2013年3月31日日曜日

ラスベガスの旅 2011/夏 #73 「親子二代で夢の大ジャンプ」

親子二代で夢の大ジャンプ

さて、気が重くなる話題に 2 週間以上お付き合いいただきましたが、ようやく今日で一段落……です。最後は明るい話題で。
これも Building Atomic Vegas に展示されていたのですが、はい、どこから見てもオフロードバイクです。よーく見ると、カウルに……
Robbie Knievel と書いてあります。

Robbie Knievel はオートバイスタントの名手で、シーザース・パレスの噴水をバイクで飛び越えたのだとか。この話には前説があって、実は Robbie の父親、Evel Knievel が 1967 年にシーザース・パレスの噴水越えをチャレンジしていたのでした。その時はジャンプに失敗して大クラッシュしてしまい、およそ 1 ヶ月近く昏睡状態に陥ってしまったのだそうです。

Evel の息子の Robbie は、22 年後の 1989 年に、父親と同じくシーザース・パレスの噴水をバイクで飛び越えるというチャレンジを行い、ジャンプを無事に成功させたのだとか。親子二代に亘るチャレンジを成功させた……というのは、いかにもアメリカ人が好きそうな話です。ん、日本人も似たようなものかも知れませんけどね。

出口!

さぁ……出口です!
随分と長時間見学していたような感じもしますが、ここまでの所要時間は 2 時間ほどです。相変わらず引っ張りすぎですか……(汗)。

フレモントホテル見張り所?

実は、もう一つ展示?があったのですが……
これは……。Hotel Fremont Lookout Point と書かれた看板とともに、壁に貼られた写真?を眺める男性……の張りぼてがポツンと。Hotel Fremont は実在のカジノホテルなのですが、写真は昔のもの……かも知れませんね。これは一種のジョークと考えていいのかも知れません。

Museum Store とか

さて、メイン展示室の反対側には、Museum Store などがあります。
Museum Store はこちら。
残念ながら写真はありませんが、いろいろと変なものが販売されていました。

Public Reading Room

あとは Public Reading Room と題された部屋がありました。
図書館と言うよりは、もう少し低い年齢層向けの部屋のように思えました。
というわけで、ネバダ州はラスベガス市内にある「核実験博物館」の回は、これにて終了です~!

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2013年3月30日土曜日

きょうの出来事(2013/3/30)

朝の 9 時前に東武浅草駅に行ってみたところ……
ホームは予想外の混雑ぶり。これから乗るのは、東武日光・会津田島行きの快速電車です。予想外の混雑ぶりにビビったのですが、特急も満席だったらしく、特別料金不要で渋滞知らずの快速電車は思った以上に人気があった、ということのようです。

日光から会津若松へ

2 時間 20 分ほどで、終点の東武日光に到着。一旦 Suica で運賃を支払ってから、別の切符を買い直します。次に乗るのは……
右の特急スペーシア……なわけは無く、左側の「AIZU マウントエクスプレス」です。この車両、単なる新潟製のディーゼルカーにしか見えないのですが、中はと言うと……
うぉぉ、さっきまで乗っていた快速電車とは大違いですね。これも特別料金無しで乗車できるというのですから素晴らしいです(もっとも、もともとの普通運賃が結構するのですが(汗))。

車内でお弁当

さて、そろそろお昼なのですが、例によって例の如くお昼ごはんの準備などは全く考えていませんでした。お腹も空いてきたし、どうしよう……と思っていたところ、なんと車内販売のお姉さんが!

ちなみに、厳密には「車内販売もやっているアテンダントのお姉さん」です。要所要所でマイク片手に観光案内までしてくれます。

「お弁当ありますか?」「今すぐお持ちしますねー」ということで、やってきたのがこちら。
うむ。ふたを開けてみると……
何やらいい感じです。「幕の内弁当」はあんまり好きじゃ無いのですが、この「松茸二段弁当」は大変おいしくいただけました。まる。

八重たんクイズ!

