2009年6月29日月曜日

たった 25 cc の大吟醸

ネスプレッソの話の続き

うわー、時間が無いのでネスプレッソの話の続きとかを。

というわけで、気になるお味についてです。最初は直火型のエスプレッソメーカー(と言うのかな?)を使っていて、そしてその次に、スタンパでギュッギュッと粉を詰めるタイプの、ポンプ式のものに慣れ親しんでいたのですが、そいつと比べると……ちょーっと味が薄いような気がします。

たった 25 cc の大吟醸

Welcome Kit のパンフレットとかを読んでみると(そうそう、これ、いかにも「英語を和訳しましたよ」的な文章で少し笑えます。誤訳では無いのですが、文章の調子が明らかに「英語の文章」なんですね)、「40 cc」あるいは「25 cc」が適切なんだとか。確かに、調子に乗って 40 cc よりちょいと多めに抽出したこともありましたから、これはその通りなのでしょう。

ただ、ネスプレッソにはありがたいことに、"lungo" と呼ばれる、110 cc 抽出するためのカプセルもあるんですね。こいつから 55 cc 程度抽出すると……割とちょうどいい感じになります。

カプセルの仕組みとか

内容が薄くて、写真が無いと寂しい記事になってしまったので、抽出後のカプセルの写真とかを……。
こんな感じで、満遍なく熱湯がカプセルに流れ込むようになっています。水圧で穴があくような感じでしょうか。

で、出口はこんな感じ。
こっちは機械で穴をあけているんだと思います。いずれにせよ、うまくできていますね。

オススメ度

えー、何と言っても簡単にエスプレッソが淹れられるってのは大きいです。味もコツさえ掴めば問題ないですから、いいと思います。

ふぁー、何とか間にあったかっ!

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2009年6月28日日曜日

ネスプレッソの Welcome Kit が巨大な件について

Welcome Kit が巨大な件について

昨日に引き続き、ネスプレッソの話の続き、です。

えーと、エスプレッソ メーカーそのものは 3 万円ほどなのですが、それとは別に Welcome Offer として、カプセルコーヒー 25 本 + テイスティングボックスのセットが 2 万円でオーダーできるようになっています。この「2 万円」が高いか安いかは諸説考えられますが、んまぁ、うちの場合はそれなりにペイしそうな気がします。

で、この Welcome Kit とはどんなものか、という話ですが……
なんだか、すんごくでかいんですね。Cobalt Cube よりも大きくて(いつの時代ですか)、デザインは PowerEdge 1400 みたいです(←)。

カプセルって

ちなみに、カプセル 1 個はこんな大きさです。
コーヒーフレッシュよりはちょいと大きいくらいでしょうか。一口サイズのカップゼリーと同じくらいといった感じです。

パッケージって

で、カプセルコーヒーのパッケージは、コイツが 10 個でワンセットになります。
ちょっとこのカメラだと、長さがわかりづらいですね……。しかも微妙にブレてるし。

お買い得……かな?

んで、と。コイツ(1 本 700~800 円くらい)が、25 セット入っているものが、このパッケージなわけです。
単純に計算してみると、バラで 16 種類買った方がお得のような気もするわけですが……。んま、テイスティングボックスが意外と良くできているので(パッケージごとの特色が書いてあるのですね)、まぁ良しとしましょうか。見ていても楽しいですしね。

てなわけで

気になる(?)味については、また明日にでも……。

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2009年6月27日土曜日

ネスプレッソ買いました

えーと、そういえばですが、ネスプレッソ買いましたです。ちょいと前に届いていたのですが、ネタにするのを忘れていました。ネーミングからほぼ想像がつく通り、ネスカフェがやってるエスプレッソコーヒーのことですね。つまり、そのまんまということです(←

ちなみに、セブンイレブンとかで売っている「ネスカフェ ドルチェ グスト」と似たようなものですが、びみょうにカプセルの形とかが違うようですね。

で、ネスプレッソにはいろんなモデルがあって、高いものから比較的安価なものまで様々なようですが、どーせカプチーノなんかは面倒だから作らないだろう、という極めて現実的な判断のもと、D100 というエントリーモデルをゲットすることにしました。
こんな形です。カップはスタバで買ったものですが、最近ではもう入手が困難かもしれません(あまり見ないので)。

つかいかた

まず、後ろ側に水タンクがあって、そこに水を入れておきます。この手の常で、あまりミネラルが豊富な水は使わない方が良いそうです(特に硬水が NG とか)。

コーヒー粉が入ったカプセルは、上からセットします。
あとはスイッチポンで出来上がり、です。左のボタンがエスプレッソ用(40cc だったかな)、右のボタンがふつーのカップ用(110cc だったかも)。まぁ、何のことはなくて、単に抽出される量が違うだけなんですけどね。

すてかた

で、抽出し終わったら、さっきの写真のように再度フタ兼ハンドルを上に戻すと、使用済みのカプセルが排出される、という仕組みです。排出されたカプセルは、こんな風になります。
「自動的に排出」なんて言うと、なんかすんげーハイテクな雰囲気を持たれるかもしれませんが、万有引力の法則に従って「ポトっ」と落としているだけだったりします。でも、こういった工夫が随分と使い勝手を良くしてくれるものです。

あそびかた(違)

こんなオマケ?もついてきます。
カプセルは 16 種類あるのですが、これを 36 個キープできるケースです。なんかちょっとしたパズルのようですね。

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2009年6月26日金曜日

国道 152 号線の旅 (28) 「伊勢湾フェリーへの長い長ーいリエゾン区間」

I love you ごめーなさぁーぃ♪

「トンネル掘ったけど色々あってごーめなさーぃ♪」シリーズ第 3 弾も考えたりしたのですが、「敦賀トンネル温泉」だけでは一本行けないと判断したので、潔く諦めることにしました。

伊勢湾フェリーへの長い長ーいリエゾン区間

さてと……。国道 152 号線(秋葉街道)を北から南に走破しよう! ということで「杖突峠」「分杭峠」「地蔵峠」そして「青崩峠」の代わりの「兵越峠」を難なくクリアしたわたくし。あとは家に帰るだけなのですが、そういえば 17:40 までに愛知県は渥美半島の伊良湖岬に辿り着くことができれば、「伊勢湾フェリー」に乗って鳥羽まで行くことができたのでした。そうすれば、名古屋近辺をショートカットして家に帰ることができるのですね。

Estimated Time of Arrival is ...

