話」の扱いでして……。「毒のある笑い」って、内に秘める「攻撃性」が強ければ強いほど、どっかーんと来るものなんですよね。ただ、勢いが余ると大変なことになっちゃうわけで。

えと、つまり何が言いたいかと言うと、「池袋が DMZ な話」の件なんですね。某さんの話はもっと直接的で面白かったんですけど、「不特定多数向け自主規制フィルタ」をかけてしまった結果、面白くとも何ともない話になっちゃって……。これもひとえに筆力の無さ、ですね……。

8 時ちょうど~には、まだ寝てました(ぇ

さて。今日はちと思うところがあって、旅をしてきました(笑)。「国境の長いトンネル」を抜けて日本海側に出て、海を眺めながら「東尋坊」に向かって、あわよくば飛び込んでみようかと(← こらこらこらこら

ということで、某駅の「きっぷうりば」に向かい、切符を買い求めました。乗車券は長岡(新潟県)経由で京都まで。列車は特急北越」と「サンダーバード」です。長岡までは、「国境の長いトンネル」をくぐってみるべく在来線(上越線)にて各駅停車の旅です。
この電車で、まずは水上まで(約 1 時間)。水上からは、別の普通電車に乗り換えて、「国境の長いトンネル」に挑みます。

「湯桧曽」は「ゆびそ」、「土合」は「どあい」

途中、トンネルの中に停車(湯桧曽駅)。「ああ、もう湯桧曽に着いたんだ」と思っていると、ほどなく発車。トンネルを抜ける気配はありません。

すると、突然異様な横揺れが。一瞬何が起こったかわからなかったんですが、どうやらポイントにて本線から分岐したみたいなんですね。「トンネルの中なのになんで……」と思って見ていると、右側にホームと思しきものが。「あ、ここがかの有名な『土合駅』なのね」と思っていると、客が降りる降りる(笑)。

降車とともに、周りの写真を撮り始めた彼ら。どう見てもハイキング客には見えません。彼らは鉄ちゃんですね、きっと(笑)。

ちなみに、土合駅が有名なのは、「新清水トンネル」の中に下り線のホームがあり、改札まで 486 段の階段を昇らないと外に出られないというナイスな構造が評価されてのこと、だと思います。

国境のもっと長いトンネル

さて、土合を出た列車は、その後もずーっとトンネルを進み続けます。ようやくトンネルを抜けて土樽(つちたる)に到着。確かに「国境の長いトンネル」でした。

ちなみに、川端康成が「雪国」にて「国境の~」と書いたのは、現在の「新清水トンネル」ではなく、「清水トンネル」だったようですね。当時は、単線の「清水トンネル」を上下線の列車が使用していたようですが、下り専用の「新清水トンネル」ができたため、「清水トンネル」は上り専用になりました。

というわけで、「清水トンネル」を下り列車が走ることは無くなり、川端康成な気分(どんな気分だよ)は、もはや味わえなくなってしまいました。唯一の救いとしては、「新清水トンネル」のほうが、「清水トンネル」より遙かに長いということでしょうか。「国境のもっと長いトンネルを抜けると、そこはとりあえず新潟県だった」なーんてね。

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2007年10月4日木曜日

Bojan のホテル探訪~「三井ガーデンホテル汐留イタリア街」編

「黒」、ゲット

そうそう、九州土産の話を忘れていました。ええ、「さしみしょうゆ」は基本として、もう一つ。「黒フリスク」(「黒チョコボ」みたいだな)をゲットしました。
以前は「EXTRA MINT」という名前でしたが(なぜか箱が未だに手元にあったり)、今回は「BLACK MINT」という、あまりにそのままな名前です。何が違うのかはわかりません。名前と見かけが違うことは間違いないのですが(そりゃそうだ

ちなみに羽田はイー・モバイル圏外でした

さて、朝から JAL の「クラス J」で羽田に移動したわたくし。実は、昨日までに、とある「資料」を仕上げておかないといけなかったのですが、なんせ精神状態があまりによろしく無かったものですから、結局、手つかずのまま寝てしまったのですね。

