2010年5月31日月曜日

春の道央・道北の旅 2010 (22) 「『家』の『胴』と言えば何のこと?」

スマイルと沙流川歴史館はどっちも無料だった

さてさて……。「平取町立二風谷アイヌ文化博物館」の中を見ていきましょう。

まずは入り口のお姉さんにチケットを見せます。お姉さん曰く「隣の『沙流川歴史館』は無料なので、宜しければお立ち寄り下さい」とのこと。今日は、まだ旅程に余裕がある筈なので、後で立ち寄ってみましょう。

トンチを利かせましょう

まずは、「アイヌ語を覚えよう」シリーズから。
「トゥマㇺ」で「かべ」とあります。ただ、手元の「アイヌ語千歳方言辞典」を見たところ、「トゥマㇺ」は「胴」とあります。さて、どっちが正しいのでしょう?

答は……おそらくどっちも正解です。「チセ トゥマㇺ」という言い回しがあるのですが、これは「家の胴」ということになります。屋根が「家の頭」だとしたら、壁は……「家の胴」、ということになります! アイヌの世界ではいろんなものが擬人化されていますが、これもその一例のようですね。

これは実用的かも

アイヌ文様のお盆ですが、これはなかなか素敵な作りに思えます。二風谷にはアイヌ民芸品店もあるのですが、今回はスルーしちゃったんですよね。次回は少し立ち寄ってみるのも(そして、手頃なものを買い求めるのも)良いかもしれません。

トーテムポール!?

網走の「北海道立北方民族博物館」のポスターです。これはトーテムポールのように見えますが、アイヌ、あるいはウィルタにもこのような風習があったのでしょうか?
こちらは、あの「スミソニアン博物館」のポスター、でしょうか。全然違っていたらすいません。

便所の落書き

少数民族が欠けることは、丸い地球が欠けることです」とあり、「少数民族への差別解消のために」とあります。しっかしですね……
誰だこんな落書きをした輩は!!
てなわけで、最後は「アイヌ語を覚えよう」シリーズで。「アイヌ語千歳方言辞典」には rukari-usi とあります(ru-kari ではなく rukari)。
「ルカリ」が「用を足す」、「ウシ」が「所」です。「──ウシ」という地名は良く耳にしますよね(妹背牛とか美馬牛とかトムラウシとか)。大抵「~する所」といった意味になります。

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2010年5月30日日曜日

春の道央・道北の旅 2010 (21) 「1 回座ると 3 年長生き、2 回座るとまた来られる……」

オヒョウの木

そういえば、「オヒョウ」の話をした時に、「この敷地内にも一本だけオヒョウの木があった筈だから、見ていくと良いですよ」と教えてもらいました。

周りを眺めてみると、確かに一本だけ雰囲気の違う木が見つかりました。もしかしたらこれがオヒョウかも知れません。
ちなみにこちらは白樺……ですよね?(違うかな?)

「長寿の長いす」の仕様が気になる

さてさて。復元家屋に混じって「コㇿポックㇽの家」のような稚気溢れる「遊び」を用意していた萱野さん。こちらもそういった「遊び」でしょうか。
長寿の長いす」とありまして、「1 回座ると 3 年長生き、2 回座るとまた来られる……」とあります。かくいう私も、1 回座ってみましたが……つい「また来られる」の誘惑に負けて(←)2 回座ってしまいました。「また来られる代わりに 3 年長生きはなかったことに」という仕様だったらちょっとイヤだなぁ、などと考えながら……。

ということで、私はまた二風谷に行けそうです。Leapfrog に I shall return. です(←

こっちは町立です

さて、ようやく「萱野茂二風谷アイヌ資料館」を離れ、国道の向い側の「平取町立二風谷アイヌ文化博物館」に向かいます。
大型連休の二日目ですが、駐車場はご覧の通り、閑散とした状態です。むしろ、学校の体験学習?とかのニーズが多いのかも知れませんね。
とても立派な……あれ、何と言うんでしたっけ、これ。表札でも無ければ礎石でも無いわけで……。
とても立派な建物です。もちろん「ここまで来るのに 10 万円」などといったチラシは貼ってありません。
入り口の扉もアイヌ文様です。「萱野茂二風谷アイヌ資料館」とはノリが全く違うところが面白い限りですね。

