2010年2月26日金曜日

JR 亀山駅・寸描(第 4 回)

JR 関西本線の亀山駅ですが、「昔は結構賑わっていたんだけれど……」という雰囲気が此処彼処に見受けられます。
例えば、この、無駄に広いホームしかり、
国鉄時代はあちこちで見られた、こんな形の案内板があったり。「奈良・京都方面」というのも、かつては直通の急行列車もあったのですが、既に廃止されてしまっています。
この駅では唯一電化されている名古屋行きの快速電車も 2 両編成ですし、しかも「ワンマン」です。それなりに乗客はいたので、もう少し増車してあげてもいいのに……などと思いました。
アングルを変えてもう一枚。ホームが嵩上げを繰り返した跡が良くわかります。
かつては長大編成の列車も行き交ったのだろうと思わせる長いホームですが、
今では、やってくる列車は単行か 2 両編成か、といったところです。

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2010年2月25日木曜日

どこへ行くのも 1 時間に 1 本(第 3 回)

昨日にも増して時間が無いので、今日も写真中心で失礼します。
1 時間に 1 本の電車に乗って、世界の(まだ言うか)亀山駅にやってきました。名古屋からも、四日市あたりまではそれなりに本数があるのでしょうが、亀山まで来るのは昼間は 1 時間に 1 本です。
跨線橋を渡ると、1 両のディーゼルカーが止まっていました。行き先は「鳥羽」とあります。紀勢本線から参宮線に入る列車(1 両だけど)のようです。
そして、こちらも 1 時間に 1 本ペースです。

特急も、急行もありません

さてさて、本日のメインイベントとなる関西本線(亀山─加茂間)ですが、こちらはと言えば……
これまた 1 時間に 1 本です。:) ここまで 1 時間に 1 本が揃うというのもなかなか無いのではないかと……。
ここは、かつてはブルートレインも走っていたと記憶しているのですが(記憶違いだったらごめんなさいです)、それもあってか、ホームはこんなに広々としています。この先、左に伸びるのが名古屋に向かう「関西本線」で、右に向かうのが松阪や尾鷲、新宮を経由して和歌山に向かう「紀勢本線」です。

本線と本線が分岐する駅にしては、昼間は 1 時間に 1 本が基本で、しかも特急はおろか急行すら走っていないというのも、この駅くらいではないかと……。

運動にもなりますし

ちなみに、ホームの隅を散歩していた女性ですが、次の列車が来るまでの時間が手持ちぶさただったらしく、ずーっと同じ所を繰り返し散歩されていました。:)

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2010年2月24日水曜日

世界の亀山駅(←(第 2 回)

困った時の……

ちょーっとお疲れモードなので、楽をしたいときの「旅行記みたいなもの」、ということで……(すいません)。

加佐登駅に典型的な国鉄型構内配線を見た

鈴鹿サーキットランドから、JR に乗っておうちに帰ろう!というネタが企画倒れ状態なので、今日はこの続きを……。JR 関西本線の「加佐登駅」にて亀山行きの電車を待っていた時の話から。
マニアの人にはピンと来るかと思いますが、加佐登駅も御多分に洩れず、典型的な「国鉄型」の構造です。もっとも、加佐登駅ができた時は「関西鉄道」という私鉄だったので、それを「典型的な国鉄型」と言い切るのもおかしな話ですが……。

ま、いいか(←
ちなみに、その「国鉄型」の構造とはなんぞや? という話ですが、改札と 1 番線が地平で隣接していて、跨線橋の先のホームに 2 番線と 3 番線が存在する形態のことです。

規模は遙かに異なりますが、昔の JR 京都駅も、究極の「国鉄型」だったんですよね。日本一長い 1 番ホームと「烏丸中央口」が地平で繋がっていて、間に「機回し線」あるいは「留置線」が 3 本あって、次いで 2 番ホームと 3 番ホームがある、という形でした。駅ビル改築の絡みで 1 番線と 2 番線の間の「通過線」っぽいものが 1 本減りはしましたが、基本的な構造は今も変わらない……筈です。

