2012年11月30日金曜日

Bojan のホテル探訪~「北海道ホテル」編(おまけ)

朝食会場に向かう途中、エレベーターの前にこんなものが……
この日はゴールデンウィーク最後の土曜日だったんですが、なるほど、これはかち合ってしまうと大変なことになりますね(笑)。

この模様は……!

さて、全体的に「アール・デコ調」のデザインが目を惹くこの「北海道ホテル」ですが、実は外観からして……
こんな感じだったりします。「似て非なるもの」どころか「全く違うもの」なんだ、と自分に言い聞かせてみるものの、どうにも「アイヌ文様」を連想してしまっていけませんね……。これは違いますからね。関係無いですから!

意外と重要なポイント

さて、このホテルはすぐ横に駐車場があって嬉しい限りです。
帯広の某ホテルは駅前のいい立地にあるせいか、駐車場まで少し歩かないといけないんですよね。ここだとそんなに歩かなくてもいいので、荷物が多いときでも安心です(これ、意外と重要なポイント)。

謎めいた遊歩道

そして、駐車場の先に、何やら遊歩道のようなものが……。
確かに、これはどう見ても遊歩道ですね。
なんで遊歩道が気になるのか、という話ですが……。なんとなーく「線路の跡」に思えたのですね。確かに帯広から南に向かう「広尾線」という国鉄の路線があったのですが、広尾線は帯広駅からずーっと南東に向かって走っていて、そのまま札内川を渡っていたので、全く位置関係が合いません。

まぁ、「他人のそら似」のような勘違いだろう……と思ったのですが、ふと「北海道ホテル」の Web サイトを見てみると……。

●昭和41年(1966年)
北海館は帯広市の都市計画に協力し、現在地に移転。ここは北海道絵画の巨匠、能勢眞美が住んでいたところで、東側にはとてっぽ(十勝鉄道)が走り、十勝の原風景ともいえる大きな森が残された場所でした。
あんらま。「十勝鉄道」という軽便鉄道があって、ホテルのすぐ東側を南北に走っていたらしいです。あわてて「国土変遷アーカイブ」でも確認してみましたが、確かにこの遊歩道は「十勝鉄道」の跡そのものでした。
だから何だ?と言えばそれまでなのですが、この手の「近代化遺産」が大好きなもので。昔、鉄道があったということは、当時は人または物の流れがあったということで、この「十勝鉄道」の場合は「甜菜」の輸送が大きなウェイトを占めていたのだとか。甜菜から採れる「糖」と、サトウキビから採れる「糖」にはどんな違いがあるのだろうとか、ワケの分からない方向に話が逸れてしまうのでこの辺で。

こちらは単なる土手です

ちなみに、遊歩道のすぐ西側には……
このような土手というか、築堤のようなものもあります。ぱっと見たところでは、こちらのほうが線路跡っぽく思えるのですが、
当時の空中写真を見たところでは、これは線路の跡ではなくて、ちょっとした防風林っぽいものだったようです。


改めて地図を見てみると、目の前の遊歩道が「おかしい」ことは一目瞭然だったのでした。帯広の街路は「縦・横・斜め」が基本なのに、北海道ホテルの前を南北に通っている道は、明らかに他の街路と向きが違います。なぜこうなってしまったのかは、そこに軽便鉄道が走っていたから、だったわけです。

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2012年11月29日木曜日

Bojan のホテル探訪~「北海道ホテル」編(いったんおしまい)

窓からは「日高山脈」を一望できるという「日高ウイング」のお部屋に泊まっているのですが、
さすがに夜間は一望できないようです。

碁盤の目とか、武田家の陰謀とか

さて、新しい朝がやってきました!
うーん……。あいにくの曇り空なのですが、思った以上に周りが「閑静な住宅街™」なのに驚いてしまいます。

そして、帯広市も他の都市と同様に、基本的には東西南北碁盤の目状に道路が張り巡らされているのですが、この景色からは例外である「斜め」の道路が存在することも確認できますね。街路樹が左奥から右手前に、斜めに並んでいるのが見えるかと思います。右手前に進むと帯広駅に辿り着きます。

バード・ウォッチで朝食を

朝食はガーデンウイングのレストランでいただきます。というわけで……
レストランにやってきました。「バード・ウォッチ・カフェ」という名前の、南向きの明るいレストランです。

朝食はバイキングではなく「洋定食」です。卵料理は「スクランブル・エッグ」「目玉焼き」「オムレツ」の中から選べるのですが、ここはもちろん……
オムレツ一押しです。もはやホテルの善し悪しは朝食のオムレツで決まると言っても過言ではありません(←)。

ただ、この日は伏兵もあらわれました。
パンも自家製らしいのですが、いちごのデニッシュとはなかなか泣かせてくれます。

絶賛発売中

ちなみに、レストラン出口のカウンターには……
ふむふむ。木工品と同じく、売店で絶賛発売中なんですね!