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2010年5月29日土曜日

奇想、天を動かす (長門有希の100冊)

長門、本を読ます(←

「長門有希の 100 冊」に挑戦!というのは流石に大変なのですが、少しずつトライしてみようかな、ということで、島田荘司の「奇想、天を動かす」を読んでみました。

空前絶後の?札沼線を舞台としたミステリー

「買ってはみたけれど、まだ読んでいない」という本が山ほどあるわたくし、いつか罰が当たりそうな気がするのですが、まぁその辺は置いといて(←)。

ここしばらく山田秀三さんの北海道地名関連の本を読みあさっていたので、さすがにそろそろ気分転換を……ということで、ストックの中から「奇想、天を動かす」に手を伸ばしたわけです。気分転換には、なるべく学術的っぽい話から離れた本を……と思ったのですね。

すると、いきなり出てきたのが「昭和 30 年代の北海道の鉄道路線図」でした。内心、「うわ、これも北海道かよ!」と驚いたわけで……。もちろん北海道が嫌いなわけはありませんから、釣られるように本文を読み始めたわけですが……。

初めに出てくるのが、「国鉄札沼線」の車内で起こった怪事件?の話です。ひらがなを多用した拙(つたな)い文章なのですが、結果的にはこれも一種の伏線だったことが明らかにされます。札沼線については 2009/6/13 の記事でも触れているのですが、アレとアレがああなっていまして……(←)。私はその事実を最初から知っていたので「ふぅん」と思ったのですが、作中では最後のほうまでその事実が明らかにされなかったので、ここで書いてしまうとやや顰蹙かも知れないわけで……。

札沼線に似合わぬ(←)大仕掛けのミステリー

ジャンルで言えば「本格」になるのでしょうね。謎解きのメインとなる「昭和 30 年代の北海道で起こった事件」については、まるでファンタジー(おとぎ話)のような描写で、とても現実のものとは思われないのですが、作中のクライマックスできちんと「説明」が試みられています。

「ピエロが夜汽車の中で一心不乱に踊り続けた謎」
「蝋燭の炎に埋め尽くされた死体の謎」
「死体が発砲した謎」
「ほんの数分で消え失せた死体の謎」

などなど……、これら全ての謎が合理的に?解き明かされます。前述の「アレとアレがああなっている」という情報の提示がすこーし不足しているかな? と思わないでもないですが、事前に読者に提示すべきほどの特殊な情報でも無いですし、下手に提示してしまうとネタバレになりかねないので、まぁ仕方が無いのでしょうね。

まとめますと

鮎川哲也好きの人(最近は少なくなったでしょうけれど)には自信を持ってお薦めできる一冊だと思います。

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2010年5月28日金曜日

春の道央・道北の旅 2010 (20) 「チノミシリ ~我ら・祈る・山~」

大空と大地の中で

そうそう、藤谷さんとはこんな会話を交わしていたのでした(ついさっき、地図を見ていて思い出しました)。

このあたり(の家)は、(二風谷)ダムができて引っ越して来られたんですか?
「ダムができる前からここに住んでましたよ。水没したのは二~三軒じゃなかったかしら」
へぇー、そうだったんですね!
アイヌは、そんな(水没するような)ところに家を建てないから。二風谷が沈むようなことがあったら、それは北海道の大半が沈むことになった日ね

柔和な笑顔はそのままで、ごく普通の調子でそう教えてくださいました。ただ、「この大地のことは、私たちは何でも知ってるのよ」という確信のようなものが感じられた、そんな気がします。

