2011年11月30日水曜日

隠岐ジオパークの旅 (70) 「『後鳥羽院天皇行在所跡』に見る不都合な史実」

参道……みたいな道を行く

「隠岐神社」(海士町)の隣にひっそりと存在する「後鳥羽天皇行在所跡」を見に行きます。
落ち葉の少なさから、こまめに参道が手入れされていると想像できますね。
石段の手前から、左の方に行けるようです。そこに何があるかと言うと……
こちらです。「後鳥羽天皇火葬塚」とありますね。学校では「承久の乱」の首謀者として「後鳥羽上皇」が隠岐に流された、と習った記憶がありますが、ここの案内板などは一貫して「後鳥羽天皇」とあります。些末なことかもしれませんが、どうしてなんでしょうね。

曰くありげな空間

さて。「──火葬塚」の中に入ることはできない(と思う)ので、来た道を引き返して、石段を上っていきましょう。……お。またなにやら曰くありげな空間が見えてきました。
見た目は教会墓地のような感じですが……
なにやら案内板がありますね。
おお。ここが「行在所跡」なんですね。解説文をきちんと読めるように拡大してみましょう。
後鳥羽天皇は「文武両道に長けた」とも称されているようですが、なるほど、このエピソードはそれを裏付けるようなものですね。歌を詠みつつ刀を鍛えたと言うのですから、なかなか面白いです。

後鳥羽院天皇行在所跡

柵で囲まれた土地の真ん中には……
石碑がぽつんと。拡大してみると……
「後鳥羽院天皇行在所跡」とあります。うーーーん。「後鳥羽天皇」までは百歩譲って(譲りすぎ)アリかなぁー、と思うのですが、「──院天皇」というのには違和感ありまくりです。ここで言う「院」って「上皇」のこと、ですよね?

「皇国史観」における「不都合な史実」

まぁ、「大日本帝国憲法」下で天皇が神格化された時代には、大友皇子に諡号が贈られたり「南朝正統論」なんて考え方もあったわけで、足利尊氏(高氏)が思いっきり「朝敵」扱いだったわけですよね。「武士の分際で朝廷に逆らうとは何事だ」と。

ですから、「皇国史観」の世の中においては、同じく武士の分際で、時の天皇を退位に追い込んで隠岐に流してしまったという歴史も、相当なタブーだったのではないかと考えられます。その辺の「不都合な史実」を、「上皇」を「天皇」と言い換えたりで覆い隠そうとした……といった風にも想像してしまうのですが、どうでしょう……。

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2011年11月29日火曜日

隠岐ジオパークの旅 (69) 「行在所は隣でした」

……あれ?

海士町の「隠岐神社」に参詣して、戻ってきました。……確かに、そこかしこに後鳥羽院の御製を拝見したのですが、行在所の跡なり墓所なりを、まだ見ていません。

あれっ? と思いながら車に戻って走り始めたところ、何のことは無い、すぐ隣にもーっと立派な駐車場などが用意されていたのでした。

案内図あれこれ

まずは、島後でもあちこちで見かけたような気がするこの地図から。
左下で、しっかりとここが「隠岐神社」であることをアピールしています。
「隠岐神社周辺鳥瞰図」なるものもあります。
見やすいように拡大しておきましょう……。
はい。この地図でようやく気づいたのですが、先ほどは隠岐神社の参道をまっすぐ進み、まっすぐ帰ってきました。しかしながら、途中で「後鳥羽天皇行在所跡」に抜ける小径があったらしいのですね。おそらく案内を見落としたのだと思いますが、ちょいと勿体ないことをしてしまいました。

後鳥羽上皇番鍛冶顕彰碑

さ、行在所の跡を見に行きましょう。
この石碑は「後鳥羽上皇番鍛冶顕彰碑」とあります。しっかり見ていなかったので詳細は良くわかりません(←)。ただ、「鍛冶」とあるので、隠岐神社に太刀が多く奉納されていることと何らかの関係があるんでしょうね……。

