2017年2月28日火曜日

冬の北海道の旅 (83) 「にしおこっぺ花夢」

西興部村の道の駅「にしおこっぺ花夢」にやってきました。ちなみに「花夢」と書いて「かむ」と読みます。「花とゆめ」は関係ないようです(そりゃそうでしょ)。

しゃっこくて甘~いアレ

さて、12 時を過ぎたのであわよくばお昼ごはんでも……と考えていたのですが、シーズンオフだったからか、残念ながら軽食の提供は無いとのこと。その代わりと言ってはなんですが、ソフトクリームをいただくことにしました。
いやー、写真を撮るのを忘れていたものですいません(汗)。ちなみにイートインスペースの中からオープンスペースを撮影したものがこちらです。
ソフトクリームが宙吊りになっているのは良いとして、右手前になにやら色とりどりの紙が貼ってありますね。これ、実は……
「北海道方言」が勢揃いしていました。多少はわかる語彙も増えてきましたが、まだまだ知らない語彙がたくさんあるんだなぁと再確認させられます。

Wi-Fi 使えます

ちなみに、こちらのイートインスペースでは……
Wi-Fi が使えます。はっ、もしや「最低でも圏外」のキャリアがあったりするのでしょうか……(汗)。

(西興部村)

「西興部村エリア情報」と第された大判の紙(ポスターなのかもしれませんが、なんか大判プリンタで印刷しました感がするもので)が掲出されていました。
合計 18 スポットが掲載されていたのですが、
すべてのスポットに「(西興部村)」の文字が。何ゆえに……?(汗)

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2017年2月27日月曜日

冬の北海道の旅 (82) 「西興部村美しい村づくり事業」

西興部の道の駅「にしおこっぺ花夢」に向かいます。
さて、前回の記事で「ある重要なポイント」の話題に触れていました。こちらが「ある重要なポイント」が映り込んでいる写真でした。
察しのいい方はもうお気づきかもしれません。実は、外壁の色がオレンジに近いベージュの家が多いのですね。これは単なる流行ではなく、行政主導の取り組みの成果だったのでした。

西興部村美しい村づくり事業推進補助金 の Web ページには、次のように記されています。

西興部村美しい村づくり景観形成指針の目的を達成するために行う事業に要する経費の一部を予算の範囲内で助成いたします。

対象事業
  • 住宅・物置、農業施設など建物の改修や増改築、新築の際に、屋根や外壁の色彩を景観形成指針で示す『おすすめ色』にする場合。
  • 景観をそこねていると判断される廃屋を解体撤去する場合。
ということで、なんと村の「おすすめ色」への塗替えに補助金が出るのだとか。以前にテレビ番組で見た限りでは「村長の思いつき」のようなニュアンスで語られていましたが、こうやって実際に見てみると、これはなかなか悪くないアイディアのように思えてきます。

抜けるような青空!

国道 239 号を西に走ること数分で、道の駅「にしおこっぺ花夢」に到着です。
いやー、抜けるような青空とはまさにこの事ですね!

そして際立つボディの汚れ!

空が透き通って見えるだけに、車体の汚れ具合が際立ってしまいます。まぁ、こればかりはしょうがないのですが。
タイヤが巻き上げた(汚れた)雪が付着しているのでしょうが、それより上の部分もしっかりと汚れてしまっています。旅が終わってから洗車ですね……。

気を取り直して

では、道の駅「にしおこっぺ花夢」の建物に向かいましょう!

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2017年2月26日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (419) 「昆布・目名・チリベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

昆布(こんぶ)

{tokom-po}-nupuri?
小さなコブ・山
kom-p?
曲がる・もの(川)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
そろそろ蘭越町シリーズも終わりだなぁ……などと思っていたのですが、超有名な大物地名をすっ飛ばしていたことに今頃気づきました(汗)。「昆布」は函館本線の駅もある、有名かつ謎な地名です。

永田地名解には次のように記されていました。

Konpo nupuri   コンポ ヌプリ  昆布ノ山 往古海嘯ノ時此山上ニ昆布多クアリタルニ名クト
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.181 より引用)
はい。では次行きましょうか(ぉぃ)。駅名ならおまかせ「北海道駅名の起源」を見てみましょう。