二風谷ダム建設差し止め訴訟

ここでちょいと二風谷ダムの話題に戻りましょう。

アイヌ民族の闘い
しかし、ダムが建設される二風谷地区は、アイヌ民族にとって「聖地」とされてきた。チプサンケと呼ばれるサケ捕獲のための舟下ろし儀式を始めとして当地はアイヌ文化が伝承される重要な土地であった。このため計画発表と同時に地元のみならず道内のアイヌから強い反対運動が起こった。水没戸数は9戸と少なかったが水没農地が水没面積の半分を占め、うち競走馬の牧場が二箇所あったことも補償交渉を長期化させた。水没予定地の関係者に対する補償交渉は9年を費やし、1984年(昭和59年)には補償交渉が妥結。平取町もダム建設に同意し翌1985年(昭和60年)には水源地域対策特別措置法の対象ダムに指定されて生活再建への国庫補助などが行われた。
しかしアイヌ関係者のうち萱野茂貝澤正の両名はアイヌ文化を守るため頑強にダム建設に反対。所有する土地に対する補償交渉に一切応じず補償金の受け取りも拒否した。このため北海道開発局は両名への説得を断念し土地収用法に基づき1987年(昭和62年)に強制収用に着手した。これに対し両名は強制収用を不服として1989年(平成元年)に収用差し止めを事業者である建設大臣に求めたが1993年(平成5年)4月にこれは棄却された。請求棄却に反発した両名は翌月土地収用を行う北海道収用委員会を相手に札幌地方裁判所へ行政訴訟を起こした。いわゆる「二風谷ダム建設差し止め訴訟」である。
(Wikipedia 日本語版「二風谷ダム」より引用)
二風谷は、確かに沙流アイヌの中心地ではありますが、「アイヌの聖地」と言うのはちょっと語弊があるように思います。厳密には「ダム工事にてチノミシリが損なわれる」というのが、ダム建設反対運動の精神的支柱となったものと考えられます。

チノミシリ ~我ら・祈る・山~

「チノミシリ」は ci-nomi-sir ですから、よりそれっぽく書くと「チノミシㇼ」あるいは「チノミシㇽ」といったところでしょうか。逐語訳だと「我らが-祈る-山」といった感じになります。平たく言えば「聖なる山」ですが、現実的には「聖なる小山」といったほうがしっくり来るでしょうか。いわゆる「霊峰」的なものではなく、もう少し集落(コタン)に密着した「祈りの場所」といった感じのように思えます。
現在の、二風谷のダム湖の姿です。萱野茂さんや貝沢正さんが守ろうとした「チノミシリ」はどの辺だったのでしょうか。

……今日は何だか社会派ですね(←

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2010年5月27日木曜日

春の道央・道北の旅 2010 (19) 「手間暇かけて、有効活用」

戦利品というヤツです

えー、そんなわけでちょっとだけお土産を買ってみました。今から思えばもうちょっと買っても良かったなぁ、なんて思ったりもするのですが……。
ご覧の通り、「しおり」です。ぱっと見は木の皮を編んだだけのように見えてしまいますが、いえいえどうして、もの凄く手が込んでいます。
クローズアップするとこんな感じです。繊維の一本一本は髪の毛よりも細いんです。あまりに勿体なくて本に挟む気になれません……(←

藤谷さん曰く、「ほつれてきた時も、切りそろえるだけで大丈夫ですから」とのこと。これは「オヒョウの皮」ではなく「シナの皮」ですね。1 つたったの 200 円です!
もうひとつがこちら。オヒョウの樹皮から生み出された「コースター」です。焦げ茶色と赤茶色のツートンですが、どちらも天然の色彩とのこと。確かにどっちも「樹皮の色」ですもんね。

手間暇かけて、有効活用

裏話も聞かせていただきました。今「コースター」として売りに出しているのは、もともとそのために編んだものでは無く、本来は「帯」として織ったものの「余り」をコースターとして販売している、とのことでした。帯の売り上げはすこぶる好調だそうで、既に来年の分のバックオーダーを抱えているとか。
こちらが売り物の数々です。こうやって見てみると色々バラエティに富んでいますね……! なるほど、「資料館」でチケットを入手した時に「外で──をやっていますから」と言われたのは、このことだったのですね。