ETA予想される到着時間)を知るために、まずはナビに目的地(伊良湖港)を登録しました。すると……
ここから 152 km、ETA は 5:13 pm と出ました。フェリーが港を出るのは 5:40 pm です。そして、このナビ(Sony の NV-XYZ77)が出す ETA は、多くの場合 10 分ほど少なめに算出されます。目的地近辺でうろうろする時間が計算されていないのですね(当然と言えば当然ですが)。

つまり、ETA が 5:13 pm ということは、5:20 pm 過ぎには伊良湖港に辿り着けるんじゃないかなぁ、となります。

Required Average Speed is ...

ちなみにこの時何時だったかと言うと……
2:10 pm でした。つまり、3 時間で 152 km を走破できる!という計算を弾いてきたわけですね。途中に高速道路区間があるとは言え、僅かに 28.5 km ですから、この区間を 20 分で走破できるとしても、163 分で 123.5 km を走る必要がでてきます。ということは、平均時速 45 km をキープしないといけません。

ですので……、それはもう真剣に運転しましたですよ(謎)。いや、まったく寄り道もせず、ひたすらルート通り(一部、自分の判断でルートを変えた部分もありましたけどね)にドライブしました。

At Last ...

で、5:09 pm の写真ですが、ついに……
残り 9 km の地点まで辿り着きました。いやー、こんなにシビアなリエゾンは久しぶりでした。
そして、伊良湖港に着いたのは 5:20 pm。我ながら、あまりに計算通りに走破できたことを埃に……じゃなくて誇りに思いましたですよ、ええ。

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2009年6月25日木曜日

続・トンネル掘ったけど色々あってホントにごめんなさい

トンネル掘ったけど色々あってホントにごめんなさい(つづき)

「トンネル掘ったけど色々あってごめんなさい」シリーズ第 2 回です。って、いつまでやるんでしょうコレ(←

第 2 回「高森トンネル」

えーと、次は熊本県の高森トンネルについて。高森トンネルは、熊本と延岡を結ぶ予定だった鉄道路線用のトンネルとして、1970 年代に掘削されたトンネルです。

鉄道敷設について
日清戦争の直後、軍事産業路線として熊本県と宮崎県延岡市を結ぶ九州横断鉄道敷設の話が持ち上がり、国鉄が延宇線(宇土 - 延岡)を計画したり、熊延鉄道が熊本 - 延岡を結ぶ鉄道敷設を目的として設立されたりするなどその気運は高まった。しかし、いずれも実現には至らなかった。その後 1922 年の改正鉄道敷設法で熊本 - 立野 - 高森 - 高千穂 - 日ノ影 - 延岡という鉄道計画が最終案となり(熊本 - 立野間は豊肥本線)、同年高森線(現・南阿蘇鉄道高森線)立野 - 高森間の工事が着手された。
(Wikipedia 日本語版「高千穂鉄道高千穂線」より引用)
てな感じで、完成していれば熊本と延岡を結ぶ九州横断路線となる筈でした。まぁ、その後もあーだこーだで色々あって(略しすぎ)、結局

戦後の 1947 年、地元で「日ノ影高森間鉄道敷設期成同盟会」が結成され、この鉄道の全線貫通を国に請願したことから、1962 年鉄道審議会が日ノ影 - 高森間の建設を決定した。1966 年に日本鉄道建設公団(以下「鉄道公団」と略)によって日ノ影 - 高千穂間の敷設工事が着工され 1972 年に完成、残る高千穂 - 高森間 23.0km の工事も 1973 年に着工、1977 年完成を目指して工事が進められた。
(Wikipedia 日本語版「高千穂鉄道高千穂線」より引用)
てな感じで、採算が取れるかどうかびみょうな路線の工事が始まったわけです。

水ぅがぁ~、出た出たぁ~、水がぁ~出たぁ~

ところが……

ところが 1975 年 2 月、掘削中の高森トンネル(予定延長 6500m)の入口から 2050m 地点の坑内で、地下水の水脈を切断してしまったために毎分 36t の異常出水が発生
(Wikipedia 日本語版「高千穂鉄道高千穂線」より引用)
はい来ましたー。こちらも異常出水に見舞われてしまったわけです。「なーんだ昨日の『中山トンネル』とネタかぶってんじゃん」と思われたかもしれません。いや、実際にかぶっているのも確かなんですが(←)、いやいや、ここからが違います。展開がより Get Wild and Tough になります(←←

これにより高森町内の湧水 8 ヶ所が枯れ、井戸水を使用していた約 1,000 戸もの家庭で水道が断水するという事故が起きた。
(Wikipedia 日本語版「高千穂鉄道高千穂線」より引用)
はい。ついに断水騒ぎになってしまったのですね。で、どーなったかと言うと

そのため鉄道公団側はトンネルからの水をポンプで吸い上げ、町内の家に配水するよう処置したが、被害は町内の水田約 113ha にも及んだ。
(Wikipedia 日本語版「高千穂鉄道高千穂線」より引用)
飲み水だけではなく、日本の農村ですから水田にも潤沢に水を供給する必要があったわけで(だから「通潤橋」とかを造ったわけですよね)。大変なことになってしまったわけです。

翌年トンネル工事は一時中止となり、事故を巡って鉄道公団と地元との補償交渉が開始され、事故から 10 年以上経った 1989 年に補償協定が成立した。
(Wikipedia 日本語版「高千穂鉄道高千穂線」より引用)
結局、工事は凍結となってしまったわけです。しかも、

この出水事故が最大の要因となり鉄道敷設工事は中断のまま、その後の 1980 年国鉄再建法成立により工事予算が凍結され、全面的に中止となった。高千穂 - 高森間の工事の進捗率は 30% であったが、当時鉄道公団高千穂鉄道建設所の話では「あと 7 年あれば全線開通出来る」状態であったという。
(Wikipedia 日本語版「高千穂鉄道高千穂線」より引用)
というわけで。気がついた頃には国鉄もバラバラに解体されていましたとさ。

その後の高森トンネル

で、問題の「高森トンネル」のその後を、できれば田口トモロヲの声で……(まだ言うか

異常出水により工事中断となった高森トンネルは、無償譲渡を受けた高森町が親水公園として整備を行い、現在は掘削された 2055m の内 550m が「高森湧水トンネル公園」として一般に開放されている。
(Wikipedia 日本語版「高千穂鉄道高千穂線」より引用)
高森町観光協会さんの Web サイトにも案内があります。

