2016年2月29日月曜日

冬の北海道の旅 (36) 「冬の陸別」

足寄町大誉地から陸別に入ろうかとしていたところで、何やら作業をしている車に引っかかりました。前にも車がいたので、大人しく列の後ろについて走っていたのですが、よーく見ると「散布中」と書かれていますね。塩カルを撒いていたのでしょうか。
そうこうしている内に、「日本一寒い町」陸別町に入りました。
追い越し可能な直線道路に入ったところで、前の車が猛然と追い越しをかけました。それと同時に後ろにいた車も追いかけるような形で追い越しを開始。なぁんだ、ふつーに追い越してしまって良かったんですね。
ということで、遅ればせながら追い越し完了です。引き続きスリップに注意しながら安全運転を続けます。

ところで 93 の意味は?

陸別町の道の駅「オーロラタウン 93 りくべつ」まであと 2 km の看板が見えました。この道の駅もかつての「陸別駅」そのもので、今は保存鉄道「りくべつ鉄道」のターミナル駅でもありますね。
「斗満川」(とまむ──)を渡ると、陸別の中心街です。雪も随分と解けていますが、これも塩カルのおかげなんですかね。

「セコマ」ではなく「セイコマ」派です

津別に向かう道道との交叉点が見えてきました。セイコマの左奥に陸別駅があります。
セイコマの駐車場には、やはり雪がそれなりに残っていますね。陸別駅の駐車場も、きっとそんな感じなのでしょう。先を急ぎたかったので、今回は涙をのんでスルーすることにしました。

小利別へ

国道 242 号を北上して、陸別町小利別に向かいます。

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2016年2月28日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (320) 「ムコロベツ川・シマン川・ソガベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ムコロベツ川

muk-oro-pet
つるにんじん(の根)・その所・川
(典拠あり、類型あり)
浦河郡浦河町の南東部を流れるメナシュンベツ川の南支流の名前です。明治期の地形図にも「ムコロペッ」とありますね。

戊午日誌の「東部保呂辺津誌」には、次のようにありました。

またしばし過て
     モコロベ
右のかた小川。其名義不解。此辺に至るや惣て両岸高山にして雑樹ふかし。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.417 より引用)
あー、残念ながら「其名義不解」ですね。でも、その頃から同じような地名で認識されていたということがわかっただけでも大収穫です。

「川の名前」には抜群の強さを誇る「北海道地名誌」に、今回も記載がありました。

 ムコロベツ川 メナシウンベツ川の左小支流でつるにんじんのある川の意。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.575 より引用)
はっはー、そういうことですか。muk-oro-pet で「つるにんじん(の根)・その所・川」では無いか、ということですね。

ただ、mukoro で受けているのが少々気になります。「鵡川」の地名解でも毎回議論の的になるのですが、muk には「ツルニンジン」以外にも「塞がっている」という状態を示す形容詞としての用法もあります。ですから muk-oro-pet も「塞がっている・その中・川」とも解釈できるんじゃないかなぁ、と。

というのも、ムコロベツ川がメナシュンベツ川と合流する 2 km ほど前から、小高い丘を挟んで並んで流れているように見えるのですね。メナシュンベツ川のほうから見ると、これが「塞がれている」と見えたりしなかったかなぁ……という。現段階では一つの可能性に過ぎませんが、一応記しておこうかと思います。

あ、そうそう。ムコロベツ川がメナシュンベツ川と合流するところに国道 236 号の橋がかかっているのですが、その名前が「女名春別橋」でした。なかなか洒落てますねぇ。

シマン川

suma-un(-pet)?
石・ある(・川)
(典拠あり、類型あり)
日高幌別川の支流で、メナシュンベツ川と日高幌別川が合流する 300 m ほど上流で日高幌別川と合流しています。シマン川の上流にはベリタス川やノートン川があr(ありません)。

山田秀三さんの「北海道の地名」に記載がありましたので、見てみましょうか。

シマン川
 旧図はシュマンと書いた。メナㇱウンペッとシュㇺペッの間の川で,それらの合流点で落ち合っている。つまり三川合流の形である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.343 より引用)
「シュㇺペッ」は sum-pet で「西・川」という意味ですが、これは現在の「日高幌別川」の本流を意味します。続きを見てみましょうか。

