2013年9月30日月曜日

利尻・礼文の旅 2012/夏 (107) 「礼文空港」

「空港通り」をゆく

礼文空港に向かって車を走らせます。本来だと「空港通り」とでも言うべき道の筈ですが、センターラインも無かったりします。
それでも、このように色々な種類のアンテナがあるのは空港っぽいですよね。
滑走路が見えてきました。確かにここは空港です。
周りには草が生い茂っていますが、滑走路の邪魔をするほどではありません。

空港ターミナル

空港ターミナルの前にやってきました。
「立入禁止」の立て札が見えますね。この空港はご存じの通り、2003 年に定期便が無くなってしまい、その後 2009 年 4 月から 2015 年 3 月まで「休止中」となっています。この状況から言って、やがて廃止されてしまいそうな感じですけどね……。

漁村の空港の厳しい現実

さて、礼文空港の滑走路を脇目に見ながら、幌泊の集落に向かいます。
何やら重機がありますが……これは港湾工事用のものでしょうかね。
幌泊の集落に入りました。ご覧の通り、商売っ気はゼロです。
フェリーターミナルがある香深には、役場や金融機関、学校や宿泊施設などがあって、いかにも「街で一番の繁華街」といった雰囲気が出ていたのですが、ここ幌泊はどう見ても普通の漁村です。香深からは車で 30 分もかからないのですが、飛行機なので当然もろもろの手続きも煩雑になるわけで……。

まぁ、結論は「失敗」でしか無かったわけですが、この失敗はきちんと科学的に分析をして、同じ轍を踏むことの無いようにしたいものです。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2013年9月29日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (146) 「高山・オションナイ山・幌泊」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)

高山(たかやま)

cise-po-yan-tomari?
家・小さな・上陸する・泊地
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
「上泊」の北隣にある集落の名前です。ちょっとややこしい話になりそうなのでお気を付けください。

まず、国土地理院の地図では「高山」とひとくくりにされていますが、実際の字名で見てみると、南側が「チイサントマリ」で、北側が「高山」なのだそうです。

では、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょう。

五万分の一の地図では、船泊から東へ山越えしたところの部落名になっているが、現在は、そこから二キロも南に寄ったところを呼んでいる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.216 より引用)
はい。これは大丈夫ですよね。北側が「高山」、南側が「チイサントマリ」です。

もとこの二つの地点の中間に、リーポキという地名があったので、それを高山と訳したものか、全くの日本名か明らかでない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.216 より引用)
なるほど。ri-pok-i かなーと思ったのですが、これだと「高い・下の・ところ」となってしまって、今ひとつ意味が不明です。

地元では、現在の高山というところを、チイサントマリと呼んだところだといっているが、明治三十年ごろの地図では、サンオマトマリとチセポヤントマリという二つの船澗の中間あたり、といっても岩礁と岩礁の間であるが、地元でいうチイサントマリとは、チセポヤントマリのなまったものかと思われる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.216 より引用)
はっはー。これはさすがに、こういった情報が無いと意味を推し量るのは困難ですね。チセポヤントマリですか……。cise-po-yan-tomari だと「家・小さな・上陸する・泊地」となりそうですし、あるいは単純に cise-po-un-tomari で「家・小さな・そこにある・泊地」かも知れませんね。

とりあえず、地井さんは関係なさそうです。

オションナイ山

o-so-un-nay
河口・滝・ある・川
(典拠あり、類型あり)
地井さん泊……いや、「高山」の後背に位置する山の名前……ですが、「ナイ」というくらいですから、もともとは川の名前だったのでしょうね(近くを流れる川の名前から、山の名前としても使われるようになった、ということでしょう)。

「オションナイ」ですが、音からは o-so-un-nay だと思えます。似た名前が道内各所にあるのでお馴染みの名前ですが、「河口・滝・ある・川」ですね。札幌市内の「精進川」と同じです。

幌泊(ほろどまり)

poro-tomari
大きな・泊地
(典拠あり、類型あり)
礼文空港の東隣あたりの地名で、漁港があります。空港の西隣にも漁港があって、規模はそっちのほうが遙かに大きかったりしますが……。

今回も、更科さんの「アイヌ語地名解」からどうぞ。

礼文町大字船泊字子焚場と行政面にあったが、その場所を明示している地図がないから、最近地名を改めたのかもしれない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.216 より引用)
ふむふむ。更科さんの時代には「子焚場」と呼んでいたのですね。子を焚くとはこれまた恐ろしい感じがするのですが……。

