2013年7月31日水曜日

Bojan のホテル探訪~「稚内グランドホテル」編(おしまい)

えーと、水回りを見てなかったですね。こんな感じでした。
あっ、浴槽の写真を撮ってない……(汗)。というわけで、想像していただくしか無いのですが、一般的なビジネスホテルサイズ、といった感じでしょうか。

シャワーはごくごく普通のものです。
水栓はサーモスタットタイプ。ごくごく当たり前のように普及してもらいたいものです。今気づいたのですが、熱湯が通る管には FRP か何かのカバーがついていますね。やけど防止のためだと思いますが、いいアイディアですね(これって一般的なのでしょうか?)。
ボディーソープとシャンプーはボトルタイプ。やっぱり、ボトルタイプが一番出しやすくていいですよね。
トイレは TOTO のウォシュレットでした。

謎の四角い「箱」

さて、ベッドを見てみましょうか……。
枕元には目覚まし時計と、謎の四角い「箱」が見えます。
この「箱」、こうやって目覚まし時計を置くのにもちょうど……ではないか。ちょっとサイズが小さいですが、このように置くことができます。
これだと横になったまま時計を確認することができて便利なのですが、もちろんこの「箱」は目覚まし置き場ではなくて……
読書灯だったのでした。

Rating

というわけで Rating です。外壁の色がインパクト抜群なもので、「中はちょっと古いのかな?」といった先入観を持ってしまったのですが、いえいえどうして、内装はかなり新しいような印象でした。おそらく大々的にリフォームをしたのでしょうね。

あ、話がズレました。Rating は「★★★★・」(四つ星)でお願いします。今度はツインかダブルにも泊まってみたいですね。

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2013年7月30日火曜日

Bojan のホテル探訪~「稚内グランドホテル」編(つづき)

この時のプランは二食付きだったのですが、夕食はちょっと遅めの 19:30 からにしてもらいました。というわけで、ちょいと町中を散歩してから……
夕食です! 夕食は 1 階のレストランでいただきます。

レストラン「泉」にて

時間が遅めだったので、人影もまばらですが……
夕食は「ステーキセット」ということで。
ご飯とサラダと海藻のスープと……そして。
どーん! はい。たいへんおいしゅういただきました。

冷蔵庫はこんな所に

さて、部屋に戻ります。デスクとテレビ台が一体になっているのは昨日ご覧いただいた通りなのですが……
実は、テレビの下はこうなっています。
はい。冷蔵庫ですね。中を開けてみると……
いやはや、本当に無駄のないスペースの使い方ですね。素晴らしい!

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2013年7月29日月曜日

Bojan のホテル探訪~「稚内グランドホテル」編

稚内は南稚内駅の近くにある「稚内グランドホテル」にやってきました。
いやー、真っ赤な壁が眩しいですねぇ。

まずは部屋へ

ちょちょいのチョイとチェックインを済ませて、3 階の部屋にやってきました。ドアを開けると……おおぅ。
いや、シングルですし、決して広くは無い(というか、むしろ狭い)のですが、なかなか心憎い趣向の部屋です。たとえば、ティーセットやドライヤーは、こんなところに置いてあります。
そして、ティッシュペーパーもなんと「縦置き」なのですが、
この、独特な形のティッシュペーパー「スタンド」が、なんともお洒落に見えてくるから不思議なものです。

巧みな色遣い

デスクはテレビ台と一体で、ちょうどベッドの先の部分にテレビが置かれています。
この部屋は、端的に言って狭いのですが、左手の壁だけダークな色合いになっているのが巧いですね。圧迫感が若干和らいでいるような気がします。

窓の外には

窓の外に見えるのは……
稚内の市街地です。……まぁ、これはこれ、ということで。

稚内の夜風は

デスクには、こんなメッセージが。
「網戸のご案内」だそうですが、「稚内の夜風は最高の天然クーラーとなります」というのはいいですねぇ。ただ、この日の外気温は 26 度を超えていたので、せっかくのお誘いではありますが、クーラーのスイッチを入れて……と。
ちょいと涼しくなったところで、夕方の散歩にでも出かけましょう。

