2014年10月31日金曜日

道東の旅 2013/春 (116) 「美女橋!?」

美幌をバイパスする「美幌バイパス」

国道 39 号を、ほんの少しだけ北西(北見方面)に向かって走ったところ、「美幌バイパス」の道路情報掲示板があったのですが……
残念ながら「北見道路」「開通しました」の文字はありませんでした(← もはやコレクターと化しつつある)。

さて。美幌駅のあたりで恐ろしく遠回りをしている国道 39 号の代わりに、町の北部を綺麗にショートカットしている「美幌バイパス」の入口にやってきました。将来的にはこの道路が「北見道路」と繋がることになる……のでしょうね。
地図をつけておきますと、こんな感じです。こうして見てみると、在来の 39 号は「これでもか!」と言いたくなるほど大回りですね……。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

美幌高野……交差点

美幌バイパスに入りました。起点の「美幌高野」はインターチェンジ構造ではなく、現時点では単なる交差点のような形をしています。
美幌バイパスの全長は 7.9 km で、女満別空港 IC が終点です。北見方面から女満別空港・網走方面に向かうための道路と言えそうですね。

美幌 IC

美幌バイパスは完成 2 車線(だと思う)の自動車専用道路で、制限速度は 70 km/h なのですが……
美幌 IC の前後には追越車線も整備されています。美幌 IC だけは 4 車線構造と言えそうですね。
美幌 IC を過ぎると、追越車線も無くなり……
中央分離帯も存在しない片側 1 車線道路に逆戻りです。

美女橋!?

おやっ、この橋は……?
「美女橋」という名前につい釣られてしまいましたが、残念ながら(?)「みめ橋」と読むとのこと。なるほど、幌と満別の間にあるから……なんでしょうか(それだと「びめ」じゃね? というツッコミもあろうかと想像しますが)。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2014年10月30日木曜日

道東の旅 2013/春 (115) 「地元仕様の案内標識」

丘を駆け上がる

北見東 IC からは、道道 122 号線経由で美幌道路に向かいます。いかにも北海道らしく、まっすぐに伸びた道が丘を駆け上がっていきます。
ちなみに、この交差点を左折すると緋牛内(ひうしない)への近道だったりしますが、今回はパス……です。
丘を登り切ったあたりで、中高生くらいの一団を見かけました。何をしてたんでしょう……?

パラグライダーの街・美幌

その後は山の間をくねくねと走り、再び高さ 50 m ほど(海抜 150 m くらい)の峠を駆け上がると……
美幌町に突入です。まだ結構雪が残ってますね……
さすがに峠の前後はそれなりにカーブが続きますが、
木禽川に沿って走るあたりからはとっても快適な一本道です。この先、道道 122 号線は木檎川沿いを外れて美幌の中心地に向かってしまうので、案内標識に従って左折します。

地元仕様の案内標識

今度は道道ですらない道路ですが、しっかりとセンターラインは確保されています。流石ですね。
やがて信号のある交差点が見えてきました。実はここで国道 39 号と交差しているのですが、「国道 39 号」や「美幌道路」という文字はどこにも無く……(汗)。
網走に行くには右折なのですが、美幌道路の入口は北見寄りにあるので、ここは左折が正解なのでした。というわけで、ここで左折します。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2014年10月29日水曜日

道東の旅 2013/春 (114) 「北見川東 IC~北見東 IC」

北見道路特集(完)

えー、「北見道路特集・完全版」もとうとう最終回と相成りました。

ラストスパートっ

北見川東 IC を過ぎると、北見道路は緩やかな左カーブを描きます。(現時点での)終点の「北見東 IC」まではあと 2 km です。北見中央 IC とは違い、こっちはちゃんと残り 2 km のあたりに立っています。
追越車線が終了するとともに、70 km/h 制限に戻ります。
緩やかな右カーブを抜けると、間もなく「終点」です。このあたりは常呂川の堤防の上に道路が設けられているみたいですね。

北見東 IC

やがて制限速度が 50 km/h となり、赤白のバリケードブロックが本線を塞ぐ形で見えてきました。遠くから見ると、将来本線となる部分は完全にブロックで塞がれているように見えますが、
実はかなり隙間が空いていたりします。
北見道路、これで完走です。

ルック・イースト

さてさて、ここからは網走に向かって進みますまずは国道 39 号に戻って緋牛内を目指すのがセオリーですが、敢えて右折して、ダイレクトに美幌バイパスを目指すことにしました。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2014年10月28日火曜日