上流を見ていないので,語義が分からないが,形だけでいうならシュマン←シュマ・ウン「shuma-un(-pet)石・がある(・川)」と聞こえる。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.343-344 より引用)
ふむふむ。suma-un(-pet) で「石・ある(・川)」では無いか、ということですね。

ちなみに、戊午日誌の「東部保呂辺津誌」では少々誤解があったか、次のように記されていました。

束の方に当るを
     メナシシユマン
是東のシユンベツと云儀なり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.418-419 より引用)
実際の地形は、志満橋の近くでメナシュンベツ川とシマン川が日高幌別川(シュㇺペッ)に合流しているのですが、シマン川自体が上流でベリ……じゃなくて「メナシュマン川」と「シンノシケシュマン川」に分かれていました。つまり、「メナシュマン川」は menas-{suma-un} である可能性が高そうなのですが、戊午日誌では menas-{sum-pet} で「東・西川」なんだよ、としてしまったんじゃないかなぁ、と。

ややこしくなってしまったので、ちょいと整理しておきましょう。東から順に「メナシュマン川」は menas-{suma-un}(-pet) で「東・シマン川」、「シンノシケシュマン川」は sin-noske-{suma-un}(-pet) で「主たる・真ん中の・シマン川」、「シマン川」は suma-un(-pet) で「石・ある(・川)」となりそうな感じです。

「北海道地名誌」では、「メナシュマン川」を「水源が東に行く川の意」としていますが、ちょっとうまく解釈できないですね……。mena を「水源」と考えたのだとしても、「シュマン」で「東に行く」とは考えづらいので。

ソガベツ川

so-ka-pet
滝・かみ・川
(典拠あり、類型あり)
シマン川の北西を流れる日高幌別川の支流の名前です。「ソガベツ」という名前からは曾我兄弟の仇討ちあたりを想像してしまいますが、特に関係は無さそうです。地形図を見ると中流部に「ソガベツの滝」という滝があるようですね。

軽くネタバレを挟みつつ、今回も「北海道地名誌」を見てみましょうか。

 ソガペツ沢 野塚岳に発するソガベツ川の左支流の沢。アイヌ語「ソカペッ」で滝の上の川の意か。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.575 より引用)
あー……。割とそのまんまだったみたいですね。so-ka-pet で「滝・かみ・川」と考えて良さそうです。

戊午日誌の「東部保呂辺津誌」にも次のようにありました。

またしばし過て
     ソウカベツ
右のかた小川。右の川の上に大滝有。此処まで鮭・鯇・鰔等上れども、それより上えは一尾も上ることなしと。是より両岸峨々たる峻壁になりて、猛獣・豪鷲多し。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.422 より引用)
あーなるほど。魚が遡上できない滝の存在は、漁撈の上では重要な情報ですよね。ちなみに「鯇」は「アメマス」のことで、「鰔」は「タラ」または「カレイ」らしいのですが……川に遡上しましたっけ?

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2016年2月27日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (319) 「ニオベツ川・シロチノミ川・メナシュンベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ニオベツ川

ni-o-pet
樹木・そこにある・川
(典拠あり、類型あり)
浦河町東部の川の名前です。国道 236 号線「天馬街道」の野塚トンネルを抜けると、ニオベツ川沿いに坂を下りてゆくことになります。

「ニオベツ川」の記録は、戊午日誌に見つけることができました。

またしばし過て
     ニヲヘツ
左りの方小川。其名義不解也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.417 より引用)
残念ですが、あまり参考になりそうにないですね。

続いて、永田地名解には次のようにありました。

Ni o pet   ニ オ ペッ   樹ノ川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.279 より引用)
あーなるほど。割とそのまんまでしたね。ni-o-pet で「樹木・そこにある・川」と考えて良さそうです。

おまけ「謎のニナルベツ」

ちなみに、戊午日誌では「其名義不解也」の名調子でバッサリ切られた感のある「ニヲヘツ」ですが、次の「ニナルベツ」は随分と詳しく記載されていました。

またしばし過て
     ニナルベッ
左りの方小川。其名義は樹木多きと云儀也。本川シノマンメナシヘッと云、源ラッコに当る。其源は是より右のかたえ入るはラッコのうしろに当り、また左りの方え入るはヘロキナイのヤロマフに当るとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.417-418 より引用)
現在の地図ではその存在を確認できない「ニナルベツ」ですが、明治期の地図を見た限りでは現在の「上二股の沢」のことを指していたようです。意味として「其名義は樹木多きと云儀也」とありますが、これはむしろ ni-o-pet の解として適切であるように思われます。(今度こそ)意味の混同・取り違えがあったのでは無いでしょうか。