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2013年7月28日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (128) 「智恵文・紋穂内・大手」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。ちなみに本日 7 月 28 日は「地名の日」で、山田秀三さんの命日です(1992 年没)。
(この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)

智恵文(ちえぶん)

chep-un-to
魚・そこにいる・沼
(典拠あり、類型あり)
名寄市北部の地名です。美深町にも程近いところですね。いや、むしろ美深の方が近そうにも見えますが……。今回は更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」から。

 昭和二十九年名寄市に合併したが、もとは美深町といっしょに下名寄村をつくっていた。大正六年分村して智恵文村といったもの。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.168 より引用)
ああ、やはり。もともとは美深町と一体だったのですね。

智恵文市街の上流、国道が天塩川を渡った所に出ているチエプン川に漢字を当てて部落名にしたもので、古い地図には、チエプウントー川とあるから、チエㇷ゚(魚)ウン(いる、または入るの意)トーは沼であるから、現在はないがこの川にはもと魚のたくさん入る沼のあったことがわかる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.168 より引用)
ふむふむ。今回は「雑魚」ではなく「魚」なんですね(笑)。それはさておき……。もともと chep-un-to という沼があった、ということですか。意味は「魚・そこにいる・沼」となりますね。

ちなみに、永田地名解では「Chep ush to」とありました。これを見ると、確かに unus の使い分けは曖昧だったようですね。

紋穂内(もんぽない)

mo-nup-o-nay
小さい・野・そこにある・川
(典拠あり、類型あり)
美深町北部にある地名で、同名の駅もあります。なかなか素敵な地名ですが、果たしてその意味は……。山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょう。

 天塩川東岸の川名,地名。同名の国鉄駅あり。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.145 より引用)
「国鉄」ですね。懐かしい響きです。

紋穂内川は国鉄紋穂内駅から 1 キロ北の小川で,明治 31 年 5 万分図ではモヌッポナイと書かれている。語意はモ・ヌㇷ゚・オ・ナイ(mo-nup-o-nai 小さい・野・にある・川)であったろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.145 より引用)
ふむふむ。mo-nup-o-nay で「モンポナイ」ですか。意味は「小さい・野・そこにある・川」ですね。納得です!

大手(おおて)

o-terke-ot-pe
川尻を・飛びはねる・いつもする・もの(川)
(典拠あり、類型あり)
道の駅「びふかアイランド」から少し北に行ったあたりの地名です。どう見てもアイヌ語の地名には見えないですが……。それでは「北海道の地名」からどうぞ。

 恩根内市街から天塩川を 2 キロ遡った処の川名,地名。オ・テレケ・オッ・ペ「o-terke-ot-pe 川尻を・飛びはねる・いつもする・もの(川)」で,二つ続く母音の一つを省いてオテレコッペと呼ばれた。川尻を飛び越えて渡った処であろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.144 より引用)
ひゃあ、まさかこんなオチがあろうとは。o-terke-ot-pe だと確かに「オテㇽコッペ」と発音出来そうですね。……やがてそれが「大手」になった、と。面白いです。

この地名については、知里さんも「──小辞典」の中で面白いことを記していました。

oterkotpe オてㇽコッペ 【ビホロ】岸が両方からすうっと寄って来て川幅が急に狭くなり岸に岩などがあって対岸に飛び越すのに都合のいいような地形。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.84 より引用)
天塩川に注ぐ「オテレコッペ川」という川があるのですが、地図で見た限りではちょっと深そうな川にも見えます。途中に「オテㇽコッペ」に相当するところがあるのかないのか、ちょっと気になりますね。