帯広に「音楽の正体」を見た!

素敵な朝食をいただいたので、フロントの前を通って、噂の「ショップ」に行くことにしました。
そこで見かけたのが……
なんと、あの "The Parrots" の公演予定が。「音楽の正体」が懐かしいですねー! 某・超有名バンドとロゴがそっくりじゃないか……というツッコミがあるかもしれませんが、そうなんです。そっくりです。だから Parrots(鸚鵡)なんですね。

で、ショップに行ったのですが、なぜか「ブラッドオレンジ」の 1 リットル瓶をゲットしてきました。全然北海道らしく無いですが……ご容赦くださいませ(笑)。

Ratings

本編はいったんここまで、ということで Rating ですが、「★★★★☆」(四つ星半)ということで! 歴史はあるんだけど古くさくない、という面白いホテルです。また泊まりに行きたいですね。

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2012年11月28日水曜日

Bojan のホテル探訪~「北海道ホテル」編(さらにつづき)

柄にも無く館内をふらっと歩いてから、部屋に戻ります。
1 階から 2 階への階段ですが、手すりも木製の凝ったつくりです。

徹底した「こだわり」

そして、エレベーター前の「お願い」も……
徹底した「こだわり」が感じられていいですね。

というわけで、部屋に戻ってきました。
廊下は至って普通のつくりですが、ワンポイント的に木材があしらわれています。

とっても広い

今回泊まった「スーペリアツイン」、部屋はめちゃくちゃ広いわけでは無いのですが……
その代わりに、バス・トイレがとっても広いです。これはいいことですね。

やっぱりバスタブはこうじゃないと

バスタブもなかなか大きいもので、これだと足を伸ばしきっても平気ですね。
シャンプーはボトルタイプなのが嬉しいですが、水栓がサーモスタット式で無いのが個人的には惜しまれます。
このタイプって、湯量と湯温のコントロールが少々面倒なので……。

狭すぎず、広すぎず

トイレはごくごく一般的なタイプ……だったと思います。
洗面台は機能的なつくりです。
まぁ、普通のツインですし、これだけあれば充分でしょう。

ごくごく一般的な品揃え

アメニティグッズもご覧の通り。ごくごく一般的なものが揃っています。

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2012年11月27日火曜日

Bojan のホテル探訪~「北海道ホテル」編(つづき)

人の多いところは好きではないので、チェックイン後に館内をウロウロしたりすることは滅多に無いのですが……
まぁ、たまには「滅多に無い」ことをしてみようかと(汗)。

ローラ・パーマーは今いずこ

まずはエレベーターホールへ。
この木材に囲まれた感覚、まるで「ツイン・ピークス」に出てきそうですね(古すぎ)。

ロビーがあって

ホテルの 1 階にはロビーがあるのがセオリーですが、
ここのロビーはこんな感じです。何とも洒落てますね。

ロビーの脇には

そして、ロビーの脇には……
おねえさんの姿が……ではなくて、車です!
「1880 年、P. PETERSEN 制作」とあります。デンマーク・ノルウェー系の名前ですが、この Petersen 氏もデンマークの人のようです。「この馬車は当ホテルの挙式で実際に使用されております」とありますね。……あ、車じゃなくて馬車でしたね(汗)。

itanki

ロビーからフロントのほうを眺めます。
フロントは、写真左の青い柱?の向こう側にあります。
そして、フロントの向かい側には……
木工品が展示されています。「ご購入希望の方は SHOP までご来店ください」とありますね。

アール・デコ

1 階の吹き抜けの下にはラウンジがあります。
このホテルのデザインコンセプトはアール・デコ調とのこと。人によって好みは分かれると思いますが、こういった感じのデザインも嫌いじゃ無いですね。

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2012年11月26日月曜日

Bojan のホテル探訪~「北海道ホテル」編

北海道は帯広市にある「北海道ホテル」にやってきました。実に大胆なネーミングですが、なかなかどうして、その雄大なネーミングに恥じない素敵なホテルです。なんと開業は 1899 年なのだとか。現在地に移転してからも 46 年が過ぎようとしています。そして、平成24年11月26日から11月30日までは「全館休館」なのだそうです。よりによってこのタイミングで記事にする羽目になるとは……(汗)。

まずはフロントへ

まずはフロントに向かうのですが……
なかなかユニークなつくりですね。このアーチ、大きさがつかみづらいですが、左のグランドピアノを目安にお考えください(つまり、そんなに高くないです)。

アーチを抜けて、フロントに向かいます。
このホテルは、「ガーデンウイング」と「日高ウイング」という二つのエリアに分かれていて、フロントはちょうど両者の間にあります。

We're proud of...

