2011年3月31日木曜日

北海道・東北の旅 2010/夏 (89) 「『碁盤の目』考」

「三航北国日誌」第 89 回です。今日は古都のエスプリ漂う内容でお送りします(ウソです。しかもちょっと短いです)。

「碁盤の目」考

「モエレ沼公園」をチラ見した後は、Day 4 の目的地・小樽に向けて一目散!です。

札幌は、京都などと同じく、街路が「碁盤の目」のように整備されています。京都では、東西に伸びる通りとして「一条」「二条」「三条」などがあり、東寺の南側の「九条通」が最後の通りだ……とされます。実際には「九条通」の南側に「十条通」もあるのですが、あれは近代になってから造られた「パチモン」(←)の通りです。

十条通(じゅうじょうどおり)は京都市の主要な東西の通りの一つ。東端の本町通との交差点(本町通十条)から西端の西大路通との交差点(西大路十条)に至る。平安京の大路小路とは関係のない、近代になってから九条通の南に作られた、歴史が浅い通りである。旧名の鳥羽通とも呼ばれる。
(Wikipedia 日本語版「十条通」より引用)
さらに言えば、「一条」「二条」「三条」の他にも東西に伸びる通りは山ほどあります。丸太町・竹屋町・夷川・二条・押小路・御池・姉小路・三条・六角・蛸薬師・錦小路・四条・綾小路・仏光寺・高倉・松原・万寿寺・五条……といった感じでわんさかあります。ちなみにこれらは北から南に順番通りに並んでいるのですが、京都人の多くはこれらを暗記しています

……逆に言えば、このレンジを外れると「バス通り」以外はほぼ全滅です(笑)。

すでにオチはバレバレかも知れないのですが、「♪丸竹夷二押御池~」という歌があるのですね。「~四綾仏高松万五条」までは全て現存しているので、現在でも実用価値が高い歌です。メロディラインもいかにも「京都風」で、私は大好きです。

札幌市域に見るネームスペースのスケーラビリティ

というわけで、「碁盤の目」状の街路を持つ京都は、「○条通」に留まらない独自のネーミングルールで数多の通りを名付けている(「天使突抜通」なんてのもありますね)のですが、一方で、「北○条」「東○条」という、極めて拡張性の高いネームスペースを持った札幌は、市域の拡大にどう対処したかと言えば……。
うーむ、そう来ましたか(笑)。こりゃあ確かに合理的ですが、地元の人でも間違えてしまったりとかしないものなのでしょうか!?

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2011年3月30日水曜日

北海道・東北の旅 2010/夏 (88) 「世を忍ぶ仮の姿をグラスノスチ!」

「三航北国日誌」第 88 回です。本日は、都市部におけるゴミ問題と電力供給に関する話題をグラスノスチでお届けします(←

幻の「白石発電所」

「北海道開拓の村」のあたりをちょっとウロウロした後、なんとなく次なる目的地を目指します。

ふと車窓左手に見えたのがこちら。
はい、ご覧の通り、今話題の「発電所」です。「白石発電所」というのだそうです。Google Map にもそう書いてあるので間違いありません(←

北海道の電力会社と言えば、ご存じ「北電」こと「北海道電力」ですが、不思議なことに北電の発電所一覧には「白石発電所」の名前は見当たりません。これは一体どうしたことでしょうか?

世を忍ぶ仮の姿

実は、この「白石発電所」は世を忍ぶ仮の姿なのだそうです(←)。その実体は「白石清掃工場」で、「発電所」(札幌市白石発電所)は副業なのだとか。こいつはまた随分と粋なことをするものですね。:)

……現地ではそんなことも全く知らないまま、「へぇ~、札幌市内にも発電所があるんだぁ~」程度にしか思っていなかったんですけどね。信号待ちの間に写真を撮影した自分はぐっじょぶだと思います(←

なんとなく到着した次なる目的地

雁来通を右折して、丘珠空港通に向かいます。
で、到着したのが、こちらです。
……駐車場ですね(←)。あ、いや、そういうことではなくて……。
何やら浮世離れした建物が見えます。博覧会のパビリオンのような雰囲気ですね。

モエレ沼公園

はい。ここが「モエレ沼公園」です。「モエレ沼公園」は、グラスノスチ……ではなくてイサム・ノグチの設計による都市公園です。
拡大するとこんな感じで、いろいろとアトラクション……じゃないか。いろいろな建造物があるみたいです。
こちらの山が「モエレ山」でしょうか。
またしても残念なことに……、じっくり見るには時間が少なすぎるということで、今回はささっと引き上げることにしました。
あれ? ウチの車はどこだ?

