2014年5月31日土曜日

道東の旅 2013/春 (12) 「余白が多い」

余白が多い

さて、旧・京北町で「白いファミリーマート」を見かけた、というのは昨日の記事の通りなのですが……
このような、「周りが白いコスモ石油」も見つかりました。何なんでしょうこれは。
更に進んでいくと……おっ、また見つかりました。
今度は「周りが白い ENEOS」です。これも例の景観条例がらみなんでしょうかね……?

謎の「丹波マンガン記念館」

そして、何やら面白そうなものを見つけてしまいました。
「丹波マンガン記念館」なるものがある……みたいですね。それにしても、この味わいのある字体が何ともいい感じです。ワープロの文字をそのまま拡大したようにも見えますが、それにしては「ン」の字や「記」の字のバランスが妙に悪いような……。そもそも「マンガンを記念する」という表現自体が「びみょうにおかしい」のですが、いやいや、これは気になりますよね。

路傍の謎の物体

残念ながら、この日はもう遅かったので、「丹波マンガン記念館」には立ち寄らずにそのまま直進しました。旧・京北町から旧・美山町に抜ける深見トンネルに向かっていたところ、またしても路傍になにやら妙なものが。
何……ですかね、これは(ボートかな?)。

普通の ENEOS

深見トンネルを抜けて旧・美山町に入りました(現・南丹市)。目の前に割と大きめの橋が見えてきましたが、ここで由良川を渡るようです。日本海側の流域に入ったことになりますね。
そして、橋を渡ったところで ENEOS を発見。
あー、美山の ENEOS は普通の ENEOS でしたね。となるとやはり、「周りが白い ENEOS」は京都市の景観条例がらみなんでしょうか。

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2014年5月30日金曜日

道東の旅 2013/春 (11) 「旧道となった栗尾峠」

周山街道をゆく

京都から敦賀に向かうために、周山街道を北へと進みます。
このあたりは北山杉の産地なんですね。

かつての京北町

笠峠を抜けて右京区に入りました。このあたりはかつての「京北町」ですね。市町村合併で京都市に吸収されたのですが、区として残ることも適わず、なんと右京区に組み込まれてしまいました。
右京区役所との間には愛宕山や高雄山が聳えているため、一旦北区に入らないと区役所まで行くことができません。

栗尾峠も旧道に

笠峠を 1 km ほどのトンネルで抜けたところですが、今度は栗尾峠を越えます。
栗尾峠は、いかにも周山街道らしい、2 車線ギリギリの道幅と細かいカーブが続く(但しヘアピンカーブと呼べるものはそれほど多くない)道でした。特に大型車がスピードダウンを求められる道でしたが、ようやく昨年末に「京北トンネル」(2,313 m)が開通したため、このあたりは通る必要がなくなりました。
2,313 m のトンネルは、京都市が管理する最長のトンネルなのだそうです。

というわけで、このあたりは現在は「旧道」の扱いになるのですが、そうなったらそうなったで少々寂しいものもありますね。
確かに狭隘でカーブもきついのですが、もう路上にせり出した葉桜を見ることも無いのだなぁ……と思ったりもします。

白いファミリーマート

かつての「京北町」の中心地が近づいてきました。左には「白いファミリーマート」も見えますね。……これももしかして、京都市に吸収された関係で景観条例がどーのこーのという話なんでしょうか(汗)。
それにしても、これはドライバーを混乱させる青看板ですね……(但し、とても正確な書き方でもあります)。まぁ、素直にまっすぐ行けばいいだけなんですが。
18 時 20 分を過ぎました。さすがに随分暗くなってきましたね。

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2014年5月29日木曜日

道東の旅 2013/春 (10) 「現代日本における漫画文化のルーツ」

鳴滝のあたり

福王子からは、国道 162 号を北へと向かいます。しばらくの間、昔ながらの住宅街が続きます。
小浜、即ち日本海側までは 92 km の道のりです。
外気温は 14 度とのこと。暑くもなく寒くもなく、ちょうどいい感じですね。

京都市内最速

「京都市内最速」との呼び声も高い西日本 JR バスが停まっています。前の車について、前に出ることにしましょう。
このあたりの国道 162 号は「周山街道」と言うのですが、山肌が迫っている箇所が多く、日々改良工事が続けられています。
片側交互通行を抜けた先には、またしても JR バスが停まっていました。

