2014年3月31日月曜日

新日本海フェリー「すいせん」ステートルーム A 乗船記(お部屋編)

船内を一通り巡回して、部屋に戻ってきました。今回の部屋は上から 4 番目のグレードの「ステートルーム」です。ビジネスホテルと比べると、さすがにちょっと狭いかな? と思えますが、圧迫感はありません。
真っ赤なカーテンを開けると……
窓があるのですが、ちょっと面白い形にオフセットされています。この部屋は海沿いでは無い部屋なのですが、中庭のような場所に面した窓があるのですね。で、何故に窓が斜め向きなのかと言えば……
実は、わざわざ斜めの出窓にしてあるのですね。こうすることによって上からの光を取り込みつつ、「中庭」の向かい側にある部屋は見えないようになっているのです。巧みな設計ですね。

まるでビジネスホテルのような

船室は決して広いわけでは無いのですが、十分なサイズのデスクがあります。
デスクの脇には液晶テレビがあり、その下には冷蔵庫もあります。
ハンガー掛けもありますね。

シンプルで無駄の無いつくり

ベッドはシングルサイズです。最近はホテルなんかだと、ツインでも大きなベッドが入っている部屋が多いので、それと比べるとちょっと狭いかなーと思いますが、実用上は特に問題無いサイズです。
ベッドとベッドの間にはランプスタンドが。
エアコンはダイキン製です。自由に設定温度の調節ができるのは助かりますね。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2014年3月30日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (189) 「モソシベツ川・ペンケペッカンロ川・トエナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)

モソシベツ川

mo-{so-us-pet}?
小さな・{総主別川}
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
総主別川の西側で額平川に合流する小支流の名です。音からは mo-so-us-pet、即ち「小さな・総主別川」と考えられるのですが、ところが!

意外や意外、永田地名解には次のように記されています。

Moso ush pe  モソ ウㇱュ ペ  蚋(ウジ)多キ處 鹿死シテ蚋多シ故ニ名ク
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.236 より引用)
……(汗)。ええ、確かに「ウジ」を意味する mosospe という単語があります。「モソㇱペッ」と発音がそっくりですね。これは、永田方正がインフォーマントとのコミュニケーションをミスった(←もはや日本語とは思えない悪文)と考えるべき……なんじゃないでしょうか。

あるいは、最初は単なる言葉遊びだったのが、いつしか「鹿が死んでウジがわいて……」という物語が後付けでできてしまったのでしょうか。そういう話を創作してしまったのであればお茶目な話ですね。

ペンケペッカンロ川

penke-pet-ka-un-ru-o(-nay?)???
川上側の・川・岸・そこに入る・道・そこにある(・川)
(??? = 典拠なし、類型未確認)
額平川の北側を流れる小支流の名前です。「ペッカンロ」とは、一体どういう意味なのでしょう……。

明治期の地図を見てみると、現在の「ペンケペッカンロ川」に相当する位置に「ペッカウント」とあります。これを素直に解釈すると pet-ka-un-to で「川・岸・そこに入る・沼」となりますね。

ただ問題は、流域にそれっぽい沼が見当たらないことです。そして、現在の川名は「ト」ではなくて「ロ」で終わっているのも気になります。

「ペッカンロ」で意味を考えてみると、pet-ka-un-ru-o(-nay) という想像もできるかと思います。これだと「川・岸・そこに入る・道・そこにある(・川)」となります。かなり意味不明な名前に見えますが、ここでは pet を(本流である)額平川、nay を(支流である)ペンケペッカンロ川と考えてください。

地形図を見ると、芽生のあたりの額平川は、山際すれすれのところを通っています(川が崖を浸食しているといった感じでしょうか)。川の南側は段丘状になっているので、現在の道路は南側を通っているのですが、このルートだと総主別川や宿主別川を徒渉しないといけません。

一方で、川の北側は先述の通り山際すれすれのため、ここを歩いて行くのは危険が伴います。その代替ルートとして、(ペンケ)ペッカンロ川は適切だと思われるのです。なので、この谷は ru として利用されたのではないかなぁ、と思うのですが……。

