2011年5月31日火曜日

Bojan のホテル探訪~「函館国際ホテル」編

二度目の函館……ということで、今回は違うホテルを選んでみました。えーと、次のようなプラン、です。

部屋タイプ:禁煙・別館デラックスシングル
プラン名:別館デラックスルーム/朝食付き
プラン内容:朝はしっかり召し上がれ!! 温かみあるインテリアの客室にご朝食をお付けしたプランです。【朝食】和洋バイキング(本館1階アゼリア)

ということで、行ってみましょう!

こんな部屋でした

チェックインを済ませて、別館までコロコロと荷物を転がして辿り着いた部屋がこちら。
さすが 8 月、18 時を過ぎてもまだ十分明るいですね。デスクスタンドの明かりをつけると、
ちょっとだけ(←)雰囲気が変わります。

ベッドまわりとか

今回用意された部屋は「デラックスシングル」ということで、
はい、確かにシングルベッドが置かれています。窓側には
ひとり用のソファーセットもあります。窓の外を見てみると……
ニチレイさんの倉庫?が。奥の方には函館山も見えますねぇ。

デスクまわり

ライティングデスクは……
ご覧のサイズです。決して大きくは無いですが、部屋の広さを考えるとちょうどいいサイズかも知れません。

回線まわり

電話などは枕元に。
DSL モデムもあるのですが、枕元に置かれるとちょっと配線が厳しいかも知れませんねぇ……。DSL は電話回線に重畳するという仕組み上、電話機の近くにモデムを置かざるを得ないというのも理解はできるのですが……。

はい。例によって例の如く、明日に続きます。

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2011年5月30日月曜日

145/179

えー、突然ですが、北海道には 179 の市町村があるそうですね(2011 年 5 月現在・離島含む・北方領土除く)。で、ここ数年で 4 回ほど北海道に上陸させてもらったのですが、一体どれだけの市町村を走破(or 踏破)したのだろう……ということが気になって、地図を作ってみました。

2008/夏

まず、2008 年 8 月に上陸した際に通過した市町村の一覧です。
宿泊地を書くと判りやすいのですが、札幌 → 稚内 → 知床(ウトロ) → 釧路 → 帯広 → 札幌 → (仙台)でした。オホーツク海沿岸を完全制覇(一箇所だけ白く見えるのは「サロマ湖」です)した一方で、中頓別町、清里町、白糠町などがぽこっと未踏のまま残っているのが面白い……のではないかと。

2010/春

さてさて。次に上陸したのが 2010 年の 5 月なのですが、
これまた判りやすいルートを辿っています(笑)。千歳 → 帯広 → 稚内 → 小樽、というルートですね。この時は日高地方と稚内から小樽までの日本海沿岸を総嘗めしたのでした。注意すべきはまたしても中頓別町をスルーした、といったところでしょうか。あと鹿追町も惜しいところで未踏のままです。

2010/夏

で、現在だらだら~と連載中?の、2010 年 8 月の旅程では……
富良野や美瑛・芦別といった、中央部の未踏の地を制覇?したほか、小樽から函館までの日本海沿岸を制覇……しようとして、あえなくせたな町で断念したあたりが良く読み取れます(←)。代わりに鹿部町に足を踏み入れることができたので、噴火湾の沿岸はこれでフルマークです。一方で、旭川近郊の東神楽町、東川町、札幌近郊の南幌町などが未踏のまま残っています。

2011/春

そして、今月の頭には道東を重点的に回ってきました。
ついでに石狩川北岸の未踏市町村を回ってきたほか、遠軽町、美幌町、そしてエアポケットのように空いていた清里町、白糠町などを埋めてきました。あとは本別町や池田町なども埋まりましたね……。

というわけで……

というわけで、未踏の市町村は以下の 34 町村となりました。赤井川村・厚沢部町・江差町・大空町・奥尻町(奥尻島)・置戸町・乙部町・上ノ国町・木古内町・倶知安町・訓子府町・京極町・鹿追町・下川町・知内町・新篠津村・壮瞥町・滝上町・津別町・豊頃町・中頓別町・南幌町・仁木町・西興部村・ニセコ町・東神楽町・東川町・福島町・真狩村・松前町・陸別町・利尻町(利尻島)・利尻富士町(利尻島)・礼文町(礼文島)