「ニナルペッ」を素直に読み解くと ninar-pet かな、と思わせます。これだと「川岸の台地・川」となります(永田地名解には Ninar'un pet で「高原川」とありますね)。現実の地形を見てみると、国道 236 号線「天馬街道」の「翠明橋」の南側に台地状の地形が見て取れますが、これは「ニナルペッ」が「ニヲヘツ」と合流するところの地形なので、ちょいとだけ疑問が残りますね(ニナルペッの中流部にも、やや等高線の間隔が広いところはあるのですが)。

そして、戊午日誌には続きがありまして……。

尚くわしくは留辺之辺志に志るす。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.418 より引用)
これって「詳しくは Web で!」の嚆矢と言えるのではないでしょうか(笑)。

あ、何故に「謎のニナルベツ」なのかは、現時点では「ニナルベツ」でググっても何もヒットしないからです。

シロチノミ川

sir-chi-nomi?
山(断崖の絶壁)・我ら・祈る
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
「謎のニナルベツ」こと「上二股の沢」の南隣を流れている、ニオベツ川の支流の名前です。明治期の地形図にも「シロチノミ」と記されていますね。東西蝦夷山川地理取調図だと、「シロチノミ」と思しき川に「ニヲヘツ」と記されているように見えます。

この「シロチノミ川」ですが、北海道地名誌に記載がありました。

 シロチノミ沢 十勝岳に発してニオベツ川に注ぐ左支流沢。元浦川にも同名の沢がある。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.576 より引用)
ということで、元浦川のほうの「シロチノミ沢」を見てみたところ……

 シロチノミ沢 元浦川水源部の沢のひとつ。アイヌ語で山に祈るの意か。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.574 より引用)
ん、山に祈る……? と思ったのですが、sir-chi-nomi なんでしょうか。これだと「山(断崖の絶壁)・我ら・祈る」となるのですが、一般的には chi-nomi-sir(我ら・祭る・山)が多いような気がするのですよね。「シロチ」を sir-ochi あるいは chir-ochi と解釈する形も考えてみたのですが、どう考えても nomi の解釈が思いつかず……。今日のところはこの辺でご勘弁いただきたく(汗)。

メナシュンベツ川

menas-un-pet
東・そこにある・川
(典拠あり、類型あり)
浦河郡浦河町の東部を東から西に流れる川の名前です。前述のニオベツ川は浦河町上杵臼の東部でこのメナシュンベツ川と合流します。存続川名はメナシュンベツ川です(企業合併か)。

割とよくある名前なのでそれほど特記すべき川名でも無かったりするのですが、永田地名解にきちんと記載がありました。

Menash un pet  メナㇱュ ウン ペッ  東川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.279 より引用)
Menash を「メナㇱュ」と綴るのは永田方正の謎なクセのせいなのですが、今回は「ウン」の「ン」まで小書きになっていました。残念ながら Unicode にも定義がない(と思う)ので、今回はこのまま表記しておきます。……ということで永田地名解に対して軽くボヤくことで字数を稼ぎつつ(えっ)、本題に戻りましょう。menas-un-pet で「東・そこにある・川」になろうかと思います。あるいは「東・入る・川」と解釈するのもアリなのかなぁ、と思ったりもします。

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2016年2月26日金曜日

冬の北海道の旅 (35) 「足寄から」

松山千春や松山千春、あと松山千春なんかが満載だった道の駅「あしょろ銀河ホール21」を後にして、車に戻ることにしましょう。
戻る途中で、こんな車を見かけました。どちらも中々レトロな感じの車ですね。いい感じに雪に埋もれていましたが、今もこのままだったりするのでしょうか。
車に戻って、エンジンを始動すると……
うわわ。この車の外気温センサーは偶にとんちんかんな数値を返すので一概には言えないのですが、表示上は 14 度と言いますから、かなり暖かいですよね。

旧駅舎みたいな建物

では、国道 242 号に戻りましょう。「足寄駅」の T 字路で信号に引っかかってしまいました。
ちなみに、道の駅「あしょろ銀河ホール21」の建物は、旧・足寄駅舎そのものだったらしいのですが、この建物とは別に、北隣に「旧駅舎を模して復元された建物」があったらしいですね。多分この写真の左側にあったと思うのですが……。現地で存在に気が付かず、残念ながらスルーしてしまいました。