道東の旅 2013/春 (113) 「北見中央 IC~北見川東 IC」

今夜も懲りずに北見道路特集

いつの間にか「北見道路特集・完全版」になっちゃってますが……(汗)。

北見中央 IC

北見中央 IC の出口が見えてきました。北見西 IC から数えて 3 つめの IC ですが、IC 番号は「2」です(供用開始が遅れた北見北上 IC は「1-1」)。
北見中央 IC は、一般道との高低差が結構あるため、ちゃんとしたランプウェイが設けられています。

実は「完成 2 車線」でした

流入路との合流が完了すると、すぐ次のトンネルです。これを見ると、将来の拡幅を検討しているようには見えないのですが、それもその筈で、この「北見道路」は、実は「完成 2 車線」で設計されているらしいのですね。

一昨日の記事で「暫定 2 車線」と書いたのは事実誤認による勘違いだったようです。大変失礼しました。
ちなみに、トンネルの名前は「川東トンネル」(913 m)で、
その手前に架かる橋の名前は「シュブシュブナイ川橋」と言うのだそうです。この川の名前も、ちょっと曰くありげな感じですね。

最初で最後の?追越車線

川東トンネルを抜けると……この先は、もうトンネルはありません。
北見道路は 2 車線道路(片側 1 車線)なので 70 km/h 制限なのですが……おっ、前方がちょっと開けてきました。
長さ 1,250 m の追越車線です。これはとても有り難い……筈なのですが、前方に車の姿は全く見当たりません(汗)。

北見川東 IC

追越車線の途中に、謎の流出路がありました(現在の「北見川東 IC」)。
ここも北見北上 IC と同じく、最初から工事が済ませてあるようにしか見えないのですが、これらは「地域活性化インターチェンジ」と呼ばれる仕組みのものだそうです。「地域活性化インターチェンジ」とは耳慣れない名前ですが、建設費用を地方公共団体が負担するインターチェンジなのだとか。なるほど、こんな仕組みもあったのですね……。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2014年10月27日月曜日

道東の旅 2013/春 (112) 「北見北上IC~北見中央IC」

北見道路特集

期待している人は誰もいないような気がする(言い過ぎ)北見道路特集、二日目の今夜は「北見北上 IC」から「北見中央 IC」の特集です。

第 1 南丘トンネル

北見北上 IC を過ぎると、すぐに「第 1 南丘トンネル」(1388 m)に入ります。ちなみに、このトンネルのほぼ直上に「南丘森林公園」(みなみおか──)という公園があるそうです。
第 1 南丘トンネルを抜けると、もう次の「第 2 南丘トンネル」の入口が見えています。

第 2 南丘トンネル

続いては「第 2 南丘トンネル」(472 m)です。このトンネルはそれほど長くないので、もう出口も見えていますね。

謎の「あと 2 km」

第 2 南丘トンネルを抜けると、今度は 500 m ほど先に「北見ヶ丘トンネル」が見えてきます。
「北見中央 IC」までは、あと 2 km とのこと。地図で見るとどう見ても 2 km 無いように見えるのですが……。

北見ヶ丘トンネル

「北見ヶ丘橋」という橋を渡って……
「北見ヶ丘トンネル」(697 m)に入ります。
北見ヶ丘トンネルの途中に、「北見中央 IC まで 1 km」の案内表示がありました。

寺の沢トンネル

北見ヶ丘トンネルを出でから 200 m ほど走ると、すぐに次の「寺の沢トンネル」(413 m)です。北見中央 IC まで 600 m とありますが、これはほぼ正確な数値のように見えますね。
「北見中央 IC まで 2 km」の場所は、「第 1 南丘」と「第 2 南丘」のあたりのように思えるのですが、トンネルとトンネルの間の明かり区間だと見落としの危険性が高いと判断したのでしょうか。ただ、IC によっては「──まで 1.5 km」という案内表示を出しているケースもあるので、なんでそうしなかったのかなー……と(もしかして、土壇場で表示の場所を変えたとかなんでしょうか)。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2014年10月26日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (224) 「シブノツナイ湖・コムケ湖・ヤッシュシナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

シブノツナイ湖

supun-ot-nay
ウグイ・多くいる・川

(典拠あり、類型あり)
湧別町と紋別市の境界にある海沿いの湖の名前です。サロマ湖などと同じく砂嘴で形成された湖だと思います。

シブノツナイ湖にはいくつかの川が注いでいますが、その中でもっとも長いのが「シブノツナイ川」です。湖の近くには「信部内」(しぶない)という集落があり、シブノツナイ川の上流には「志文」(しぶん)という集落があります。