トエナイ川

to-un-nay??
沼・そこに入る・沢
(?? = 典拠なし、類型あり)
トエナイ川。一体何を……(さぁ)。

平取町芽生(めむ)と貫気別(ぬきべつ)の間のあたりで額平川に注ぐ支流の名前です。何だか意味が良くわからないですね。

この「トエナイ川」、明治期の地図にも「トエナイ」とありますが、東西蝦夷山川地理取調図には「トウナイ」とあります。これであれば、to-nay という可能性が出てきますが、あるいは to-un-nay だったのかも知れません。これであれば「沼・そこに入る・沢」となりますね。

それにしても、またしても「沼」ですね……。トエナイ川が額平川に注ぐあたりは少し開けているので、もしかしたら、かつては沼沢地だった時代もあったんじゃないかな……などと。いかがでしょうか。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2014年3月29日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (188) 「江無須志山・宿主別川・総主別川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)

江無須志山(えむすし──)

emus-us-i???
刀・多くある・ところ
(??? = 典拠なし、類型未確認)
平取町芽生(めむ)の「スズラン群生地」の東側にある山の名前です。

「エムスシ」という音を素直に解釈すると、emus-us-i で「刀・多くある・ところ」と考えられそうなのですが、いかがでしょうか。

近くに「チャシコツ」(砦・跡)という地名もあるようなので、戦争の記憶から来た地名かも知れませんし、あるいは江無須志山の尾根が宿志別川に沿って西へと延びているのを刀に見立てたのかも……。このあたりでは割と珍しい地名のような気がするので、興味深いです。

宿主別川(しゅくしゅべつ──)

siki-us-nay??
鬼茅・多くある・沢
sukus-pet??
天気・川
sikutut-us-pet??
エゾネギ・多くある・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
平取町東部、貫気別(ぬきべつ)山の北麓を西流し、芽生のスズラン群生地の少し先で額平川に合流する川の名前です。

ここしばらく、どマイナーな地名ばかり扱っていたので出典すら引用できない体たらくでしたが、今回はソースがございます! しかも複数!

というわけで、まずは更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」から。

 宿主別川(しゅくしゅべつがわ)
 額平川上流の支流。シュクッ・ウㇱ・ぺッでえぞ葱の多い川の意。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.79 より引用)
ふむふむ。sikutut-us-pet で「エゾネギ・多くある・川」という解釈ですね。

一方で、山田秀三さんの「北海道の地名」には次のようにあります。

松浦氏左留日誌は「シユクシベツ。名義は水明くして天気のよき如く何を落てもよく見ゆると云義也。シユクシは天気のよき儀」と書いた(川名シヨクシとあるがシユクシの誤記)。現代流に書けばシュクシ・ペッ(shukush-pet 天気・川)。萱野茂さんは日当たりのよい川だといわれた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.365 より引用)
例によって孫引きですが(すいません)、松浦武四郎sukus-pet で「天気・川」とする記録を残しているのですね。

なお、山田秀三さんはもう一つの説も紹介していました。

 永田地名解が「シキ・ウシ・ナイ shiki-ush-nai。鬼茅・ある・沢」と書いたのはこれだったろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.365 より引用)
うわ……。確かに「ヌカピラ川ノ左支」として記載がありますね。明治期の地図にも「シキウシュナイ」とあるので、当時は pet ではなく nay だと認識されていたようです。この siki-us-nay(「鬼茅・多くある・沢」)説は何故か道庁の「アイヌ語地名リスト」では割愛されているのですが、ぱっと見た感じでは一番尤もらしく思えてきますね……。

総主別川(そうしゅべつ──)

so-us-pet
滝・ある・川
(典拠あり、類型あり)
額平川の支流で、宿主別川と貫気別川の間を流れています。同音の「双珠別川」が占冠村にありますね。由来も同じく so-us-pet で「滝・ある・川」かなぁ、と思うのですが……。

山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょう。

総主別川 そうしゅべつがわ
 額平川の南支流の名。ここは現地を知らないがソ・ウㇱ・ペッ(so-ush-pet 滝が・ある・川)であったろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.365 より引用)
やはり、そう解釈するしか無いですよね。so-us-pet で「滝・ある・川」と見るべきなのでしょう。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2014年3月28日金曜日

新日本海フェリー「すいせん」ステートルーム A 乗船記(まだ続くよ)