ちなみに、まだ続きがあります。

[<o(そこに於て,そこから)terke(飛ぶ)ot(……するのが常である)-pe(所),「そこから対岸へ飛び越す習わしになっている所」の義。そういう所ではよく祖神サマイクルの足跡だという凹みがあって,昔人間の始祖である巨人サマイクルがここから対岸へ飛び越えた所だなどという伝説がからんでいる。]
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.84 より引用)
このあたりは、yukar にも造詣が深かった(で、いいのかな)知里さんらしい内容ですね。こういった「伝説」をもっと取りあげてみるのも面白いんじゃないかなぁ、などと思います。

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2013年7月27日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (127) 「テセウルペシュペ川・有利里川・内淵」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)

テセウルペシュペ川

teseu-ru-pes-pe
天塩・道・沿って下る・もの
(典拠あり、類型あり)
モシリウンナイ川の支流で、母子里から名母トンネルに向かう道に沿っている川の名前です。テセウと言えば……。今回も「北海道の地名」から。

テセウ・ルペㇱペ「teseu-rupeshpe 天塩(からの)・峠道沢」の意。これを上って山を越えると天塩国で,有利里川の水源である。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.88 より引用)
そうです。「テセウ」=「天塩」なのですね。ですから「テセウルペシュペ」は teseu-ru-pes-pe と解することができます。「天塩・道・沿って下る・もの」ですね。

 アイヌ時代の「ル」(ru)は道と訳すが,必ずしも人工的な道路とは限らない。藪でも川の中でも通行していた処のことである。現在はこの山林を越える道路はないが,もし道路がこの筋にできたなら,母子里と名寄を直線で結ぶ近い道となるであろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.89 より引用)
いやいや……、これは「山田秀三の大予言」ですね(笑)。前述の通り、この川筋には「名母トンネル」に向かう道ができたわけです。平成になって整備された新しい道路が、昔の峠道のルートをそのまま辿っているというのも面白い話ですね。

有利里川(うりりかわ)

urir-ru-pes-pe
雨竜・道・沿って下る・もの
(典拠あり、類型あり)
名母トンネルを抜けたところに源を発して天塩川に注ぐ、名寄市の川の名前です。

今回も「北海道の地名」から。

 名寄市内の川名。雨竜境から東流,名寄市街の西北の処で天塩川に注ぐ川。松浦氏西蝦夷日誌は「ウリウルベシベ。是ウリウえ山越路これある由」と書いた。ウルベシ川と同名で,ウリリ・ルペㇱペ(urir-rupeshpe 雨竜・峠道沢)の意。それが下略されて有利里川となった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.149 より引用)
はい。案の定と言いますか……(汗)。雨竜に「テセウルペㇱペ」があったのと同じく、天塩には「ウリウルペㇱペ」があったわけです。urir-ru-pes-pe で「雨竜・道・沿って下る・もの」です。

ちなみに、名母トンネルを抜けた道道 688 号線は、有利里川に沿って名寄へと下りていきます。まさに川の名前の通りのルートと言えますね。

内淵(ないぶち)

nay-puchi?
川・口
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
陸上自衛隊名寄駐屯地のあたりの地名です。「空知太」や「十勝太」という地名をご存じの方は、もう答の想像もついているかもしれませんが……。今回も「北海道の地名」から。

 名寄川の川口の処の地名。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.148 より引用)
はい。そういうことです。

put は川口であるが,その川口と指して呼ぶ場合は,プトゥ(putu)とも,またプチ(puchi)ともいい,同じことなのであった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.148 より引用)
むむ。nay-putu かと思ったのですが、「内淵」の場合は nay-puchi なのかも知れません。意味は「川・口」です。

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2013年7月26日金曜日

利尻・礼文の旅 2012/夏 (69) 「Day 2 フィニッシュ!」

セイコーマートを発見

17 時を少し過ぎたあたりですが、少しずつ陽が沈もうとしています(既に 9 月だったので、意外と日の入りは早いのです)。
富磯にはセイコーマートがあります。
ん、これももしかして「日本最北」ですかね?

この人たちは……?