現代日本における漫画文化のルーツ

周山街道で最初の峠となる御経坂峠(みきょうざか──)を越えると高雄(たかお)に到着です。神護寺なんかが有名ですね。

そして、ここから 7~800 m ほど先には「鳥獣戯画」で名高い栂尾山高山寺がああります。国宝の「鳥獣戯画」について、Wikipedia の記載を見ておきましょうか。

紙本墨画鳥獣人物戯画 4巻 - 甲乙丙丁の4巻からなる絵巻。すべて墨画で彩色はない。また、普通の絵巻のように絵と詞(ことば)が交互に現われる形式ではなく、絵のみで構成される。甲巻は兎、蛙、猿などの動物を擬人化したもので、4巻の中でもっともよく知られる。
(Wikipedia 日本語版「高山寺」より引用)
ふむふむ。

制作年代は甲・乙巻が平安末期、丙・丁巻は鎌倉時代と推定される。制作事情、主題等については諸説あるが、特に甲巻のユーモラスな動物戯画は秀逸で、現代日本の漫画文化のルーツとも見なされる。
(Wikipedia 日本語版「高山寺」より引用)
ああ! そう言われてみれば、あれは確かに「漫画」形態ですよね。「鳥獣戯画」が日本の漫画のルーツだというのは気がつきませんでした。

ちと残念なお知らせ

そんな「鳥獣戯画」で有名な高山寺(こうざんじ)ですが、

甲・丙巻が東京国立博物館、乙・丁巻が京都国立博物館に寄託されており、寺で見られるのは模本である。
(Wikipedia 日本語版「高山寺」より引用)
あーらら。なんと現地で見ることができるのはイミテーションなんですね……。そしてもう一つ、四条烏丸から出ている京都市バス(8 系統)は高雄が終点で、高山寺のある栂尾(とがのお)までは行きません(1km も無いので、歩ける距離ではあるのですが)。ここから先は西日本 JR バスの独擅場(どくせんじょう)となります。

周山街道は改良工事中

ところどころ、センターラインはあるものの、大型車のすれ違いには気を遣わないといけないレベルの幅になってきました。
周山街道は大規模な改良工事が進んでいて、この「杉の里トンネル」なんかもその一つです。よーく見ると、トンネル入口の直上に旧道のガードレールがあることがわかります。

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2014年5月28日水曜日

道東の旅 2013/春 (9) 「神社、神社、神社、寺、寺、神社」

天神さんからわら天へ

京都市内で随分と時間を潰してしまいましたが、ようやく脱出に向けて動き始めました。まずは天神さん(北野天満宮)の前を通り過ぎ北野白梅町へ……
再び西大路通を北上して平野神社の前を通って……
わら天(わら天神前)で馬代通へ。JR バスとすれ違います。ちなみにこの「わら天」、正式には「敷地神社」と言うのだそうですね(今知った)。
ちなみに、京都駅から立命館大学に行くにはバスに乗るしか無いのですが、数ある市バスが軒並み 40 分以上かかるのに比べて、西日本 JR バスは 30 分台で走りきることが多く、「最速」の名をほしいままにしていたりします。確かに、実際に乗車してみても、走りのアグレッシブさが明らかに違うのが面白いです。

竜安寺と仁和寺を通り過ぎ

衣笠山の麓にある立命館大学のあたりからは、通称「観光道路」と呼ばれる道が続きます。
竜安寺前を通り過ぎ……
続いては仁和寺の前を通ります。
この門は……「二王門」と言うのですね(今知った)。寛永年間(1624-1644)に建立したものだそうです。
この「観光道路」では、MK グループのガソリンスタンドがありました。色々と手広くやってますね……。

福王子神社へ

福王子神社の近くにやってきました。ここで右折して国道 162 号線に合流します。
実は、五条天神川の交差点を素直に左折していたら、そのままこの福王子に出ていたのですけどね(汗)。

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2014年5月27日火曜日

道東の旅 2013/春 (8) 「京の街路に歴史あり」

ジュリー(沢田研二のほう)

ふらふら~っと銀閣寺のほうにやってきてしまいましたが、右折して、白川通を南下していきましょう。
確かこの辺に、ジュリー(沢田研二のほう)の実家があるんですよね。そうそう、京都で「ジュリー」と言えば「河原町のジュリー」という有名な方もいらっしゃいました。
その後は丸太町通を西へ。同じメーカーの車を見つけるとつい嬉しくなってしまいます。