  昆 布(こんぶ)
所在地 (後志国)磯谷郡蘭越町
開 駅 明治 37 年 10 月 15 日(北海道鉄道)
起 源 アイヌ語の「トコンポ・ヌプリ」(小さなコブ山)から出たものである。むかし大津波のときコンブがこの付近にかかったなどという伝説があるが、これは昆布という字に無理にこじつけた話であって、もとコンポヌプリを混保岳と書いたものであり、コンプと関係があったわけではない。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.29 より引用)
更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」にも、ほぼ同じ内容の文章が記されていました。「──駅名の起源」も更科さんが担当した可能性がありそうですね。

アイヌ語で「昆布」は sas と言うのですが、一方で和語の「昆布」もアイヌ語に借用されていたようです。道内には「昆布」のつく地名があちこちに見られます(根室の「昆布盛」や釧路の「昆布森」、浦幌の「昆布刈石」など)。これらはいずれも和語の「昆布」に由来すると考えられます。

ところが、昆布系地名の総本山である「昆布」に限っては「昆布とは関係ないよ」というのは面白いですよね。更科さんは {tokom-po}-nupuri で「小さなコブ・山」と考えたようですが、確かに昆布駅の南西にそれっぽい山があるようにも見えます。

現在は昆布川をずーっと遡った先に「昆布岳」がありますが、これは標高 1000 m を越える山なので、tokom-po と言うにはちょっと大きすぎるような気がします。

ということで、更科説が妥当なのかなぁと考えるしかなさそうなのですが、敢えて試案を出してみると(出さなくてもいいのにkom-p で「曲がる・もの(川)」とは考えられないでしょうか。昆布川は、尻別川から見ると見事に 90 度右に曲がって流れているので、こういった解釈はできないかなぁ……というお話でした。

目名(めな)

mena
細い枝川?
(典拠あり、類型あり)
国鉄……じゃなくて JR 函館本線で昆布駅から西に向かうと、次が蘭越駅で、更にその次が目名駅です。「目名」は道南に偏在する謎の地名のひとつですね。

ということで、駅名ならお任せ(ry

  目 名(めな)
所在地 (後志国)磯谷郡蘭越町
開 駅 明治 37 年 10 月 15 日(北海道鉄道)
起 源 もと「磯谷(いそや)」といったが、明治 39 年 12 月 15 日「目名」と改めた。「目名」はアイヌ語の「メナ」(細い枝川)から出たもので、「磯谷」はアイヌ語の「イ・ショ・ヤ」(岩岸) から出たものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.28 より引用)
ふむふむ。確かに知里さんの「──小辞典」にも次のように記されていました。

mena メな ①上流の細い枝川。②【シズナイ】たまり水。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.59 より引用)
ただ、山田秀三さんは「北海道の地名」にて次のような疑問を呈していました。

諸地の目名と同じように,ここでも意味がはっきりしない。永田地名解は,尻別川筋ではメナは「細川」と訳している。永田氏は,尻別川筋は虻田のアイヌから聞いて訳をしたのだと書いている。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.463 より引用)
と、ここまでは良いのですが……

 松浦氏西蝦夷日誌はこの目名の処で「メナ。其義解せず。同名処々に有。何れも平地にて水深く屈曲遅流の処也。恐は是を云か」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.463 より引用)
まぁ、これも良いですよね。「西蝦夷日誌」は永田地名解よりも昔に書かれたものですから、特段おかしな話ではありません。

ただし必ずしも深い川ばかりではない。支流説,細流説,水溜り説,泉池川説等があるが,これも後人の研究に待ちたい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.463 より引用)
「泉池」を意味する mem という単語があるのですが、それと結びつけて考える流儀もあるようです。他の三説については知里さんの「──小辞典」の解釈を継承しているようですね。道内に偏在する謎地名なので、これから処々で目にすることになりそうです。

チリベツ川

chir(-ot)-pet?
鳥(・多くいる)・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
目名川は目名駅の西側を流れていますが、チリベツ川は目名駅の少し下流側で目名川に合流する支流の名前です。

