2011年2月28日月曜日

北海道・東北の旅 2010/夏 (66) 「100人乗ってもダイジョウブ?」

「三航北国日誌」第 66 回です。あとは帰宅するだけとなった今回の旅、果たして何日かかるのでしょうか。

神様はバイパスもお好き

「神居古潭」と言えば、旭川から深川に抜ける道の難所として知られていますが、現代の国道 12 号はトンネルでちょちょいと抜けてしまいます。

マナーも一緒に携帯しましょう。あ、違うか

そんなわけで、古(いにしえ)の「神居古潭」を見に行くために、国道 12 号を右折して旧道に入ります。駐車場が見えてきたので、車を停めた……のですが。
いちぶの人なんでしょうけど、マナーの悪い喫煙者というのは嫌なものですね。

いにしえの かむいこたんの はしがあり

さぁて、ここは国道 12 号の旧道ですが、対岸には国鉄函館本線の旧線があります。名にし負う「神居古潭」の周りは古のものばかり、ですね。そして、函館本線にかつて存在した「神居古潭駅」に向かうための橋が、今も遺されています。
では、傘を差しながら、神居古潭駅(跡)に向かいましょう。
なにやら看板がありますね。まずは右の方から。
ふむふむ、「アイヌ語地名表示板」ですか。Para-moy で「広い・湾」とあります。ちゃんと写真付きなのがいいですね。確かに Para-moy といった雰囲気が伝わってきます。

明らかに訂正済み

もう一つの看板がこちらなのですが……
こちらは逆に、ツッコミ所満載のナイスな(死語)看板ですね(笑)。シルエットはまるで江戸川コ○ンですし、「一度に100人以上渡れません!」の「100」は、明らかに修正入っていますし。しかも、
この橋を 100 人以上で渡るというのも、イナバ物置の CM 以外ではあり得ないような……(←

ダイジョウブ!

というわけで、数人で渡る分には「ダイジョウブ!」だそうなので、さっさと行きましょう。

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2011年2月27日日曜日

北海道・東北の旅 2010/夏 (65) 「神様は急流がお好き」

「三航北国日誌」第 70 回です。旭川が今回の旅の最北端で、ここからはひたすら南下して家に帰るのみ、です。

まぁ、こんな日もあります

さて、早いもので Day 4 のスタートとなりました。ここまで走行した距離は……一切不明です(←)。どうやらトリップメーターを撮影するのを完全に失念していた模様……。まぁ、こんな日もあります(←

もろもろの記録から逆算すると、約 955 km ほど走っていたようです。

Day 4 の予定走行距離は 269.2 km

そんなわけで、Day 4 のルートです。
距離にして 269.2 km、予想所要時間は 4 時間 53 分と言いますから、とても楽~なルートです。では、早速出発しましょう!

どこどこ○の○

旭川市内を走る路線バスなんですが、
こんな感じで「どこどこ○の○」という行き先がとても多かった印象が……。

「時代」は旭川に実在した(←

日本では珍しい、ロータリー型交差点もありました。
いったん、国道 40 号を北北西に向かいます。

昭和 7 年竣工だそうです

なんだか、とても立派な橋が見えてきました。
この橋は「旭橋」と言うそうです。
次の目的地は「神居古潭」なので、旭川からは素直に国道 12 号を西に向かえば良かったのですが、その前に、近文に「アイヌ記念館」があるというので、そこに行ってみよう……と思い立ちました。で、実際に前まで行ってみたのですが、なんだか商売っ気丸出しの土産物屋にしか見えなかったので、そのまま退散してしまいました……(苦手なんですよ、そういう雰囲気の所って)。

……どうでもいいんですが、私の文章って相変わらず一文が長いですね。編集者の方に何度か文章をちょん切られたことを思い出しました。もう少しハキハキした文章にしてもいいんですが、脳内に染みついた?文体に手を入れるというのもなかなか面倒なものです。余談でしたね。すいません。

神様は急流がお好き

さて、神居古潭にやってきました。
外はあいにくの空模様。一度は傘を持たずに出たけれど、やはり傘を持って行くことにしましょう。続きは明日以降にでも……。

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2011年2月26日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (36) 「東鹿越・幾寅・西達布・富良野」