シブノツナイですが、supun-ot-nay で「ウグイ・多くいる・川」だと考えられます。「信部内」と「志文」は、それぞれ「シブノツナイ」から派生した地名……なのでしょうね。

面白いのが、古い地図には湖の名前として「シユプノットー」あるいは「シユフントウ」と書いてあり、川の名前として「シュプノッナイ」あるいは「シユフヌツナイ」と書かれていることです。「シユプノットー」は supun-ot-to で「ウグイ・多くいる・湖」となるのですが、いつの間にか川の名前で湖の名前が置き換えられてしまいました。

アイヌ語地名では湖に固有の名前をつけることが珍しかったのですが、このあたりはいくつも湖があったので、きちんと固有の名前が使われていたようですね。

コムケ湖

komke-to
曲がっている・湖

(典拠あり、類型あり)
シブノツナイ湖の西隣にある湖の名前です。のっけから余談ですが、シブノツナイ湖とコムケ湖の間にかつての紋別空港がありました(現在は紋別寄りに移転)。

コムケ湖の西側に、国鉄名寄本線の「小向」(こむかい)駅がありました。何か匂いませんか? ということで「北海道駅名の起源」から。

  小 向(こむかい)
所在地 紋別市
開 駅 大正10年3月25日
起 源 アイヌ語の「コムケ・ト」(曲がっている沼)から出たもので、駅のオホーツク海岸から沼ノ上駅の間に、長く曲がってつづくコムケ沼についた名である。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.197 より引用)
どうやら「コムケ湖」の元となった「コムケ・トー」の「コムケ」に「小向」という字を当てた結果、「こむかい」と読むようになってしまった、という話のようですね。

komke-to は「曲がっている・湖」という意味でした。確かにお隣のシブノツナイ湖と比べると随分といびつな形をしています。これを「曲がっている」と呼んだ、ということなのでしょうね。komke知里さんの「地名アイヌ語小辞典」にも出てくるような語彙なのですが、意外と目にする機会が少ないのが不思議な感じがします。

ヤッシュシナイ川

yas-ya-us-nay
すくい網・多くある・川

(典拠あり、類型あり)
紋別市小向と紋別空港の間を流れている川の名前です。ヤッシュシナイ川の上流には「八十士」と書いて「やそし」と読む集落もあるそうで……。

では、まずは「角川──」(略──)を見てみましょうか。

 やそし 八十士 <紋別市>
古くはヤシュシ・ヤシコシともいった。網走地方北西部,ヤッシュウシナイ川流域。地名はアイヌ語のヤッシュウシ(網場の意)に由来する(北海道蝦夷語地名
解)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1549 より引用)
確かに東西蝦夷山川地理取調図には「ヤシコシ」とありますね。明治期の地形図には「ヤッシュウシトー」とあります。これは川を指したものではなく、河口部の湿地帯の名前として記録されていたと考えるのが自然でしょう(「トー」は「沼」なので)。

実際に 1980 年代の「土地利用図」を見てみると、ヤッシュシナイ川の河口部に「ヤソシ沼」という沼の存在が描かれています。それどころか川の名前自体が「ヤソシ川」とされています。八十士という地名に合わせたのでしょうが、いつの間にか「ヤッシュシナイ川」と中途半端に復元されているのが何とも言えませんね。

さて、このように名前がコロコロと入れ替わっている「ヤッシュシナイ川」ですが、永田地名解にもあるように、yas-ya-us-nay で「すくい網・多くある・川」と解釈できそうです。

このあたりは「シュプントー」(ウグイ・多くいる・湖)や「チェプンナイ」(魚・そこにいる・川)といった地名が多く見られるので、その漁業資源が豊かだったことを思わせますね。現在はどんな感じなのでしょうか。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2014年10月25日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (223) 「テイネイ・登栄床・湧別」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

テイネイ

teyne-i
どろどろしている・ところ

(典拠あり、類型多数)
湧別町の地名で、サロマ湖の西端部に面しています。テイネイ集落の南側には「テイネ川」という川もあり……あっ(汗)

……ネタバレ感たっぷりですが、しれっと続けます。では山田秀三さんの「北海道の地名」から。

テイネ川の川口の辺が低湿地になっているのでテイネ・イ(teine-i 濡れている・処)と呼ばれたのであろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.189 より引用)
あー、やっぱり……。teyne-i で「どろどろしている・ところ」なのでしょうね。「あれ、どこかで聞いたことがある」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、

札幌の手稲と同じような名である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.189 より引用)
ということです。かなり「そのまんま」な感じの地名でした(汗)。

