2017年10月31日火曜日

秋の道南・奥尻の旅 (185) 「階段と言えばアジサイ」

大有珠の麓の「外輪山遊歩道」を歩いて火口原展望台に向かいます。

えっ、ハマナス!?

さて、昨日の記事の最後で「ん、これは紫陽花ですかね?」と記していたのですが……
写真を整理していたら、なんと……
ええっ! うっわー、「ハマナス」と「アジサイ」を間違えるという失笑モノのミスをやらかしてしまったのでしょうか。

階段と言えばアジサイ

ただ、ハマナスの隣は実はこのようになっていました。
あっ……、やはりアジサイだったのですね(ほっ)。
それはそうと、「花の色は土壌の pH(酸性度)によって変わり」というのは面白いですよね。確かにアジサイの花は青から赤まで様々です。「酸性ならば青、アルカリ性ならば赤」というのは、リトマス試験紙(の反応結果)と真逆でしょうか(試験紙の色と同じ、という言い方もできるかも知れませんが)。
このアジサイの花は、やや色が抜けてしまったようにも見えますが、どちらかと言えば赤みがかった花をつけていたのでしょうか。となるとこのあたりの土壌はアルカリ性寄りということになりそうですね。

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2017年10月30日月曜日

秋の道南・奥尻の旅 (184) 「外輪山遊歩道(じゃなかった)」

前回までのあらすじ

有珠山ロープウェイの「有珠山頂駅」を出て、左に行けば「火口原展望台」、右に行けば「洞爺湖展望台(すぐぞこ)」ということで、まずは「すぐそこ」を目指したのでした。
そして、洞爺湖がちょいと見えづらくなってしまった「洞爺湖展望台」を後にして、ここはもちろん……「火口原展望台(片道 7 分)」を目指します。
「火口原展望台」に向かう「外輪山遊歩道」ですが、ご覧の通り、とても綺麗に整備されています。これだったらうっかり他所行きの靴を履いていてもなんとかなっちゃうかもしれませんね。

10/31 追記:この遊歩道は「外輪山遊歩道」ではありませんでした。大変失礼しました。

ナナカマド

左手に立派な木が立っていますが……
こちらですね。ありがたいことに根元に案内板が用意されています。
はい。この立派な樹木は「ナナカマド」でした。「七度竃に入れても燃えない」という名前の由来が有名ですが、これはさすがにネタじゃないかと言われているようですね(他の樹木と比べて燃えにくい、ということは無いとのこと)。

ところどころ、遊歩道から脇道も出ているのですが、しっかりと「立入禁止」の看板が立てられています。
遊歩道から大有珠を眺めます。てっぺんがまるで古代遺跡のようにも見えますね。

橋を渡ると上り坂に

遊歩道に橋がかけられていました。実はこの橋で越えている谷?は、最終的には道道 703 号が大きな橋で越えることになるのです(ロープウェイから橋が見えてましたよね)。
橋を渡ると上り坂になります。しかしちゃんと階段が整備されているので楽に歩くことができます(バリアフリーではありませんが、さすがに難しいかと)。

ん、これは紫陽花ですかね?

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2017年10月29日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (481) 「扇石・洲根子岬・原歌」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

扇石(おうぎいし)

u-ka-us-i?
互い・上に・群在する・ところ
o-sir-us-i?
そこに・水際の断崖・多くある・ところ
o-kus-i?
そこを・通行する・ところ
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
石崎と上ノ国の間にある集落の名前です。海沿いに南北に伸びる集落で、南隣の汐吹集落とつながっています。上ノ国のあたりは古くから成立していた村が多く、この扇石も「竹四郎廻浦日記」には「扇石村」と記されています(「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲヽキ石」と記されています)。

幸いなことに「角川──」(略──)に参考となりそうな記載がありました。

 おうぎいし 扇石 <上ノ国町>
 古くは扇子石とも書いた。檜山地方南端,松前半島西側沿岸部。地名は,赤岩の崩れた浜の途中に扇形をした扇石という岩があったことによるという(松前東西地理蝦夷巡覧記)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.231 より引用)
む、ということは和名なんでしょうか……? いえ、ご安心ください。まだ続きがあります。

「オキヰシ村」と記した史料もあり(松前国中記),アイヌ語のウカウシ(岩石が重畳している所の意)・オチルシ(断崖の意)に由来するとも(地名アイヌ語小辞典),オクシイ(そこを通る所の意)に由来するとも(北海道の地名)考えられる。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.231-232 より引用)
あっ、なるほど……。諸説あるようですが、u-ka-us-i で「互い・上に・群在する・ところ」すなわち「岩石が重畳している所」か、あるいは o-sir-us-i で「そこに・水際の断崖・多くある・ところ」すなわち「断崖」と考えたのでしょうか。どちらもありそうな解だなぁと思わせますね。