湧水トンネル公園
湧水トンネル公園は高森駅の南側、歩いて 10 分のところにあります。旧国鉄高森線と高千穂線を結ぶ工事が昭和 48 年 12 月から着手されましたが、昭和 52 年 2 月、突然トンネル工事で大量の出水に見舞われ、その後も度重なる出水事故が発生して中断となり、その結果、今は高森町の貴重な水源地となっています。

トンネルの長さは 2,055 メートル。常時、毎分 32 トンの湧水量があり、この大量の湧水を利用して公園化されました。トンネル内 550 メートルが開放されていて、奥には流れ出る美しい水玉が落ちたり登ったりと不思議な動きをする「ウォーターパール」があります。トンネル内はひんやりと涼しく、夏は納涼スポットとして人気。夏は「七夕まつり」冬は「クリスマスファンタジー」のイベントが開催され、トンネル内は美しく幻想的な雰囲気に包まれます。

【開園時間】4 月~10 月 9:00~19:00 /11 月~3 月 9:00~18:00
【入園料】大人300円・子供100円
【休園日】なし(年中無休)
てな感じで。旅はぁ~まだぁ~、終わら~ないぃ~♪(←

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2009年6月24日水曜日

トンネル掘ったけど色々あってごめんなさい

「トンネル掘ったけど色々あってごめんなさい」シリーズ(←)行ってみましょう。2009/6/22 の記事「トンネル掘ったけど地盤が脆弱でしたごめんなさい」の姉妹編です。

第 1 回「中山トンネル」

思いついた順で、まずは群馬県の中山トンネルから。

中山トンネル(なかやまトンネル)は、上越新幹線高崎駅~上毛高原駅間にある総延長 14,857m の鉄道トンネルである。
(Wikipedia 日本語版「中山トンネル」より引用)
できれば、田口トモロヲの声でお読みください(←

工事前の地質調査では非常に複雑な地層であることは判ったが、大まかな地質しか判明しなかった。
(Wikipedia 日本語版「中山トンネル」より引用)
Oh! Zapper というヤツですね(←)。まぁ、地質調査を行ったのが 1971 年と言いますから、世界に誇る日本の土木技術をもってしても「まだまだだね」、という状態だったのかも知れません。

そのため、掘削中に異常出水が何度も発生し、多数の迂回坑の掘削と薬液注入による地質改良を繰り返すことになり、さらにトンネルのルートを 2 度変更する難工事の末に、当初の計画より 6 年遅れて 1982 年(昭和 57 年)にようやく完成した。
(Wikipedia 日本語版「中山トンネル」より引用)
一度のみならず二度もルートを変更する羽目になったとあっては、そりゃあ工期が伸びるのも仕方ありませんよね。

当初計画の予算 2108 億 6200 万円に対して 4 倍近い 8429 億 9900 万円を費やしている。これは世界最長の青函トンネルの全長 53.9km に要した 7455 億円を上回っており、1 メートル当たり 5674 万円かかった計算になる。
(Wikipedia 日本語版「中山トンネル」より引用)
高速道路の世界では、近畿自動車道の建設費がもの凄く高かったと聞いたことがあります。これは工事費ではなく、用地取得に要する諸費用が高騰したという話ですが……ウラが取れませんでした。どこかに載ってないかなぁ。

1982 年 11 月 15 日国鉄ダイヤ改正のときに供用が開始された。トンネル内にできた半径 1500m の S 字状のカーブにより、現在もここでは 160km/h の減速運転を強いられる。
(Wikipedia 日本語版「中山トンネル」より引用)
でも、このせいで、将来上越新幹線で 300 km/h over の車輌が走るようになったとしても、160~170 km/h 程度にスピードダウンする必要が出てくるわけですよね。これ、建設費もさることながら、結構な損失のように思います。

地図どうぞ

あまり良い地図ではありませんが、とりあえず用意してみました。
南北に走る点線が「中山トンネル」ですが、「中山峠」と表示されたあたりで奇妙にゆがんでいることがおわかりいただけるかと思います。

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2009年6月22日月曜日

国道 152 号線の旅 (27) 「トンネル掘ったけど地盤が脆弱でしたごめんなさい」

詳細はまた後ほど

そういえば、3 日ほど前の記事で「詳細はまた後ほど」と書いておきながら、その後詳細を書いていなかったことを思い出しました。いや、だからどうしたという話ですけど。

草木トンネルってドコ?

えーと、草木トンネルについての話です。草木トンネルってドコ? という方のために、何度も使い回したこちらの地図をどうぞ。
地図の下の端っこに、何とも今風な「逆 S 字」のルートを取った「草木トンネル」があります。いかにも「カーブを緩くしましたよ」的なルートからもわかるとおり、三遠南信自動車道用に建設されたものです。

当初は三遠南信自動車道(国道 474 号)の一部として供用された。しかし供用後の 1997 年に、草木トンネルから兵越峠の下を通るルートは地盤が脆弱なことが判明した。
(Wikipedia 日本語版「草木トンネル (道路)」より引用)
そう、この辺は中央構造線がノリノリでイケイケな地域(←)ですから、地盤がゆるくてもやんぬるかな、というわけで。しかも念のために「やんぬるかな」の意味を確認しておこうと新明解さんを牽いてみたところ、なんと「ヤング アダルト」という項目まで発見してしまいました。さすがは世界の新明解さんです。

トンネル掘ったけど地盤が脆弱でしたごめんなさい

まぁ、そもそも、本来の秋葉街道のルートである「青崩峠」というのも、名前からして崩れてしまっているくらい崖崩れが多いところらしく、そのために数十年間に亘って遊歩道以上のものができなかった、などとも言われているそうですから、「トンネル掘ったけど地盤が脆弱でしたごめんなさい」というのはちょっと……とも思わないでもないのですが、「イチかバチか」だったのでしょうか。それとも「イケると思ったんだけどなぁ」だったのでしょうか。

で、結局どうなったかと言いますと、

そのため 2008 年までに同自動車道の計画が、水窪から地盤のやや硬い青崩峠西側を通るルートに変更されることになり、その結果草木トンネルは、同自動車道のルートから外されることとなった。
(Wikipedia 日本語版「草木トンネル (道路)」より引用)
メインルートから外されてしまいました。しかも、

