2015年7月31日金曜日

道東の旅 2013/春 (226) 「イトムカ」

北海道きつね村

国道 39 号を石北峠に向かって走ります。「北海道きつね村」という看板が見えてきました。いや、厳密には「北海○きつね村」なんですけどね。
なんとこの「北海道きつね村」、Wikipedia に記事が立っていました(笑)。

概要
旭川市から網走市へ向かう国道39号沿いに位置し、北きつね牧場・温根湯温泉の西に位置している。
(Wikipedia 日本語版「北海道きつね村」より引用)
まぁ、ここまでは良いですよね。

生きたキツネを展示・公開することによって、様々な品種のキツネを見学できる機会を提供するドライブインである。広く囲われた白樺の人工林の中にキツネやトナカイが放牧されており、動物には直接触れられるようになっていて、別のケージでは様々な品種のキツネ、ミンクが一度に見学できる。
(Wikipedia 日本語版「北海道きつね村」より引用)
うわぁ。「生きたキツネを見学できるドライブイン」ですか! いやいやこれは随分とワイルドな感じですねぇ。まるでふつーのドライブインみたいな看板だったのに……あ、ドライブインだからいいのか。

マルチリンガルな看板

というわけで、「北海道きつね村」も華麗にスルーして(ごめんなさい)、石北峠に向かいます。このあたりは嘗ての留辺蘂町ですが、平成の大合併で北見市と合併してしまいましたので、石北峠までは「北見市」ということになりますね。
これまた随分とマルチリンガルな看板のお見送りですね。多分に社交辞令的なものでしょうが、こういうメッセージもいいですよね。もちろん、また来ます!

謎の鉄塔

林の中の一本道を進みます。
そろそろ山の中……の筈なのに、随分と高い鉄塔が見えますね。火の見櫓にしてはちょっと高すぎますし、アメダスとかか、あるいは無線の中継用アンテナとかでしょうか?

イトムカ

いきなり前方に建物群が見えてきました。そう、ここが嘗て水銀採掘で名を馳せた「イトムカ鉱山」だったところでした。水銀の採掘は既に終了していますが、現在は水銀の再処理工場として操業が続けられています。
国道からほど近いところに「イトムカ鉱山発祥の地之碑」があった……らしいのですが、この日はあいにくスケジュールが押していたため泣く泣くスルー。ここは是非とも再訪しておきたいですね。「塩別つるつる温泉」も気になります(笑)。

石北峠 1 合目!

国道 39 号は「恵泉橋」で無加川を越えます。そして 180 度近く方向を変えてからは無加川を離れて、支流のイトムカ川沿いを上ってゆきます。
そして間もなく……ついにやってきました石北峠! 1 合目ではクマさん(?)がお出迎えです。

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2015年7月30日木曜日

道東の旅 2013/春 (225) 「迫り来る蛍光色の看板」

札幌行き特急バス

北見市留辺蘂町温根湯(かつての留辺蘂町温根湯)にやってきました(……あーややこしい!)。集落のメインストリートである国道 39 号は、いつの間にか片側 2 車線にレベルアップしています。
右側車線に停車していた北海道中央バスは、札幌行きの特急バスのようでした。JR 石北本線は線形も良くない上に車両も割と古めで時間がかかるので、バスでも結構勝負ができるのかも知れません。

掲示板の正しい使い方(ぉぃ)

前方の道路情報掲示板は、今回も「(39)石北峠」「路面凍結」「走行注意」でした。下段の表示がおかしいのはご愛嬌ですね。
留辺蘂町大和というところにやってきました。前方に、頂上が雲に隠れていますが、形の良さそうな山が見えますね。あれが「北見富士」でしょうか?
ちなみに撮影ポイントはこのあたりです。

迫り来る蛍光色の看板

しばらく一直線の道が続きましたが、留辺蘂町滝の湯で少し左にカーブしました。ここまでは盆地の雰囲気がありましたが、段々と山が迫ってきましたね。
無加川沿いの道を、石北峠に向かいます。相変わらずカーブの少ない道ですが、少しずつ坂を登ってゆきます。
左折すると置戸町の「常元」というところに行けるみたいです。国道 39 号「北見国道」は旭川まで 117 km、層雲峡まで 50 km、石北峠までは 27 km とあります。17 時までには石北峠を越えられそうですね。
再び「北見富士」が見えてきました。標高 1291 m の山で、独立峰では無さそうなのですが、「北見富士」を名乗るだけあって形の良い山です。
頂上にかかっている雲が無ければよかったんですけどね。そういえば何か道路の上にも……(白々しい
ちなみに撮影ポイントはこのあたりでした。