また、「北海道の地名」に o-kus-i で「そこを・通行する・ところ」とあるように記されていますが、山田秀三さんの「北海道の地名」には「扇石」という項目は無かったようです。ただ、襟裳の近くの「小越」の解として o-kush-i というものが記されていたので、これを間接的に参考にしたと言った感じなのでしょうか(それにしてもこの言及の仕方はおかしいのですが)。

都合三つの説が出てきたことになりますが、どれが最もそれらしいかと言うと……実のところ、全く見当がつきません。どれも甲乙つけがたい……というか、決定打に欠くんですよね。不本意ではありますが、今日のところはこれらの説を紹介するに留めたいと思います。

洲根子岬(すねこ──)

sir-enkor
大地の・鼻
(典拠あり、類型あり)
大安在浜の北端に位置する岬の名前です。「竹四郎廻浦日記」には「シネコサキ」と記載されています。また「東西蝦夷山川地理取調図」には「ス子コサキ」とあります。「スネコサキ」という音がそのまま現代まで残っているようですね。

上原熊次郎の「蝦夷地名考并里程記」には次のように記されていました。

志根子                崎
  夷語シ子ンゴなり。シ子ヱムコの略語にて、則、一ッの水上ミと詳す。扨、シ子とはシ子プの略語にて一ツといふ事。ヱムコとは水上ミと申事にて、此邊数ヶ所の沢、水上ミ一ッたる故、此名ありといふ。
(上原熊次郎「蝦夷地名考并里程記」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.89 より引用)
一方、永田地名解はこの説を誤りであるとして、次のように記していました。

Shir-enkoro = Shiri-en-koro  シレンコㇿ  岬 「スネコ」崎或ハ「シネコ」崎ト云フハ訛ナリ 「シレンコㇿ」ハ「シリヱンコㇿ」ノ急言ニシテ直譯スレバ山額ナリ「」ヲ「」ニ轉音スルハ和人及ヒ朝鮮人ノ常ナリ舊地名解ニ「シネコ」ハ「シネヱムゴ」ニテ數個所ノ川其源ヲ一處ニ出スノ義ト説キタルハ甚タシキ誤ナリ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.149 より引用)
……永田っちが上原熊次郎説を全力で否定していました(汗)。まぁでも、この指摘は概ね妥当なものであると言えそうです。sir-enkor で「大地の・鼻」すなわち「」と考えて良いのでは無いでしょうか。

原歌(はらうた)

para-ota
広い・砂浜
(典拠あり、類型あり)
洲根子岬と上ノ国の間に位置する地名です。道の駅「もんじゅ」のあるところですね。同名の地名が島牧にもあります。

島牧村の「原歌」は北海道のアイヌ語地名 (52) 「厚瀬崎・千走・原歌・茂津多」をご覧ください。いや、ぶっちゃけ地名解も同じなんですけどね(汗)。

上ノ国町の原歌ですが、「竹四郎廻浦日記」には「ハラウタ」と記録されています。また「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ハラウタ」とあります。明治期の地形図には「原歌」と漢字で記されています。北に面した円弧状の海岸というのも島牧の原歌とそっくりです。

どこからどう考えても para-ota で「広い・砂浜」と考えるしか無さそうです(汗)。

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2017年10月28日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (480) 「石崎・羽根差・中央川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

石崎(いしざき)

pit-us-i
小石・多くある・ところ
(典拠あり、類型あり)
上ノ国町南部の地名です。明治 35 年までは「石崎村」という村でした。

「石崎」という地名もかなり古くから成立していたようで、「竹四郎廻浦日記」にも「石崎村」と記されています。また「東西蝦夷山川地理取調図」には「石嵜」とあります。

上原熊次郎の「蝦夷地名考并里程記」には次のように記されていました。

石 崎                 小休所川舟渡し
此地名和語なるべし。此川尻は石の崎なる故、和人のかく石崎と号たるべし。故事未詳。
(上原熊次郎「蝦夷地名考并里程記」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.89 より引用)
「河口のあたりが石の岬だから和人が『石崎』と名付けたらしい。知らんけど」とありますね。一方で「大日本地名辞書」には少々違った由緒が記されていました。

石 崎
 嘗て石崎村といひしか、今、上国村の一部と成る、比石(ピツイシ)川の河口右岸に位し、河の流域全部を属す。
(吉田東伍・編「大日本地名辞書 第八巻」冨山房 p.54 より引用)
あっ……! もう少し読み進めてみましょう。

元禄郷帳に「石崎村、ハネサシ村、汐吹村」など載せられ、羽差(ハネサシ)は、今、石崎の北に僅に名を遺す。石崎は昔比石と呼ばれしといへば、何の頃にか改名す。
(吉田東伍・編「大日本地名辞書 第八巻」冨山房 p.54 より引用)
はい。どうやら「石崎」は元々「ピツイシ」だった……とあります。そして、山田秀三さんが「ピツイシ」の答え合わせをされていました。