これは豊漁で鰊を魚粕にたいたのに名付けられた地名かと思われ、もと幌泊といったところだとおしえられた。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.216 より引用)
へぇえ。そういえば、昔は獲れすぎた鰊を肥料にしていたと聞きましたが、その名残なのかも知れませんね。「もと幌泊といった」とありますが、地図で見た限りでは今も「幌泊」のようです。

もしそうだとすればこのあたりは昔からアイヌ語のポロ・トマリで、親のように大事な船泊りの意味で、この付近で一番大事な船澗ということになる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.216 より引用)
はい。poro-tomari で「大きな・泊地」ですが、あるいは更科さん風に「大事な・泊地」としても良いのかも知れません。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2013年9月28日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (145) 「内路・赤岩・上泊」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)

内路(ないろ)

nay-oro
川・のところ
(典拠あり、類型あり)
礼文島中部、どちらかと言えば北寄りの集落で、礼文岳への登山道の入口があるところです。同名の川もあります。大変ありがたいことに由来は簡単なのですが、せっかくなので、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見ておきましょうか。

香深港から礼文島の東海岸を走るバスで十二キロ深く入り込んだ澗をだいて小・中学校のある物静かな村落である。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.213 より引用)
あれ、小学校があったかな? ……と思って確認してみたところ、どうやら「内路小学校」は 2006 年に廃校になったとのこと(残念です)。また、香深中学校内路分校があったようなのですが、地図には見当たらないですね……。

続きを見てみましょう。

現在は当時そのままに、ナイロと呼んでいるが、字名は大字香深村ナイオロとなっていて、この方がもとの地名に近い。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.213 より引用)
ふむふむ。やはり、もとの地名は「ナイオロ」だったんですね。

現在、内路市街のところを流れている小川の名がポロナヨロと呼ばれたもので、大きい川の所の意味。本当は川がポロナイ(大きい大事な方の川)で、川の出口にある入江をポロナイオロといわれたものらしい。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.213 より引用)
ほほう~。「ポロナイ」があったということは「ポンナイ」があったということになりますが……

ポロナイに対して現在起登臼と呼んでいるところの小川が、ポロナヨロとよんでいたことが、古い地図の上に記されている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.213 より引用)
先生、それだとどっちも「ポロナイ」です(汗)。前回の「起登臼」の回でもちらっと触れていますが、起登臼の旧名は「ポンナヨロ」ですね。

さぁ、これだけ引っ張っておけば大丈夫でしょう(何が)。「内路」の由来は nay-oro で、意味は「川・のところ」ですね。

赤岩(あかいわ)

o-chikap(-un)-nay?
河口・鳥(・そこにいる)・川
(? = 典拠未確認、類型多数)
礼文島の地図や地名を見ていて、あれ、おかしいぞ……と気がついたのがこの辺りでした。現地の案内は「赤岩」なのに、すぐ近くにある「礼文高校」の所在地は「字ヲチカフナイ」なんですね。ということは、「ヲチカフナイ」を和訳すると「赤岩」になるんじゃないか、などと想像してしまいますが、世の中そう甘くはありません。

「ヲチカフナイ」を素直に解釈すると、o-chikap-nay で「河口・鳥・川」となります。知里さん風に直すと、もともとは o-chikap-un-nay だったとするべきなのでしょうね。これだと「河口・鳥・そこにいる・川」となります。

ちなみに「赤岩」をアイヌ語に直すと hure-suma あたりでしょうか。似ても似つかないのですが、もしかしたら「ヲチカフナイ」の近くに「フレシュマ」という地名があったのかも知れません。

なお、「香深」の語源が「チカプナイ」から出た、という説があるそうです。もしそれが正しいのだとすれば、ここも o- ではなくて mo- だった可能性も出てきそうですね。

上泊(うえとまり)

wen-tomari
悪い・泊地
(典拠あり、類型多数)
「赤岩」から少し北にいったところの地名です。漁港があり、近くには「上泊崎」という岬もあります。地形を見た限りでは、それほど泊地として悪いところでは無さそうなのですが……。

この「上泊」、もともとは「ウヱントマリ」という地名だったようです。もう答が出てしまったようなものですが、これは wen-tomari で「悪い・泊地」だったと考えられます。

さて、一体どの辺が「悪い」のか。更科さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょう。

どっちも船掛りの悪い港という意味で、岩礁があってうっかりしていると、舟をこわしてしまうという危険地帯である。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.215 より引用)
はっはー、なるほど。岬があるから波浪の影響が軽減される……と思ったのですが、岬の存在は転じて岩礁もあるかも、となるわけですね。これは確かに要注意です。何度も痛い目にあったので「悪い泊地」と呼ぶようになった、ということなのでしょうねぇ……。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2013年9月27日金曜日

きょうの出来事(2013/9/27)

今朝は洞爺湖めぐりからスタート。まずビジターセンターに行って、次に「中島」行きの遊覧船に乗りました。
で、早速帰りの船の映像なのですが……。遊覧船の前で悠然と泳いでいる白鳥を見かけました。水中に首を突っ込んでばっかだったので、なかなかいい写真が撮れなかったのですが……。

ひさびさのヒッチコック状態

そして、その帰りの船は、船客になついているカモメやカラスが乱舞する事態に。
無我夢中で写真を撮りまくったのですが、一番良く撮れていたものをどうぞ。

ミマツダイヤグラム!