どこを最後まで残すかも……決めましたが、まだナイショです(←)。離島の 4 町がちょっとハードルが高いですね。どうしたものか……。

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2011年5月29日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (52) 「厚瀬崎・千走・原歌・茂津多」

本日は「島牧村」特集ですが、「特集」と言えるほど深く掘り下げているわけでも無いのでご注意を(←

厚瀬崎(あっちゃせざき)

at-charse??
もう一つの・すべり落ちるような急流
(?? = 典拠未確認、類型あり)
はい、実は「厚瀬」で「あっちゃせ」と読むのだそうです。結構な難読地名に思えるのですが、いかがでしょうか。この地名もマイナーすぎるからか、山田秀三さんの「北海道の地名」でもスルーされているので、「角川──」を見てみるしか……。

古くはアッチャラセともいった。後志(しりべし)地方西部,日本海沿岸,大平川と折川の間に位置する。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.77 より引用)
あっちゃー……(←)。念のため「永田地名解」も眺めて見ましたが、「島牧郡」の項にはそれらしい記載は見当たりませんでした。

とりあえず、「アッチャラセ」が原音に近いと想定すると、at-charse と考えるべきかと思います。charse は「すべり落ちるような急流」ですから、あとは at が何か、ということになります。

アッ!

at は、「おひょう(楡)の皮」か、「──がたくさんある」という意味ですが、他にも ar(「もう一つの」)の音韻変化形である可能性もあります。後ろが charse だとすれば「おひょう」の可能性は低くなるので、残りのどちらか、となるのですが……。

で、私は at-charse を「もう一つの・すべり落ちるような急流」だと考えたのですが、at-cha-us-i で「多く・捕る・良くする・場所」とする説もあるみたいです。何を多く捕るのかは言わずもがなだったようで、即ち「ニシン」のことだとか。つまり、もともとは heroki-at-cha-us-i だったのではないか、と。

確かに、永田地名解には「ポン モイ」(=「本目」のことだと考えられる)の次に「ヘロㇰ カルシ」と記載があります。そして厚瀬は漁港なので、ここが heroki-kar-us-i だったと考えてもおかしくありません。しかしながら、地形図で見ていると、厚瀬崎の東西に「チャルセ」(すべり落ちるような急流)っぽいものが見受けられます。なので at-charse でもおかしくないように思えます。

うむ。困りましたね。どうしましょうか(何を今更)。

千走(ちわせ)

chiw-as-i?
波・立つ・所
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
思いの外に「厚瀬」で紙面(え?)を使ってしまったので、後はなるべく軽めに行きましょう。というわけで「千走」ですが、

地名はアイヌ語のチウウシに由来するといい,「潮が生ずる」という意味で,海岸近くの潮の流れが強いことによる(蝦夷地名考并里程記)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.889 より引用)
なのだとか。この記述を素直に解釈すると chiw-us-i で「波・多くある・所」となりますが、一般的には chiw-as-i(「波・立つ・所」)が多いので、山田秀三さんは後者ではないかと見ていたようですね。まぁ、とりあえず誤差の範囲ということで(←

原歌(はらうた)

para-ota
広い・砂浜
(典拠あり、類型あり)
千走の西隣の集落で、このあたりにしては珍しく、約 800 m ほどの砂浜が広がります。「原歌」の由来ですが、para-ota で「広い・砂浜」とのこと。ああ、これだけすっきり済んだのは久しぶり!

茂津多(もつた)

mo-ota
小さな・砂浜
(典拠あり、類型あり)
1994 年頃に AC ミランのスポンサーをしていた motta というパン屋さんがあったのですが、わたくし結構 motta のパンが好きでして……。当時は京都にも直営店?があったような気がするのですが、意外と情報が見つからないものですね……。

脱線もほどほどに「茂津多」ですが、これは mo-ota から来ているそうです。意味は「小さな・砂浜」となるのですが、実際の茂津多岬は 250 m ちょいの崖になっているので、これだと意味が通りませんね……。山田秀三さんは次のように記しています。

茂津多はアイヌ語から来たものらしいが,その意味の伝承がない。舟底を削る時に使う小型の手斧の一種をモッタというが,それと関係がありそうにも思えない。この崖続きの間の処々に小さな浜があるようである。そのどこかがモ・オタ(mo-ota 小さい・砂浜)といわれていて,それがモツタと訛ったのでもあったろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.455 より引用)
どうにもしっくりと来ないですが、他に適切な答があるとも思えず……ですね。