登栄床(とえとこ)

to-etok
湖・奥

(典拠あり、類型あり)
サロマ湖を形成する砂嘴は 1929 年に開削された「永久湖口」によって分断されていますが、永久湖口の西側に位置する集落が「登栄床」です。これはひじょーに分かりやすい地名で、to-etok で「湖・奥」という意味ですね。

現在の登栄床は、永久湖口ができたおかげで「砂嘴の奥」とも言うべき場所なのですが、昔の湖口ははるか東側の「鐺沸」(常呂町)にありました。ですから、登栄床は常呂町のトー・プッから見て「湖の奥」と呼べる場所だった、ということになりますね。

おまけ

明治期の地図によると、現在「登栄床」と呼ばれているあたりは、当時は「トクセイ」と呼ばれていたようです(「トーエトコ」は「トクセイ」の西側で、むしろ現在のテイネイに近いあたりだったように見受けられます)。「トクセイ」は tokse-i で「突起している・ところ」ではないかと考えられます。

あと、永久湖口のあたりは「チㇷ゚カルウシ」と呼ばれていたようですが、これは chip-kar-us-i (「舟・作る・いつもする・所」)ではなく chip-kari-us-i (「舟・担いで越す・いつもする・所」)と見るべきなのでしょうね。これは、サロマ湖からオホーツク海に舟を出すために、舟を担いで砂嘴を越える場所だった、ということなのでしょう。つまり、湖口をつくるにはベストな場所だった、ということになりそうです。

湧別(ゆうべつ)

yu-pet?
温泉・川
yupe-ot-i?
チョウザメ・多くいる・ところ
ipe-ot-i?
魚・多くいる・ところ

(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
サロマ湖の西、紋別の東、遠軽の北に位置する町の名前です。かつては国鉄の名寄本線と湧網線が走っていました。ということで「北海道駅名の起源」から。

  湧 別(ゆうべつ)
所在地 (北見国)紋別郡湧別町
開 駅 大正5年11月21日
起 源 湧別川の下流にあるため、もと「下湧別」といっていたが、昭和29年11月10日「下」をとって「湧別」としたものである。「湧別」はアイヌ語の「ユペッ」、すなわち「ユペ・オッ」(カレイサメが多い)から出たといわれているが、「イペオケ」すすなわち「イペ・オッ・イ」(魚の豊富である所)であったと思われる。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.199 より引用)※「イペオケ」は原文ママ
うーん……。「カレイサメ」ってあまり聞かないような気がするのですが……。yupe は、普通は「チョウザメ」と解釈されます。チョウザメは漢字だと「蝶鮫」でカレイは「鰈」。旁が同じなのですが、もしかして意味も同じだったりするのでしょうか?

「イペオケ」は、おそらく「イペオチ」の誤りなんでしょうね。「ケ」と「チ」。確かに似てなくは無いですが……(汗)。当時はワープロなんて便利な物はなかったでしょうから、人によっては崩し字を解読するのも一苦労だったのでしょうね。

……あっ。これ、もしかして原稿に「蝶鮫」とあったのを、編集の人が「蝶」と「鰈」を間違えて「カレイサメ」にしてしまった可能性もありますね。そしてその「カレイサメ」という珍解釈が、今でも Wikipedia 等に引き継がれているという、ちょっと笑えない話なのかも知れません。

と言いますのも……

 湧別(ゆうべつ)
 紋別郡上湧別町や湧別町の湧別は、ここを貫流する湧別川の名からでたもので、アイヌ語のユペ・オッ(蝶鮫が多くいる)からでたというが、この川に蝶鮫がいたという話はきかない。(石狩川、天塩川、十勝川、釧路川には多かった)イペ・オッ・イで魚の豊富な所であると思われる。
更科源蔵さんが、自著「アイヌ語地名解」でこのように記していたのですね。かなりそっくりなので、「北海道駅名の起源」の「湧別駅」の項も更科さんの手になっていたことが想像できます。これは……編集さんがやっちゃった可能性大ですね(汗)。

さて、更科さんは「湧別は yupe-ot-i ではなく ipe-ot-i である」としましたが、山田秀三さんは……

湧別 ゆうべつ
 紋別郡内の川名,町名。湧別川は流長86キロで、有名な地名の多い川であるが,その語義は分からない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.184 より引用)
ふーむ。相変わらず慎重ですね。