ムネオさんの出身地

思った以上に気温が上がってしまったようで、十勝北部にも「なだれ注意報」が発令されていました。
路面も雪解け水が撒かれたような状態で、前の車が跳ね上げた飛沫でフロントガラスもすぐにこの有様に。
さて、飛沫で視界が悪い中、足寄町北部の「大誉地」にやってきました。
大誉地と言えば、足寄町 BIG 2 のムネオさんの出身地としていちぶで有名ですね。国道と集落の間に鉄道が通っていたので、国道沿いにはあまり人家が無い印象です。

ついに *あの* 陸別町に

大誉地を抜けて、足寄町伏古丹を通り過ぎると、もうすぐ *あの* 陸別町です。ついさっきまでは雪解け水が撒かれていたような路面だったのに、いつの間にか残雪がくっきりと見えています。さすがは「日本一寒い町」ですね……。

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2016年2月25日木曜日

冬の北海道の旅 (34) 「松山千春の足あと」

足寄駅の「線路沿い」の一角に、こんなパネルが展示されていました。なんでも「足寄町次世代エネルギーパーク」とあります。
「次世代エネルギーって、具体的には何のことなんだろ?」と思ってしまいますが、どうやら「次世代エネルギー」そのものをネタにした施設みたいですね。このパネルによると、平成 25 年自体で「全国で 48 ヵ所が認定」とのこと。へぇー。

ちなみに、足寄町エネルギーパークでは「森林バイオマスコース」「温泉熱利用コース」「太陽光発電コース」「雪氷熱・バイオガスコース」「ペレットストーブコース」の 5 コースが用意されているのだとか。納得のセレクションですね。

廃材も工夫ひとつで

そして、パネルの脇に無造作に置かれていた(ように見える)、真ん中が繰り抜いてある謎の丸太の正体は……
これは「ウッドキャンドル」というものなのだそうです。短く切った丸太に切れ込みを入れて、切り込みの間におがくず?を入れて火をつけるのだとか。
端的に言えば廃材の有効活用のようですが、ちょっとした工夫でファンタジックな雰囲気を醸し出せるものなのですね。お見事です。

松山千春コーナー!

「足寄駅」の中には売店とパン屋さんの「SHOP & BAKERY あしょろ」があって、そのお隣に「レストランあしょろ」がありました。ただ、ちょっと訪れる時間が早すぎたのか、レストランは営業開始前でした。
そして、道の駅の一角には、お約束のこんなコーナーも。
真正面には……螺湾蕗の下でポーズを決めている松山千春さんのパネルが。さすがに実物大……では無かったような気もしますが、どうでしたっけ。窓から差し込む光がまるで後光のようです。
右側にはポスターや写真パネル、盾などが飾られていました。
そして左側には LP レコードのジャケットが。こんな時は LP レコードの大きさがありがたく感じられますね。

松山千春の足あと

さて、建物の外に「松山千春の足跡」という石碑があったのはご記憶でしょうか。こちらなんですが……
裏側には、本当に「足あと」がありました(汗)。「大空と大地の中で」はホントいい曲ですよね。初めて聞いた時は題名も歌手もわからなかったのですが、すぐに「これは松山千春に違いない!」と直感したんでした。

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2016年2月24日水曜日

冬の北海道の旅 (33) 「画期的な三段オチ」

足寄郡は足寄町の「足寄駅」の話題を続けます。駅ですからもちろんレールも敷設されていますし、車両も停車して……いたらいいのにな、と。
ちなみに反対側はこんな感じです。見る角度によってはもう少し違和感なく見えたりするのでしょうか。

鉄道の思い出

ご存知の通り、足寄駅はかつての国鉄池北線に属していた駅で、池北線の廃止後、第三セクター鉄道の「北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」の駅となりました。ただ、第三セクター移行後も旅客数の現象は止められず、2006 年に全線が廃止されています。
そんなわけで、今は「道の駅」になってしまった「足寄駅」には、鉄道があった頃の「思い出の品」がいくつか展示されていました。「ふるさと銀河線」開通時のポスターや、ヘルメット、そして電球式のカンテラなど、あまり見かけないものもありますね。
保線用のツルハシや信号旗とともに、「足寄駅開業明治四十三年九月ニ……」という文字が見えます。足寄駅の開業は明治 43 年 9 月 22 日で、帯広駅の開業から僅か 5 年後のことでした。
池北線のルートは現在も道東自動車道(足寄線)が踏襲していますが、十勝から北見に向かう上でもっとも緩やかなルートのため、網走への最短ルートとして優先的に建設されたみたいですね。