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2015年7月29日水曜日

道東の旅 2013/春 (224) 「踏切あり」

踏切あり

道道 143 号線の「相内橋」で無加川を渡ります。国道 39 号まではもうすぐですね。
……と思ったら。そう、国道の南側には JR 石北本線が走っていたのでした。「30 m 先」「踏 切 あ り」の看板は、懐かしい蒸気機関車のデザインです。
そして、30 m ほど先にあった踏切の標識は電車タイプでした。道路脇のみならず道路上にも警報機が配置されていますね。かなり立派な踏切です。
踏切を渡ると、すぐに国道 39 号です。左折して留辺蘂(るべしべ)に向かいます。

Go West !

このあたりの国道 39 号は、基本的には片側 1 車線ですが、ところどころ「ゆずり車線」が整備されています。ここは東行きだけ「ゆずり車線」があったところだったでしょうか。西行きは残念ながら 1 車線のみです。
北見市留辺蘂にやってきました。名うての難読地名ですね。

「あの道路」では無かった

前方に道路案内板が見えてきました。これはもしかして……と思ったのですが、「(39)石北峠」「路面凍結」「走行注意」でした。これで一安心です(何がだ)。

温根湯から石北峠へ

旭川まで 136 km、石北峠までは 45 km です。この時点で 16 時を過ぎていたので、これ以上のタイムロスは避けたいところです。
留辺蘂から 7~8 km ほど走ると「温根湯」(おんねゆ)です。アイヌ語の onne から来ているのだと思いますが、これ以上無い良い当て字だと思います。

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2015年7月28日火曜日

道東の旅 2013/春 (223) 「訓子府駅」

訓子府駅

訓子府の中心部にやってきました。このアングルだと空が広く見えますが、意外と大きな町だな……という印象でした。
出光の次の信号を右折すると……前方に駅っぽい建物が見えてきました。
はい。「駅っぽい建物」は、まさしく駅そのものでした。かつての「ふるさと銀河線」の訓子府駅が、そっくりそのまま残されていたのでした。
北海道ちほく高原鉄道「ふるさと銀河線」の駅は、多くが移管後に建て替えられています。この訓子府駅も建て替えられた駅舎の一つなのですが、せっかく立派な駅舎を建てたのに線路が無くなってしまって、ちょっと切ない感じがしますね。

とりあえずまっすぐ道路にしてみた

ということで、未踏市町村だった「訓子府町」を訪れることができたので、国道 39 号に戻ることにします。まずは道道 50 号に戻って……
……道道 143 号線で相内に向かいます。
道道 143 号「北見白糠線」は、いかにも北海道っぽい、多少の高低差なら気にしない道路のようです。まるで江島大橋のようですね。

畑への侵入禁止

台地の上には畑が広がっていました。
そして、何故かこんな看板が。
「畑への侵入禁止」と書かれています。至極当たり前の話なのですが、勝手に畑の中に入る人、あるいは車両がいるということなのでしょうか。畑と空き地の違いくらいは流石にわかるんじゃないかなぁ、と思ったりもするのですが。

何故上目遣い?

台地の下を流れる「訓子府川」を渡って、再び台地を駆け上がったところで、これまた再び北見市に入ります。ラグビーボールを持った玉ねぎのカントリーサインはお馴染みですが、何故上目遣いなのかが気になります。
ちなみに、ここから少し左に行った所に「農道離着陸場」があります。以前に某番組で「人間カーリング」なる企画が行われた場所ですね。結果はかなり残念なものでしたが……(見てたのか)。

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2015年7月27日月曜日

道東の旅 2013/春 (222) 「訓子府町へ」

北見北上 IC ができる前

道道 27 号「北見津別線」を南に向かいます。かつての「津別町営バス」もこの道を走ったのでしょうか。
「北見道路」が見えてきました。現在はこの場所に東行きの「北見北上 IC」ができていますが、開通直後の当時(2013 年 5 月)は IC が未完成でした。今となっては貴重な写真かもしれません。