続いて洞爺湖を一周した後、昭和新山へ。ロープウェーで有珠山に移動して……
火口原を高みの見物。まだ煙が出ているのがわかります。
その後は「三松正夫記念館」へ。三松さんの名前は、皆さんも学校で習いました……よね?(ちと不安)
そう、昭和新山の造山活動を克明に記録した「ミマツダイヤグラム」を作成された方です。

白鳥は白鳥に非ず

予想以上に洞爺湖・有珠山で長居をしてしまったのですが、その後は予定通りに室蘭へ。
はい。こちらが有名な(?)白鳥大橋です。「はくちょうおおはし」です。間違っても「しらとり──」ではありません。

測量山

次はとある山の山頂へ。
この山の頂には、テレビ塔ばかり、何本も立っているのですが、その山の名は……
はい。「測量山」と言います。この珍妙な名前の由来ですが、明治時代に室蘭から札幌に道路を通す時に、この山の基準点を位置決めに使ったからなのだとか……。

地球岬の夕陽

最後は室蘭きっての眺望スポット、「地球岬」へ。
ちょうど夕陽が沈む頃で、タイミングぴったりでした。ものの数分で……
こんな感じに。いやー、ツイてましたね。

また来ますね!

この後は、トッカリショ経由で苫小牧へ。
はい。今夜のフェリーで北海道を離れます。それでは皆様ごきげんよう。サヨナラっ、サヨナラっ、サヨナラっ!

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2013年9月26日木曜日

きょうの出来事(2013/9/26)

昨日は、函館の近くの大沼に泊まりました。で、駒ヶ岳を眺めながらの朝食です。
ええ、ふつーに山が見えるだけなんですが、それでも何となくいいものに感じられるのが不思議ですね。

江差には船が浮かんでいて……

その後はぐるーっと松前を経由して江差へ……。
この船が、江差のランドマークとして知られる「開陽丸」ですね。

親子熊岩

江差からも引き続き、日本海に沿って北上します。ちょいと車を停めて……
「奇岩 親子熊岩」とあります。せたな町(旧・大成町)ですね。
「親子熊岩物語」という物語まで掲示されています。
はい。こんな物語まで用意された「親子熊岩」とはどんな岩なのか。……こちらをどうぞ!
あー。これは確かに「熊の親子」に見えますね。自然のなせる偶然なのですが、なかなか見事な造形です。

前方羊蹄山は無かった(古い)

その後は八雲に戻って、そこから長万部を経由して洞爺湖の畔へ。
湖の向こうにうっすらと見えるのは……。もしかして? と思ったのですが、やはり羊蹄山のようですね。

洞爺湖に仙人はいなかった

場所を変えてもう一枚。
同じ場所から、右の方を向いてもう一枚。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2013年9月25日水曜日

きょうの出来事(2013/9/25)

昨日の奥尻島は少しぐずついた天気だったので、今日こそは……と思ったのですが、あろうことか朝からずーっと雨が降っていて……

佐藤義則野球展示室

そんな中、こんなところに行ってきました。
はい。もちろんスポーツショップではありません。オリックスのユニを着たマネキンが見守るこの場所は、「佐藤義則野球展示室」と言います。佐藤義則と言えば、阪急ブレーブス・オリックスブルーウェーブで背番号 11 をつけていた本格派の投手ですが、実はここ奥尻島の出身なのだとか。大学を卒業してから 22 年間のプロ生活で、数々の賞を受けているのですが、実はかなり豪放磊落な方だったのだとか。

ここには、そんな佐藤投手に纏わるもろもろが展示してあるのですが、「記念館」ではなくて「展示室」という名前も控えめで良いですよね。記事の切り抜きなどを読めば読むほど、佐藤義則さんの人となりがわかってきて、ますます好感度が上がることかと思います。

ちなみにこの「展示室」は無料で観覧できるのですが、やはり無料だけあってか中々メンテナンスも大変なようで、募金箱が設置されていました。はい、折角ここまで来たのですから、ほんの少しではありますが寄付いたしましたです。