右側には
「後鳥羽上皇隠岐山陵」と刻まれています。

現代人向けの案内板

現代人向けの案内板もあります。
こちらも拡大しておきましょう。

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2011年11月28日月曜日

隠岐ジオパークの旅 (68) 「ハウツー手水」

隠岐・島前は中ノ島(海士町)の「隠岐神社」の話題を続けます。

柄杓が置いてある所

拝殿に向かって右側ちょと手前には……
えーと、あの、柄杓が置いてある所があります。これって、えーと……、「手水舎(ちょうずや・てみずや)」と言うんですね(あるいは「水盤舎」とも呼ぶのだとか)。

一般的な作法
右手で柄杓を取り、手水を掬う。最初に左手を清め、柄杓を左手に持ち替えて右手を清める。もう一度右手にその柄杓を持ち替え、左の手のひらに少量の水を溜めて(柄杓に直接口をつけない)その水を口に含み、音を立てずにすすいで口を清めた後、左手で口元を隠してそっと吐き出す。そして、柄杓を両手で持ち、やや立てるように傾け、残った水が柄の部分を洗うように流す。柄杓を元の位置に静かに戻す。
(Wikipedia 日本語版「手水舎」より引用)
ふむふむ……。この手の作法はさっぱり解らないので、こういった解説には大変助けられます。

ハウツー手水

そして、隠岐神社の手水舎ですが……
おや? 右の方になにやら書いてありますね。
おおー。【手水の作法】とあります。Wikipedia に書かれているものよりもシンプルにまとめられていていいですね。皆さんもこれを頭にたたき込んで、一度試してみてください(笑)。

帰り道

さて。銅板の寄進も済んだことですので、駐車場へと戻りましょう。
鳥居を裏側から見ると……
「昭和十四年三月一日建之」と刻んであります。昭和 14 年(1939 年)と言えば、既に日中戦争が泥沼化していた時期なので、その場では「なんでこんな時期に鳥居をリニューアルしたんだろう」と思ったのですが、リニューアルではなくてこの時期に神社そのものが創建されたということを後で知りました。

まぁ、真珠湾攻撃が昭和 16 年ですから、国力にはまだまだ余裕があった頃、とも言えるのかも知れませんね。

宮柊二先生隠岐歌碑

来たときには気づかなかったのですが、鳥居の左側(拝殿に向かっては右側)になにやら石碑がありました。
これは何でしょう……?
どうやらこれは、歌人「宮 柊二」の顕彰碑?のようですね。Wikipedia の記載を見る限りでは隠岐の島とのつながりが良く見えないのですが、この碑には次のように記されています。

宮 柊二先生は昭和三十七年・三十九年に隠岐の島を訪れ、計百七十六首の大作を遺された。ここにこの筆蹟をうつして韻を後世に伝える。

うーむ、そうでしたか……。とりあえずお名前を覚えておくようにします(汗)。

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2011年11月27日日曜日

隠岐ジオパークの旅 (67) 「銅板は一枚千円」

銅板は一枚千円です

ではでは、隠岐神社にお参りしましょう。
堂々とした佇まいの門の横には……
輝ける「銅板一枚 千円」の文字が。「創建八十周年記念事業 社殿修復工事」の費用を募っているようですね。そして、門の上には巨大な注連縄も見えます。

比較的新しい神社ならではの

中に入ると……。比較的最近に創建されたこともあってか、すごく整った感じがしますね。建築様式は銅板葺の隠岐造なのだとか。ああ、それで銅板の奉納を募っているわけですね。
さぁ、拝殿でお参りです。

月山源負一奉納刀打初之所

拝殿の周りの広々とした空間には、なにやら変わったものが散見されます。まずはこちら。
「重要無形文化財保持者 月山源負一奉納刀打初之所」とあります。隠岐神社にはたくさんの太刀が奉納されているようですね。何か謂われはあるのでしょうか。

……倉?