昨日の記事にも書きましたが、藤谷さんは大変気さくで素敵な方です。近いうちに裁縫して、じゃなくて再訪して、もっと色々とお話を伺うぞ……と、今、決めました(笑)。

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2010年5月26日水曜日

春の道央・道北の旅 2010 (18) 「アットゥㇱ織り ~自分で動かないと得られないものもある~」

織物と QBK の関係について(←

えー、昨日は所要時間 5 分の記事で大変失礼しました。今日はしっかりと頑張って文章も書きますので!(ほどほどにね

相変わらず引き続き、北海道は沙流(さる)郡平取(びらとり)町二風谷(にぶたに)にある、「萱野茂二風谷アイヌ資料館」の敷地内に復元されている「チセ」(家屋)をうろうろと眺めていた時の話です。「チセ」にも色々あって「ポンチセ」(小さい・家屋)や「ポロチセ」(大きい・家屋)なんかがあるのですが、とある「ポロチセ」の前にこんな看板がありました。
写真が下手くそなせいで文章が読めないと思いますので、引用してみます。

■ チ セ
 チセは「チ=我ら、セツ=寝床」という意味で、アイヌ民族の伝統的な家屋です。ふつう三間と四間、あるいは二間と三間の一間作りが基本の形で、屋根も壁も萱で葺きます。部屋のまん中あたりにはアペオイ(いろり)があり、神々の中心であるアペフチカムイ(火の神)の寝床として大切にしました。部屋の奥の正面にはロルンプヤㇻ(上の窓)と呼ぶ窓があり、これはほぼ南東に向いていて、その窓の外には神まつりのときのヌササン(祭壇)があります。
(二風谷アイヌ資料館 復元家屋「チセ」案内板の文章より引用)

古代織……とは?

さてさて。看板の下には「古代織 自由にお入り下さい」と書いてあります。一体何があるのでしょうか。
おお。このチセの中にはいろいろなものがディスプレイされています。
衣服も何着もかけてあります。
いろり(アペオイ、ですね)のところには、何かが吊してあります。……木の皮ですね。「オヒョウ」の皮だったり、あるいは「シナ」の皮だと思います。なんでそんなことが判るのかと言うと……
そう、この方が懇切丁寧に教えてくださったのでした。もちろん、ただの売り子の人……ではありません。とても柔和な笑顔に後光が差しているように見える(単なる逆光だし)この方が藤谷るみ子さん。実際にアツシ(アットゥㇱ)織りをされる方で、昔ながらの技法で織物を製作・販売されてらっしゃいます。

自分で動かないと得られないものもある

とても気さくな方で、「オヒョウ」と「シナ」の質感の違いとか、いろいろなことを教えてくださいました。物の本には「オヒョウニレ(楡)」と書いてあることが多かったので、生半可な知識で「オヒョウニレ」と言ってみたのですが、どうやらそんな屋上に屋を架すような言い方はしないようで、「オヒョウ」だけで通じるのだ、ということがわかりました。どんな些細なことだったとしても、フィールドに出てみることで初めて得られる知見があるものなんだな、などと妙に満足したり……。

ちなみに、「オヒョウ」と「シナ」の違いですが、「オヒョウ」のほうが随分と質感がしっとり(やわらか)しています。ですので、その樹皮を剥いで糸を撚ったとしても基本的な性質は変わらないようで、やわらかな触感の衣服ができあがるそうです。

「じっくりと見ていってくださいね。見たら絶対買わないといけない、なんてことはありませんから」と仰っていたので、お言葉に甘えてじっくりと「店内」を拝見させてもらったのでした。

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2010年5月25日火曜日

春の道央・道北の旅 2010 (17) 「水車ではなくて鹿威し」

「プ」の続きは「イユタㇷ゚」

さて、ただ今 23 時 54 分、ということで……。
こちら、ぱっと見は水車小屋のように見える建物ですが、
「イユタㇷ゚」という「水力精米具」と、それに付随する小屋のようです。
案内板を拡大しておきます……時間が無くてごめんなさい!
見た目は水車小屋のようですが、技術的には「鹿威し」だったりします。
そして、小屋の裏側にはなぜか延長コードが……(笑)。いったい何に使ったのでしょうか。

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2010年5月24日月曜日

春の道央・道北の旅 2010 (16) 「プ」

さてさて。「コㇿポックㇽの家」を見たあとは、ちゃんとした(←)展示を見ていきましょう。
こちらは「」("pu" ?)と呼ばれる高床式倉庫です。「高床式倉庫」と言うと、なんだか弥生人の専売特許のようにも思えますが、然に非ず、ということですね。