気合の入り方が違う「北見道路」

津別に向かう道道 27 号はこの先左折ですが、そのまま直進して道道 50 号を訓子府に向かいます。それにしても、どう考えても「北見北上 IC」のほうが道道直結なので便利なのですが、当初の計画では何故か 1 km ほど西側に「北見西 IC」を作ってしまったんですよね……。
というわけで、当時は北見市内あるいは津別町からはどう見ても遠回りになるルートで、北見西 IC が案内されていたのでした。
それにしても、さすがの「北見道路」です。相変わらず気合の入り方が違いますねー(笑)。

凹みすぎ?

その後はちょいと上常呂のセイコーマートへ。お店の写真は撮り忘れたのですが、駐車場の凹み方が凄かったもので……。これは流石に意図的なものでは無いですよね?

道東道は工事中

再び道道 50 号を西に向かいます。前方に立体交差が見えてきましたが、これは工事中の道東道ですね。将来的に北見道路と接続する形となりますが、この辺の建設がかかっているので「北見道路」の通行量を増やしておきたいのでしょうね。
北海道ちほく高原鉄道「ふるさと銀河線」の転換バス(だと思う)が走ってくるのが見えました。鉄道が無くなってしまった以上、今度はバスが無くならないようにしないといけないですね。

そして訓子府町へ

訓子府町に入りました。メロンを模したカントリーサインがなかなか可愛らしいですね(笑)。

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2015年7月26日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (270) 「沼幌・オソベツ川・チョウマナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

沼幌(ぬまほろ)

numa-oro(-pet)?
毛・の所(・川)
(記録あり、類型あり)
標茶町西部の地名(旧地名?)で、近くを「ヌマオロ川」が流れています。このあたりの釧路川の支流では、お隣の「オソベツ川」と並んで長い部類に入るからか、松浦武四郎の「戊午日誌」(1859-1863) にもしっかりと記録されていました。

またしばし下るや右の方小川
     ヌマヲロ
訛りてイマヲロと云。ヌマとは毛髪の事也。ヲロとは在る、または生る等云事也。此川口毛の如き藻有るが故に号しものかと思わる。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.480-481 より引用)
東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「イマラロ」と記録されていたのですが、これで理由がわかった気がします。「イマ」は「ヌマ」が転訛したもので、「ラ」は「ヲ」の誤記だったようです。numa-oro(-pet) で「毛・の所(・川)」と言った感じだったのでしょう。

オソベツ川

osor-kot??1
尻(の形をした)・窪み
esoro-kot???
それに沿って下る・窪み
us-ot-pet??2
入江・多くある・川
o-situ-pet??1
川尻・(大きな)山の走り根・川
(??1 = 記録未確認、類型あり)(??2 = 記録はあるが疑問点あり、類型未確認)(??? = 記録なし、類型未確認)
ヌマオロ川の東側を流れる川の名前です。ややこしいことに、流域の地名は「下オソツベツ」「中オソツベツ」「上オソツベツ」「奥オソツベツ」と言う風に、「オソベツ」ではなくて「オソツベツ」になっています。ちなみに、「オソツベツ」には「御卒別」という漢字が当てられていたようですが、現在の地形図では全てカタカナになってしまっています。

では、まずは山田秀三さんの「北海道の地名」(1994) から。

オソベツ川
 釧路川の西支流,御卒別とも書く。ヌマオロ川の一本上の川の名。オソツペツとも書かれたが,語義不明。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.271 より引用)
ふーむ。続きを見ておきましょうか。

永田地名解は「オソッペッ。川尻の滝」と書いているが,その釧路川に入る川尻の処は釧路大湿原の中で,滝があるとは考えられない。ごく訛った形で残った川名なのではなかろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.271-272 より引用)
確かに、ちょっと良くわかりませんね……。ちなみに「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「ウショロコツ」とあるのですが……余計にわからなくなりました(汗)。素直に読み解けば osor-kot で「尻(の形をした)・窪み」となりますね。あるいは esoro-kot だとすると、この川沿いに交通路があったと考えられそうなのですが、言われてみれば釧路から弟子屈に向かう交通路として使えそうな感じもします。