本日も、超マイナーな地名から超メジャー級のネタも交えつつお送りします。

東鹿越(ひがししかごえ)

ただ今、Chicago の "Hard To Say I'm Sorry" を聞きながら書いているところなのですが……。だって「しかごえ」だし(←)。ここの由来は……大人の事情で後回しです。♪ビニ本手に持って去る!(2:14 あたり)(←

幾寅(いくとら)

yuk-turasi-pet
鹿・それに沿って登る・川
(典拠あり、類型あり)
「南富良野町」の中心地で、金山ダムの上流部にあたるところです。JR 根室本線の「幾寅駅」があります。「幾寅」の街のすぐ脇を流れる「ユクトラシュベツ川」がその由来のようです。yuk-turasi-pet で「鹿・それに沿って登る・川」といった意味になります。

……つまり、「幾寅」は「ユㇰトゥラシペッ」の音をそのまま用いたもので、「鹿越」は「ユㇰトゥラシペッ」を意訳したもの、と考えられます。「鹿越」が「幾寅」の西側にある、というのはちょっと変な話ですが、まぁ、細かいことは気にしないでおきます(←

もともと、「東鹿越駅」のさらに西側に「鹿越駅」があったのが、金山ダム建設で水没したみたいです。

西達布(にしたっぷ)

ni-us-tap?
木・多くある・山
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
幾寅から樹海峠を越えて、富良野市に入ったあたりで、東大演習林があるところなのですが……。ちなみに「西達布」はあっても「東達布」は無いようです。従って、「にしたっぷ」で何らかの意味がありそうです。

「これは楽勝だろう」と思って選んでみた(←)のですが、それが意外と難解でして……。山田秀三さんも次のように書いていました。

 富良野市南の川名,地名。西達布川は空知川の東支流で長い川である。永田地名解は「ニ・シタㇷ゚ ni-shitap。樹木・収縮する処」と書いたが,何か分からない名である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.71 より引用)
shitap にそんな意味あったっけ? と思って、わかる範囲でいろいろと調べてみたのですが、結局意味を突き止められず。もしかしたら、これも「幽霊アイヌ語」かも知れません……。

「にしたっぷ」という地名は苫小牧にもあったそうで(今は「錦岡」に改名したとか)、山田さんは、その「錦多峰」の解として ni-usi-tap で「木・多くある・山」という考え方も有りではないか、とされていました。富良野の「西達布」も林業が盛んだったところのようなので、ni-usi-tap が正解かもしれませんね。

富良野(ふらの)

hura-nu-i
臭い・持つ・ところ
(典拠あり、類型あり)
富良野と言えば、かつてアルペンスキーのワールドカップも行われた、国内でも有数の知名度を誇るリゾート地です。ラベンダー畑も近く、富良野から美瑛にかけてのなだらかな丘陵地は、その風景自体が絵になるような美しさを持つことでも知られています。

……当 Blog の傾向を多少なりともご存じの方は、この前フリで「来たな!」と思われたかも知れません。そうです。来てます(←

富良野の語源ですが、hura-nu-i で「臭い・持つ・ところ」、あるいは「臭い・ところ」という意味のようです。山田秀三さんは次のように紹介しています。

 この名は富良野川がもとであった。松浦氏十勝日誌は上川盆地から越えて来て「フウラヌイ。小川。此源ピエの硫黄山(現称十勝岳)より落る故に臭気鼻をつき,一掬を試みんとなすや土人等毒ありとて制す」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.69 より引用)
「一掬」は「ひとすくい」ですが、もしかしたら希硫酸に近い状態だったのかも知れませんね。それにしても、国内でも有数の知名度を誇るリゾート地の名前が、実は「臭いところ」だったというのは何とも……(笑)。世の中、知らない方がいいこともあるってことでしょうね(←

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2011年2月25日金曜日

Bojan のホテル探訪~「旭川グランドホテル」編(おしまい)