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2011年3月29日火曜日

北海道・東北の旅 2010/夏 (87) 「交差点、前見て右見て左見て!」

「三航北国日誌」第 87 回です。本日も、昨日以上にどうでもいい内容でお届けします(←

Go West !

由仁町の「ヤリキレナイ川」にてやり切れない思いを噛みしめたあとは、札幌目指してひたすら西へと向かいます。

由仁町の西隣で「ナイキ訴訟」で有名な(?)長沼町にやってきました。
はい、「長沼町銀座南1丁目」です。日本国内における「銀座」ブランドの充実ぶりは目を見張るものがありますね。

スコット・グッドイヤーという人もいましたが

さらに西に向かって進み、国道 274 号に合流しました。信号待ちでふと前のタクシーを見てみたところ……。
なかなかツッコミどころ満載のタクシーです(←
「やさしい乗務員さん募集」もなかなかポイント高いのですが、やはり注目はナンバー右側の「GOOD YEAR」のロゴでしょう。お世辞にも日本国内ではメジャーとは言えないグッドイヤータイヤのロゴがなんでこんなところに……。新手のタイアップでしょうか。昔は F1 で一世風靡セピ……あ、いや、一世を風靡したものですが……。

交差点、前見て右見て左見て

「グッドイヤー」対「ピレリ」の「タイヤ戦争」に思いを馳せているうちに、ついに札幌市域に入りました!
さて、国道 274 号を離れ、国道 12 号と交差する「厚別東 5-1」の交差点で信号待ちをしていたのですが……
はい、確かに「厚別東 5-1」と書いてありますね。しかし、左を向いてみると……
「厚別東 4-1」と書いてあります。右を見てみれば、
今度は「厚別東 5-2」です。つまり、ひとつの交差点に名前がいくつもある、ということになります。こういった構成?の交差点は釧路や帯広でも見かけた憶えがあるのですが、札幌にもあるんですねぇ……。北海道ではごくごく当たり前に存在するものなのでしょうか?

道民は記念塔が大好き?

ちなみに、何のために厚別(東)に立ち寄ったかという話ですが、こちらの塔に吸い寄せられたようなものです。
「北海道開拓の村」とはどんなところかなぁ……と思って立ち寄ってみたのですが、時間も中途半端だったので、そのまま引き返しました。

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2011年3月28日月曜日

北海道・東北の旅 2010/夏 (86) 「思い出のヤリキレナイ川」

「三航北国日誌」第 86 回です。86 回もやっていますが、実はまだ 5 日目の内容だったりします(←

めざせモスクワ!じゃなくて、札幌!

というわけで、夕張駅を後にして、次は札幌!を目指します。分水嶺を 400m くらいのトンネルで抜けると、
あとは快適なバイパスをひたすら降りていくだけ、です。

由仁町と言えば……

さて、夕張の西隣の街は「栗山町」です。そして、その「栗山町」の西隣が「由仁町」です。由仁町と言えば……
そう。言わずと知れた(←)「ヤリキレナイ川」です(2010 年 5 月撮影)。河川としてはとても小規模であるにも拘わらず、このような立派な看板が用意されているところに道庁の良心を感じるわけですが……、ところが!
この、絶妙の駐車スペースが、なんとガードレールで封印されてしまいました!(泣) これこそ本当のやり切れない思いです!(←

ヤリキレナイ川のおもひで

ほんの 3 ヶ月前は、こんな風に、
ちょうどおあつらえ向きの駐車スペースになっていたんですが……。これじゃあ本線にはみ出る形で停めるしかないじゃないですか!(停めなければいいと思うよ) 道庁の良心も今は昔です(←

まっすぐな道に気をつけろ!