チェックインを済ませてから、部屋に案内してもらいました。
なんかいつも言ってるような気がしますが、チェックインの後に部屋まで案内してもらえるのは嬉しいものです。別に荷物を運んで欲しいというわけでは無いのですが、部屋まで案内してもらえる=客室に自信を持って宿泊客を案内できる……ような気がしたりします。「お客様の今夜のお部屋はこちらです。どうです、凄いでしょう?」と口にするわけは無いですが、どうせなら内心そう思っているくらいのホテルに泊まってみたいものです。

スーペリアツイン

というわけで、この日のお部屋は「日高ウイング」の「スーペリアツイン」でした。
んまぁ、決して安くはなかったですが、正規料金を考えると半額くらいだったですかねー。カーテンが閉まっていますが、窓の向こうには日高山脈を一望できる……らしいです。

「──ツイン」ですから、もちろんベッドはふたつあります。
サイズはごくごく普通のものですが、木を多用したデザインにぴったりくるものが選ばれていますね。

グリーンカード発見

ベッドとベッドの間には "Green Card" が。
もちろん永住権がもらえるわけではありません(汗)。

ジャストサイズの……

ソファがあって、ベッドがあって、あとはもちろん……
デスクもあります。どれも決して大きいわけでは無いのですが、あまり狭さは感じません。身体が一回り大きい外国の人にはちとつらいかも知れませんが……。

室内アメニティも充実?

テレビの下に、冷蔵庫があります。
持ち込み利用も考慮しつつ、ミネラルウォーター、ソフトドリンク、ビールなどが入っています。今回は「冷蔵庫フリー」特典付きのプランに申し込んだので、これらのドリンク(合計 8 本)は飲み放題だそうです。

デスクの右手にはズボンプレッサーがありましたが、他にも……
「加湿空気清浄機」も用意されています。

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2012年11月25日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (92) 「床潭・奔渡・パラサン岬」

今回は、厚岸町の地名をいくつかご紹介します。

床潭(とこたん)

to-kotan
沼・村
(典拠あり、類型あり)
厚岸湖側ではなく厚岸湾に面した厚岸町南部の地名で、厚岸駅から厚岸大橋を渡ってずーっと南に向かったところにあります。ふー、厚岸ばかりで大変ですね。

「トコタン」という地名は道内各所にありますが、tu-kotan で「廃・村」と解する場合が多いです。もう一つのパターンとして to-kotan で「沼・村」というケースがあるのですが……。「北海道の地名」を見てみましょうか。

 厚岸本町の市街から南に 4 キロ余の処で,厚岸湾口に近い海岸の地名。永田地名解は「トコタン to-kotan(沼・村)。此はトゥコタン即ち廃村の意にあらずとアイヌ云ふ」と書いた。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.54 より引用)
確かに床潭の集落の隣には沼が現存するので、to-kotan で「沼・村」と見て間違いなさそうですね。

奔渡(ぽんと)

pon-to
小さい・沼
(典拠あり、類型あり)
音からは京都の「先斗町」を思い出すような地名ですが、厚岸町の厚岸大橋の南側の地名です。「角川──」(略──)を見てみましょう。

 ぽんと 奔渡 <厚岸町>
古くはホントウといった。釧路地方南東部、厚岸(あつけし)湖西~南岸。湖上に弁天島(蠣島)がある。地名は,アイヌ語のポントー(小沼・子沼の意)に由来し,厚岸湖をポロトー(大沼・親沼の意)と呼んだことに関連する。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1388 より引用)
ふむふむ。pon-to で「小さい・沼」ですか。これまた疑問を差し挟む余地の無い地名のようですね。あ、いや、わざとそんなのを続けたわけでは……(汗)。

ただ、一つ疑問も出てきます。「床潭」には確かにトー(沼)がありましたが、「奔渡」にはトー(沼)の姿が見当たりません。これはどうしたことでしょう……?