えぇと、そんなわけで「旭川グランドホテル」編の続きです。

新しい朝が来た

さて、朝です!(←)
「旭川グランドホテル」の朝食会場は三つあるみたいです。「和洋バイキング」「和定食」「洋定食」とあるのですが、どこにしたかと言うと……。
無投票で「洋定食」に決定です。
1 階の「和洋バイキング」だと、「いくら食べ放題」というオプションもあったようなのですが、それはそれ、ということで……(どゆことだ)。いやぁ、朝から「洋定食」が食べられるなんてあんまり無いですからね。半期に一度のビッグチャンスを逃す手はありません。

調査報道の一例(←

というわけで、洋定食の一部始終をご覧に入れます(やめなさい)。
旭川市内を一望……いや、半望?できる、なかなか素敵な席に案内されました。ドリンクはホットコーヒーとグレープフルーツジュースをチョイス。奥にやたらと多くの小皿が見えるのは、ジャムと、あとはドレッシングだったでしょうか。
最初はサラダと……あれは何でしたっけ。ヨーグルトか、あるいはミルクプリンか、その辺りだと思うのですが……。「洋定食」のどこがいいかと言えば、やっぱちゃんとプロが盛りつけてくれるところでしょう。バイキングでしろーとが盛りつけた日には、なかなか悲惨なコーディネートになることも少なくありません(←

メインはこちら。
朝から大変おいしゅうございました(まる)。

Rating

ホテルの真価は朝食でわかる……なんて大それた事はとても書けないのですが(書いてるし)、朝食会場の雰囲気はとても素晴らしかったですね。夏休みのホテルというのは、どうしてもお子さんが多くて、粛々とした雰囲気をブチ壊してくれることもしばしばなのですが、ここは会場が三つあることが功を奏していたのか、「洋定食」の会場はとてもいい雰囲気でした。

それで…… Rating ですね。今回は、選択した部屋がふつーの「シングル」だったので、その辺でちょっとハンディキャップがあるかも知れないのですが、「★★★★・」(四つ星)で。もちろん不満などは無いのですが、オンリーワンの付加価値というところでちょっと弱いかなぁ、なんて思ってしまいました。でも、間違い無く素敵なホテルですし、自信を持ってお薦めできます!

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2011年2月24日木曜日

北海道・東北の旅 2010/夏 (64) 「トマトの微笑み」

「三航北国日誌」第 64 回です。ホテル探訪はちょいと中休みで……(話題は時系列のほうがいいかな、と)。

夜はてきとーにモスバーガー

旭川グランドホテルにチェックインしたは良いものの、この日は夕食の予定は特になし。地元の隠れた名店を探して……といったネタの持ち合わせも当時は無かったので、「てきとーに何か口にするかぁ」とばかりに街に繰り出したのでした。時間も 19 時を過ぎていたので、経験上「もう時間は無いぞ!」と気がついていたもので。
というわけで、てきとーにウロウロしていたところ……
モスバーガーを発見。このまま当て所なく彷徨っても碌な結果にならないだろう……と思ったので、この日の夕食はあっさりとモスバに決まったのでした。

「モスバ」って関西弁でしたっけ?

とりあえずオーダーして、
待つこと約 5 分。
まぁ、たまには良いものですよね。

敵に塩を送る(ただし着払い)

モスにてハンバーガーを食した後は、コンビニに寄って「塩」を買って帰りました。さすがにホテルの売店に「塩」があるかどうかは未知数だったので……。どうして旅先で「塩」を買うことになったかと言えば、
じゃーん! こういうことです。平取でトマトを頂いたものの、どう考えても帰宅まで持つとは思えないので、ささっと食べちゃうことにしました! ちなみに、
自家製トマトジュースも頂いたのですが、これがまた……。驚きの味! だったのですが、詳しくは後ほど。

いっただっきまーす!

いっただっきまーす!
お味のほうはと言うと、「!!!」といったところなのですが(どんなだ)、わざわざコンビニに寄って購入した「塩」は、結局ほとんど使うことがありませんでした。最近のトマトって凄いんですね。そのままでちゃーんとトマトの味がします。

トマトの微笑み

というわけで、ごちそうさまでした!
さすがにそのままをお見せするのは気が引けたのでモザイクをかけてみたのですが、これ……微笑んでるように見えませんか!?