そんなわけで、まさに「やり切れない」気持ちを胸に、札幌に向かいます。ナビが指示してくれたこちらの道、地図で見てみるとご覧の通り、まっすぐな一本道です。これを北から南に向かったのですが……。


実際は……
なんと、スパ・フランコルシャンの「オー・ルージュ」を彷彿とさせる「壁」が立ちはだかります。そして、坂を登り切った頂点での視界はと言うと、
仮に、数十メートル先にトラクターが走っていたとしても、これじゃあ見えないですね……。

そして、再び下り坂になるのですが、
さりげなくこんな標識が。
「10%」の下り坂です。即ち、10 メートル進むごとに 1 メートル落下するという、そんなレベルでのめちゃくちゃ急な下り坂です。そして、その下り坂の先はと言えば……
そう、まさかの T 字路です。これ、路面が凍結でもした日には大変なことになりますよね。手前に踏み切り板を設けておけばそのままスキージャンプを開催できそうな勢いです。地元の方は十分ご存じなんでしょうけど、土地勘の無い人が迷い込んだら大変なことになるなぁ、と思ったのでした。

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2011年3月27日日曜日

北海道・東北の旅 2010/夏 (85) 「夕張駅ほか」

「三航北国日誌」第 85 回です。新ネタに行こうかと思ったのですが、調子がイマイチなものでして……(すいません)。

お店? それとも工場?

小高いところにでっかい建物があるのですが、これがどうやら「生キャラメル」のお店?みたいですね。

「石炭の歴史村」の歴史

で、視線を 150 度ほど左に動かしてみると、
「石炭の歴史村」が見えてきます。真ん中に見える塔?を拡大するとこんな感じなのですが、
不本意かもしれませんが、錆び加減がとても良い感じになってしまっていますね。

一応、ゲート?にも寄って写真を撮影してきたのですが、
これだと営業中なのかそうでないのか、良くわかりませんね……。

また逢う日まで

「大駐車場」を後にして、夕張駅のほうに戻ります。
また……来るかも知れませんが、その時にはどうなっているのでしょうね。

少し南のほうに戻ると、夕張駅があります。
この道路、2008 年に来た時も工事中で、その時は通行止めだったような記憶があります。

夕張希望の杜

駅のちょっと北側に「夕張医療センター」があります。
ここは、以前は「夕張市立総合病院」という名前だったそうですが、今ではベッド数 19 床の「診療所」になっています。20 床以上だと「病院」になってしまって手続き面でいろいろな違いが出てくる……と聞いたのですが、想像するに維持コストがかなり違ってくるのでしょうね。規模を大幅に縮小した結果、今ではまったく使用していないフロアもあるそうです。

ホテルマウントレースイ

さて、夕張駅前にやってきました。
いつ見ても威圧感のある外観に圧倒されるのですが、これは……夕張駅ではなく、駅前のホテルです。この裏に冷水山のスキー場があるので、冬場は賑わって……いたら良いのですが、実際の所はどうなのでしょうか。

そして夕張駅

で、夕張駅はと言えば、こちらです。
とても小さな建物ですが、この建物の中に「JR 夕張駅」「夕張市観光案内センター」そしてイタリアンカフェダイニング「ルーチェ・ソラーレ」が入っているとのこと。噂の?「ルーチェ・ソラーレ」には、一度足を運んでみたいものです。

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2011年3月26日土曜日

北海道・東北の旅 2010/夏 (84) 「夕張を見て死ね」

「三航北国日誌」第 84 回です。本日はドキュメンタリータッチの内容でお届けします(どこがだ)。

夕張を見て死ね

さて、夕張にやってきました。最初に出迎えるのはこの看板ですが、
今回も華麗にスルーです(←

夕張から札幌に向かおうとする場合、もっとも傾斜が緩やかなのは、夕張川に沿って紅葉山(新夕張)を経由するルートですが、もっとも距離が短いのは、ちょいと一山越えて直接西に向かうルートです。前者は国鉄夕張線(現在は JR 石勝線の夕張支線)のルートで、後者は夕張鉄道(1975 年に廃止)のルートです。
というわけで、左折すればその札幌への最短ルートなんですが、ここはやはり「夕張を見て死ね」という格言(?)通りにしようということで、直進します。

一応、iPhone にもこんなストラップをつけてることですし、ね。
いや、こんなものをつけても何の足しにもならないことくらいは理解しているつもり……ではあります。とりあえず村上智彦先生のメルマガを購読して(無料ですよ)、どんなアクションが必要とされているのかを自問自答する毎日なんですけどね。「頑張れ夕張」という無責任この上ないメッセージではなく、「夕張のことを考えよう」といったメッセージだったら尚良いんですが……。