余談を失礼しました。

夜行列車とホームの洗面所

微妙に歴史を感じる、という点においては、これもそうかも知れません。
水飲み場……というよりは「手洗い場」のようですが、昔はホームに「洗面所」があるのが普通だったんですよねぇ(いつの時代の話だか)。殊に、蒸気機関車の煤煙をマトモに顔に受けたりしてしまった時なんかに、数分間の停車時間の間にホームで顔をゴシゴシ、なんて光景が良く見られたものです。いや、リアルには見たことないですけどね?(←

世界の亀山駅(←

さて、一時間に一本の快速電車(各駅に止まりますが)に乗車すると、ほどなく終点の亀山駅に到着します。
昔だと「ローソクの駅」でしたが、今や「世界の亀山駅」です。立派になったものです。
駅名標も心なしか誇らしげに……は見えませんね、ええ。

ちなみに、ここから西側は JR 西日本の管轄エリアとなります。

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2010年2月23日火曜日

Bojan のホテル探訪~「山の上ホテル」編(完結編)

部屋の椅子はご覧のような状態でした。
もっとも、これを「くたびれている」と見るか、それとも「味わいがある」と見るかは個人の自由かも知れません。私はと言えば、椅子やテーブルが少々くたびれていても意に介さない人間ですから、つい好意的に見てしまいます。ここまで来ると「あばたもえくぼ」かも知れませんけどね。
これは、ダブルベッドの間にあるアレですが……そういえば、これって正式には何と言うんでしょう。こちらもなかなか歴史のある佇まいです。あまりに古いものだと、時計が止まっていたり、スイッチが機能しなくなっているケースもあったりして困るんですが、翌朝、きちんと目覚ましも機能してくれました。

Fiber To The Hotel !

さて、そんな歴史を感じる客室ではありますが、「FTTH」完備なのだそうです。「FTTH」の本来の意味は Fiber To The Home ですが、ここだと "Fiber To The Hotel" になるのかも知れませんね。
ちなみに、RJ-45 のローゼット(いわゆる LAN ケーブルの差し込み口)は「なんとかテーブル」の下の方にある、と書いてあったのですが……。
なるほど、確かにありました。:)

ヒルトップからダウンヒル!?

翌朝は小雪が舞っていました。これは、別館から見た本館の写真です。
"Hilltop Hotel" から雪道を降りないといけないのであれば、まさしく「ダウンヒル」になってしまうなぁ、などと要らぬ心配をしましたが、結論から言えば路上には積雪は無く、杞憂に終わりました。

ライティングには気をつけよう

壁には絵が 2 枚ほど飾ってありました。
あわててカーテンをかけたりして、ライティングには気を遣ったのですが……難しいものですね。

朝食とか

朝食は地下 1 階のレストランでいただきました。「和定食」と「洋定食」のいずれかを選ぶことができます。バイキング形式ではありません。

最近よく思うのですが、バイキング形式じゃない朝食のほうが、なんか意味もなく格調が高いような感じがして良く思えるんですよね。やはり「客」がウロウロと歩き回っているよりは、ウェイトレスのお姉さんが水とメニューを持って自席まで来てくれる方がどことなくうれしいわけで(偏食が多い人は大変でしょうけど)。

「肩の凝らない心地よい空間」

もっとも、肩が凝るような雰囲気かと言うと意外とそうでもなくて、入り口には新聞(スポーツ新聞含む)が並べてあったりします。「肩の凝らない心地よい空間」なんだなぁ、と思います。

「山の上ホテル」が、現代にあっても「いい雰囲気」を湛え続けている要因としては、客室規模がさほど大きくないということと、大型バスで近寄りづらいところにあるような気がします。結果として「団体客」があまり寄りつかず、しっとりとした雰囲気が壊されずに済んでいる、といったでしょう。

Rating

あ、Rating ですね。思うところあって今回から「五つ星」での評価にしようと思っているのですが、「山の上ホテル」は堂々の ★★★★★(五つ星!)ということで。また行きたいです~

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2010年2月22日月曜日

Bojan のホテル探訪~「山の上ホテル」編(第 6 回)