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2011年2月23日水曜日

Bojan のホテル探訪~「旭川グランドホテル」編(つづき)

はい、「旭川グランドホテル」編の二日目は、恒例の?バスルーム編です。

バスタブは普通サイズ

今回の部屋は、残念ながら?シングルなので、バスルームもごくごく一般的なバス・トイレ一体型のものです。
バスタブもご覧の通り。
狭くは無いですが、足を伸ばせるかどうかは微妙ですね。

水栓も一般的なもの

水栓も、これまた実に一般的なものです。
このタイプは湯加減と水量を別々に調整できないので面倒なんですよねぇ。

温水洗浄便座は……

ただ……。温水洗浄便座のほうは、かなり最新型っぽいです。
こればかりは、日本に生まれて良かったなぁ~と思います(笑)。

バスソルトいいよバスソルト

ブラシや剃刀なども用意されています。
この中で目を引くのは、やはり……
こちらです。バスソルト大好きなんですよ~。自宅でも週に一度はバスソルトの湯に浸かっているもので……。バスソルトいいよバスソルト(←

ボトルタイプでお買い得?

シャンプーなどはボトルタイプのものです。
これだと必要な量だけを無駄なく使えるので嬉しいですね。

おまけ

なーんか、バス・トイレの写真ばかりで気が引けるので、ちょっと違う写真を。
……大差ないか(←)。デスクの脇にあった消臭剤のボトルなんですが、最近、このタイプのスプレー式消臭剤が常備されているホテルが増えたような気がします。あまり使うことは無いのですが、確かにあったら便利!かも知れませんね。
部屋からの夜景?です。夜 7 時すぎの写真ですが、さすがは真夏です。まだうっすらと明るいですね。そうそう、意外と馬鹿にならないのが経度の違いでして、同じ季節でも北海道と九州であれば、日の入りの時間がかなり違うんですよね。札幌と福岡では 25 分ほど違うらしいです(札幌の方が福岡より 25 分早い)。

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2011年2月22日火曜日

Bojan のホテル探訪~「旭川グランドホテル」編

「北海道・東北の旅 2010/夏」 Day 3 は、旭川グランドホテルがゴールです。かなり街中にあるので、駐車場はあるのかなぁ~と少し不安に思ったりもしましたが、無事、タワーパーキングに車を止めることができました。


このように、向かいには旭川市役所が、市役所のちょいと東側には旭川東高校があります。ここはスタルヒン吉崎栄泰さんの母校みたいですね。「吉崎さんって誰?」と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、日本におけるアーカイバのデファクトスタンダードだった "LHA"(拡張子は lzh)の作者の方です。

さてさて。LHA で圧縮すれば 1/100 になってしまいそうな当 Blog の記事ですが、だらだらと続けます。

おかけになって待ってみました

フロントでチェックインを済ませると、「お部屋まで係のものがご案内しますので、ソファーにおかけになってお待ちください」とのこと。嬉しいですね~。やっぱホテルはこーじゃないと……。で、おかけになった(敬語の誤った使用例)ソファーがこちら。
シャンデリアの位置からもお判りになるように、ロビーの真ん中?にどどーんとソファーが置いてあります。

今日はシングルです

さて、案内された部屋がこちら。
今回は、珍しく?ふつーのシングルなので、それほど広くはありません。ツインにしなかった理由は……あれ? 何だっけ。ベッドもご覧の通り、ごくごく標準的なものです。
手前にはティーテーブルと椅子(でいいのかな?)が。
このティーテーブルが、やがて深紅に染まることになります……(←

いくら食べ放題

決して広いとはいえないこちらの部屋、デスクセットも最小限のサイズのものです。
そして、宿泊案内の上に置かれたチラシが……こちら!
いくら食べ放題!」と来ました(・∀・)! 期間限定でパワーアップ中とのことですが、その後どうなったのでしょうか。