これは「刀打初之所」とは反対側……拝殿はほぼ東向きに建っているので、その左側、すなわち北側になるのですが、
倉……ですね。あまり中をじろじろのぞき込むことはしなかったので、何が納められているかは良くわかりません。

社務所にて

社務所に立ち寄ってみました。
記念スタンプがあるようです。神社本庁の「心に旅を。」というポスターもなかなかグッときますね。
あ、社務所では、銅板一枚を奉納してきました。記念に「絵はがきセット」を貰えたので、逆になんだか得した気分になりました(笑)。

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2011年11月26日土曜日

隠岐ジオパークの旅 (66) 「参道をゆく(隠岐神社編)」

参道をゆく(隠岐神社編)

実は「昭和生まれ」だった「隠岐神社」の参道を行きます。

豊かな草花

周りは草花が豊かです。たとえば……これは何でしょうか?
そして、隠岐では冬まで花が残るとも言われる「あじさい」もあります。

土俵もあります

水若酢神社には境内に土俵がありましたが、ここ隠岐神社にも、参道の途中に土俵があります。

いきなり現代風の……

眼前には昔と変わらぬ風景が広がりますが……
もちろん防火・消火の準備も怠り無いようです。

参道をさらにゆく

言われてみれば、いかにも現代的にがっつりと整備された参道を進んでいくと、
ようやく社務所などが見えてきました。
というわけで、つづきます……。

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2011年11月25日金曜日

隠岐ジオパークの旅 (65) 「メタリックな小鳥たち」

句読点が少ない

まずは車を停めて……と。はい、ここが海士町の「隠岐神社」です。
じゃあ、左右を確認して道を渡りましょう……。まずは右端から見てみましょう。
「隠岐神社」と書かれた石柱(……でいいんでしたっけ?)と、その後ろには由来が書かれた案内板があります。
字がつぶれて読めないので、最初の部分をクローズアップしたものをどうぞ。
「江戸初期頃までは片石を置いて標識としたという」とあります。後鳥羽上皇も随分とぞんざいに扱われたものですね。もうちょいと読み進めてみましょう。
「その後江戸末期に至る頃には廟宇は腐朽して雨露のおかすありさまであった」とあります。ただ、その後王政復古がなるとともに天皇が神格化されると時代は変わり……「昭和十四年後鳥羽天皇七百年祭を期に由縁深い聖地に隠岐神社を創建し鎮座祭が執行され、昭和十八年四月県社に列せられた」とあります。それにしてもこの文章、句読点が少ないですね(←)。

いや、句読点が少ないのはどうでもよくて、「隠岐神社」の創建が昭和十四年であることを覚えておけば、期末テストに出ても大丈夫だということですね。

メタリックな小鳥たち

そして、立派な鳥居が鎮座するのですが、
その手前には「車両進入禁止」と書かれた金属製の車止めが。
しかも、更によーく見てみると……
いやー、こういったお茶目な趣向は大好きです!

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2011年11月24日木曜日

隠岐ジオパークの旅 (64) 「スタートで出遅れる」

昨日のあらすじ

えーと、後鳥羽上皇関連のアレコレを見ようと思って「隠岐神社」に向かって車を走らせていたのですが、
運悪く片側交互通行の赤信号に引っかかってしまい、ふと右のほうを見てみたところ「八雲来島百年 愛蘭土大使友好碑」なるものを見つけてしまい万事休す、というのが昨日のあらすじでした。

スタートで出遅れる

約 1 分後、信号が青に変わったのでさぁ出発です……!
おっととと。自転車のお兄さんが華麗なるジャンプスタートを決めてしまいました。
仕方がないので、お兄さんの先導で工事区間を抜けます。

このシャツはいつか見たシャツ

あれ、このお兄さんってもしかして……
内航船でもご一緒でしたね。

とりあえず隠岐神社へ

さて。海沿いの快適な二車線道路を東に向かいます。
ふつーに ENEOS のガソリンスタンドもあったりするのですが、
いつしかセンターラインは失われ……
そして、ほどなく「隠岐神社」に到着です。
見やすいように、拡大しておきましょう。
はい。「大山隠岐国立公園」の一角の「後鳥羽天皇御火葬塚・隠岐神社」とあります。そうか……「御火葬塚」なんて言い方をするんですね。

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