夕張を跋扈する魑魅魍魎

……話が逸れました。で、まず最初に向かったのがこちら。
……羽柴誠三氏、相変わらず健在のようです。二年前の写真と比べてみましょう。
特に大きな違いは無いですね(←)。「羽柴新党本部」という看板の退色が激しいような感じがしたのですが、天候の違いに依るものかも知れません。

ちなみにこの方、次期夕張市長選では最有力候補のひとりに数えられているのだとか。とりあえず不審火には要注意です(←

地元では経営している温泉等の施設が古びてくると、無人の時に原因不明の火災が起き保険で再建される事が知られており、その疑惑は週刊文春で報じられた。
(Wikipedia 日本語版「羽柴誠三秀吉」より引用)
とまぁ、そういうことなのだそうですが、それよりも……

イオンド大学名誉教授でもある。
(Wikipedia 日本語版「羽柴誠三秀吉」より引用)
マジっすか(笑)。ところで、柏崎さんはお元気なのでしょうか。

石炭より花畑?

……次なる目的地?に向かいます。
はい、これが噂の?「石炭の歴史村」です。

「大駐車場」の料金所があったのですが、閉鎖されているようでしたので、そのまま中に入ります。
どれだけ「大料金所」……じゃなくて「大駐車場」かと言うと、
はい、確かに「大駐車場」です。しかも、「石炭の歴史村」とは反対側に車が固まっています。これ、どうやら「生キャラメル」で有名な「あのお店」があるらしく、そこのお客さんの車のようです。なるほどね……。

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2011年3月25日金曜日

北海道・東北の旅 2010/夏 (83) 「三菱大夕張鉄道 車輌保存地」

「三航北国日誌」第 83 回です。この道はいつか来た道……

三菱大夕張鉄道 車輌保存地

シューパロ湖にて消えゆく「三弦橋」を眺めた後は、夕張の街に向かいます。ここからしばらくは以前にも来たことのある道ですので、安心して進めます。

というわけで、以前に来た時はスルーしたのですが(その時は泊地が「函館」だったので時間に余裕が無かった)、今回は泊地が小樽ということもあって時間もあるので、ちらっと眺めて見ることにしました。
「三菱大夕張鉄道 車輌保存地」とあります。「三菱大夕張鉄道保存会」という会の方々による保存活動、でしょうか。下手に自治体に任せるよりも、こういった組織を立ち上げたほうが何事もうまくいきそうな気がしますね。気がするだけかも知れませんが(資金繰りとか大変でしょうし)。

力強い素敵な字

ここは「南大夕張駅」跡らしいのですが、客車が数輌と、貨車、そして除雪車が保存されています。
それにしても、この駅名標の文字、とても力強い素敵な字ですね。

オールブラック

先頭の除雪車は、なかなかいかつい外見をしていますね(除雪車ですから当然なんですけど)。
国鉄だと、この手の車輌は真っ赤っかに塗られているケースが大半だと思うのですが、こちらは「炭鉱の街」にぴったりな真っ黒なカラーリングです。雨ざらしであるにも拘わらず、黒光りした姿を保っているということは、適宜再塗装の作業が行われているということでしょうか。頭が下がりますねー。

張り紙に注目

このように、きちんとプラットホームも残されているので、雰囲気は「停車中の列車」そのものです。意外と「ホームごと保存」という例は無いような気がします。
で、客車の中に入れるのか? という話ですが……。なにやら張り紙がしてありますね。
もう少し、寄ってみましょう。
なるほど……。では、整備が終わるのを待たせて頂くしかありませんね。それにしても、駅名標の力強い毛筆とは打って変わって、こちらは微笑ましいですね(笑)。

巡る~、巡る季節の中で~

さて、この車輌を見ていて面白い発見をしたのですが、
そう、車輌の定員が季節によって違うのですね。一瞬「冬場は厚着をする人が多いからか」と思ったりもしたのですが、これ、もしかしたら冬場は車内にストーブを置いたから、かもしれませんね。

終了!

では、「南大夕張駅跡」を後にして、清水沢に移動しましょう。

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