ミニバーは……

ミニバーはあるのかなー、と思って冷蔵庫を開けてみたところ、
残念ながら空っぽでした。そういえば、エレベーターを降りたところにも飲料自販機がありましたね。まぁ、これが時代の流れというべきなのでしょう……。

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2011年2月21日月曜日

北海道のアイヌ語地名 (35) 「右左府・占冠・ニニウ・金山」

本日も引き続き、ちょっぴりディープかも知れないアイヌ語地名の話題を続けます。伝統と信用のマンネリズム 98.8%(当社調べ)です。

右左府(うしゃっぷ)

u-sap?
互いに・流れ出る
(? = 典拠あり、類型未確認)
「あれ? そんな地名あったっけ」と言われそうですが、今回はまさかの「消滅地名」の話題です。はい、ここは現在では「日高町」という名前になっています。

さーて、その意味ですが、とりあえず山田秀三さんのご意見を……。

 日高町は沙流川の源流一帯の土地。前のころは右左府村と呼ばれていた。それが,日高村と恐ろしく大きな名に改められたのは昭和18年だった。当時はささやかだった右左府(今の日高町)市街地の東側にペンケ(上の)・ウシャㇷ゚,西側にパンケ(下の)・ウシャㇷ゚と,似た二つの川が並んで流れ下っている。ウシャㇷ゚はウ・シャㇷ゚(u-sap 互いに・流れ出る)の意か(萱野茂氏による)。シャㇷ゚はサㇷ゚と同じで,サン(浜の方に出る,流れ下る)の複数形。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.367 より引用)
ふむふむ。萱野さんの解だけを牽いているというのは、山田秀三さんにしては珍しいことです。普通は多くの史料にあたった上で、ご自身の考えるところを書かれているので、そうできなかったのは、比較検討に値する史料が欠如していたのかも知れません。

引用だけで終わってしまうのも寂しいので、とりあえず永田方正翁の「北海道蝦夷語地名解」を眺めていたところ、「Moso ush pe モソ ウㇱュ ペ」という項目が見つかりました(日高国 沙流郡)。意味として「蚋(ウジ)多キ處 鹿死シテ蚋多シ故ニ名ク」とあります。これは……!

永田翁のカナ表記にはいろいろと問題もあるので、ちょっと手直ししてみますと、mos-us-pe で「蝿・多くある・処」あたりでしょうか。アイヌも和人と同様に「言挙げ」を嫌う傾向があったようで、「熊」だの「ヘビ」だのを「アレ」呼ばわりすることが良くあったようです。もし、蚋(ブヨ)も蛆(ウジ)も蝿(ハエ)も決して清潔ではない印象があるので、口に出すのを憚ったとしたら。i-us-pe で「ユシュペ」となります。これが「ウシャップ」になった……というのはどうですかお客さん!

2014/6/26 追記
上記文中にある永田地名解の「Moso ush pe モソ ウㇱュ ペ」は、沙流川支流の額平川に注ぐ「モソシベツ川」のことである可能性が高いように思われます。従いまして、本稿の内容は根拠を失いましたので、一旦取り下げとさせてください。

占冠(しむかっぷ)

si-mukap
本流の・鵡川
(典拠あり、類型あり)
えー、ここについては何度も話題にしてきましたが、もともとは si-mukap で「本流の・鵡川」だと思います(2008/10/4 の記事2010/4/12 の記事もあわせてどうぞ!)。

ニニウ(ににう)

nini-u?
木々・ある
(? = 典拠あり、類型未確認)
ニニウ」は占冠村の中でも「秘境」との呼び声が高いところで、実際にとても美しいところだと聞くのですが……いつか機会があったら行ってみたいものです。

「角川──」に情報があったので、まずは引用してみましょう。

 ににう ニニウ <占冠村>
〔近代〕大正8年~現在の占冠(しむかっぷ)村の行政字名。もとは占冠村の一部。行政字としての正式な設置年代は不詳。地名の由来は,アイヌ語のニニウ(樹木の多い所の意)で,学校名としては新入,営林署関係では仁々宇と漢字を当て,仁丹生(殖民公報),丹生(占冠村史)とも書いた。江戸期の松浦武四郎「丁巳日誌」に「ニヽウ」が見える。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1108 より引用)
nini-u で「木々・ある」となり、転じて「木が多い」という意味でしょうか。見たところ「──所」という意味は見当たらないのですが、まぁ、いいか。厳密には -u というのも変かも知れません(辞書に見当たらない?)。nini-us の「ㇱ」の音が落ちた、と見るべきかもしれません。