部屋に備え付けられている冷蔵庫の中身はこちら。
最近は、中身が空っぽで持ち込み専用の冷蔵庫が多いですが、こちらではちゃんとしたミニバーが用意されていました。
こちらはオリジナル ブランドのポークジャーキーです。一袋 \420 とのこと。

「おゆ」

冷蔵庫の上には、ドリップコーヒーとお湯入りのポットが用意されていました。これは、余所のホテルでも良くある趣向ですね。
これ、うっかりしていたのですが、もしかしたら魔法瓶タイプで、きちんと毎日部屋係のお姉さんがお湯を注いでいるのかも知れません。
大変味わい深い「おゆ」の文字が光ります。

「おみず」

お湯があれば、お水もあります。
枕元には冷水が用意されていたのですが、こちらも
負けず劣らず味わい深い「おみず」の文字が。こういった趣向は、外国からのお客さんは喜ぶような気がします。名の知れた書家が揮毫したものだったりしたら驚きですが……。

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2010年2月21日日曜日

Bojan のホテル探訪~「山の上ホテル」編(第 5 回)

ボーイさんの「良かったですね」に微かな違和感とやすらぎを覚え、お茶といっしょにデザートが出てきたところに喫驚したわたくしですが、このあたりはこのホテルならでは、のことなのかも知れません。

一般向けホテルとしての開業は比較的新しい1954年1月20日で、GHQの接収解除を機に、新進実業家の吉田俊男(1913-1992)が佐藤家から建物を借り入れる形で創業した。
吉田は旭硝子の営業部門で長く辣腕を振るった経歴を持ち、1953年に独立して個人事務所を設立、知人から旧・佐藤新興生活館の接収解除を伝えられたことを機にホテル業に参入した異色のホテルオーナーであった。彼は自らの手で花森安治のコピーライティング等とも通底する個性ある広告コピーを執筆し、ホテル経営の素人であることを逆手に取った懇切な接客体制に務めるなど、その後半生を費やしてこのホテル独特のアットホームなサービス文化を築いた。吉田俊男の死後も、ホテルの運営は彼の子孫の手で継続されている。
(Wikipedia 日本語版「山の上ホテル」より引用)
ちょっと引用部が長いですがご容赦を。「このホテル独特のアットホームなサービス文化」というところが、まさにこれらの「驚き」の源泉だったように思われるわけです。

神は細部に宿り給う

さて、こういった歴史の長いホテルの場合、不安になるのが室内設備の老朽化です。特にバス・トイレあたりはどうしても劣化が激しく、がっかりさせられることも少なくないわけですが……。
キンチョールが置いてあるのはさておき(出るのか!?)、なんだかとっても綺麗です。もしかしたら最近リフォームしたばかりなのかも知れませんが、とにかく綺麗です。
オーソドックスなデザインで、備品もごくごく一般的なものです。
シャワーの水栓も(湯加減の調整が容易ではない)独立型です。バスタブのサイズは、足を伸ばす余裕は無いですが狭すぎることもありません。

地デジは未対応かも知れませんが

部屋の設備に戻りましょう。
クローゼットの隣の窓際にはライティングデスクが。集中できそうですね。
テレビと荷物置き場です。ブラウン管テレビとそれを支える台は、ちょっと懐かしい感じもします。デジタル放送は未対応でしょうか。
海外からの宿泊客があることも考慮してか、チャンネル表にはしっかりと CNN International の案内もあります。

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2010年2月20日土曜日

Bojan のホテル探訪~「山の上ホテル」編(第 4 回)

部屋に案内してくれたボーイのお兄さんは、手際よく荷物を運んでから、去り際に「後ほど係の者がお茶をお持ちします」と告げて戻っていきました。え、お茶? なるほど、「ホテル」というよりも「旅館」のノリに近いんだな、などと独り合点しながら、部屋の中を眺め回していました。
ドアノブの内側にかけてあったものです。大抵のホテルにあるものですが、何とも書体とイラストが味わい深いです。そして今頃気がついたんですが、英語の文面がちょいと変わっていますね。"Please have this room made up soon as possible" というのは、あまり見かけない表現です。
部屋の空調を制御するサーモスタットです。よーく見ると 30 度(Max かな?)にセットされていますね。意外なことに日本語のみで、しかも摂氏 Only です。