一方で、「戊午日誌」(1859-1863) には次のように記されています。

しばし過
     ウシヨツベツ
右の方小川有、此川ふかくして歩行にて小さけれども越がたし。上に谷地有。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.480 より引用)
これも素直に us-ot-pet で「入江・多くある・川」と読み解けなくも無いのですが、そもそも川に入江があるのもおかしいような気もします。

明治期の「道庁 20 万図」には「オソッペッ」とあります。これは永田地名解 (1891) の「オソッ ペッ」という解から来ているのでしょうね。地名の方は「オソッペッ」が「オソツベツ」になり、川名は実際の発音に近い「オソベツ」になってしまった、と言ったところでしょうか。

オソベツ川は釧路川に注ぐので、やはり「川尻の滝」は無いのかなぁ、と思います。それを前提に「ウシヨツベツ」あるいは「オソッペッ」を読み解いていくと、もしかしたら o-situ-pet あたりはアリだったりしないかな? と思ったりもします。o-situ-pet であれば「川尻・(大きな)山の走り根・川」となるので、一応地形には合っているような気もするんですが……。

チョウマナイ川

chi-o-ama-nay?
われら・そこに・(仕掛け弓を)置く・沢
(?? = 記録未確認、類型あり)
中オソツベツのあたりでオソベツ川に合流する支流の名前です。意味が良くわからなかったのですが、チョウマナイ……雨の日はチョウマナイ(それは違います)。

ちらっと調べた限りでは、永田地名解 (1891) などにも記載が無いようです。釧路川から見ると「支流の支流」なので、まぁ仕方がないのかも知れません。

地名解ですが、chi-o-ama-nay で「われら・そこに・(仕掛け弓を)置く・沢」ではないかと考えたのですが、いかがでしょうか。チョウマナイ……雨の日は(やめなさい

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2015年7月25日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (269) 「シラルトロ沼・シラルトロエトロ川・コッタロ」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

シラルトロ沼

sirar-utur-to
岩・間・沼
(典拠あり、類型あり)
塘路湖の北隣にある沼の名前です。戊午日誌には「シラリウトルトウ」とありますから、これは sirar-utur-to と考えて良さそうでしょうか。これだと「岩・間・沼」という意味となります。一見すっきりした解釈のように見えるのですが、ちょっとした疑問も残ります。

というわけで、山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょう。

松浦図はシラリウトルで,明らかにシラル(shirar 岩)のついた名であるが,行って見ると葦ばかりの湿原の沼である。土地の古老に聞くと湖口に近い西南端と,北の方の奥に僅かだがバラス(砂利)の処があるが,との話。どうもシラル(岩)という感じでない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.271 より引用)
えー、こういうことでして……(手を抜いた!)。そもそも「沼地」に「岩」は相容れない場合が多いのですが、「岩の間の沼」と言う割にはそれらしい岩が見当たらない、ということのようです。

永田地名解は「シラルトロ shirar'utoro 岩磯の間(を流る小川)」と書かれた。shirar-utur(岩の・間)のことであろうが,この沼に入っている川の名からでも出た湖名だったろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.271 より引用)
あっ、これは確かにありそうな話ですね。アイヌの流儀では池沼にユニークな名前をつけることはあまり無く、複数の池沼を区別する場合は poro (大)や pon (小)などの形容詞を付加するケースが多かったのでした。ただ、「シラルトロ沼」の場合は sirar-utur という割と具体的な形容詞がつけられているため、その理由は流入河川に求められるのではないか……という仮説です。

ただ、シラルトロ沼に流入する河川と言えば、まずは「シラルトロエトロ川」となるのですが、このネーミングを見る限り、シラルトロ沼に由来する川名のようにも思われるので、これだと循環参照っぽいですよね。