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2011年5月28日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (51) 「朱太川・寿都・弁慶岬・本目」

マニアック路線をひた走るせいで、ご覧になった方の大半は引いているんじゃないかと不安に思いつつ、続けます(←

朱太川(しゅぶとがわ)

supki-putu?
葭・河口
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
朱太川は黒松内町を流れる川で、河口の部分だけ寿都町域です。それにしても黒松内というのも面白い町域で、太平洋までもっとも近いところで約 300 m、日本海までももっとも近いところで約 300 m まで迫りながら、どちらにも面していないんですね。

さて、その「朱太川」ですが、もともとは supki-pet で「葭・川」という意味だったのだそうです。ただ、これだと「シュㇷ゚キペッ」となるので少々違和感が残ります。この辺は山田秀三さんも見逃すことなくきちんと私見を記されています。

 シュㇷ゚キ(スㇷ゚キ。アイヌ語ではシャ行,サ行は同音)は「葭」の意。朱太川の河口の低湿原野が葭原だったのでシュㇷ゚キ・ペッと呼ばれた。他地方でも,シュㇷ゚キはよくシュッキの形で地名に残っている。それから寿都に訛ったのであろう。また川口の辺がシュㇷ゚キ・プトゥ(朱太川の・川口。ペッはよく略される)と呼ばれ,それから朱太の名が出たのではなかろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.456 より引用)
道内には「空知太」「石狩太」などの「太」系地名がありますが、その多くはアイヌ語の -putu(「河口」)から来ているように思います。この「朱太」もそのひとつ、と言えそうです。

寿都(すっつ)

supki?
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
先ほどの引用部にも答?が出てしまっているのですが、より詳しく書かれている部分を再度引用してみましょう。

 上原熊次郎地名考は「スッツ。シュプトゥなり。則茅の崎と訳す。最初此処(朱太川口)にて夷人交易をなせしが諸事不弁利(不便)なる故イワサキ(今の寿都市街)に運上屋を移すといへども,スッツを場所名目になすなり」と書いた。また永田地名解は「寿都はシュㇷ゚キにあてたる文字にして原名はシュㇷ゚キ・ペッといふ川名なり。今朱太川或は寿都川と称す。往時アイヌ此川筋に住居したりしが,場所をテレケウシ,和名岩崎に開くに及び,シュㇷ゚キペッのアイヌを此処に移し,アイヌ出所の地名を用てシュㇷ゚キ場所と称す。後に訛りてスッツと呼ぶ」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.456 より引用)
というわけで、前述の supki(「」)が訛って「寿都」になったのだ、ということらしいのですが……。うーん。

ひとつ納得がいかない点がありまして、それはお隣にある「歌棄」との関係なんですね。「うたすつ」は ota-sut だとされますが、それだったら「しゅぶと」も sut-putu かも知れませんし、「すっつ」も sut でもいいじゃないか、なんて。いや、確かに sut-putusut では地名としてもかなり意味不明な部類に入るのですが、隣り合う「スッ」の語源が全く違う、というのにもちょいと引っかかりを感じるわけでして。まぁ、これは個人的な宿題にしておこうと思います(宿題多いな)。

弁慶岬(べんけいみさき)

????
(不明)


「弁慶」という地名は道内各所にあって、その多くがアイヌ語の penke-(「川上の──」)に由来します(そして、その副産物として「義経伝説」がついてくる、という構造ですね)。なのでこの「弁慶岬」もその系統だろう……と思っていたのですが、

松浦武四郎東西蝦夷山川地理取調図にはヘニケウと書いてある。上原熊次郎地名考は「弁慶崎。ベニッケウなり。則背首と訳す。此崎獣の背首の形状なる故地名になすといふ」。この言葉は知里真志保博士によればペニㇰケウ(熊の頸椎,背骨の上方)となっている。永田地名解は「ペレケ・イ。破れたる・処」と書き,すぐ次に「ポロ・エトゥ。大・岬。和俗弁慶岬と云ふ」と記した。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.456 より引用)
むはー。わけがわかりません。「ペニㇰケウ」は penik-kew とでもなるのでしょうか。kew は「体・死体・骨」といった意味のようですが、penik (?)の意味がどーにも不明です。