 プは貯蔵用の足高倉で、通気性を考えて足を高くしており、屋根も壁もかやで床は丸太を並べて作りました。またネズミの侵入を防ぐために倉にのぼるはしごも使うときだけ立てかけ、柱にもエルㇺホシピレㇷ゚(ねずみ返し)として、板や木の皮をかぶせました。プに使うはしごはニカㇻと言い、太い丸太に段を刻みつけたものです。
(二風谷アイヌ資料館 復元家屋「プ」案内板の文章より引用)
もう少しちゃんと文字が読めるように撮影しておくべきでした……。

「神座の窓」と「濁り水を捨てる窓」

続いてはこちら。
えーと、これが標準的なサイズの「チセ」(復元家屋)でしょうか。
入り口から中を見たところです。奥に見えるのが「ロルンプヤㇽ」(rorun-puyar =「神座の窓」)のようです。
反対側に回って、その「ロルンプヤㇽ」から入り口を覗いたものです。ちなみに、この「『神座の窓』からチセの中を覗き込む行為」は、大変不敬な行為なのだそうです(汗)。
こちらは、先ほどの「チセ」よりちょいと大きいようです。「ポロチセ」(大きい・家)でしょうか。
このチセには入れないので、窓から中を覗くだけなのですが……。ちなみに、南側の窓のうち、入り口に近い側の窓のことを「ヌㇷ゚キクタプヤㇽ」(nupki-kuta-puyar =「濁り水を捨てる窓」)または「ポンプヤㇽ」(pon-puyar =「小窓」)と呼ぶのですが、その窓から覗き込んだ写真となります。

宮内さん発見(←

ちなみにこの「宮内伊予柑」は、松山市の宮内義正さんが発見者なのだそうです(だからどうした)。

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2010年5月23日日曜日

春の道央・道北の旅 2010 (15) 「蕗の葉の下の人の伝説 (←『の』が多い」

蕗の葉の下の人

「二風谷アイヌ資料館」の話に戻ります。敷地の中には「チセ」(家屋)が沢山復元されているのですが、中にはこんなものもあります。
はい、「コロポックルの家」とあります。コロポックル」とは、アイヌの伝承に出てくる「小人さん」のことですが、今のところは「実在しない」とされています。はい、かつては実在説が唱えられたこともあったそうですね。

コロポックル(アイヌ語: コㇿポックㇽ korpokkur)は、アイヌの伝承に登場する小人である。アイヌ語で、一般的には「蕗の葉の下の人」という意味であると解される。
(Wikipedia 日本語版「コロポックル」より引用)
迂闊だったのですが、根っからの日本人のわたくし、てっきり「コロポックル」なんだとばかり理解していました。実際には "korpokkur" ですから、「ロ」や「ル」は閉音節ということになります。間違えてもアクセントを置いてはいけません。そういえば、ヒュンダイ・アクセントという車もありましたが……(←

コロポックルは神か人間か

さて、「コロポックルの家」の説明文を拡大してみましょう。
Wikipedia の説明文との違いを考えると面白いです。この説明文には「アイヌ民族の言い伝えで、昔この村に、コㇿポックㇽ=蕗の葉の下に住む人、と、いう神が居り」とあります。Wikipedia には「小さな」と言うニュアンスで記されていますが、この説明文では「蕗の葉の下に住む人、という」とあります。

「伝説の存在」であり「神」である、と明記することで、その神秘性を高める効果もあるのかも知れませんが、「現実」と「伝説」の間の線をきちんと引いておきたい、という気持ちもあるのかも知れません。

初代館長の遊び心

「アイヌ」は現実、「コロポックル」は伝説。この両者が混同されるようなことは甚だ不本意でしょうが、「コロポックルの伝承」は「アイヌの現実」なので、それを紹介するのは意味がある、といったところでしょうか。もちろん、そんな深慮遠謀のもとにこの展示が作成された……というのも考えを穿ちすぎだと思っていますけどね。