逆光の中、稚内市街に向けて車を走らせていると……
おっ、自転車の人が。そこそこ荷物もあるようなので、旅行中の方でしょうか。

そしてその直後には……
なんと歩行者の人も。まわりをご覧いただくとおわかりかと思いますが、増幌から稚内空港のあたりまでは、殆ど人家らしきものは無いのです。この方は何をされていたのでしょうねぇ……?

稚内市街へ

やがて「稚内空港」に近づき……
いつしか市街地の中に入り……
目的地が見えてきました!

無事到着!

Day 1 に引き続きタイムトライアルとなってしまった Day 2 ですが、無事、約束の時間までに到着することができました。これもひとえに私のドライビングテk(ry
いやいや。ふつーにドライブしてもじゅーぶん間に合いましたって。
この日の走行距離は……あれ?(汗) 550 km も走ってました。400 km を超えたことはちょくちょくありましたが、500 km を超えたのは久しぶりです。

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2013年7月25日木曜日

利尻・礼文の旅 2012/夏 (68) 「ちょいと遠目から宗谷岬」

ちょいと遠目から宗谷岬

えー。というわけで「宗谷岬」が見えてきました。
観光客の端くれとしては、さすがにスルーするのはしのびない……ということで、
ちょいと離れた所に車を停めて、コンデジのズーム機能でずずいのずいっと(手抜きも甚だしい)。

日本最北の……

ちなみに、車を停めた「ちょいと離れた所」とは、実は……
神社の真ん前でした。これが日本最北の神社「宗谷岬神社」ですね。

さぁ、稚内へ!

この日は 18 時までにホテルにチェックインする約束になっていたのですが、宗谷岬から稚内市街までは約 31 km で、宗谷岬に着いたのが 17 時前ですから……はい、これは確実に間に合いそうですね。というわけで……
稚内市街を目指します。逆光が眩しいですが……

この島は……?

右手に島が見えてきました。
このあたりには「平島」と「弁天島」の二島があるのですが、これはどっちでしょうかねぇ……。弁天島だったら、日本最北の島(ロシアの実効支配下にある北方四島を除く)ということになるのですが。

あと 27 km !

宗谷丘陵のなだらかな山容(山じゃ無いか……)を眺めつつ、稚内市街へと車を走らせます。
稚内市街まで 27 km となりました。
宗谷岬のあたりは割と建物が密集していたのですが、岬を離れると密度もまばらになってきます。

音威子府行!

うぉっと。このバスは……
逆光で見えないと思いますが、前方の行先表示には「音威子府行」と出ています。天北線の転換バスなのでしょうけど、稚内から音威子府まで、結構な距離を走っているんですねぇ。所要時間は約 4 時間、運賃は 3,890 円なのだそうです。

比較的新しい時刻表で確認してみたところ、今は「稚内・鬼志別」と「鬼志別・音威子府」の二系統に事実上分割されているようです。まぁ、それが妥当かなぁ、と思います。

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2013年7月24日水曜日

利尻・礼文の旅 2012/夏 (67) 「最北さんシリーズ」

最北さんシリーズ

「日本最北の登坂車線」(たぶん)を横目に眺めながら、宗谷岬に向かいます。
さぁ、300 m 先にチェーン脱着場です。これもきっと「日本最北のチェーン脱着場」に違いありません(笑)。
日の翳った海沿いをゆきます。
宗谷岬まで 4 km となりました。もうすぐですね。

日本最北の郵便局

やがて、少しずつ民家が見えてきて……
集落の中に入っていきます。
左手に、郵便局も見えてきました。
その名も「宗谷岬郵便局」。日本最北の郵便局……ですね。

日本最北のガソリンスタンド

今度は、道路の右手にガソリンスタンドが見えてきました。
「出光」のマークの下には、誇らしげに「宗谷岬」の文字が並びます。
お店の名前は「安田石油店」さんでしょうか。これも「日本最北のガソリンスタンド」ということなのでしょうね。

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