広すぎず狭すぎず

予約したプランは「20 時チェックイン・9 時チェックアウト・部屋タイプは指定なし」という格安プランだったのですが(しかも厳密には予約をミスっていたわけですが)、案内されたのは角部屋のツインでした。広すぎず狭すぎず、口惜しいくらいケチのつけようがありません。

ちょっと待て(笑)

そういえば、お茶が来ないな……なんて思っていたのですが、そうこうしているうちに係の人がやってきました。
ち ょ っ と 待 て……(笑)。お茶はさておき、デザートまで。ホテルにあってこんなもてなしを受けたのは前代未聞です、ハイ。

「お茶は少々熱くなっておりますのでお気をつけください」
あ……はいっ。(動揺中)
「ベッドのカバーは外されますか?」
え、えぇ。お願いします(まだ微妙に動揺中)
「どちら(のベッド)でお休みになりますか?」
えーと、窓側のほうで。
「奥のほうでございますね」
はい。

よーく考えたら、ここは角部屋だったので、「窓側のベッド」という表現は的外れだったわけですが……。

良くできた係のお姉さんの話

ちなみに、係の方のコスチュームはとてもクラシックなデザインのものでした。昔のメイド服とでも言うのか、無理矢理譬えて言うなら昭和 30 年代の特急列車の客室乗務員(「つばめガール」とか)のような、とでも言うのか。

デザートの写真を撮っておこうと思い、口をつけずにベッドメイクが完了するのを待っていたところ、「どうぞお食べになってお待ちください」と促されてしまいました。さすがに目の前でデジカメを持ち出す勇気は無かったので、適当にいろいろと眺めながら時間を潰したのでした。こういった努力の結晶が先ほどの写真です(←

ベッドメイクを終えたあと、係のお姉さんは 30 度に設定されていたサーモスタットを少し調整して部屋を出て行きました。特に「温度を調整しましょうか?」といった確認は無く、お姉さんの判断で温度を少し調整したようです。どこまでがマニュアル化された対応なのかは判りませんが、気が利いているのは間違いない感じですね。どことなく、石田三成の逸話(但し後世の創作ですが)を彷彿とさせます。

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2010年2月19日金曜日

Bojan のホテル探訪~「山の上ホテル」編(第 3 回)

山の上ホテルには「本館」と「別館」がある……ということに、現地に到着してようやく気がつきました。何となく「別館だよなぁ」と思いながらも、予約メールには「山の上ホテル」としか書かれていなかったので、とりあえず本館のフロントに向かいました。

別館のような気はしたんだけどなぁ

フロントでは「もしかしたら本館じゃ無いかもしれませんが」と前置きしつつ、名前を告げました。係の人は「宿泊者カード」の記入を促した後、予約状況を確認し、すぐに内線で話を始めました。やはり「本館」ではなく「別館」だったんだな、と察したので、カードに記入する手を止めて反応を待ちます。

「別館でのご予約でいらっしゃるようです」と告げながらも、書きかけの宿泊者カードには「このままご記入いただけますか」とのこと。宿泊者カードを書く前から、右ななめ後ろに人の気配を感じていたのですが、どうやらドアボーイのお兄さんが待機していた由。フロントの係の人は「別館でのチェックインとなりますので、お手数ですが道路の向う側に渡っていただきまして……」と説明しつつ、ドアボーイのお兄さんに宿泊者カードを渡します。別館を予約した客が、間違えて本館のフロントに足を運ぶケースには慣れているようです。

まさかの展開

別館のフロントではさらなる驚きが待っていました。「○○様でいらっしゃいますね? ただ、ご予約は明日の御一泊で伺っているようなのですが……

うっひゃー……。まさかのブッキングミスです。ここ数年、あちこちのホテルで年間 20 泊以上は間違いなくキープしている筈の私ですが、完全なブッキングミスはおそらくこれが初めてです。一瞬、頭の中が真っ白になりかかるも、平静を装いながら「今日は大丈夫でしょうか?」と聞いてみたところ、「大丈夫でございます」と心強いひとことが。