そのため、2008 年から 2009 年にかけて草木トンネルをそれまでの高規格構造(1 種 3 級)から歩道を付した一般道路(3 種 3 級)に格下げする工事が行われ、制限速度が 60 km/h から 50 km/h に、案内標識も緑地のものから青地のものに付け替えられた。
(Wikipedia 日本語版「草木トンネル (道路)」より引用)
てな感じで、徹底的にふつーの道路に格下げされちゃったみたいです。

ちょっと荷重設計が甘かったみたいごめんなさい

途中まで作ったけど結局やめちゃった、というトマソン的な建造物になっちゃったわけですが……何か似たような例は無かったでしょうかね。あったような気がするんだけどなぁ。うーん……。敢えて言うなら、大船から出ていたドリームランド線のモノレールあたりでしょうか。あれは「ちょっと荷重設計が甘かったみたいごめんなさい」系ですけど……。

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2009年6月19日金曜日

国道 152 号線の旅 (26) 「兵越峠(つづき)」

青崩峠への道

びみょうに昨日の続きです。兵越峠の「国境」の看板のちょい隣には、こんな案内板もありました。
本来の国道 152 号線のルート、青崩峠への遊歩道です。もしかしたら尾根伝いに歩いていけるのかも知れません。逆に言えば、歩く以外の方法は無いのだと思います。
少し後ろを振り返って信州側(長野県側)を見てみると、なにやらお蕎麦やさんのような建物が……。これ、実は何のことはなく、公衆便所だったみたいです。つまり、遠州軍が綱引きで数十連勝を飾れば、このトイレは静岡県のものになります(←
荒天時の道路規制案内板です。浜松市とは言え山の中、雪が降ることもあるのかも知れません。
「ヒョー越林道」の静岡県側も、ご覧の通りの快適な舗装路です。行政区分上は「林道」なんでしょうが、かなり快適な部類に思えます。

幻の「三遠南信自動車道」

さて、そんな「ヒョー越林道」をすいすいと走っていると、あっさりと「草木トンネル」に辿り着いてしまいました。
これは、トンネルを抜けたところで撮影した写真ですが、高規格幹線道路の IC っぽい構造です。走行中の部分が流出路で、本来はこれらの橋桁の上に本線が整備される筈だったのだと思います。

文章が過去形なのですが、これ、どうやら無用の長物になってしまったらしいです。詳細はまた後ほど……。

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2009年6月18日木曜日

国道 152 号線の旅 (25) 「武田信玄の執念と今後のみどころ」

ふつーの国道と何ら変わらない

「国道 152 号線の旅」がちょいと滞っているので、ここらで久々に更新します。

いや、ちょいと出張中なんで、凝ったネタを仕込む余裕が無いだけ、とも言いますが。

えーと、長野県と静岡県の県境となる「青崩峠」が遊歩道でしかない(車両は通れない)ので、小型車は「ヒョー越林道」を迂回する必要があります。ただ、林道とは言っても長野県と静岡県を結ぶ貴重な?峠道なので、実のところはふつーの国道と何ら変わらない(「ふつーの国道」の定義が少々謎ですが)といった感じです。

峠の向こうは天竜区

さて。ヒョー越林道を右に左にとクネクネ走っているうちに、ちょっと変わった雰囲気のところに辿り着きました。あれ? これってもしかして……。
あれ? 兵越峠ってここ? と思わせるほど、すんなりと峠まで辿り着けてしまいました。いやー、ちゃんと国道 152 号として整備されている分杭峠よりも良い道じゃないですか!
確かに「静岡県」ですね。しかも「浜松市」な上に「天竜区」ですよ。いつの間にか政令指定都市になっちゃったんですね……。

武田信玄の執念をヒョー越に見た

さてさて。県境の標識の近くには、こんな「妙なもの」がありました。
峠の国盗り綱引合戦」とあります。そもそもこの峠が「ヒョー越」と呼ばれるのは、戦国時代に、武田信玄が遠州に兵を進めた際に通ったから、なんて由来もあるそうで、「信州」と「遠州」の因縁が渦巻く地……らしいです。

ルール・概要
「遠州軍」(浜松市天竜区(旧水窪町))と「信州軍」(飯田市(旧南信濃村))の代表同士が 3 本勝負の綱引きを行い、先に 2 本取った方が勝利。 勝ったチームが国境(県境)を 1 メートル相手側の領土に動かすことができる。会場の峠にはこの時に決められた国境の札が常時設置されている。
(Wikipedia 日本語版「峠の国盗り綱引合戦」より引用)
あはは(笑)。誰が考えたのか知らないですが、ナイスなイベントですね。ハコモノでも無いからそんなにお金もかかんないでしょうし。

ただし、行政上では県境が変わることはない。
(Wikipedia 日本語版「峠の国盗り綱引合戦」より引用)
(^^;)
あ、そういや長野県と岐阜県の間で県境が変わったことがあったような(禁句?)。

戦績
2008 年 10 月 26 日に開催された第 22 回大会では、「遠州軍」(浜松市天竜区(旧水窪町))が 3 本勝負を 2 本先取し勝利。それまで 1 メートル遠州側に寄っていた国境を信州側に押し戻し、現在は行政上の県境と同じ位置に国境の札が立てられている。
現在の戦績は両軍とも 11 勝 11 敗。
(Wikipedia 日本語版「峠の国盗り綱引合戦」より引用)
遠州軍ですが、22 年かけて、ついにイーブンに持ち込んだ模様です(笑)。
なるほど。確かに「国境」の札は標識の並びに立てられています。遠州軍 22 年の苦闘の成果、ここにあり! といった感じでしょうか。

今後のみどころ

今後のみどころですが……これは注目ですよ(笑)。

今後のみどころ
  • 遠州軍は過去 3 連勝の経験がなかったが、2008 年の第 22 回大会において念願の 3 連勝を果たした。過去「国境」を信州側に食い込ませたことはなく、来年は遠州軍がその偉業を果たせるかに注目が集まっている。
  • 信州軍は屈辱の 3 連敗を喫してしまったため、来年こそは連敗を食い止めようと闘志を燃やしている。
(Wikipedia 日本語版「峠の国盗り綱引合戦」より引用)
うはは(笑)。これ、下手なスポーツイベントよりも興味深いです。J SPORTS あたりで生中継されないものでしょうか?(←

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2009年6月17日水曜日

「インターネット申請」の袋小路(地図だけに

国土地理院「国土変遷アーカイブ」にて閲覧可能な航空写真アーカイブを Blog にぺたぺたするにはどうすれば、ということを考えはじめて、はや四日が過ぎようとしています(←