ちなみに実際の弁慶岬は、このあたりにしては珍しく、とても山容の穏やかな岬です。たまたま天気が良かったのも印象に影響を与えているかもしれませんが……。

本目(ほんめ)

pon-moy?
小さな・入江
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
島牧村に入って「本目」についてです。山田秀三さんには華麗にスルーされてしまったので、「角川──」から引用してみましょう。

地名はアイヌ語のフムベナイによるといい,「鯨川」の意。「寄鯨ノ上リタル処,今本目村ト称ス」という(北海道蝦夷語地名解)。このほか,西側のホンムイ(小湾の意)の地名によったとも考えられる。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1395 より引用)
humpe-nay (「鯨・沢」)の「フㇺペ」が「ほんめ」になった、という解釈も成り立つのですが、pon-moy小さな・入江)から転訛したと考えた方が、より自然かなぁ、と思います。

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2011年5月27日金曜日

北海道・東北の旅 2010/夏 (119) 「ラッキーピエロにて」

「三航北国日誌」第 119 回です。今回は珍しく「食べ物」中心の話題です。

Day 5 のまとめ

Day 5 のゴール、函館国際ホテルにチェックインしました(「ホテル探訪」は、また後日に)。結局、この日の走行距離は約 445 km でした。10 時間かけて 445 km ですから、随分と寄り道をしていたのだなぁ、ということになりますね。

最も長居したのが「とまりん館」と「北海道原子力環境センター」ですが、それでも約 40 分なんですけどね。あとは雨量超過による一時的な通行止めで約 15 分とか。実走 8 時間としても表定速度は約 55 km/h ですから、いやー、すっかり安全運転ですね、わたくし!(←

さまよえる関西人ふたたび(←

で、この日はロングランを予定していたので夕食込みのパッケージは敢えて選択せずに、夕食は外で食べることにしました。今回は珍しく、軽く(ほんの軽~く)下調べも済ませてあります。
その割には、いきなり何やら道に迷った感がありますが……。当時は iPhone という文明の利器も持ってなかったので、少々あたふたしながらお店の場所を確かめたり。

お得意の感覚的なもの

で、結局、函館駅前にやってきました。
ふと思ったんですが、函館と長崎って似てますよね。これはお得意の感覚的なものなんですが、類似点を考えてみると「市電」「造船」「坂道」「教会」「外国との窓口」といったあたりが出てきます。いや、だからどーなのよ、という話ですが……。

見えてきました

国道 279 号を渡って……
歩いて行くと、見えてきました。
ラッキーピエロ」です。はい、間違えても風営法の対象になるような業態の店ではございませんので念の為(←

ラッキーピエロにて

中に入ると……、時間が良かったからなのか、結構混んでいます(夏休みの平日の 19 時前)。色々と店内も撮影したかったのですが、人も多かったので、差し支えなさそうなものだけにしています。

とりあえずハンバーガーとポテトを注文して、自席でできあがるのを待ちます。客層は、家族連れから中高生まで……幅広い感じでしたね。

店内のインテリアは懐かし目のアメリカンテイストのようで、
こんなポスターなんかが飾ってあったり、
天井にまで、いろいろとぺたぺたしてあったりします。

ハンバーガーを食す!

待つこと約 15 分、ようやくお目当てのものが出てきました。
うむ、これじゃあ中身がわからないですよね。中はと言うと、
こんな感じです。

ついでにデザートも食す!!

こちらは「ハンバーガーショップ」であることには間違い無いと思うのですが、なんと「食後にデザート」という概念が通用するらしく、一緒に頼んだデザートを、食後のタイミングを見計らって持って来てくれました。
大変おいしゅうございました(まる)。

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2011年5月26日木曜日

北海道・東北の旅 2010/夏 (118) 「帳尻を合わせるのは得意です」

「三航北国日誌」第 118 回です。激動の Day 5(←)もついにゴールイン!です。

ひたすらひた走る

国道 278 号「恵山国道」を、ひたすら函館市中心部に向けてひた走ります(ん、「ひたすらひた走る」って「馬から落馬」系でしょうか?)。すると、またしても路線バスに遭遇。
結構な頻度で走っているようですね。戦前から戦中にかけて鉄道敷設の計画があったことも頷ける……かもしれません。実際に途中までは工事が進んだんですが、戦局の悪化と共に工事線は放棄され、そのまま現在に至る……というお話です。山手に見えるコンクリートアーチ橋がその遺構です。
それにしても、天気が悪いとどうにもいけませんね。2 年前に戸井に来た時は、
少なくとも雨は降っていなかったですし、
こんな写真も撮れたんですよねぇ。

Q: 函館とドイツの共通点は?