この「チリベツ川」ですが、信憑性に少々の難があるような気がする「北海道地名誌」に記載がありました。

 チリベツ川 目名川の左支流。アイヌ語では鳥川の意。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.177 より引用)
「信憑性に少々の難がある」と毒づいてみたものの、この解釈については同感です。chir-pet で「鳥・川」だったのでしょうね。おそらくは chir-ot-pet-ot が略されたのではないでしょうか(鳥・多くいる・川)。

ちなみにこの「北海道地名誌」、「チリベツ川」の下には「南部川」の項があるのですが、

 南部川(なんぶがわ) 尻別川中流の右支流。南部から団体が入植したのでこの名がある。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.177 より引用)
うーん……(汗)。「団体での入植」は主に明治期以降だと思うので、ちょっと違うような気もするような……。

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2017年2月25日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (418) 「森別川・茅沼川・フルチャツナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

森別川(もりべつ──)

moyre-pet
静かな・川
(典拠あり、類型あり)
ニセコ西山連峰の最高峰である「雷電山」のずっと西に「雷電峠」という峠がありますが、その雷電峠から見て南に 1.5 km ほどのところに「コックリ湖」という湖があります。森別川はコックリ湖を水源として南西に流れ、尻別川に注いでいます。

永田地名解には次のように記されていました。

Moai betu   モリベッ  和人名ケシ處ナリト云フ意義不明此川魚居ラズ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.182 より引用)※ 原文ママ

えーと、「モアイベッ」ではなくて「モリベッ」ですので念のため。永田さんは残念ながら「よーわからん」で締めてらっしゃいます。

一方で、竹四郎廻浦日記には次のように記されていました。

又(二三丁)少し行 モヱリベツ、小川有、左りのの方より落る。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.345 より引用)
あ、なるほど。なんてことは無かったですね。moyre-pet で「静かな・川」だったと考えて良さそうです。

もっとも、moyre が山から落ちる川の名前として相応しいかという問題は残るわけですが、あるいは水源の「コックリ湖」を moyre-to (静かな・湖)とでも読んだのかな、などと想像をしてみました。

もしくは永田地名解にある「魚居らず」が「静かである」と解釈されたのでしょうか。「魚がいない」というのが特筆すべき事項(魚がいるのが常である)なのであれば、これも頷けます。あ、いや、コックリ湖だけに頷けるわけではありませんから(何を言ってるんだ)。

茅沼川(かやぬま──)

{kaya-ni}-oma-nay
{帆柱(にする木)}・ある・沢
(典拠あり、類型あり)
オサンナイ川と志根津川の間で尻別川に合流している南支流の名前です。同名の炭鉱が泊村にありましたね(茅沼炭鉱)。

見た感じでは和名のように思えるのですが、竹四郎廻浦日記に次のような記述がありました。

又少し上カヤノマ、並て フルチヤツナイ、谷地有。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.345 より引用)
また、丁巳日誌「報志利辺津日誌」にも次のようにありました。

カヤノマナイ
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.371 より引用)
ということで、アイヌ語由来と考えても良さそうな気もします。

炭鉱のあった、泊村の茅沼についての記述ですが、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 茅沼(かやぬま)
 現在はカヤヌマであるが、もとはカヤノマといったところで、沼があったのではなく、アイヌ語のカヤニ・オマ・イで、帆柱にする木のあるところの意。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.36 より引用)
あーなるほど。{kaya-ni}-oma-i で「{帆柱(にする木)}・ある・もの」だったのですね。今回の「茅沼川」は「カヤノマナイ」という記録もあるので、{kaya-ni}-oma-nay で「{帆柱(にする木)}・ある・沢」と考えて良さそうでしょうか。

フルチャツナイ川

hure-cha-ot-nay?
赤い・枝・多くある・沢
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
茅沼川の東隣を流れる川の名前です。「フルチャツナイ川」の支流には「フルチャツナイ第一川」もあります。

竹四郎廻浦日記に次のような記述がありました。

又少し上カヤノマ、並て フルチヤツナイ、谷地有。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.345 より引用)
「又少し上」……どこかで見たような気もしますが、多分気のせいでしょう(どこがだ)。

また、永田地名解にも次のように記されていました。

Hurecha ush nai   フレ チャ ウㇱュ ナイ   紅鱒多キ川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.182 より引用)
ただ、古い地図を確かめた所、これはどうやら別の川(現在の「又右衛門の沢川」)を指しているようでした。うーむ、空振りだったようですね。

ということで、ちょっと自分で考えてみました。hure-cha-ot-nay であれば「赤い・枝・多くある・沢」と考えられそうなのですが、如何なものでしょう?