とりあえず、「インターネット申請」なるものをすればいいのかな、という所まで辿り着きました。
(クリック原寸大系です)
測量成果ワンストップサービスサイトへようこそ」と来ました。そういえば「ワンストップ」という言葉は久々に聞いたような気がします。「ミニストップ」とか「ツーストップ」とか「トップオフ」なら良く聞くんですけどね……(← サンプリングに偏りがあるぞ)。

「葵」は「まもる」です

UI 的に「申請」を押すしかないという、まるでミズーリ号にやってきた重光葵のような心境になりながら(ウソ)、おもむろに「申請」を押してみました。
(これもクリック原寸大系です)
「利用する地図は何ですか?」ということで……、「国土変遷アーカイブ」はちょうど真ん中にありますね。あれ……? よーく見ると「申請不可」と書いてありますが、とりあえず「次へ」を押してみましょう。
(またもクリック原寸大系です)
げげっ……。「誠に恐れ入りますが営利性の有無に関係無く一切承認できません」と来ました。orz

「少量」だったら OK ?

いや、実はですね、
(さらにクリック原寸大系です)
刊行物等に少量の地図を挿入」という記載があったので、国土変遷アーカイブに含まれる航空写真もこの解釈で大丈夫だ、と思ったのですよ。

……書いていて混乱してきたぞ(←)。えーと、「地図閲覧サービスなどで公開している地形図等の画像は……一切承認できません」とあります。ただ、「刊行物等に少量の地図を挿入」という考え方は、「申請不要」とあります。

あ、やっぱこの考え方なら、

◇ Web サイト等
・300×400 ピクセル以下の大きさで地図等の一部(ラスタ形式)を掲載する場合
・300×400 ピクセルを超え、画面に収まる大きさで地図等の一部(ラスタ形式)を掲載する場合 → Web サイト全体の中で 5 枚まで
※ スクロール機能により画面以上の地図が見られるような場合は 1 枚でも申請を要します。
この考え方で OK ですよね。うんうん、きっとそうに違いない(←

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2009年6月16日火曜日

「国土変遷アーカイブ」への長き道

インターネット等により情報を提供する場合

そんなわけで(どんなわけで)、国土地理院「国土変遷アーカイブ」の航空写真を Web にぺたぺたしようと思っていろいろと調べているわけなのですが、
(今日もクリック原寸大系です)
インターネット等により情報を提供する場合」なんて項目が見つかりました(・∀・)

電気通信回線等を通じてインターネットや電子メール等の方法により

ふむふむ……。
(こいつもクリック原寸大系です)
なるほど、「電気通信回線等を通じてインターネットや電子メール等の方法により……」と来ましたか。

<具体例>
・インターネットを利用できる環境にある人なら誰でも見ることができるブログや誰でも会員になることができるコミュニティサイトに、地図等を掲載して公開することや、メールマガジンにより大量に送付する行為は、不特定多数の者への公開に該当します。
・友人やクラスメート等、互いに特定できる者以外は参加できないサイトにおける公開は、不特定多数の者への公開には該当しません。
ふむふむ。こいつはわかりやすいですね。要するに Blog にぺたぺたするのは「不特定多数の者への公開に該当します」となるわけですね。なるほど……。

「インターネット申請」始めました

こうなっては仕方がありません。
(相変わらずクリック原寸大系です)
インターネット申請」というリンクがあるので、こいつをクリックしますか……。

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2009年6月15日月曜日

「測量法」の適正な引用について「著作権法」を確かめる

「測量法に基づく承認の手続き」始めました

国土地理院の「国土変遷アーカイブ」から、空中写真を借用しようと思ったのですが、なんでも「測量法に基づく承認の手続き」が必要だ、なんて言われてしまったので、とりあえずポチっとクリックしてみました。
(クリック原寸大系です)
えぇーと……。まずは「申請フロー」を見れば良いのですね。ん?
(これまたクリック原寸大系です)
ふむふむ。「私的に利用する」「学校その他教育機関で利用する」「一時的な資料として利用する」「イラスト的に利用する」「学術論文に利用する」「試験問題として利用する」「テレビ番組等で短時間の利用」「刊行物等に少量の地図を挿入」であれば、申請は必要ないんですね。

World Wide Web における適切な利用方法を考える

「World Wide Web にて利用する」という項目は、残念ながらどれも当てはまらないようなので、下の方をずーっと見る必要があるようです。
(またしてもクリック原寸大系です)
2. どのような加工をしますか?
 法第 29 条の「複製」に該当→「3. 複製」へ
ちょいと省略して

 法第 30 条の「使用」に該当→「測量成果の使用承認申請書」の提出
ふむふむ。「法第?条」というのは脱字かな? と一瞬思ってしまいましたが、これはどうやら「測量法」のことのようです。

というわけで「測量法」について

コピペで失礼します。(←

(測量成果の複製)
第二十九条  基本測量の測量成果のうち、地図その他の図表、成果表、写真又は成果を記録した文書(これらが電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によつては認識することができない方式で作られる記録であつて、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。以下同じ。)をもつて作成されている場合における当該電磁的記録を含む。第四十三条において「図表等」という。)を測量の用に供し、刊行し、又は電磁的方法であつて国土交通省令で定めるものにより不特定多数の者が提供を受けることができる状態に置く措置をとるために複製しようとする者は、国土交通省令で定めるところにより、あらかじめ、国土地理院の長の承認を得なければならない。

(測量成果の使用)
第三十条  基本測量の測量成果を使用して基本測量以外の測量を実施しようとする者は、国土交通省令で定めるところにより、あらかじめ、国土地理院の長の承認を得なければならない。
2  国土地理院の長は、前項の承認の申請があつた場合において、次の各号のいずれにも該当しないと認めるときは、その承認をしなければならない。
一  申請手続が法令に違反していること。
二  当該測量成果を使用することが当該測量の正確さを確保する上で適切でないこと。
3  第一項の承認を得て測量を実施した者は、その実施により得られた測量成果に基本測量の測量成果を使用した旨を明示しなければならない。
4  基本測量の測量成果を使用して刊行物(当該刊行物が電磁的記録をもつて作成されている場合における当該電磁的記録を含む。以下この項及び第四十四条第四項において同じ。)を刊行し、又は当該刊行物の内容である情報について電磁的方法であつて国土交通省令で定めるものにより不特定多数の者が提供を受けることができる状態に置く措置をとろうとする者は、当該刊行物にその旨を明示しなければならない。