たぶんピッウシ「pit-ush-i 石・多い・もの,処」,あるいは pit-ush-nai であったろう。石崎の名はそんな地形から出たものか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.439 より引用)
概ね同感です。元々は pit-us-i で「小石・多くある・ところ」だったものがいつの間にか意訳されて「石崎」になった……と言ったところかと思います。

羽根差(はねさし)

pan-e-sa-us-i?
川下・頭・浜・つけている・ところ
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
上ノ国町石崎と扇石の間にある地名です。石崎の北に位置する長内川の河口から羽根差までの間は砂浜が続いていましたが、羽根差から北の扇石の間は台地がそのまま海に落ち込んだような地形をしています。

「竹四郎廻浦日記」には「羽根差村」、「東西蝦夷山川地理取調図」には「羽子サシ」と記されています。古くから「はねさし」という地名があったと考えて良さそうな感じですね。

「角川──」(略──)にちょっと興味深い記述がありました。

 はねさし 羽根差 <上ノ国町>
 檜山地方南端,松前半島西側沿岸部。地名の由来は,アイヌ語のエサシ(岬の意)とパ(崎・かみ・川下の意)・パナ(川下・海に近い方の意)などが関連すると思われるが(地名アイヌ語小辞典),不詳。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1179 より引用)
あっ、なるほど。pan-e-sa-us-i で「川下・頭・浜・つけている・ところ」と読み解くことができそうですね。「羽根差」は現在の地形図では「中央川」の近くに記されていますが、古い地形図などを見ると元来はもう少し南側の地名だった可能性がありそうです。

石崎のすぐ北を流れる「長内川」(o-sar-un-nay あたりの可能性がありそうですね)の河口北側が岬のような地形になっています。これを指して「川下の岬」と呼んだのではないかなぁ……と思います。

中央川(ちゅうおう──?)

和名?
{chiw-nu}(-nay)???
{波立つ}(・沢)
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
上ノ国町羽根差の北を流れる川の名前です。確かに石崎と扇石の中間あたりを流れていますが、それにしても「中央川」を名乗るにしては少々物足りない印象も拭えません。

古い地形図を眺めていて、この川がどうやら以前は「キウノ沢」と呼ばれていた可能性があることがわかりました。なるほど、これだと元々は {chiw-nu}(-nay) で「{波立つ}(・沢)」 あたりだった可能性がありそうです。

あるいは chiw-oro(-nay) で「波・の所(・沢)」という風にも考えられるかもしれません。これだと「中央」という音に近くなりますね。

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2017年10月27日金曜日

秋の道南・奥尻の旅 (183) 「洞爺湖がちょいと見づらい『洞爺湖展望台』」

有珠山ロープウェイに乗って「有珠山頂駅」にやってきました。駅を出た後のオプションは、大別すると二通りあるようです。要は右か左か、それだけなんですけどね(汗)。
左に向かうと「外輪山遊歩道」を通って「火口原展望台」に向かうことができます。「片道 7 分」というのが中々渋いところを突いてきています。というのも、有珠山ロープウェイは 15 分間隔で運行されているのですね。つまり、普通に歩けばギリギリ次のロープウェイに間に合わない距離ということになります(計算上は間に合うのかも知れませんが、普通に考えると厳しいのではないかと)。
そして、なんとなく後で取ってつけた感のある「洞爺湖展望台 すぐそこ →」が目を引きます。これは右に行くしかないでしょう!

別名「昭和新山展望台」

ということで、右折して「すぐそこ」にある「洞爺湖展望台」にやってきました。「洞爺湖展望台」ですが記念撮影用のオブジェには「昭和新山」と記されています。そして「有珠山ロープウェイ」のアピールも忘れていません。
「洞爺湖展望台」から眺めた「昭和新山」の姿です。どことなく横山ノックを彷彿とさせますね(ぉぃ)。
ちなみにこの昭和新山、元々は畑だったところが気がつけば山になってしまった来歴でおなじみですが、山でありながら国の「特別天然記念物」に指定されていたのでした。そして、更に驚愕の事実が明らかになります。
個人の所有だったんですね……(汗)。
駅の横では、「乗車記念カード無料サービス」の撮影が行われていました。これまた昔懐かしい、日本人のメンタルを巧みに突いた商法ですよね。

洞爺湖がちょいと見づらい展望台

「洞爺湖展望台」だけあって、もちろん洞爺湖の姿も一望できます。ちょうど中島が見えるか見えないか、と言ったところでしょうか。
実は、「中島が見えるか見えないか」という若干残念な展望になってしまったのは有珠山の 1977 年噴火のせいだったのだそうです(!)。なるほど、地形図を見ると現在は大有珠が眺望の邪魔をしていますが、元々は中島はおろか羊蹄山まで見渡すことができるビューポイントだったのだとか。