およそ 20 分ほど走った後、函館空港の横を通り抜け、ようやく湯の川温泉(の近く)に着きました。
とうとう函館ですね……。いや、随分前から「函館市」には入っているんですけどね。

禁止です!

前方には、何やら「禁止」の案内が。
はい、これは
の案内でした。夜間は函館山へのマイカー乗り入れが規制されている、ということのようです。横断幕も出ていますね。

帳尻を合わせるのは得意です

ついに函館駅前に到着です!
まるで計算したかのように午後 6 時着。実際はご存じの通り、大雨による通行止めの影響でその場でルート変更をした結果なんですけどね。

あ、「外国人墓地」が「外国人基地」に見えたというのはナイショですよ!

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2011年5月25日水曜日

北海道・東北の旅 2010/夏 (117) 「『椴法華』って読めますか」

「三航北国日誌」第 117 回です。いつも以上に疑問符がいっぱい? 古い~アルバm(ry

森町から函館に向かうのに、わざわざ雨の中、恵山周りで走ってみましたよ、という話題の続きです。オチも意味も無いような気がしますが、山なら目の前にあります(←

絶滅危惧種?

まずは、(旧)椴法華村に向かっていたあたりで……
バスが来ました。いや、そりゃあバスが来ることもあるでしょうけど、個人的には路線バスが存在すること自体が貴重だと思っているので……。

類似品?

道路脇の工事用フェンスには、
どこかで見かけたカエルが。あ、でも以前に稚内で見かけたのは
こんなのだったので、別製品ですねこいつは。

異次元?

いつか別次元に行けそうな覆道を抜けると……
またしても雨(涙)。
この日はずーっとこんな感じでしたねぇ……。いや、もっと酷い目にこのあと遭うわけですが(汗)。

難読?

てな感じで、椴法華に到着。
とどほっけ」とすんなり読めるようになるには少々時間がかかりましたが、とても雰囲気のある、素敵な地名ですね。根室の「珸瑶瑁」(ごようまい)もいい雰囲気の地名ですが、もちろん「椴法華」も負けていませんね。

要確認?

「恵山」の西側の峠をちょいと越えると、かつての恵山町の中心部にやってきます。
後は戸井経由で函館市の中心部に一直線!……なんですが、
相変わらずのこの天気。がっかりですね。
ちょっと気になる地名ですね。後で要チェックです。

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2011年5月24日火曜日

北海道・東北の旅 2010/夏 (116) 「恵山へ!」

「三航北国日誌」第 116 回です。本日は……久しぶりにちょっとだけ実用的な内容でお届けします。

ありがとう、服飾的中心(←

えーと、結局八雲町八雲からは「渡島半島東回りコース」に変更して、森町までやってきたところです。「しまむら」で懸案だった肌着を購入して(←)、さぁ恵山へ!

赤色灯ならぬ青色灯

で、いきなりなぜかこんな車を見かけたのですが……。これ、パトカーでは無いようなんですね(屋根の上が赤色灯ならぬ「青色灯」)。
ボディ横側には「交通安全 ○○車」と書かれているようなのですが……。「○○」は「指導」、だったでしょうか。

電波がゆんゆん(←

森町から鹿部町に向かう国道 278 号「恵山国道」は、ご覧のような真っ直ぐで快適な道です。なにやら変なものも映り込んでいますが、気にすることはありません。反対車線ですし(←
ちなみにロケ地(←)はこの辺りです。


ああ、なんと実用的な記事なんだ……(←

相変わらず……

また雨は止んだみたいですが、相変わらずこんな表示が。
渡島東部 大雨警報発表中」とありますね。「洪水警報」が無くなっただけラッキーだと考えるべきなのでしょうか。
雷注意報」は引き続き発表中のようです。

は~るばる~来たぜ……

右折して大沼公園に抜けるという手もありましたが(函館本線の「砂原線」に並行するルート)、ここはまっすぐ恵山を目指します!
さぁ、もうすぐ函館市です!
随分と山が海に迫ってきました。

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