かつて御供山西側から湖口に向けて砂州が形成されており(ノテトと称した),その東側が入江となっていて,そこをポントーと読んだのかもしれない
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1388 より引用)
おー、さすが我らの「角川──」です。地図で見た感じだと、山の西側はすっかり港湾に整備されてしまったようで、往年の面影を偲ぶのは難しくなっていますね。このあたりに「子沼」があったということでしょうか。

が,未詳。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1388 より引用)
あう(汗)。

パラサン岬

para-san
広い・棚のような平山
(典拠あり、類型あり)
えーと、厚岸のもともと厚岸だったところ……では訳が分かりませんね(汗)。厚岸町の中心地は厚岸大橋で南北に分断されているのですが、もともとは橋の南側が厚岸の中心地だったそうです。鉄道の駅が北側に出来てから、北側にもいろいろな施設(役場や警察署など)ができたという歴史があるようですが……。

さて、その「南側」の厚岸の、海(厚岸湾)に西面した位置にある岬が「パラサン岬」です。何だか隅々にまで効きそうな地名ですが……(←

更科源蔵さんは次のように記しています。

 厚岸湾に突き出た岬。パラサンとは広い棚という意味だが、野獣をとる平おとしという罠のこともいい、この岬の岩層がそのおとしに似ているので名付けたもの。これがあるので魔物はおそろしくて、厚岸の部落には近よらないともいう。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.270 より引用)
更科流の面目躍如!といった感じの地名解ですね。この方の地名解は「地名説話」に近いものが多いと言われますが、これを見ると確かにそんな感じがします。口伝の民が紡いだ地名ですから、そういった一面があっても良いのでしょうね。

あ、パラサン岬の地名解ですが、para-san で「広い・棚のような平山」と見て良いかと思います。

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2012年11月24日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (91) 「暮帰別・琵琶瀬・散布」

今日も前回に引き続き、浜中町の濃い?地名の数々を見ていきます。

暮帰別(ぼきべつ)

pok-sirar-pet?
ホッキ貝・磯・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
厚岸郡浜中町にある「霧多布大橋」の西岸に位置する地名です。

では、早速まいりましょうか。「角川──」(略──)を見てみましょう。

 ほきしやりべつ ホキシヤリベツ <浜中町>
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1339 より引用)
さすがは浜中町です。相変わらず飛ばしています(謎)。

〔近世〕江戸期から見える地名。東蝦夷地アツケシ場所のうち。釧路地方東部,浜中湾沿岸。キリタップ島対岸の砂浜。地名の由来には,アイヌ語のボキシラリペッ(刺螺のいる潮川の意)による説(北海道蝦夷語地名解)のほか,ポクシラルベッ(しもの岩川の意)による説などがある(浜中町史)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1339 より引用)
えぇと、永田説は pok-sirar-pet で「ホッキ貝・岩礁・川」といったところでしょうか。実は浜中町史の説も pok-sirar-pet なので、音はまったく同じっぽいです。

「角川──」に、まだ続きがありました。

松浦武四郎「初航蝦夷日誌」に「ホキシヤリベツ,川有。深し。船澗也。夷人小屋弐軒。此処秋味よく取る也。出稼多し。此上ニ沼有る也」,同「戊午日誌」に「ホキシラリヘツ,是陸の岬とキイタツフの陸の砂さきと対して有る処なり。其処に一細流れ有……此辺ホツキと云貝多く,其殻簇々として一面の浜となり居るによつて,ホツキの殻が,シラリとは小石原也,其如く成りて有る川と云義のよし也」と見える。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1339 より引用)
なるほど。現在でも貝殻がうずたかく積まれている光景を目にすることがありますが、古くは縄文の時代から「貝塚」なんてものもあったわけですし。

これはやはり pok-sirar-pet で「ホッキ貝・磯・川」と見るべきなのでしょうが、sirar を「小石原」とするのは必ずしも一般的とは言えない(どちらかと言えば「岩」、特に「波に洗われる岩」というニュアンスで語られる場合が多いと認識しています)ため、そこに少しだけ疑問が残ります。