というわけで、「岩の間の沼」である「シラルトロ沼」ですが、その「岩」が何処にあるのかは不明、ということになりそうです。

シラルトロエトロ川

{sirar-utur}-etok?
{シラルトロ沼}・の奥
(?? = 典拠なし、類型あり)
というわけで、由来が謎な「シラルトロ沼」に注ぐ最大の河川の名前が「シラルトロエトロ川」です。「シラルトロエトロ」を素直に解釈すると {sirar-utur}-etu-or で「シラルトロ沼・岬・のところ」とでもなりそうですが、「シラルトロエトコ」(あるいは「シラルトロエトク」)の誤記だったと考えたほうがより自然に解釈できます。{sirar-utur}-etok で「シラルトロ沼・沼の奥」となりますね。

ただ、松浦武四郎の時代には「シラルトロエトロ」とは呼ばれていなかったようで、「戊午日誌」には「トマチトイ」、「東西蝦夷山川地理取調図」には「トウキタイ」と記されています。

戊午日誌を解読した秋葉実さんの注によると「トマチトイ」の「マ」と「チ」には傍点がつけられているので、あるいは「マ」が「ウ」の、そして「チ」が「キ」の誤記だった可能性もあるのかも知れません。「トウキタイ」だとすると to-kitay で「沼・奥」と解釈できますね。

「シラルトロエトロ川」は、人によって to-kitay と呼ばれたり sirar-utur-etok と呼ばれたりした、ということだったのでしょうか。だとすれば、割と近年まで、単なる記号としての地名ではなくて、意味を持つ地名として認識されていたとも言えそうですね。

コッタロ川

kut-taor??
帯状に岩が見える崖・川岸の高所
(?? = 典拠なし、類型あり)
標茶町西部の地名で、同名の川もあります。東西蝦夷山川地理取調図には「クッタヲロ」と記録されていますね。また、永田地名解にも記載があるのですが……

Kottaro  コッタロ  ?
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.340 より引用)
ありがとうございました。では、続いて「戊午日誌」を見てみましょう。

また同じ様成処十丁計も過て右の方
     コツタロ
と云小川有。其上に少し水の涌処有る也。メンカクシの申には此処名、コンタル 小樽の訛りし也と云。またトウロのケンルカウスの申にはコツタロ也と。コツは川の形也、其上に小さき樽程の水涌壷有りと云儀と云。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.481 より引用)
あー、なんとなくわかってきたような気がします。これは kot-ta-hor で「窪み・汲む・水」と解釈したのでしょうか。ただ、どことなく文法的におかしいような感じもします。

純粋に「コッタロ」あるいは「クッタヲロ」という音から考えると、kut-taor で「帯状に岩が見える崖・川岸の高所」という解釈も考えられそうな感じがします。コッタロ川が釧路川に合流する 1 km ほど手前で標高 7~80 m ほどの山が湿原にせり出しているのですが、このことを指していると考えられなくは無いかもしれないのかなぁ、などと……(かなり弱気)。

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2015年7月24日金曜日

道東の旅 2013/春 (221) 「とん田通」

急に鳥居があったので

北見市の中心部にやってきました。前方の信号が赤に変わったので、ふと右を見てみると……おわっ!
そこには突然の鳥居が。ここは「北見神社」と言うのだそうです。北海道の開拓は明治から大正、昭和にかけて急ピッチで進んだので、お寺よりも神社の多さが目立ちますね。

良くある風景

国道 39 号を南西に向かいます。このあたりの雰囲気は、どことなく遠軽町内の国道 242 号と似てますね。街の規模は北見のほうがはるかに大きいですが……。
北見駅前にやってきました。現在は JR 石北本線の駅ですが、かつては北海道ちほく高原鉄道の「ふるさと銀河線」との乗換駅でもありましたね。
国道 39 号は、赤信号による待ち時間はあるものの、それほど渋滞することも無く順調に流れています。……北見道路経由だと逆に時間がかかりそうな予感がしますね。
あっ、こんなところにも!(汗)

とん田通

国道 39 号を少し西に向かって走った後、左折して南に向かいます。無加川にかかる「無加川橋」を渡ります。
無加川を渡った先では道路の拡幅工事中でした。この道は訓子府(くんねっぷ)に向かう道なのですが、鉄道(北海道ちほく高原鉄道)が廃止されてしまった今となっては、この道が訓子府に向かうメインルートとなります。冬場でも安定して片側一車線を確保するための拡幅工事でしょうか。
ちなみにこの道路は「とん田通」と言うそうです。何も「屯」の字をひらがなにしなくてもいいのになぁ……。

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