「測量法」の適正な引用について「著作権法」を確かめる

派手に引用してみましたが、これが日本の著作権法において適法かどうか、という点について……。

(権利の目的とならない著作物)
第十三条 次の各号のいずれかに該当する著作物は、この章の規定による権利の目的となることができない。
  一 憲法その他の法令
  二 国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人(独立行政法人通則法<平成十一年法律第百三号>第二条第一項に規定する独立行政法人をいう。以下同じ。)又は地方独立行政法人(地方独立行政法人法(平成十五年法律第百十八号)第二条第一項に規定する地方独立行政法人をいう。以下同じ。)が発する告示、訓令、通達その他これらに類するもの
三 裁判所の判決、決定、命令及び審判並びに行政庁の裁決及び決定で裁判に準ずる手続により行われるもの
  四 前三号に掲げるものの翻訳物及び編集物で、国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人又は地方独立行政法人が作成するもの
(平十一法二二○・二号四号一部改正、平十五法一一九・二号四号一部改正)
えーと……。ということですので、「測量法」の条文を引用することは、ぜーんぜん問題ない、となります。「国土変遷アーカイブ」から空中写真を利用できるかどうかは……また明日にでも考えましょう(←

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2009年6月14日日曜日

空中写真の利用に関するお問い合わせはこちら

十年一昔、三十七年だと三・七昔

37 年前に廃止された国鉄札沼線の跡を航空写真から追おう、と思い立って Google Earth を立ち上げてみたものの、案の定というか、その多くは人の手によって農地などに還ってしまっていて、ぶっちゃけさっぱりワケわかんない状態になってしまいました(←

国土変遷アーカイブ!

なので、こうなったら昔の地形図でも当たってみるしか無いか……と思って、国土地理院の Web サイトを見てみました。すると、何ともありがたいことに、「国土変遷アーカイブ」なんて Web サイトにて、過去の空中写真が閲覧できるようになっているではありませんか!

国土地理院では、全国土を対象に戦後から繰り返し撮影された、空中写真を保有しています。これらの空中写真からは、その時々の地形、土地利用、都市化の状況などを知ることができ、戦後から現在までの国土の変遷がわかります。

国土地理院では、国土変遷アーカイブ事業として空中写真のデジタル化を進めており、デジタル化の完了したものから順次、公開していきます。

現在公開しているのは以下の空中写真です。
1946 年 1 月 ~ 1957 年 12 月撮影:約 134,000 枚
1961 年 1 月 ~ 1974 年 12 月撮影:約 153,000 枚
1975 年 1 月 ~ 1978 年 12 月撮影:約 23,000 枚
1992 年 1 月 ~ 2001 年 12 月撮影:約 36,000 枚
2003 年 1 月 ~ 2006 年 12 月撮影:約 31,000 枚

1948/8/4 のニッポン

例えば、どんなものが公開されているかというと……
そう、航空写真を見たことのある方ならよーくご存じのコイツです。現物は結構厚手の印画紙に焼き付けられていたと記憶しています。

左肩の謎の暗号のような文字列は、実際どういう意味かは良くわかりませんが、最後の(4 AUG 48)は撮影日付ですね。つまり、こいつは 1948/8/4 に撮影された写真、となります。英語になっていることからお判りの通り、これは米軍が撮影したものです。いやー、こんな代物が自室に居ながらにして閲覧ができるだなんて、ホント研究者にはいい時代になったものです。デジタルミレニアム時代到来でしょうか(意味不明)。

空中写真の利用に関するお問い合わせはこちら

んで、と。この写真を切り貼りして、この Blog で紹介しよう!と思い立ったわけですが、

なお、公開された空中写真デジタル画像は、閲覧以外の目的で使用することはできません。
などと言った微妙な言い回しが……。

気になるので、http://archive.gsi.go.jp/airphoto/about.html などを見てみると、

空中写真の利用に関するお問い合わせ
空中写真を複製して提供したり、営利に利用したりする場合には、刊行されているものを入手し、測量法に基づく承認の手続きが必要になります。詳しい内容については以下にご相談ください。

国土地理院 地理空間情報部 業務課 審査係
むむ……、これはもしや、何だかちょっと面倒くさいのかも!?

というわけで、明日以降に続きます。

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2009年6月13日土曜日

Google Earth で見る「消えた札沼線」の跡

今は「学園都市線」なんて言ったりするそうですが

北海道には、奈良県の十津川村から入植した人が多く居住したということで「新十津川」と名付けられたところがあり、札幌から新十津川(終点)までは、JR 北海道の「札沼線」(さっしょうせん)が走っています。じゃあ、札沼線の「沼」って何? という疑問が出てくるわけですが、それは札沼線の当初の終点だった「石狩沼田」に由来するらしいです。つまり、新十津川から石狩沼田までは国鉄時代に廃止されてしまった、ということなのだとか。

ちょいと Wikipedia の記事をコピペしてみますと、

太平洋戦争が激しくなると不要不急線として、1943 年(昭和 18 年)から 1944 年(昭和 19 年)にかけて石狩当別 - 石狩沼田間が休止された。
(Wikipedia 日本語版「札沼線」より引用)
来ましたね、不要不急路線。

戦後は 1946 年(昭和 21 年)に石狩当別 - 浦臼間が復活したのに続いて 1956 年(昭和 31 年)までに全線が復活したが、営業成績は振るわなかった。
(Wikipedia 日本語版「札沼線」より引用)
なるほど。戦後の復興とともに、いったんは全線復活したんですねー。

1968 年(昭和 43 年)には「赤字 83 線」に廃止すべき路線としてその名をあげられ、その取組みの中で新十津川 - 石狩沼田間が 1972 年(昭和 47 年)に廃止された。
(Wikipedia 日本語版「札沼線」より引用)
ふむふむ。「赤字 83 線」の取り組みで廃止されたということは、廃止された数多くの国鉄線の中でも、随分と早期に廃止されたということになります。もう 40 年近く前の話になりますね。

この時の廃止区間は 34.9 kmで、赤字 83 線における 1 路線の廃止距離としては最長だった。廃止区間の線路跡は農場の整備によってほとんど痕跡をとどめておらず、わずかに一部の駅の周辺に面影をしのぶのみとなっている。
(Wikipedia 日本語版「札沼線」より引用)
そりゃあそうでしょうねー。例えば 1987 年に全線が廃止された広尾線なんかだと、それなりに空中写真からも跡を追えたりするものですが、1972 年では……。