そんなこんなで弁当を食べながら車窓を眺めていたところ……。アテンダントのお姉さんがクイズの用紙を配ってくれました。「八重たんクイズ」というクイズなのですが……
選択肢が素晴らしいですね。第 1 問は間違える人が多発すると見ました(笑)。

有名な珍名駅「塔のへつり」にもちゃんと停車してきました。

会津若松から新潟へ

2 時間半ほどで、終着の会津若松に到着。一旦、改札横の精算所で運賃を精算してから、別の切符を買い直します(またか)。次に乗るのは……(またかよ
またしても 2 両編成のディーゼルカーです。今度はちょっと古めですが……。

磐越西線の沿線は、一部で雪も残っていましたが……

そして新潟から都内へ

2 時間 35 分ほどで、終着の新津に到着。ここから信越本線に乗り換えて新潟駅まで。ここで一旦改札を出て、別の切符を買い直します(もういいよ)。次に乗るのは……()
すいません。写真撮ってませんでした。ふつーの上越新幹線に乗って、都内まで帰ってきたのでした。これまた 2 時間 15 分ほどかけて。

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2013年3月29日金曜日

ラスベガスの旅 2011/夏 #72 「でかっ!」

でかっ!

さて、Building Atomic Vegas の展示もあと少し!というところまでやってきました。
次に出てきたのが、巨大な爆弾と、何やら疑問を抱いている人々の姿です。
手前の女性が何を思っていたかと言うと……
ネバダ実験場における「反核運動」についてです。

Building Atomic Vegas の展示は、1950s、1960s そして主題が曖昧だった 1970s と続いていたのですが、これが果たして 1980s に相当するかと言うと……ちょっと違うような感じもします。「反核運動」は、もっと昔から綿々と存在していたでしょうから。

ピース! ピース!

爆弾の後ろには、ちょっと懐かしい感じのする写真が貼られていました。The Greatest Radioactive Snow on Earth という皮肉の効いた横断幕が見えます。
時期的には、ベトナム戦争が泥沼化して厭戦気分が高揚した、1970 年代初頭の写真じゃないかなぁ……と思うのですが、いかがでしょうか。

ポスターの手前には、
先ほどの爆弾と、Ban the Bomb というプラカードを掲げた女性、そして毒々しい雲の模型を持った男性の姿が見えます。これは、核開発の負の側面に他ならないのですが、程度はさておき、こういった内容にも場所を割いていることには好感がもてますね。

借用中

ちなみに、この爆弾ですが……
Status: Retired は当然として、この「訓練用爆弾」はアメリカ空軍から借用中なのだそうです。そして気になるスペックですが、なんと重さは約 4 トンもあるのだとか。1 トンの通常爆弾でも相当な威力がある筈なのですが、その 4 倍の質量を持つ核爆弾となると、その威力たるや……想像するのも嫌になりますね。

from the hot cell

何やら不思議な彫像が置いてありました。
この彫像、題名は First Light と言うらしいのですが……。This sculpture is made from the hot cell windows at the plutonium facility in Hanford, Washington. とあります。
Hot Cell というのは、放射線物質の研究で使われるガラスで囲われた一角のことなのですが(直接手で触れられないものを入れて、マジックアームで操作する)、そこで使われていた「窓」が原材料になっている……ということなのでしょうか。え、そんなものを使って大丈夫なの? と不安になりますね……(汗)。

……またか(汗)

そして、この説明の隣には、なぜかこんな掲示が。
曰く、「イランの核兵器開発は、もはや疑いを差し挟む余地が無い」とあるのですが、これは……。今度はイランの話ですが、イラクの「大量破壊兵器」が一体どこに実在したのか、もう少しよーく考えるべきなんじゃないかなぁ、と思わずにはいられません。

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2013年3月28日木曜日

ラスベガスの旅 2011/夏 #71 「Si vis pacem, para bellum」

1970 年代……?

ネバダでの核実験とラスベガスの歴史を時系列で追っている Building Atomic Vegas を見ています。1950s、1960s と見てきて次は 1970s なのですが……
あれ? なにやら展示の雰囲気がコロっと変わりましたね。どうしたことでしょう。
1970 年代というか、厳密には 1969 年のことですが、アメリカはアポロ 11 号で人類を月面に送り込むことに成功しました。これは米ソの威信をかけた対決において、アメリカが久々に完全勝利を収めたことも意味していました。

核実験はアメリカが先行しましたが、その後、人工衛星の打ち上げと有人宇宙飛行では、完全にソ連の後塵を拝していたのでした。

そして、ちと奥のほうにはこんな「着せ替えコーナー」まで。

モハーベの子どもたち

さて、また雰囲気はガラッと変わりまして……
絵です(見ればわかる)。この絵は Mojave Children と題されています。Mojave は「モハーベ砂漠」のことですね。実は、この Mojave Children には「詩」も添えられていました。長くなるので省略しますが……。