ただ、今日の夕方の打ち合わせに、その「資料」が必要だったので、あわてて用意しましたですよ。羽田空港の到着ロビーで(わぁお)。うん、我ながら無茶をしたものです。たまたまバッテリーを買い換えたばかりだから良かったものの……。

ちなみに、「3~4 時間程度で出来るでしょう」と言われた件の資料、羽田空港にて 1 時間ちょいで仕上げましたよ(笑)。出来はそれなりにダメでしたけど(ダメじゃん)、コストパフォーマンスの観点からは上出来でした(笑)。

汐留イタリアなんとか

さて、そんなわたくしの今夜のお宿は「三井ガーデンホテル汐留イタリア街」。うん、微妙に奮発しましたですよ。つーか、なんか無理矢理新しいホテルを開拓しているような気すら……(←

あ、そうそう。タクシーの運ちゃんに「汐留イタリアなんとかの三井ガーデンまで」と言ったところ、「???」状態でした。「汐留イタリアなんとか」では通じないんですね。場所は、浜松町と新橋の間、JR と都営浅草線の間です。

部屋の内装ばかりでも代わり映えがしないので……。まずは廊下の写真から。部屋番号の見せ方が、ちとお洒落っぽいかな、と。
部屋はこんな感じ。イタリアっぽいですね(どこがだよ

イタリアなんとかな雰囲気に浸る(何

今回の部屋はシングルだったのですが(一人だもの当然だよね)、デスクのほかに、ちょっとした椅子とテーブルが用意されていました。別に椅子があったからどうだ、というわけでも無いのですが、この程度の小物を置くことが出来るスペースがあるのが重要かな、なんて。

ちなみに、右側に見えるのはセキュリティボックスです。海外のホテルなんかで、パスポートを入れておいたりしますね。単なるビジネスには珍しい設備です。
部屋の電話はネーム入り。イタリアっぽいですね(どこが(ry

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2007年10月3日水曜日

Bojan のホテル探訪~「博多全日空ホテル」編(ぇ

お運びしましょうか?

さて、仕事もそっちのけで「博多全日空ホテル」へのチェックインを敢行したわたくし。気がつけば、結構恥ずかしい体勢でフロントに乗り込んでいたのでした。

えーと、超重量級の「お仕事カバン」(ノート PC とか入ってる)と、意外と軽い「着替えカバン」(取っ手がついて転がせるタイプ)の 2 点セット……の筈なのですが、「高田屋嘉兵衛」で買った「さしみしょうゆ」(しかも 3 本)が入ったビニール袋も手に提げていたのでした(わはは

で、チェックインを済ませたわたくし。いつも通りお姉さんが「荷物をお運びします」と声をかけてくださったわけですが、「さしみしょうゆ」だけを肌身離さずというわけにもいかず(笑)、スーパーのビニール袋をも運んで貰ったのでした。コイツはかなり恥ずかしい……(笑……えないかも

そういえば「ツインターボ」というお馬さんがいましたね

お部屋はシングル料金ツインをゲット。そういえば博多全日空のツインは初めてだったような。らっきー♪
風呂場には、いかにも「博多」らしいステッカーも。
確かに、「博多」と「高松」は、夏場の異常渇水のメッカですからね。

人類は麺類

そしてフロントで貰った「おまけ」がこちら。
言わずと知れた「一蘭」のラーメン券なのですが、その、なんと言うか……でかすぎかな、と。

さすがに、昼に「すみれ」(本店・札幌?)のラーメンを食べて、夜に「一蘭」(本店・福岡)のラーメンを食うのはどうよ、ということで、昨日の夕食に当てるのは回避して、今晩行ってきました(やっぱ行くのね/そりゃタダだもん!)。
ちなみに、お店の外観はこんな感じ。
見たところ、ふつーの「場末のラーメン屋」ですね(笑)。ただ、博多にはもっともの凄いラーメン屋も存在するのです。これについては、またいずれ語る機会もあろうかと……。

今夜もご覧頂き、ありがとうございました(ぇ

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