噴火湾は良く見えます

ちなみに南側の眺望は現在でも中々のものです。一見洞爺湖のようにも見えてしまいますが、これは洞爺湖ではなくて噴火湾です。
この「噴火湾」という珍妙なネーミングは、噴火湾を視察したイギリスの調査船が、噴火湾のことを巨大なカルデラだと誤認したことに由来するのだとか。

確かに噴火湾は割と円に近い形をしていますし、周りを有珠山や駒ケ岳などの火山が取り囲んでいるので、そのように誤解したのも理解できなくはありません。ただ、現在の知見では噴火湾(内浦湾)はカルデラ由来では無いと考えられているようです。

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2017年10月26日木曜日

秋の道南・奥尻の旅 (182) 「平成25年 9月27日」

有珠山ロープウェイは、道道 703 号の上を通過して有珠山頂に向かいます。
おっ、ついに洞爺湖が見えてきました!
下りのロープウェイとすれ違いました。デザインはどちらの搬器も同じっぽいですね。

上から目線で

昭和新山を「上から目線」で眺めます。なんか……どことなく和菓子っぽい感じが(どんな感想だ)。
このアングルからだと、昭和新山がまるで象形文字の「山」のように見えますね。

有珠山頂駅に到着~

地表が近づいてきました。出発からおよそ 5 分で「有珠山頂駅」に到着です。
ということで、有珠山ロープウェイで有珠山頂駅にやってきました。
それはそうと、この看板、毎日どうやって日付を書き換えているんだろう……という間抜けな疑問を抱いてしまったのですが、なるほど、そういうことですか(笑)。
でも、遠目からだと違和感がありませんし、なかなか良くできていますよね。

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2017年10月25日水曜日

秋の道南・奥尻の旅 (181) 「行こう、行こう、火の山へ!」

それでは、これから有珠山ロープウェイで「有珠山頂」に向かいます!
さっそく搬器の中に入ります。ドアの上には「ジオパークって、どんなところ?」と題されたジオパークのアピールが。
反対側のドアの上には「山が動く!景色が変わる!」という掲示が。1977 年の有珠山噴火で山頂からの景色が変わってしまった、という比較のようです。なるほど、似たようなアングルの写真ですが、確かに羊蹄山の姿が半分くらい見えなくなってしまっていますね。
搬器内部の写真がドアの上しか無いのは……お察しください(汗)。こんな感じで、それなりに混んでいたんです。

有珠山頂へ!

さて! 有珠山ロープウェイは予定通り、13:45 に「昭和新山駅」を出発しました!
間もなく右手後方には昭和新山の姿が。元々は畑だったとは思えないですよね。

道道 703 号

そして、右手前方に道道 703 号が見えてきました。ロープウェイは、道道が谷を越えているところを更に上から越えていきます。この谷なんですが、地形図を見た感じでは人工の谷のようにも見えるのですが、実際はどうなんでしょう?

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
搬器がちょうど真上に差し掛かったところで道道 703 号を撮影してみました。珍しくタイミングがほぼ完璧だったような……?

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2017年10月24日火曜日

秋の道南・奥尻の旅 (180) 「ロープウェイ ミニ展示室」

そう言えば、改札の脇でこんなものを見かけました。写真を撮影して日付入りのカードに焼き付けたものを無料で貰える……というものです。この手のビジネスモデルって今でも健在なんですねぇ。
さて、15 分間隔で絶賛運行中の「有珠山ロープウェイ」ですが、あいにく 5 分ほど前に出発してしまったところでした。ということで「ロープウェイ ミニ展示室」でちょいと時間を潰します。
中にはこんな風に模型があり……(ガラスの映り込みが酷いですね。すいません)。
きちんと「昭和新山駅」にもロープウェイが停車していました。

ロープウェイの動くしくみ

壁のパネルのほうが見やすかったですね。有珠山ロープウェイは「4 線交走式」で「最も多いタイプ」だそうです。まぁ、普通はそうでしょうねぇ。
昭和新山側から眺めた 3D モデルがありました。「どっかん!」の記録が手に取るようにわかりますね。

社長はどっちも若狭さんでした

さて、ぼちぼち山頂からロープウェイが降りてくる時間です。窓口で往復切符を買い求めます。
買い求めた切符がこちら。写真のロープウェイは模型と良く似ている……というか、模型がうまく実物に似せて作られているということでしょうか。「ワカサリゾート株式会社」は「わかさいも本舗」の関連会社みたいですね。
発車まであと 3 分となった頃、ようやく山頂からロープウェイが降りてきました。前面に "USUZAN" と書かれています。切符に出ていたものと同じデザインですね。

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