新日本海フェリーの新型「すいせん」の船内をくまなく?見て回ります。まずは案内所をチラ見しつつ、6F に移動します。

スポーツルーム

まずはこちらの「スポーツルーム」から。
フィットネスクラブにありそうな運動器具が 3~4 台ほど並んでいます。利用は無料とのこと。ちなみに以前の「すいせん」にも似たような名前の部屋があって、そこには「エアホッケー」なんかがあったのですが、エアホッケーの代わりに
卓球台がありました。何の変哲も無い卓球台ですが、ちゃんとワイヤーで固定してあるのが流石です。ラケットとピンポン球は案内所で借りる形でしょうね、きっと。

大浴場・露天風呂・サウナ

スポーツ以外にも汗を流す場所が用意されています。
「大浴場・露天風呂・サウナ」とあります。入口はご覧の通り、そのまんまです。

コンファレンスルーム

船の中央あたり(窓が無い)にはこんな部屋が。
「コンファレンスルーム」という名前なのですが、要するにビデオルームと考えれば良いようです。
一番退屈する時間帯であろう、午後に映画を二本上映するようですね。ちなみに午前中の「ビンゴゲーム」は別の場所で行われます。

ゲームルーム

ヒマつぶし用の場所はもう一つあります。スロットマシンなどのゲーム機が並ぶこの場所は……
その名も「ゲームルーム」。
昔は「ゲームセンター」と言えば若者が屯していたものですが、スロットマシンと向かい合っているのは中高年の方が多いようです。

さぁ、これで 7 割くらいは回れたと思うので、いい加減部屋に戻ることにしましょう。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2014年3月27日木曜日

新日本海フェリー「すいせん」ステートルーム A 乗船記(更につづき)

苫小牧(東港)と敦賀を結ぶ新日本海フェリーの新型「すいせん」の話題を続けます。

リーズナブルな「ツーリスト」

4F には、売店や案内所の他に……
「ツーリスト」と呼ばれる、寝台列車で言う「B 寝台」相当の部屋が並んでいます。

自販機コーナー

船内で喉が渇いたり小腹が空いたりした時は、売店に行けば色々と用意されているのですが、売店の営業時間外には……
自販機コーナーに行けば良い、ということですね。
お腹が空いた場合はこちらです。
その名も「カップ麺コーナー」。潔いネーミングですね(笑)。

キッズルーム

暇を持て余した神々……じゃなくて小さなお子様連れにはこちら。
「キッズルーム」です。保育所や幼稚園にあるような小型の遊具が置いてあった……ような気がします。
はい。まだまだ続きます……。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2014年3月26日水曜日

新日本海フェリー「すいせん」ステートルーム A 乗船記(つづき)

荷物を部屋に置いて、さっそく船内をウロウロと。「ステートルーム A」は 5F(5 甲板)にあるので、まずは 5F の設備から。
5F のホール部分にやってきました。正面に見えるのが、新日本海フェリーの特徴かも知れない「グリル」です。コース料理が楽しめるレストランですね(要予約)。

スモーキングルーム

では、まずはこちらの施設から。ドアの上に部屋の名前が書いてあるのですが、光量の関係で字が消えてしまっていますね……。
この部屋は「スモーキングルーム」でした。

マッサージコーナー・PC コーナー

続いてはこちらのコーナーですが、左に見えるのはマッサージチェアっぽいですね。
はい、見ての通りですが左側が「マッサージコーナー」、右側が「PC コーナー」でした。

アミューズボックス

この小部屋へのドアは……。って、答が横に書いてありますが、
「アミューズボックス」、要するにカラオケ部屋のようです。

売店

4F に下りると、案内所の隣に売店があります。
案内所のカウンターと売店のレジは繋がっているので、どちらかの人手が足りないときには応援対応できるようになっています。効率を上げるためには至極もっともな設計なんですが、先代の「すいせん」ではこんな構造にはなっていなかったような記憶がうっすらと……。

というわけで、まだまだ続きます(汗)。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2014年3月25日火曜日

新日本海フェリー「すいせん」ステートルーム A 乗船記

「苫小牧」と言いながら実は厚真町にある「苫小牧東港フェリーターミナル」から「敦賀港フェリーターミナル」までは、毎度おなじみ新日本海フェリーでの移動です。「毎度おなじみ」なのになんで記事にしたのかと言うと……
実はこの「すいせん」、2012 年 7 月 1 日に就航した「2 代目」なんです。ですから、この時は就航してから 2 ヶ月ちょいしか経っていない「新造船」だったのですね。