金山(かなやま)

えー、お気づきの方も多いと思いますが、これはまさかの「非アイヌ語地名」です。「角川──」(略しすぎ)にも「地名は,砂金が豊富に採取されたことによる。」と記載されています。

もうちょいと詳しく記されている部分を引用します。ちなみに「同」とあるのは「明治」です。

同42~45年には空知川の支流トナシベツ川の砂金採取が盛んに行われたので,十梨別にかわり金山と称されるようになった。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.94 より引用)
ということで、もともとは「トナシベツ」あるいは「十梨別」という地名だったようです。せっかくなので「トナシベツ」の意味ですが、tunas-pet で「早い・川」ということのようです。

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2011年2月20日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (34) 「小平(平取町)・額平・芽生・幌消末峰・振内・岩知志」

以前にも「平取町のアイヌ語地名特集」をやっているのですが、その続編?をお届けします。
おそろしくローカルな地図ですが、これは北海道は沙流郡平取町のいちぶです。

小平(こびら)

ku-o-pira
弓・をしかける・崖
(典拠あり、類型あり)
「鰊御殿」で有名な「小平」は「おびら」ですが、こちらの「小平」は「こびら」です。ちなみに日本一?ラリーに造詣が深いことで知られた女性キャスターは「小平桂子アネット」さんですが、こちらは「こだいら」ですね(←

ちなみにその意味ですが、ku-o-pira で「弓・をしかける・崖」だそうです。従って「クオカード」は「弓・をしかける・カード」という意味になります(←←

額平(ぬかびら)

noka-pira
像・崖
(典拠あり、類型あり)
「ぬかびら」と言えば「糠平湖」や「糠平温泉」で知られる十勝の糠平が有名ですが、こちらの「ぬかびら」は「額平」です(字が違います)。もっとも、意味は同じらしく noka-pira で「像・崖」とのこと。山田秀三さんは、更に読み下して「形像(のある)・崖」としていました。

山田さんの「北海道の地名」には、ちょっと興味を惹かれる記述がありましたので、そのまま引用させてもらいましょう。

この姿も萱野さんに案内してもらって教わった。合流点東岸上手に崖があって,その上の部分に半円形の形像が見える。文化神オキクルミの妹が天に上がる時に忘れていった箕(み)だという。それでムイ・ノカ(箕・の形像)と呼ばれているとの事。アイヌ時代の箕(mui)は,だいたい半円形であった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.365 より引用)
要するに、オキクルミの妹はドジっ娘属性だったということのようです(←←←

芽生(めむ)

mem?
泉地
(? = 典拠未確認、類型多数)
芽生には、日本最大規模のすずらん群生地があることで知られます。意味はおそらく mem で「泉地」ということでしょう。ああ、すっきりっ!

幌消末峰(ほろけしまっぽう/ほろけしょまっぷ)

poro-kes-oma-p?
大きい・末端・存在する・もの(川)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
平取町幌毛志(ほろけし)の北に位置する山の名前です。意味は poro-kes-oma-p で「大きい・尻のほうに・存在する・もの(川)」となるのですが、これ、ちょっと意味が通じません。少なくとも kes(尻)が何の尻なのかが明確では無いのですね。その「何か」が省略されてしまったと見るべきかと思います。

山田秀三さんは、このあたりに「幌去村」という大地名があったことに注目し、poro-kesporo-sar-kes だったのでは、と考えました。これであれば poro-kes-oma-pporo-sar-kes-oma-p となり、「大きい・葦原の・尻のほうに・存在する・もの」となるので意味はすっきりです。ただ発音は「ポロサㇽケショマㇷ゚」となってやたらと長くなるので、略しに略され「ポロケㇱ」になった……のかも知れません。意味さえ通じれば符丁は短いに越したことがないですからね。