画期的な三段オチ

建物の柱には、こんなポスターも掲出されていました。「[1] ふるさと銀河線 第三セクター鉄道の誕生」とあります。
[1] があるということは、もちろん [2] もあります。「[2] ふるさと銀河線 高原を駆ける銀河列車」とありますね。
さぁ、次は [3] ですね! ということで [3] を探したところ……
いきなり最終回ですか! これはなんとも画期的な三段オチですね……。

足寄町 BIG 2

それにしても……「さよならセレモニー」にやってきた足寄町 BIG 2 のこのお二方……。特に後ろのムネオさん、満面の営業スマイルなんですが……。
まぁ、虫の息だった鉄道を 20 年近く延命させた上に、駅舎の建て替えなどで雇用を創出できたわけですから、ムネオさんにとっては全て「うまくいった」という気持ちだったのかもしれませんね。「やれることは全てやった」というのは、案外偽らざる気持ちだったのかも知れません。

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2016年2月23日火曜日

冬の北海道の旅 (32) 「足寄駅のあのおじさん」

足寄郡は足寄町の道の駅「あしょろ銀河ホール21」にやってきました。
足寄と言えば、松山千春の出身地として有名ですよね。ということでいきなり「松山千春の足跡」がお出迎えです。「あしあと」じゃ無いですよ。もちろん「即席」でも無いです。

足寄駅?

この「道の駅」は、鉄道の駅があったところに建てられています。場所は国道 241 号と国道 242 号の交叉点に面したところです。阿寒湖方面に向かう国道 241 号が、駅前通のような感じだったのでしょうね。
かつての駅の跡も、今や立派な道の駅……の筈なのですが、
三つある入口のひとつには、今でも「足寄駅」の文字が。これは一体どういうことなのでしょうか。ちょっと気になるのでこの入口から中に入ってみることにしましょう。
靴の底を玄関マットで拭いてから中に入ります。

十勝バスの「駅」でした

中に入りました。奥に駅名標らしきものが見えますね。手前の窓口には「あしょろ観光協会」そして「十勝バス案内所」の文字が並びます。なるほど、十勝バスの「駅」なのですね。
「観光協会」と「バスの案内所」を兼務しているだけあって、手前には観光案内のパンフレットが並び、壁にはバスの時刻表と運賃表が並んでいます。北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線(長いな)の転換バスは陸別を境に 2 系統に分割されてしまいましたが、十勝側は一日 9 往復が健在のようですね(平日の場合)。

螺湾蕗の下には

そして、窓口の左側にはこの方が……。
そうです。この方がコロポックルのおじさん……ではないですね。足寄町の名産品・螺湾蕗(ラワンブキ)の下で松山千春さんがポーズを決めていたのでした。もはやフリー素材と化していますね(笑)。

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2016年2月22日月曜日

冬の北海道の旅 (31) 「轍の上に雪が降り積む」

国道 242 号を北上して、道の駅「あしょろ銀河ホール21」を目指します。この先の横断歩道のところを左折すれば良いのですね。
道路はしっかりと除雪されていましたが、駐車場はご覧のとおりの圧雪バーン状態です。
ちょいと建物からは離れたところに車を停めました。
では、雪の上の散歩といきましょうか。

空の青さが……

道の駅の遠景です。何度も同じことを繰り返して申し訳ない限りですが、空の青さが素晴らしい……!
道の駅の手前左側に農産物直売所を見かけました。あ、「農産物等直売所」でしたね。建物には「足寄地域交流物産館」と書かれています。

見ろ、まるで雪が流氷のよう……?

道の駅の建物の前の駐車場? は特に除雪や圧雪をしていないようで、轍の上に雪が降り積む状態になっていました。こうやって見ると単なる轍でしか無いのですが、
アングルを変えると……まるで流氷のようにも見えてしまいますね。見えませんか。そうですか。やはり無理がありますかね(汗)。

日本一広い町ですから

「農産物等直売所」の建物の隣には、足寄町の案内図がありました。何しろ日本一広い町ですから、地図も大きくしておかないといけませんよね。

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