「では、本日から御一泊ということですので、明日の予約はキャンセルということで宜しいでしょうか?」
はい……(立場なし)。
「それでは……こちらのお部屋へどうぞ」

あれ……? 確か予約を入れた際には、「チェックインの際に、お預かり金またはクレジットカードの御提示を頂戴いたします」と書いてあったのに、特に確認は求められませんでしたね……。代金を踏み倒すような悪人には見えなかったということでしょうか。いやぁ、照れちゃうなぁ(笑)(←

あり得ない会話

もちろん、客室にはベルボーイのお兄さんに荷物を運んでもらえます。エレベーターの中では……

「お部屋が空いていて良かったですね」
いやぁー、宿泊日を完全に間違えたのは今回が初めてで……

といった会話が交わされたのでした。「ん……?」と思われた方は「言葉の嗅覚」が鋭い方でしょう。そう、「良かったですね」なんです。普通のホテルでは滅多に聞けない言い回しです。少なくとも、ホテル従業員と宿泊客の間ではめったに聞けない筈です。普通はもっと、敬語と謙譲語のジャーマンスープレックスのような(どんなだ)日本語が出てくる筈なのですね。例えば「本日はお客様にお部屋をご用意できて何よりでした」といった風に。

もしかしたら、「良かったですね」というのは、ホテルマンとしては「失言」なのかも知れません。しかしながら、「従業員」と「客」との会話ではなく、「人」と「人」との会話なのであれば、これほど適切な会話は無いわけです。恩着せがましいわけでも馴れ馴れしいわけでもなく、純粋にお間抜けなミスをやらかした一人の人(=私)が希望通りの宿にありつけたこと、この事実を純粋に喜んでくれている、とするのであれば。

実際の所は、単なる失言である可能性もゼロではないのですけどね。でも、何気ない一言にも「客人へのおもいやり」があるかのように錯覚させてしまう、というだけでも、もの凄いことなのだと思ってしまいます。

息を呑む

案内された部屋はこちら。
思わず息を呑んだことをここに白状します。いや、今まで他のホテルでも似たような雰囲気の部屋に案内されたこともありましたし、おそらくはもっと豪華な部屋にも泊まったことがある筈なんですね。ですからそれなりには免疫がついている筈なのですが……(← ヤな奴)。改めて写真で見てみると、別にふつーのちょっと小じゃれた部屋、なんですけどね。

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2010年2月18日木曜日

Bojan のホテル探訪~「山の上ホテル」編(第 2 回)

東京メトロ千代田線の新御茶ノ水駅から「甲賀坂」をテクテクと西北西に歩いて行くと、明大通りの交差点の先にちょいと急な坂が見えてきます。
山の上ホテルはこの坂の先です。
はい、山の上ホテルに到着しました。「山の上ホテル」という名前は少々大げさなようにも、また奇異にも思えますが、一応ちゃんとした由来があるそうです。

人に歴史あり、山の上に歴史あり

まぁ、話は長くなるのですが、まずは来歴から。

ホテルのシンボルとも言える鉄筋コンクリート建築の旧館は、当初、財団法人日本生活協会の依頼により1936年にアメリカ出身の来日建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計により「佐藤新興生活館」として完成した。その後、太平洋戦争中には帝国海軍、引き続いてGHQ陸軍婦人部隊に接収され、その宿舎として用いられていた。
(Wikipedia 日本語版「山の上ホテル」より引用)
なんと、あのヴォーリズの設計だったんですね……。幼少期を滋賀県で過ごした人間にとっては、ヴォーリズの名前は良く耳にしたものでした。うん、彼をネタにしても一本くらいはイケそうですが、また日を改めて。