振内(ふれない)

hure-nay
赤い・川
(典拠あり、類型多数)
平取町北部の中心地……と言ったところでしょうか。前述の「幌去村」の中心地も振内だったのかも知れません。これまた意味はそのまんまで、hure-nay で「赤い・川」だとのこと。萱野茂さんによれば、「フレナイ」の語源となった沢は「鉄分を含んでいるせいか赤く見える」のだそうです。

岩知志(いわちし)

iwan-chis?
六つの・岩山
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
平取町の中でも、もっとも奥の方に位置する所です。ちょいと正確を期すために、山田秀三さんの「北海道の地名」から、まるまる引用させてもらいます。

松浦氏左留日誌は「イワチシ。右(東)のかた高山二つ有,其中の切し処よりして落来るによって号るとかや」と書いた。チㇱは「中凹み」の意。この書き方から見ると,岩知志はイワ・チㇱ(iwa-chish 山の・中凹み)だったのではなかろうか。また岩内川はイワ・ナイ(iwa-nai 山の・川)か。イワはふつう山と訳されるが,ある種の霊山を指して読んだ言葉であったらしい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.367 より引用)
「角川──」あたりもこの解釈を踏襲しているようなのですが、異説も見つかりました。他ならぬ萱野茂さんの説なのですが、まず、「岩知志」はもともと「イワンチㇱ」だったとします。

「イワンチㇱ」は、平取町岩知志の古い地名だと言われております。岩知志の発電所の左上に六つの山があります。「イワン」は六、「チㇱ」は岩、という意味です。「イワンチㇱ」とは、六つの岩山という意味になります。
(平取町二風谷アイヌ語教室「やさしいアイヌ語(1)」p.31 より引用)
「え?」と思って地図を見てみると……。
むむ……。確かに 6 つのこんもりした「イワ」()が並んでいます。いや、萱野さんの説だと「イワ」じゃなくて「イワン」()なんですけどね。これは確かに地名として特筆できる話題ではあります。さぁーて、どっちでしょうねぇ。

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2011年2月19日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (33) 「キウス・於兎牛山・穂別・富内」

物事を長く続ける秘訣として、もっとも手っ取り早い方法に「パターン化」というものがあります。その効果が明らかである反面、別の言い方をすれば「マンネリ」ともなってしまうのですが、気にしません(←

キウス(きうす)

ki-us(-i)?
草・多くある・ところ
(? = 典拠未確認、類型多数)
……ルビ要らないか(←)。はい、道東道の PA の名前ですね。どんな所かは 2010/12/29 の記事をご覧ください。ホントにトイレしか無いです(←

その意味ですが、いつものネタ元をいくつか漁っても記載がありません。さすがにマイナーすぎるということなんでしょうか……(キウスには遺跡があって、そちらはそれなりに有名みたいですが)。おそらく、ki-us(-i) で「草・多くある処」といった意味だと思います。

似たような地名としては、浦臼町に「黄臼内」(きうすない)というものがあります。永田地名解によれば kina-us-nay が語源とのこと。ちなみに kinaki も「草」という意味があります。永田地名解には他にも「Ki ushi」で「キーウシ」という地名も記録されていますね(意味は「茅野」だとのこと)。

はい、じゃ次行きましょう。

於兎牛山(おそうしやま?)

o-so-us-i?
河口に・滝・ある・もの
(? = 典拠未確認、類型多数)
すいません。情けないことに読みがわかりませんでした……。アイヌ語としては「オソウシ」なんですが、当てられた漢字は「オトウシ」と読めます。行政上の字の名としては「オソーウシ」というのもあります。……うううワケわからん……。

とまぁ、現代における「読み」が詳らかではないのですが、その意味するところは明々白々でして……。はい、o-so-us-i で「河口に・滝・ある・もの」となります。実際に、夕張川に注ぎ込むところで滝を形成している(いた?)川があるそうなので、まず間違い無いと思います。