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2017年2月24日金曜日

冬の北海道の旅 (81) 「ある重要なポイント」

道道 137 号の絶景ポイント「瀬戸牛峠」を越えて、西興部の市街地にやってきました。こちらの写真、一見何の変哲もない冬の風景に見えますが、実はある重要なポイントが映り込んでいたりします。答え合わせは後日にでも!
西興部村にも、かつては国鉄名寄本線が通っていました。この道路がかつての駅前通りでしょうか。
前方に国道 239 号が見えてきました。左折して下川町に向かいます。

他を圧倒する怒涛の出店攻勢

すっかり晴れ渡った青空の下、国道 239 号を西に向かって進みます。
そして……西興部にもありましたよセイコーマート! いや~、さすがのセイコマ、他を圧倒する怒涛の英語……じゃなくて怒涛のラインアップですね。
西興部村と下川町の間には「天北峠」があります。とっても線形の良い峠なので、あまり峠道という印象はありませんが……。

気合!入れて!除雪します!

国道 239 号は、さすが国道だけあってか、除雪にも気合が入っています。路面すれすれを削るように除雪するのが良いのでしょうが、やりすぎると舗装に傷がつきかねません。その辺のさじ加減は場所によって、あるいは人によって様々なのでしょうけど、このあたりは「極限まで攻める」除雪スタイルのようですね(笑)。
そして、道路の左右に堆く積もったままの雪の山の大きさから、このあたりの積雪の多さを窺い知ることができますね。

あと 2 km で道の駅

2 km ほど先に、道の駅「にしおこっぺ花夢」があるようです。12 時半を過ぎましたし、そろそろお昼ごはんを頂くのもアリかもしれません。
車の調子はびみょうなものの、他はとても順調に西興部まで来ることができたので、気分も上向き基調です。ということで、ちょっと休憩してもいいですよね?

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2017年2月23日木曜日

冬の北海道の旅 (80) 「美しき青き雪道」

道道 137 号「遠軽雄武線」で西興部に向かっています。氷河地形のような幅広の谷の中をまっすぐ伸びる雪道の感想は「快適!」の一言に尽きますね。
ただ、手放しで雪道を楽しむわけにも行かない状況は続いていました。ガソリンが完全に燃焼されずに排出されていることを示唆する "ANTIPOLLUTION FAULT" というエラーや、排気に含まれる有害物質の除去に問題があることを示唆する "CATALYTIC CONVERTER FAULT" のエラーが頻発するだけでなく、エンジンパワーの明らかな低下という実害が出ていた……というのは、2/15 の記事でも記していました。

ただ、紋別の道の駅を見学した後にエンジンを掛けた所、エンジンパワーの低下に歯止めがかかり、"CATALYTIC CONVERTER FAULT" が出る回数も少なくなりました。どうやらエンジンを掛け直すことで、多少なりとも改善が見られるような気がしてきました。

そんなわけで、思い立ったが吉日です。道路脇に車を寄せてエンジンを一旦止めて、一呼吸おいてから再度掛け直してみました。うん、なかなか良い感じじゃないですか!?

ある時、無い時

では、再び西興部に向かって出発します。
実はこの場所、Google ストリート ビューで見るとこんな風に見えます。雪道の写真だととてもそんな風には見えないのですが、


そう、実は川(宇野の沢川?)を越える橋が架かっていたのでした。「渓声橋」の橋名標と、「橋」の地図記号を模したプレートのついた反射板のおかげで辛うじてそこに橋があることをアピールしている、と言った感じでしょうか。

中藻興部興部線

村境の札久留峠から 10 km ほど北上したところで道路が二手に別れます。
右折すると藻興部川沿いを興部に向かう道道 334 号「中藻興部興部線」で、直進すると引き続き道道 137 号で、瀬戸牛峠を越えて西興部に向かいます。
道道 334 号との交叉点の標高は海抜 126 m で、瀬戸牛峠の標高は海抜 256 m ほどなので、しばし上り坂が続きます。ただ、写真で見た感じだと、それほど急な坂には見えませんね。