街路の「格付け」

御所(京都御所)の南側で信号待ちです。
ご存じの通り、京都の中心部の道路は碁盤の目状になっていて、交差点は通りと通りの名前を掛け合わせた形で呼ばれます。丸太町通(横の通り)と柳馬場通(縦の通り)が交わる交差点は「丸太町柳馬場」(まるたまちやなぎのばんば)となります。
ところが、丸太町通と烏丸通が交わる交差点では「烏丸丸太町」(からすままるたまち)となります(間違えても「からすまるまるふとるまち」と読んではいけません)。
どちらが前に来るかは、通り自体の「格付け」に左右される……なんて話もありますね。南北を貫く「烏丸通」はかなり「格付け」の高い通りなので、「烏丸御池」「烏丸五条」といった感じで前に来ることが多いのですが、祇園の八坂神社から西に延びる「四条通」には敵わないのか、「四条烏丸」になってしまいます。

もっとも、この「格付け」説も怪しいところがあって、この説で行けば京都市内で一番格の高い通りは「西大路通」になってしまうんですよね。

太極殿の跡

府庁の前を通って、千本丸太町にやってきました。千本通と丸太町通の交差点ですね。
何の変哲も無い、ちょっとしなびた感じの交差点ですが、実はこのあたりに「平安京」の中心地、太極殿がありました。平安京を東西に分ける大通りは「朱雀大路」ですが、これは今の千本通に相当します。

現在の京都駅の真ん前に伸びる道路は「烏丸通」ですが、平安京における烏丸通は「烏丸小路」に過ぎず、実はかなり東の外れだったんですね。

というわけで、その「朱雀大路の」のなれの果てである千本通を北上します(厳密には、このあたりは「内裏跡」の筈なので朱雀大路は通ってなかった筈ですが)。雑然とした町並みですが、後に「西陣」として栄えたあたりですね。
千本今出川の交差点を左折します。おっ、噂をすれば「百万遍」行きの 201 系統のバスの姿が見えますね。

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2014年5月26日月曜日

道東の旅 2013/春 (7) 「賀茂の流れに」

トミー・カイラが懐かしい

金閣寺道から、さらに北に向かいます。
このあたりには、以前はトミー・カイラのショールームがあったんですが、無くなってしまいましたね……。

加茂の流れに

賀茂川の近くにやってきました。「葵祭」の終点として有名かもしれない「上賀茂神社」は、この近くにあります。
あ、カップルが等間隔に並ぶので有名な「鴨川」は、この「賀茂川」の下流にあたります。

法令上はこのあたりも「鴨川」らしいのですが、一般的には「賀茂川」と表記されることが多いです。「加茂川」も間違いとは言い切れないですが、「賀茂川」のほうが多く見かけますね。

となりの……

上賀茂神社に向かう「上賀茂御薗橋」を渡らずに、反対方向の商店街にやってきました。
この商店街こそ、いちぶで何故か有名になった「御薗橋 801 商店街」です。

堀川通

上賀茂御薗橋と堀川通の間はとても短いのに片側一車線で、交通のボトルネックになっていたのですが、ようやく拡幅が完了して片側二車線になりました(地元民以外かなりどうでもいい情報)。
京都市内を南北に貫く幹線道路の一つである堀川通。片側 4~5 車線あるのは防火帯の名残ですが、北大路より北側はちょっと狭くて片側 2 車線です。ただ、街路樹が良く茂っているので雰囲気は良いですね。
まっすぐ行っても世界遺産、右に行っても世界遺産です。

みぶ・百万遍・みぶ

賀茂大橋にやってきました。このあたりで賀茂川と高野川が合流して鴨川に変わります。正面に見えるのが「五山の送り火」の舞台となる大文字山ですね。
「百万遍」の交差点にやってきました。右に見えるのが京大ですね。
ちなみに、新撰組の屯所があったことでも知られる「壬生」から「百万遍」を経由して「壬生」まで一回りする「201 系統」というバスがあります(京都市交通局)。昔は方向幕に「みぶ-百万遍-みぶ」と書かれていたのですが、確かにずーっとぐるぐる回っている感じがして味わい深かったですね(笑)。

百万遍から北白川へ

京大の北側を銀閣寺に向かって進みます。確か、この辺に「天下一品」の本店があったような……。
あー、完全に京都市内観光と化していますね(汗)。はい、個人的に思い出深いところをあちこち回ってしまいました。そのうち京都市内から脱出できると思いますので、もう少しだけお付き合いくださいませ。

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