萱野茂二風谷アイヌ資料館 公式ホームページ」によると、

初代館長 萱野茂が遊び心で作ったコロポックルの家。人間を小さくすることはできないが、鉄板で作ったふきと大木のほこらに出入り口をつけて作った家です。写真撮影は自由。アイヌの伝説にふきの下に住むコロポックルという小人が困った時にアイヌを助けてくれるというものがあります。あなたもこの巨大な家でコロポックルになってみませんか?
とあります。あはは、「初代館長 萱野茂が遊び心で作った」と明記されていますね(笑)。

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2010年5月21日金曜日

春の道央・道北の旅 2010 (14) 「一期一会は旅の醍醐味」

別館の前にも「ここまで来るのに 10 万円」

「萱野茂二風谷アイヌ資料館」の、「別館」の写真を撮り忘れた……と思っていたのですが、遠景のなかに収まっているものを一枚発見しました。まぁ、わざわざお見せするほどの特色のある建物では無いのですが、せっかくなので。
中には「萱野さん本人がハワイ旅行したときの鞄」や「クボタの田植機」などが展示されています(←

この写真の元となったものはこちら。
右(手前)に見えているのが「本館」です。これで位置関係はバッチリでしょうか。

今週の「まちがい探し」

お気づきの方……がいらしたら凄いことなのですが、到着時と車の数が違います。上の写真は、到着してから一連の展示を見たあとに撮影したものなのですが、
約 45 分ほど前には、停車していたのはこの 2 台だけでした。というわけで、この 45 分間に 2 台ほど車が増えていることになります。他にもお客さんが来ている、ということですね。:)

一期一会は旅の醍醐味

敷地の中には、色々と変な……じゃなくて面白いものがあります。
縁結び石」なるものが置いてあります。私のあとにここに来場した筈の熟年のご夫婦が、「かわりばんこ」にお互いの姿を撮影しているのを見かけたので、つい「シャッター押しましょうか?」などと出しゃばった真似をしてしまったり……。まぁ、喜んでもらえたので良かったかな、と思うのですが。
他にも、高床式倉庫そのまんまの建物だったり、何軒かのチセ(家屋)が復元されています。奥の方には復元家屋に向かおうとしている人の姿も見えますね。

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2010年5月20日木曜日

春の道央・道北の旅 2010 (13) 「雑然と 並べたままの 懐かしさ」

混沌の世界

「萱野茂二風谷アイヌ資料館」の「別館」には、本館に入りきらなかったコレクションが展示されている、と言うのですが……。
これは……なんでしょうか。オルゴールかな? と思ったりもしたのですが、あるいはラジオあたりでしょうか。
これはまた随分とクラシカルなテレビです。昭和 30 年代の品でしょうか。

それにしても、手前には柱時計?が適当に置いてあったり、蜘蛛の巣が張っていたり。「展示」と言うにはあまりに雑然としているような……。
たらいやフライパンは、かろうじて「展示」としての意気込み?を感じますが、「適当に置いてみただけ」感がだんだんと高まってきます。右手前の電話機(2 台)は、どちらも歴史を感じる品ですね。

中にはこんなものも

こうなっては、もはや物置以外の何物でもありません(笑)。比較的新しそうな洗濯機と空気清浄機も置いてあったりします。
萱野さん本人がハワイに行った時?のバッグも、なぜか「展示」されていたりします(笑)。
ヘルマン・ヘッセも読まれていたのでしょうか。これだとまるで「ちり紙交換」向けに並べているみたいです。

世界の農機具(←

入り口のところには「アメリカ式農機具」が「展示」されていましたが、その隣には日本が誇る(?)クボタの田植機が……。
カメラとフィルムも雑然と放置?されています。

雑然と 並べたままの 懐かしさ

奥の方から入り口を振り返った写真です。そう、入り口のほうは比較的ちゃんと整理されているんですよね。パイプ椅子より手前の部分が「物置」状態になっている、そんな感じでしょうか。

洗濯機や空気清浄機はさておき、ミシンやテレビや電話機なんかは、見る人によっては随分と懐かしいものです。もう少しきちんと展示されることを期待しつつ、今のまま、混沌とした状態で年月を重ねてゆくのもオツかもね、などとも思ってしまいます。

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