絶景の「瀬戸牛峠」

緩めのデグナーのような(どんな譬えだ)右カーブを抜けると、間もなく……
瀬戸牛峠です!
瀬戸牛峠は、眼下に西興部の街が一望できる、実は眺めの良い峠なんですよね(今回は見事に雪の壁ができてしまっていますが……)。
真っ白な筈の雪が、空の色に染まって青く見えるのも素敵ですね!

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2017年2月22日水曜日

冬の北海道の旅 (79) 「ここは『猟区』」

道道 137 号「遠軽雄武線」で西興部に向かいます。西興部までは僅か 18 km しかありません(色々と感覚が麻痺してますね)。
道道 61 号との交叉点から 3 km ほど進んだところが「札久留峠」です。えーと、近くを流れる川名が「サクルー」ですから、これも「さくるー峠」でいいでしょうか?
そして、札久留峠の向こう側は西興部村です。随分とゴキゲンな牛がエレキギターを奏でていますが、西興部と言えばエレキギターの町(あ、村か)なんですよね。

ここは「猟区」

峠を越えたあたりから、緩やかなカーブが続きます。おや、何やら珍しい案内板? が見えますが……?
「鳥獣保護区」ならぬ「ここは猟区」という案内でした。実弾が飛び交う世界でしょうか(何か違うような)。「鳥獣保護区」の看板ならあちこちで見かけるのですが、「猟区」をアピールする看板は初めてみたような……?
緩やかな右カーブ、ちょっと深めの左カーブ、そして 180 度近くぐるっと向きを変える急カーブを抜けます。空も晴れてきましたし、路面の積雪具合も絶妙な感じです。これはたまりませんね。雪道楽しい!

ウエシリ?

雄大な右カーブを抜けて、藻興部川の流域にやってきました。この先の交叉点を左折すると藻興部川の上流に向かうことになります。そして、藻興部川の源流部を遡った先に「ウェンシリ岳」があります。
でもこの看板、よーく見ると Mt. Ueshiri になってませんか?(ウエシリ

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2017年2月21日火曜日

冬の北海道の旅 (78) 「夜間除雪していません」

北見滝ノ上駅(跡)の近くを通り過ぎ、更に西に向かいます。
滝上の中心街は、国道が通っていて役場のある渚滑川南東側と、駅跡や神社のあるサクルー川南岸(渚滑川の西側)の二つに分かれる感じでしょうか。ということで、西側の市街地に入ります。

守れ法規と 老人・子供

サクルー川の北側にある「滝上公園」からやってきた道道 996 号と合流します。
ちなみにこんな交叉点なんですが、左側の電線を見た限りでは直進できそうに思えますよね。実際に道路が通っていたみたいですが、今は通り抜け出来ないようになっているみたいです。
交叉点を斜め左に曲がって 100 m ほど進むと、左手に北紋バスの車庫が見えてきました。「守れ法規と 老人・子供」と書かれていますね。ちなみに、バス車庫のすぐ南側に「滝上高等学校」があるみたいです。

滝上から西興部へ

道道 61 号「士別滝上線」を西に向かいます。前方に低速走行中の特殊車両の姿を認めたので、ささっと追い越します。もう慣れたものです(慢心)。
このまままっすぐ進むと士別に出てしまうので(それはそれで構わないのですが)、当初の計画通り右折して西興部に向いましょう。

夜間除雪していません

ということで、右折して道道 137 号「遠軽雄武線」に入ります。ん、「遠軽雄武線」というくらいですから遠軽からやってきているわけで、実はずっと道道 61 号「士別滝上線」と指定区間が重なっていたみたいですね。道道 61 号を走っていたつもりで、実は道道 137 号でもあったような。
さて、ここからは晴れて道道 137 号の単独区間となりますが、燦然と輝く「夜間除雪していません」の文字が眩しいですね(笑)。さぁ、再度気合を入れ直して、西興部に向けて雪道ドライブです!

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