暮帰別の西には巨大な「霧多布湿原」があるので、もしかしたら pok-sar-pet で「ホッキ貝・葦原・川」だったのかな、と思ったりもします。

琵琶瀬(びわせ)

pipa-sey
からす貝・貝殻
(典拠あり、類型あり)
暮帰別の南隣にある集落の名前です。霧多布湿原が海(琵琶瀬湾)と繋がっているところですね。

さぁ、今回も「角川──」()を見てみましょう。

 びわせ 琵琶瀬 <浜中町>
釧路地方東部,太平洋沿岸の琵琶瀬川流域。北西に茶内原野が広がり,東は琵琶瀬湾に面する。沖に嶮暮帰(けんぼつき)島がある。地名は,アイヌ語のピパ・セイ(カラス貝の・貝殻の意)に由来する。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1270 より引用)
ふむふむ。pipa-sey で「からす貝・貝殻」ですね。旧い記録を見ても大きな違いは無いようなので、この解釈で間違いなさそうな感じです。

散布(ちりっぷ)

chiurup??
あさり
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
琵琶瀬から南西に行ったところにある所の地名(群)です。「火散布沼」という大きな沼と「藻散布沼」という小さな沼があり、その周りに「火散布」「藻散布」「丸山散布」「養老散布」といった地名が並んでいます。本当にアイヌ語由来なのか疑わしく思えてしまうのですが……。

今回は、山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょう。

 浜中町大字散布村は琵琶瀬の南隣の土地。散布は永田地名解によれば,アイヌ語のチウルㇷ゚(chiurup あさり貝)から来た名というが,はっきりしない。この大字の中の現在の字名と永田地名解とをそのまま並べると次のようになる。
 火散布〔ひちりっぷ〕シ・チュルㇷ゚(あさりの・大沼)
 藻散布〔もちりっぷ〕モ・チュルㇷ゚(あさりの・小沼)
 渡散布〔わたりちりっぷ〕ワタラ・チュルㇷ゚(岩側の・あさり)
 養老散布〔ようろうちりっぷ〕イオロ・チュルㇷ゚(海中の・あさり)
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.256 より引用)
うーむ。chiurup という単語が辞書では見つからなかったのですが、とりあえず si-chiurup で「大きな・あさり」、mo-chiurup で「小さな・あさり」、watara-chiurup で「海中の岩・あさり」でしょうか。「養老」がちょっとわからないのですが、i-woro-chiurup であれば「それ・水に漬ける・あさり」となりますね。あれ? 「丸山散布」はどうなるのだろ?(←

更科源蔵さんは、「──地名解」にて次のように記しています。

永田氏はチュルㇷ゚はあさりのことであると述べている。この地方ではたしかにあさりはチルップ(われらの掘りだすもの)というが、渡散布のワタラ(海中の岩)や養老散布のイオロ(それをひたすということであるが、エオルであれば山が崖になって水にささっているところをいう)とあさりとの結びつきがきわめて不自然である。散布は鳥川、鳥沼ともとれるが疑問の地名として置く。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.272 より引用)
むー、やはり漠然とした疑問を抱いている人は少なくないようですね。

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2012年11月23日金曜日

道東の旅 2011/春 (174) 「日が暮れてもお約束」

無料でした

道東道の「音更帯広 IC」に着いたのは、18:30 になろうかとしていた頃でした。
通行料は……無料でした。
地方部においてはどんどん行政サービスも希薄化しているので、せめて移動コストくらいは格安にするべき……ですよね。「ただ乗りしている」という発想は個人的にはどうかな……と思います。

日が暮れてもお約束

帯広には IC がたくさんある(音更帯広・芽室帯広・帯広川西)のですが、どれも中心地までびみょうに距離があるのが難点ですね……。音更帯広 IC の開通と同時に整備された(のだと思う)国道 241 号バイパスも、わざわざ中心部から少し離れたところを通っています。
柏林台(はくりんだい)駅のあたりを、南に向かいます。
さぁ、随分と日も暮れてきました。

時代は回る。会議は踊る

この日の宿泊プランは翌朝の朝食のみだったので、とりあえずどこかで夕食を食べないといけません。ということで……
実は帯広に泊まるのはこれが三度目なんですが、毎回夕食には苦労した記憶が(いい加減学習すればいいのに)。この日はなんとか回転寿司のお店を見つけて、そこでがっつりとお寿司をいただいてきたのでした。たかが回転寿司なんですが、口惜しいことに(笑)、やっぱり本州のお店で食べるのとはひと味違いますね……。

Day 4 終了のお知らせ

この日のホテルには 19:40 に到着。
根室から納沙布岬を経由して、主に「北太平洋シーサイドライン」と白糠町「北進」を経由して走行した距離は約 399 km でした。
気がつけば、朝の 8:30 に出発して、到着したのが夜の 19:40。納沙布岬に長時間いたので走行距離は大したこと無いですが、割と長くドライブしたことになりますね。

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