Si vis pacem, para bellum

続いてはこちら。何やらたくさんの紙がはり付けてありますが……
たとえば、こんな感じです。
これはユタ州の小学生くらいの子ですね。実験に使われたマネキンの姿に衝撃を受けたようです。

続いては……
ブラジル国旗はカラーリングが独特なので、こういったアピールをする時には便利ですね……。

全体的に、平和を希求するメッセージが多く寄せられていたのですが、中にはこんなものもありました。
これ、ポルトガル語では無く「ラテン語」です。Si vis pacem, para bellum は、日本語にすると「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」となります。いやはや、これは見事ですね。こういった警句がさらっと出せるような人間になりたいものです……。

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2013年3月27日水曜日

ラスベガスの旅 2011/夏 #70 「Building Atomic Vegas」

Building Atomic Vegas

「核実験博物館」にて、お堅い内容の展示を一通り見てきたわけですが、この建物にはもう一つ「展示コーナー」がありました。
というわけで、はじまりはじまり……。

http://www.nationalatomictestingmuseum.org/exhibit-past.aspx によると、この展示は 2012/1/5 で終了したようです。

放射能で巨大化したと言えば

入口には、一枚のポスターが。
これ、説明はありませんが、どう見ても「ゴジラ」ですよね……。今更ながら、その世界的な知名度には驚かされます。

1950 年代

まずは「1950」コーナーから。
Atomic Popculture と題された一角があるのですが、そこには……
……絶句。ちょっと言葉が出てこないですね。

こんなポスターもありました。
当時のラスベガスの風景を描いたものだと思うのですが、これもまた……。

当時、「核兵器」は自国(アメリカ)が世界に冠たる「超大国」であることのシンボルであり、使うものでは無かったにせよ、「大いに見せびらかすもの」だったのだろうなぁ、と感じさせます。

1960 年代

ところが、1960 年代に入ると……
核兵器の独占が早々と崩れ去ったのみならず、大陸間弾道ミサイルの進歩により、アメリカの全域が核攻撃を受ける可能性が出てきてしまいました。核兵器を得意気に見せびらかしていた時代は終わり、キューバ危機などにより核戦争の可能性が現実味を帯びていく中、人々の興味は「いかに核戦争下で生き抜くか」に移っていきます。
「冷戦」による米ソの対立が緊張と緩和を繰り返す中、ネバダでの核実験は粛々と進められますが、
一方で、ラスベガスの街も、劇的な発展を遂げて行くことになります。
たとえば、Casinos Opening in the 1960s(1960 年代にオープンしたカジノ一覧)があるのですが、
この通り。有名な「シーザース・パレス」のほかにも、こんなに沢山ものカジノが「緊張の 1960 年代」にオープンしていたのでした。

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2013年3月26日火曜日

ラスベガスの旅 2011/夏 #69 「崩されたもの」

崩されたもの

Today and Tomorrow と題された展示の続きを見てみます。
今度は、懐かしい破片が出てきました。こちらは崩されたことを皆で祝福したもの……ですね。「ベルリンの壁」の破片のようです。

崩されて喜ばれたものと、崩されたことで激しい怒りを駆り立てたもの。それらが並んでいるというのも、何とも不思議な感じですね。ここに「壁」と WTC の遺構が並べられているのは、冷戦の終結と、それに代わる新たな「敵」の到来を印象づける……ということなのでしょうね。

ちなみに、横から見るとこんな感じです。
意外と、薄いですね……。

募金箱その 1

展示室の片隅には、こんな募金箱が。
寄付金の使途も記されています。
WTC の跡地にこれらの「遺物」を展示するための恒久的な施設を建設するための募金、ということですね。

ご覧のスポンサーの提供でお送りしました

さてさて、ようやく出口が見えてきました。
そして、出口のすぐ手前のところには……
この博物館に寄付をした方々の名前が掲げられています。意外と個人名義で寄付しているケースが多いように思えます。

募金箱その 2

出口を出たところにも、別の募金箱が……。
そして、募金箱の近くには、こんな掲示も。
これは……! かなり色気を感じる寄付のようです(笑)。そして気になったのがメールアドレスと寄付された方のファーストネームにびみょうな違いがあること……。どちらかが誤字で無ければ良いのですが。

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