2011年12月27日火曜日

隠岐ジオパークの旅 (97) 「万物は流転してやがて日が暮れる」

ごめんくださーい

そんなわけで(略した!)、焼火神社の社務所に宮司さん(@takuhister さん)を訪ねます。
ごめんくださーい!

夏はアイスで

宮司さん(@takuhister さん)とお会いするのはもちろん初めて。実際にお会いしてみて思ったのは……そうですね、かなり言葉にするのが難しいのですが、すごく人としての奥行きのある方だなぁ、と。

挨拶もほどほどに、社務所の中に上げていただきました。「社務所」というと、袴姿の巫女さんが榊を持って歩き回っているような印象もありますが、決してそんなことはなく、古民家のような建物に宮司さんが一人いらっしゃるだけです。
まずは二階に案内していただいて、抹茶(氷入り)をいただきました。そういえば、目の前でお茶を点ててもらったのは初めてのような……。

そして万物は流転する

お茶をおいしく頂いたあとは、一階の囲炉裏のある部屋に戻って、そこからは「あーでもない」「こーでもない」とジャンルフリーな会話を。どんな話かと言えば、そうですねぇ……、私も @takuhister さんも iPhone ユーザーだったんですが、私の iPhone は「圏外」なのに @takuhister さんの iPhone にはメールが届いたりとか。どうやら香港で SIM フリーの iPhone を仕入れてきて、DoCoMo の回線で使用されているのだとか。

ネットの話は当然のごとく PC の話になり、「西ノ島町誌」の元となる資料を整理するためにデータベースソフトウェアを使ったとか、そういえば「FileMaker Pro」ってありましたよねとか……。二十年近く前から「パソコン」を使っていた人は決して多く無かったので、どうしても昔話で盛り上がってしまいます。

「あの頃は NIFTY-Serve ってありましたよね」などと話を振ってみると「一時期 SYSOP をやってました」とか(驚)。古き良き時代でした。

もちろん、古き良き時代の話ばかりしていたわけではなく、「西ノ島町誌」を拝見して(当然すべてを読み切れるわけもなく、つまみ食い的に拝見した程度ですが)いろいろと質問させていただいたりもしました。この「西ノ島町誌」は「町史」ではなく「町誌」とある通り「地誌」の体裁を取っているため、特定の事柄をピンポイントで調べるのがとても簡単にできるようになっています。

拝見していて、真剣に「これ、欲しい」と思いました(笑)。ちなみに、http://www.lares.dti.ne.jp/~takuhi/folder/tyosi.html でエッセンスを拝見することができます。

「明日は後醍醐天皇の行在所を見に行きます」と話したところ、「後醍醐天皇の行在所の場所は島後にあったって説もあるんですよね」とも。お話を伺ってみると、もともと島前・西ノ島の「黒木御所」が後醍醐天皇の行在所だった、という伝承があったところに、比較的近年になってから「行在所は島後の国分寺にあった」という新説が出てきて現在に至るのだとか。後醍醐天皇は、隠岐に骨を埋めた後鳥羽上皇とは違い、わずか一年で「大脱出」を決めてしまっただけに、伝承も物証も貧弱なのが災いしているようです。
あとは世間話もいろいろと……。どうしても震災の話題は避けて通れないわけですが、「今回の震災は日本人が価値観を改める良い機会なのではないか」とおっしゃっていたのが印象的でした。@takuhister さんは私より二回り近く年長でいらっしゃるのですが、それだけ長く世の中をご覧になっているわけで、ご意見はやはり傾聴に値するなぁ、と。

やがて日も傾いて

とまぁ、初対面でありながら、ずーっと社務所に居座っていろいろなお話を伺ったのでした。午後六時前になって「じゃあ一緒に下に降りますか」とお誘いいただいてここでお開きに。……営業終了まで三時間近く居座ってしまったのでした(汗)。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


0 件のコメント:

コメントを投稿