車両甲板 → 案内所

というわけなので、久しぶりにちゃんと写真を撮ってきました。まずは 1 甲板の写真から……(いらんやろ)。
新型「すいせん」は、従来型と同様、1 甲板・2 甲板・3 甲板が車両甲板で、4 甲板・5 甲板・6 甲板が客室になっています。この時車を停めたのが 1 甲板で、案内所(ホテルのフロントに相当)は 4 甲板なので……
つい楽をして、エレベーターに乗ってしまいました。

案内所にてキーの受け取り

案内所では、食事の時間のアレンジと部屋の鍵の受け取りを行います。鍵がなんとですね……
磁気式のカードキーになってました(汗)。いや、今まではこんな形のふつーのシリンダーキーだったんです。

案内所 → 部屋

キャリーバッグ片手に向かったのは……
スイートルーム……じゃなくて、「ステートルーム A」というお部屋。この「すいせん」では上から 4 番目のグレードの部屋です。

従来型では「スイートルーム」「デラックスルーム」の次になるのですが、新型の「すいせん」「すずらん」には「ジュニアスイートルーム」というグレードが新設されたので、「ステートルーム」は 4 番目のグレードになりました。

まずは荷物を置いて……出港する前に船内の探索に出かけましょう。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2014年3月24日月曜日

利尻・礼文の旅 2012/夏 (228) 「厚真にあっても『苫小牧』」

前回までのあらすじ

えーと、前回は確かこんな問題を出して終わっていたと思います。

ここはフェリーターミナルのすぐ近くなのですが、前方に「あるもの」が見えてきました。これ、何だかわかりますか?
……さすがにこれじゃあ訳がわからないですよね。では、第二ヒントです(まだやるのか)。
はい。是非当ててみてください!

東京ドイツ村

さぁ。「あるもの」を通り過ぎると、前方にフェリーが見えてきました。
はい。新日本海フェリーの「苫小牧ターミナル」に到着です。……「苫小牧──」と主張していますが、実際には苫小牧市の東隣にある厚真町にあるんですけどね。

Day 6 リザルト

敦賀行きフェリーの出港は 23:30 ですから、22:30 までにターミナルに到着すれば良かったのですが、ちょっと保険をかけたこともあって……
到着したのは 2 時間 20 分前の 21:10 でした。さすがは北海道、スピードをキープしやすい道が多いですからね……。ちなみに Day 6 の走行距離は……
345.4 km でした。この日はずーっと誰かと会っていたような気がするのですが、その割にはそこそこの距離を走っていましたね。不思議なこともあるものです。あ、今回はガソリンがほぼハーフタンク近く残っているので、最後の 180 km のスパート(敦賀港から自宅まで)も問題無くいけそうですね。

ご記憶の方もいらっしゃるかも知れませんが、以前に小樽から舞鶴に向かった時に、燃料が殆ど残っていなくてガス欠寸前になったことがありました。高速道でずーっと 80 km/h をキープしたりしてギリギリ帰ってきましたが……。残り 3 リットルを切っていた筈です。

まだ乗船前ですが、船から下りたときのことを考えてカーナビに翌日のゴールを設定しておきます。
目的地まで 1,410 km で所要時間は 23 時間 57 分。フェリーでの所要時間と大差ないのが笑えますね(フェリー経由の方が 1 時間ほど早い)。

「1 甲板」の罠

で、それなりに早く到着したので、こんな結果となりました。
「1 甲板」という、要するに船底のエリアに車を置くことになりました。ここって出口のスロープが塞がれる(スロープの直上にトラックが止まったりする)ので下船がちょっと遅くなるのですが……。まぁ、仕方ないですね。

22 時 25 分頃(さっきのチラシに書かれた時間から 10 分ほど押していますね)、ようやく乗船です。
グランドレベルにあるのは「2 甲板」なのですが、そこから船員さんに誘導されて「1 甲板」へ。スロープ上部の屋根が最終的には蓋になる構造です。
船員さんの誘導通りに車を停めます。……さすが、余分なスペースは殆どなくカツカツです(笑)。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International