「ヒルトップ」=「山の上」

さて、GHQ に宿舎として接収されていたヴォーリズの建築が、1954 年に一般向けホテルとして生まれ変わります。

一般向けホテルとしての開業は比較的新しい1954年1月20日で、GHQの接収解除を機に、新進実業家の吉田俊男(1913-1992)が佐藤家から建物を借り入れる形で創業した。
(Wikipedia 日本語版「山の上ホテル」より引用)
そして、「山の上ホテル」という名前の由来がここでようやく語られるわけですが、

なおホテル名は、GHQ接収時代にアメリカの女性兵士・軍属の間で建物の愛称になっていた「Hilltop」が起源で、これを吉田が「丘の上」でなく敢えて「山の上」と意訳したことによる。
(Wikipedia 日本語版「山の上ホテル」より引用)
ということなのだそうです。もともと "Hilltop" という愛称があり、そこからホテル名をいただいた、ということになりますね。それにしても、小ぢんまりとしながらも凛とした佇まいには、「山の上ホテル」というネーミングがいかにもしっくり来ます。これがもし「ヒルトップホテル」なんて名前だったら、何となくがっかりしてしまいそうな……。

次回予告

まぁ、今まで泊まったホテルとは「何かが違っていた」とは断言できます。どの辺が違っていたかは、これから追々と……。

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2010年2月17日水曜日

Bojan のホテル探訪~「山の上ホテル」編(序章)

一回の宿泊にいくらまで(お金を)出すことができるか、というのは、なかなか考えさせられる問題です。厳密には「問題」という表現は適切ではないのかも知れません。それは、気持ちの持ちようかも知れませんし、ホテルに一夜の宿を借りるという「行為」に何を求めるのか、というところで全く変わってきます。

「寝床があればそれでいい」という考え方もアリだと思いますし、贅を尽くした「非日常の空間」を求めるのもまた、アリだと思います。広々とした開放感を求めるのも良いでしょうし、心のこもった「もてなし」に喜びを覚えることもあるかと思います。

都会ど真ん中の山の上

久々に東京に来ているのですが、今回は「山の上ホテル」に一夜の宿を求めてみました。

山の上ホテル(やまのうえホテル Hilltop Hotel)は、東京都千代田区神田駿河台にあるホテルである。
(Wikipedia 日本語版「山の上ホテル」より引用)
はい。なんだか名前からはどこかの高原のリゾートホテルのような雰囲気も感じられますが、都内ど真ん中、千代田区は神田駿河台の「丘の上」にあります。
(Wikimedia Commons より借用。この作品はパブリック ドメインです。
 この作品の著作者である Lombroso 氏は、この作品をパブリックドメインで提供し著作権を放棄します。これは全世界で適用されます。)

日本の代表的なクラシックホテルであり、特に、現存して引き続き営業に供されている旧館は、アール・デコ調のクラシカルな内外装を残すことから、太平洋戦争以前の日本の名建築の一つにも数えられる。
(Wikipedia 日本語版「山の上ホテル」より引用)
という説明がありますが、写真は道路を挟んで向い側の「別館」のものです。まぁ、それでもずいぶんとクラシックな作りではあります。

2010/2/19 追記:この「『別館』のもの」という記載はまったくの間違いで、これは「本館」の写真でした。大変失礼しました。

文人軟禁の宿

ちなみに、「山の上ホテル」の特色としては、次のように記されています。

また、著名な小説家たちの「都心の避暑地(兼・軟禁場所)」である「文人の宿」としても知られる。
(Wikipedia 日本語版「山の上ホテル」より引用)
ぬぁははは(笑)。つまり「文人軟禁の宿」ということですね。なるほど、確かに部屋にはちゃんとデスクがありますし(まぁ、当たり前ですけど)、デスクには絵はがきだったりエアメール用の封筒も用意されています。ホテルの来歴からも、文人のみならず海外からの宿泊客も少なくないようです。
たとえば、こんな絵はがきなのですが、
ちゃっかりと「文化人の 山の上ホテル」と書いてあります。この味わい深い書体が何とも言えません……。

続きます

まぁ、文体からも察しがつくかも知れませんが、とても心地よい空間で、滞在を心から楽しんでいるところです。続きはまた明日にでも……。

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2010年2月12日金曜日

新年早々、壮大な思いつき発動す(第 1 回)