Google Earth で見る「消えた札沼線」の跡

参考までに、Google Earth からゲットした、2006 年の空中写真(新十津川駅周辺)を見てみましょう。
この、ピンク色の部分が 1972 年に廃止された部分ですが、2006 年現在ではどうなっているかと言うと、
こんな感じです。なーんとなく線が見えるような気もしないでもないですが、整然と区画整理されて、まったく見る影もなくなっているところが殆どです(特に、写真上部のあたりとか)。

実験「安楽椅子考古学者」

さて。「ほとんど痕跡をとどめておらず」と称される「札沼線の跡」を、どうやって探し出しましょうか、というのが今回のテーマです。イスに座ったまま「事件」を解決してしまう探偵のことを「安楽椅子探偵」(英:Armchair Detective)なんて呼んだりしますが、果たしてフィールドワーク無しで調べ物をする「安楽椅子考古学者」は成り立つのかどうか。明日はその苦闘の軌跡を追います(ぇ

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2009年6月11日木曜日

国道 152 号線の旅 (24) 「国道 152 号線の旅・番外編その 2(長いぞ)ヒョー越林道の旅」

というわけで、「国道 152 号線の旅」番外編その 2(長いぞ)「ヒョー越林道の旅」がスタートです! まずは最初に見かけたこんな看板から。
えーっと……、とりあえず「本日通行できます」ということで。

ついでに記念写真をぱちりと。
向かって右(方角だと北」の道は「大型車輌通行不能」ですが、幸いにしてこれから行く道は、青い看板で言うと手前(下)になるので……どうなんだ!? まぁ、この先の道も大型車輌が通行できるとは思えませんけどね。

ちょっと気になったので撮影してみました(それだけ

途中で見かけた森?の風景も。
これは……人為的に伐採した跡……だと思うんですけどね。酸性雨とかで枯れてしまったのだったら、こんなに一部だけまとまって枯れるとも思えないので……。でも、どうなんでしょ。

例えば、こんな感じに。
一瞬「スキー場?」って思ってしまいました。いや、ホントにそうだったりして。

秋葉街道は深い谷の中

もいっちょ。
向かいに見える尾根の麓が、青崩峠に向かう国道 152 号線(秋葉街道)になります……なるんだと思います……。

つまり、ヒョー越(兵越峠)は青崩峠と比べて随分と標高の高いところを通っている……ような気もしますが、実際には青崩峠のピークは海抜 1,082 m、兵越峠のピークは海抜 1,165 m と、思ったほどの差はありません。青崩峠がいかに峻険かということが、このことからもわかるような気がします。

ま、青崩峠に未だに道路が開通しないのは、中央構造線上にあり、地盤がめちゃくちゃ不安定だ、というのが大きいらしいんですけどね。ま、その辺は、いずれ追々と。

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2009年6月10日水曜日

ピトー管侮るべからず

エールフランス機が大西洋上に墜落した件で、何でも「ピトー管」が原因なんじゃないかという説が浮上してきたとか。いや、墜落したものを浮上させてくれるんだったら凄いなー、なんて思ったりもするのですが、たかがピトー管が原因で墜落されちゃあ困ってしまいますね。さすがはエアバスといった感じがします。良くも悪くも。

ピトー管(ピトーかん)は流体の流れの速さを測定する計測器である。発明者である Henri Pitot にちなんで命名され、Henry Darcy により改良された。航空機の速度計などに使用される。ほかに風洞でも使用される。
(Wikipedia 日本語版「ピトー管」から引用)

「チトー」とは違います

ちなみに、ユーゴスラヴィアの初代大統領はチトーですので念のため(← 全く関係無い)。

アンリ・シャルパンティエとかも(←

んで、と……。なるほど、アンリ・ピトーさんが発明して、アンリ・ダルシさんが改良したワケですね。アンリ・マティスアンリ・デュナンあたりは関与していないのでしょうか。アンリ・ペスカロロあたりはきっと関与してくれてそうな気がします(←

ヘンリ・トイボネンあたりは……(もういい)

ただ、こうやって見てみると、基本構造は意外とプリミティブなのがわかります。
(Wikimedia Commons より借用。この作品の作者である Mendel 氏は、この作品を以下のライセンスで提供しています。:
このページ付属の画像はフリーソフトウェア財団が発行した GNU Free Documentation License に示されるバージョン 1.2 またはそれ以降のライセンスの下で提供されています

この構造からもわかるように、ピトー管でわかるのは対気速度のみです。つまり、偏西風に乗って東を向いて飛行する航空機では、対地速度よりも低い値が報告されます。そのため、航法目的ではイマイチ使い勝手が良くない機構です。まぁ、この辺は GPS や INS(まだあるのかな?)がフォローしてくれるので、実のところどうでもいいと言えばそれまでなのですが。

速度計は大切です

ピトー管が重要なのは、失速速度を知るために用いられるからでしょうか。例えば、一時間に 800 km 移動したのであれば、その飛行機の対地速度は 800 km/h となります。しかし、時速 80 km の偏西風に煽られて、東に 800 km 移動したのであれば、対地速度は 800 km/h ですが、対気速度は 720 km/h あたりになってしまいます。いや、だからどうしたという話ですけどね。

ピトー管にまつわるエトセテラ

というわけで、ピトー管にまつわる事案をいくつか。

1996 年 10 月 2 日、アエロペルーのボーイング 757 型機 603 便が、離陸直後、高度計及び速度計が機能しない旨を管制官に通告し、リマに引き返した。しかし、夜間の海上飛行だった為に目測の目印がなく、超低空飛行状態で主翼を海面に接触させ墜落、乗員乗客全員が死亡した(「アエロペルー 603 便墜落事故」)。
原因は、出発前に機体を洗浄する際にピトー管の静圧孔を保護するために貼ったマスキングテープを、作業完了後に剥がすことを忘れて離陸したためであった。
(Wikipedia 日本語版「ピトー管」より引用)
ほぇー……。1996 年って、まだそんな昔のことでは無いじゃないですか。あるんですねぇ……。

2007 年(平成 19 年)10 月に中華航空ボーイング 737 型機が佐賀空港の滑走路をオーバーランして離陸した後、計器異常により引き返すトラブルが発生した。原因は、ピトー管の管内に虫が入り込んでいたためであった。
このようなトラブルを防ぐために、航空機は地上駐泊する際にはピトー管の先端にはカバーを掛ける事になっているが、トラブルの発生した中華航空機は予定では当日中に折り返しのフライトを行うプランであったためにカバーを用意しておらず、カバーを掛けないまま駐泊していたのが原因であった。
(Wikipedia 日本語版「ピトー管」より引用)
「虫」って……(‥;)。