奥尻島津波館

その後は、奥尻町青苗にある「奥尻島津波館」へ。
ここは名前の通り、その津波が青苗地区を始め奥尻島全域に膨大な被害をもたらした、1993 年 7 月 12 日の「北海道南西沖地震」に関する展示がありました。1 階に展示室があって、地下にはシアターもあります。

この写真だけだと単なる明かり取り窓にしか見えないのですが、この小さな窓はそれぞれがステンドグラスになっています。そして、この窓の数は縦に 11 個、横に 18 個の合計 198 個で、この地震で行方不明または亡くなった方(奥尻島内)、198 名と合わせているのだそうです。

この「奥尻島津波館」は、とても舞台装置としての設計が見事ですので、皆様も是非一度足をお運びください。

……そしてセイコーマート

その後は奥尻島を縦走して、フェリーターミナルに戻ってきました。で、折角なので一度見ておきたかったのが……
こちら。島に一つだけのコンビニ「セイコーマート」です。中は至ってふつーのセイコーマートなのですが、ちょうどお昼時だったからか、結構繁盛していましたねぇ~。

奥尻名物「ハイシャーベット」

ただ、そのセイコーマートでも買えなかったものがあったので、乗船手続きとあわせてフェリーターミナル 2 階のお土産屋さんへ。そこで入手したものがこちら。
奥尻名物「ハイシャーベット」です。「氷菓・無果汁」とあるのに果肉が入っていると評判のこのシャーベット。なんだか懐かしい味がしました。

……初めて食べたんですけどね。

うにまる発見!

さて、奥尻島のマスコットキャラクターといえば……
特産品の「ウニ」をあしらった(?)「うにまる」です。この「うにまる」くんはフェリーターミナルで来訪客の出迎えと乗船客の見送りをするのが日課なのですが、雨の日はお休みとのこと。ちょうど 15 時を過ぎたあたりから雨が小やみになったので、出てきてくれました。

せたな便のお客様がボーディングブリッジを下りてきました。
さすが「うにまる」、大人気です。
そして記念撮影まで。
ちなみに、この「うにまる」くん、最近出てきた「ゆるキャラ」ではなくて、奥尻のマスコットキャラクターになったのはなんと 1991 年とのこと。年季が入っていますね。素晴らしい。

さようなら奥尻

さて、そんな「うにまる」の人気ぶりを横目に、ここで奥尻を離れて、江差に向かいます。バックで入庫して……
客室へと向かいます。江差までは 2 時間コースなので、帰りは「1 等ラウンジ」で。
「うにまる」くんに見送られつつ、奥尻を後にしたのでした。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2013年9月24日火曜日

きょうの出来事(2013/9/24)

えー、今日は小樽から今金経由でせたなに行って、そこからフェリーで奥尻島まで渡ってきました。

毛無峠からの眺望

小樽からは、一度走っておきたかった国道 393 号線「毛無峠」を行きます。
途中の展望台から小樽の市街地を眺めたのですが、んー、ちょっと意外な色加減ですね。このカメラの特性かも知れません。次からは気をつけます。

その後は赤井川 → 倶知安 → ニセコ → 蘭越 → 黒松内と進んで、長万部からは道央道で国縫まで。基本的にずーっと走っていました。

美利河の里の小学校

国縫から今金に向かう途中に「美利河」と書いて「ぴりか」と読ませる集落があります。ここには巨大なダムができてしまって、一部の集落が高台に移転したりしたのですが……
そこにあった「美利河小学校」が、今年の春に閉校となっていたことを、今頃知りました。

山村留学への取り組みでちょいと有名だったところです。

出た!子ども

その後は、今金からせたな町瀬棚に向かいました。
……。これ、絶対「子ども」じゃ無いと思うw

まぁ、せたなという所がこういう所(←)なのは先刻承知なわけでして。
はい。せたなってこういう所です。

「アヴローラおくしり」で奥尻へ

奥尻行きのハートランドフェリー「アヴローラおくしり」がやってきました。
後ろ向きに乗船します。なんとなく、つい最近も後ろ向きに乗船した気がするのですが、記録を辿ると昨年の礼文・利尻くらいしか可能性が無い筈なんですよね。どこと勘違いしてるのかなぁ……。
せたなから奥尻までは約 1 時間 30 分の航海ですが……
ものの 1 時間ほどで、奥尻島の姿を視認できます。意外と近いんですよね。

鍋釣岩!

奥尻島のランドマークと言えばこちら!
そう、「鍋釣岩」です。この形、某ストレージメーカーのロゴに見えて仕方が無いのですが……(汗)。

せっかくなので、車と一緒にツーショット(死語)でも、ということで……
ああっ(汗)。あ、でもちょうどいい具合にナンバープレートが隠れたかも。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International