古い上原熊次郎地名考は「ユウベツ。ユウとは湯と申事。温泉の川と訳す。此川内に温泉のある故字になすと云ふ」と書いた。当時のアイヌ伝承を聞いて書いたものか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.184 より引用)
おおっと。また新説が飛び出しました。厳密には「旧説」なのですが、yu-pet で「温泉・川」と解釈した、というものですね。

永田地名解は「ユベ yube。鮫。湧別村の原名」と記した。ユベは蝶鮫のことである。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.184 より引用)
ふむふむ。「──駅名の起源」の yupe 説は永田地名解から来ていたのですね。

北海道駅名の起源は昭和25年版まで永田説であったが,同29年版から「イペオチ即ちイペ・オッ・イ(魚・豊富である・所)であったと思われる」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.184 より引用)
なるほど。「──駅名の起源」は元々は永田説を記していたのを、昭和29年版から更科説?に傾いた、ということのようですね。ちなみに昭和29年版には「(蝶鮫・多い)」と記されているので、編集さんやっちゃった疑惑はその後の版で起こった、ということになりますね。

さて、各種の説を並べた山田さんですが、ご自身の見解はと言えば……

古い上原説をもう一度振りかえって検討してみたい。(上流に瀬戸瀬、丸瀬布、白滝等温泉場あり)
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.184 より引用)
むぅ、そう来ましたか……。

yu を「温泉」と解するのは、日本語の「湯」から来ているので、アイヌ語の長ーい歴史から見てみると、比較的最近のことだと思うんですね。特にオホーツク海の沿岸は函館から見てもっとも遠いあたりなので、日本語由来の yu という語彙が入ったのはかなり遅かったんじゃないかと思うのです。もちろん、それだけで yu は違うよと断言はできないのですが、なーんとなく違和感をおぼえるのも事実でして……。

yupe-ot-i(「チョウザメ・多くいる・ところ」)については、更科さんの「この川に蝶鮫がいたという話はきかない」というのが重くのしかかりますね。

となると、消去法で ipe-ot-i(「魚・多くいる・ところ」)となるのかと言うと……「ゆうべつ」と「イペオチ」の語感に結構な違いがあるので、これまた自信が持てなくなりますね。どうしたものでしょう……(汗)。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2014年10月24日金曜日

道東の旅 2013/春 (111) 「北見西IC~北見北上IC」

北見西 IC

ごくいちぶで話題沸騰中(どこでだ)の「北見道路」の話題を続けます。2013 年 5 月時点での「起点」である「北見西 IC」にやってきました。
なんとなく舗装も中途半端だったりするのですが、それはそうとして、歩行者の方が……。もちろん、ここはランプウェイの手前ですから自動車専用では無いのですが、何だかとても意外な感じがするのも事実です。

北見西 IC に到着しました。極々シンプルなダイヤモンド型の IC です。
「北見道路」は、「高速自動車国道に並行する一般国道自動車専用道路」(長いな)として整備されているので、通行料は無料です。従って料金所の設備は最初から考慮されていません。

噂の「北見道路」へ!

というわけで、そのままふつーにランプウェイを駆け上がっていきます。
北見西 IC は現時点での起点ですが、車線区分は既に訓子府からの本線が存在するかのようになっています。もちろん暫定 2 車線なので……
やはり、この先は対面通行ですね。

謎の流入路

「北見──」ならぬ「北上こ道橋」で、道道 27 号北見津別線をオーバークロスします。
北上こ道橋を渡った先に、東向きの流入路・流出路があります。流出路は赤白のブロックで塞がれていなければそのまま出て行けそうな感じになっていますね。ここは現在では「北見北上 IC」という名前で共用されているハーフインターチェンジなのですが、2003 年 5 月時点では未供用でした。
北見北上 IC のナンバリングは「1-1」ですから、当初計画には存在しない IC だったのかな、更に言えば利用低迷による「てこ入れ」だったのかな? と思ったりもしたのですが、これを見た限りでは最初っからハーフ IC として整備されていたようにも見えてしまいますね。

気温は 8 度で路温は 12 度とのこと。内陸部ですが、少し寒さも和らいできた感じでしょうか。良い傾向です。

この先トンネル

さて、ここからは連続トンネル区間です。
このあたりの国道 39 号にはトンネルがひとつも無いにもかかわらず、北見道路がこれほどトンネル続きなのはちょっと不思議な感じもしますが、常呂川の南側にはすぐ山が迫っている関係上、こうするしか無かったのでしょうね。あと、トンネルにしておけば除雪の手間が省けそうな感じもしたりするのですが、実際の所はどうなのでしょうか(手間はさほど変わらないにしても、除雪すべき雪の量は変わってきますよね)。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International