でも、なるほどねぇ……。今時ピトー管が原因だなんて、と思ったものですが、比較的近年になっても、ヒューマンファクターも絡んでいるとは言え、結構あるものなのですね。不明をちと恥じつつ出直します。

「大カトー」とも違います

ちなみに、「ともあれ、私はカルタゴは滅ぼされるべきであると思う」と言っていたのは大カトーですので念のため(← これまた全然関係無い)。

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2009年6月9日火曜日

国道 152 号線の旅 (23) 「この先 6km 通 行 不 能」

ラヴェルの編曲による

いきなりドストエフスキー……じゃないや、えーと、ストラヴィンスキー……でもなくて、えーっと……、あ、ムソルグスキーの「展覧会の絵」が聞きたくなったりしませんか? しませんか。私だけですか。そうですか。「キエフの大門」の演奏が始まったときは「大門くぅうん」と言いたくなりませんか? なりませんか。そうですか(←

やっぱり桜が咲くのでしょうか

えっと、飯田市は「遠山郷」というところにやってきました。ここはかつての「南信濃村」というところの中心地……だったのでしょうか。もともと、南信濃村自体が「遠山村」と「木沢村」が合併してできた村だったらしく(だから「南信濃」なんて抽象的な名前だったのね)、村役場は元・木沢村にあったと思しき雰囲気もあるのですが、地勢その他を考えると「遠山郷」が中心地だった……のだと思います。

じゃ、なんで木沢村のところに役場があったの? という話ですが、三重県の県庁所在地が四日市(県下最大の都市)ではなくて津にあるのと同じ理屈なんだと思います。わかる人にはわかると思いますが、極わずかかも。

まぁ、そんなこんなで、この「遠山郷」というところは意外と開けたところだったりしまして、このまま遠山川沿いに西に行けば、平岡ダムの所で天竜川と合流します。平岡ダムの麓には、飯田線の平岡駅があり、長野県天龍村の役場もあります。国道 418 号線は、それなりには整備されているような印象があります。

男達の……

しかぁし。こちらはひたすら国道 152 号線を南下するという企画モノですから……、またしても、敢えて左折してせんまーい道を浜松に向けて走り出したのでした。何か答が出るだろう……なんて、決して当てには……(←
してな~い~さぁ~。ということで(←

「大嵐」はおおぞれ、では「小嵐」は?

さて。国道 152 号線は「青崩峠」を通ることになっていますが、未だに開通する気配がありません。今更ながら地図どうぞ。
というわけで、運命の分かれ道にやってきました。
右に行くと青崩峠。バッテンが光っています。「秋葉街道遊歩道」となっていますね。つまり、遊歩道でしかないみたいです。左に行くと「兵越峠」(ヒョー越峠)。水窪(みさくぼ)に至ります。「国盗綱引公園」なる謎のキャプションもありますが、謎は謎のままに置いておくのが紳士淑女の正しい姿です(きっぱり)。

そしてもちろん、一度は行き止まりとなっている青崩峠に向かうのも紳士淑女のたしなみです(←
ここは、飯田市小嵐というところですね。ひと山越えた西側の天竜川沿いには「大嵐」と書いて「おおぞれ」と読む集落があります。となると、これは「こぞれ」となるのでしょうか……。

と思ったのですが、ふつーに「こあらし」と読むのだそうです。なぁんだつまんねーの(←

この先 6km 通 行 不 能

もちろん、奥に見える看板もしっかり抜くのが紳士淑女の(ry
はい。そういうことですね。紳士淑女たる身の上としてはおとなしく引き下がることとしましょう。

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2009年6月4日木曜日

国道 152 号線の旅 (22) 「どこへ行くのも 500 km(←」

えーと、国道 152 号線(秋葉街道)をひたすら南下中に、なんとケータイ(=カメラ)が電池切れという、実に間抜けな問題に直面してしまったわたくし。一生の間に何度来ることができるか、というレアな行程が控えている以上、これは電池をゲットするのが当然でしょう、ということで、近くのコンビニを探して FOMA の充電器を求めることにしました。

というわけで、コンビニまでのルート図をどうぞ。まぁ、端的に言えば、電池切れに気づいた場所が悪かった、ということでしょうか。
んま、三遠南信自動車道矢筈トンネルも抜けられるわけだし、これはこれでアリかなぁ、などと少しだけ納得しながら、目的地のセブンイレブンまで、約 21 km の道のりを急いだのでした。そして、来た道以外に戻る道も無いので、結局は往復で 40 km 強の行程となります。うー……。

そういえば、コンビニに急ぐ途中、フロントを大破して止まっていたヴィッツを見かけました。ちょうどクラッシュしたフロントを道路側に向けて止まっていたので、ハイドロプレーンか何かでクルっと行って、フロントぶつけてさらに半回転といった感じだったのでしょうか。タイヤの溝の深さには気をつけておきたいところです。

スーパーレモンソーダだ!

セブンイレブンでは、ついでに戦利品?をゲットしてきました。
懐かしの「スーパーレモン」をフィーチャーした炭酸飲料だったのですが、余所ではあまり見かけないような気がします。見たことある方はいらっしゃいますか?

あ、変なところにのっけて撮影してますが、これはてきとーな場所が無かっただけで、もちろん駐車中に撮影していますので念のため。

道路特定財源と地方における地域振興を考える(←

これは、矢筈トンネルの喬木 IC なんですが……山の中に無駄に立派な IC ですね。おおよそ想像はつくと思いますが、ほとんど車は走っていません。うーむ……。

わくわく対面交通

さてさて。コンビニに行くために約 1 時間ほどロスしましたが、再び国道 152 号線の旅を再開です。いつの間にか、晴れ間が見えるようになってきました。

これは……、旧「上村」と旧「南信濃村」の村境あたりになるのでしょうか。国道 152 号のトンネルですが、離合が困難だからか、なんと信号が用意されています。この雰囲気、まるで敦賀・木之本間の「柳ヶ瀬トンネル」みたいでワクワクしますね!
信号が青になり、喜び勇んで(←)トンネルに突入すると……、ものの 100 m あるかないかの、ちょー短いトンネルでした。orz ここまで凝ったことするんだったら、せめて 1 km くらいの長さが無いと……(ぶつくさぶつくさ

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