「オソウシ」は道内各所に点在しているのですが、例えば札幌の「精進川」なんかもその一つですね。

穂別(ほべつ)

po-pet
子である・川
(典拠あり、類型あり)
かつての「穂別町」(今は「むかわ町」)ですが、その由来は po-pet または pon-pet で「子である・川」といったところのようです。

……おおっ、あっさりと終わった(←

富内(とみうち)

pet-om-nay?
川・股・沢
(? = 典拠あり、類型未確認)
富内は穂別の中心街から山ひとつ奥にありますが、穂別と違って書くことが沢山ありあそうです(←)。この「富内」は、元々は「辺富内」という地名でした。最初は何のことやら気がつかず「『へんとみうち』って何?」と思ったのですが、実はこれで「へとない」と読むのでした。

久々に「角川──」(略しすぎ)から引用してみましょう。

地名は,旧名の辺富内は読みづらく,語呂も悪いということから辺をはずし,読みも変えた(続苫東地名物語)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.983 より引用)
ということなのだそうです。

川・股・川?

さて、では「へとない」の意味は何か、ということなのですが……。これがまた意外と難しそうでして。まず山田秀三さんの卓見を伺いましょう。

 永田地名解は穂別川筋の初めに「ペトムナイ petom-nai。川股の沢。鵡川上流は大なる二股あり,その股に流れ入る沢なればこの名あり,辺富内村」とあるが,位置が分からない。東蝦夷日誌は穂別の方から上流に向かってハツタルセ,ニナツミ,ヘトントナイ(北小川),ウツカウシ(北川)と並べている。前後の川は分かるので,それから見ると,そのヘトンナイは,穂別駅から直線で 3・8 キロ,富内駅から 4・8 キロの処だったらしい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.373 より引用)
ふむふむ、なるほど……。pet-om-nay で「川・股・沢」という解釈ですね。北海道のアイヌ語地名においては petnay も「川」と解して、その違いは明瞭ではないのですが、ここでは pet のほうが nay よりも大きいと考えているようですね。

皮張枠のある川?

ただ、やはり「川・股・川」以外の説もあるようで、例えば「北海道駅名の起源」には、

もと「辺富内(へとない)」といい、アイヌ語の「ケトナイ」、すなわち「ケッ・オ・ナイ」(獣皮をかわかす張りわくの多くある沢)の意であったが、昭和18年 8 月 1 日買収の際その下部をとって「富内」と改めたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.98 より引用)
とあります。ket-un-nay で「皮張枠・のある・川」だと言うのですが、さてさて。

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2011年2月18日金曜日

北海道・東北の旅 2010/夏 (63) 「富良野と言えば」

「三航北国日誌」第 63 回です。本日の記事は、ご覧のスポンサーの提供でお送りします(←

富良野と言えば

さてさて……。幾寅から樹海峠を越えて、富良野にやってきました。
もうちょっと富良野らしい写真が撮れないものか、とお叱りを受けそうな気がしてなりませんが……。ほら、一応看板の端っこに「富良野緑町店」とか書いてあるじゃないですか(←

などと言いながら、それなりに反省はしているので(←)、国道を逸れて旧道に入って、市街地のほうに向かってみました。……が、一枚も写真が残っていないとはこれいかに。

富良野と言えば(←

結局、また国道に合流すると、これまた心地よい道の連続です。
こんな道が、
こんな風に、
ずーっと続くのですね。この間約 20 分。実に気持ちがいいです。

で、富良野と言えば(←←

あ、富良野らしい写真が一枚見つかりました。
……。(←)「松尾ジンギスカン」のお店らしいのですが。ちなみに 1968 年に冬季オリンピックが開催されたフランスの都市は「グルノーブル」ですので念のため。

セルフ GS が齎したインパクトについて考える

美瑛では、久々にこちらを見かけました。
ご存じ「モダ石油」なのですが、何度見てもこのインパクトは強烈です。

沈み行く夕陽

旭川市域に入ったのは 18:20 頃でした。そんなわけで、沈み行く夕陽を撮影してみました。
おや、何やら変なものが写っていますね(←)。ちなみにこのあたりです。


本日も実用的な話題満載でお届けしました(←

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