今週に入ってからずーっと風邪気味で、どうにも調子が上がらずに困っているのですが、それはまぁどうでも良くて(だったら書くな)。

新年早々、壮大な思いつき発動す

今年の年始に鈴鹿サーキットに遊びに行ってきたんですが、そこから家に帰るのに、ふつーに白子から近鉄に乗って帰るのはあまりに味気ないということで、どうせだったら滅多に通らないルートで帰ってみよう、と思い立ちました。
起点はこちら、鈴鹿サーキットのメインゲートです。ここから白子駅(近鉄)には路線バスが出ているのですが、他の駅に向かうルートは……無さそうな雰囲気でした。名古屋に向かうのであれば、伊勢鉄道(第三セクター)の「鈴鹿サーキット稲生駅」まで歩いていけそうなのですが、あいにくとこちらは逆方向でして。

……ええ、JR の「関西本線」に乗って奈良まで戻ろうという壮大な思いつきが、ここに発動されたのでした。

この「関西本線」、確かに名前は「本線」ですが、もともとは「関西鉄道」という私鉄で、「鉄道国有法」で国有化された経緯を持つものですから、国鉄「関西本線」になってからは設備投資その他も等閑(なおざり)にされてしまい、結果として著しく時代後れなまま現在に至るという、かなり気の毒な経緯をたどっている路線でもあります。逆に言えば、おかげで「味のある」風景が楽しめる、とも言えるのですけどね。ものは言いようとは良く言ったものです。

さて、鈴鹿サーキットランドの正門にはタクシー乗り場があり、何社かタクシー会社の電話番号が書いてありました。一番上にあった「ホンダタクシー」という社名が気になったので、そこに電話をかけてみました。いや、タクシーと言ったらトヨタか日産が相場じゃないですか。もしホンダ車のタクシーが来たならば、なんか新鮮でしょ?

……やってきたのはふつーのトヨタ車(だったと思う)でした。どうやらこの「ホンダタクシー」、本田技研工業とは特に関係は無さそうです。残念。

「かさど」まで

運転手さんに「ここから一番近い関西本線の駅まで」と行き先を告げたところ、「うーん、そうね。『かさど』でいいですか?」と返ってきました。前日に少しだけ地図を見た限りでは、「笠戸」などと言う駅名は無かったような気がしたのですが、もとよりさほど土地勘が無い身の上だけに、とりあえず「ええ、そこでお願いします」と答えるほかは無かったのでした。

「ざっと二千円くらいかなー」と思っていたのですが、二千円をちょいと超えたあたりでメーターがストップ。料金を支払って駅前に降り立ってみると、確かに「かさど」駅がありました。
なるほど、「加佐登」とかいて「かさど」なんですね。

佐々木信綱と佐佐木信綱ってどうよ

この加佐登駅、一応駅員さんもいらっしゃいます。ただ、JR 社員かどうかはわかりませんでした。地方には「民間委託駅」というのも結構あるので……。

ホームから望んだ駅舎がこちら。
飾りっ気は無いですが、十分な待合スペースを持つ立派な駅舎です。
近所の名所案内ですが、「スズカランド」の名前もありますね。「鈴鹿サーキット稲生」駅は三セクの伊勢鉄道の駅になっちゃいましたから、JR の駅ではここが最寄り駅になるのかも知れません。

あと、一昨年だったか、登呂遺跡で名前を見かけた「佐々木信綱」の名前をここでも見かけました。というか厳密にはこれは間違いですね。「佐々木信綱」だと平安後期から鎌倉時代に活躍した武将の名前になってしまいます。歌人の「佐佐木信綱」は、「佐佐木」なんですよね。

ちなみに、南北朝時代に活躍し、「婆娑羅大名」として知られる佐々木どうよ、じゃなくて「佐々木道誉」は信綱の子孫に当たるようです。もちろん歌人じゃないほうの。

関西本線は、名古屋から亀山までは随分前に電化されました。しかし、このあたりは電車の本数も稀で、どうやら 1 時間に 1 本しか来ない様子。ここは大人しく待つこととしました。随分と寒かったけれど。

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