2014年1月31日金曜日

利尻・礼文の旅 2012/夏 (198) 「惜しい!浮島トンネル」

路面状態に合わせて安全運転を

滝上からは、国道 273 号を南に向かって上川を目指します。
これまた、いかにも北海道らしい眺めですね。

この山の名前は……?

ふと左手を眺めると、とても綺麗な形の山が見えました。地形図で見ると、まるでテトラパックのような三角錐状の山なのですが、残念ながら名前が載っていません。何と言う名前の山なのでしょう……?
モセカルシュナイ川を渡る手前で国道が 90 度左にカーブしたおかげで、件の山が真正面に見えてきました。

滝上町滝西

モセカルシュナイ川に架かる「茂瀬軽橋」(わかりやすい名前ですね)を渡ると、滝上町滝西です。滝上からちょっと離れたところですが、小学校・郵便局・お寺に神社と、とりあえずひと通り揃っているようですね。人口はどれくらいなんでしょうか。

渚滑川沿いに浮島峠へ

上川まで 45 km、浮島峠まで 22 km。それほど遠くは無いとは言え、上川まで 45 分かかると考えると、決して近いとも言えないなぁ……などと。
やがて渚滑川の谷に張り付くようになり、制限速度も 50 km/h に。んー、この道だったら 60 km/h でも大丈夫だと思うんですけどねぇ。
谷を奥深くまで進んでいくと、「浮島トンネル」が見えてきました。トンネルのほぼ上のあたりには「浮島湿原」があるのですが、地形図を見た限りでは車では行けそうにありません(もしかしたら駐車場があるのかも知れませんが)。環境保護とツーリズムの両立を図るのはなかなか大変ですね……。

あと 1 m 長ければ

では、延長 3,332 m の「浮島トンネル」に突入です!
あ、なんか有料道路っぽい色合いの看板ですが、このトンネルは無料で通行できますので念のため。

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2014年1月30日木曜日

利尻・礼文の旅 2012/夏 (197) 「滝上町をゆく」

ウェンシリ岳

西興部村からは、藻興部川沿いを走って滝上町へと向かいます。
西興部村と滝上町と、そして下川町の境界に位置する「ウェンシリ岳」への登山口がありました。このあたりは海抜 260 m くらいのところですが、ウェンシリ岳の頂上は海抜 1,142 m とのこと。結構な高低差ですよね。
「札久留峠」は「ウェンシリ岳中央登山口」の看板からすぐのところです。峠を越えたところで滝上町に入ります。
写真撮影のタイミングで、こんな中途半端なレイアウトになっちゃいました(汗)。

札久留経由で滝上へ

峠から札久留(さっくる)の集落へは約 3 km、滝上の中心街には約 10 km、とあります。
程なく、士別からやってきた道道 61 号と合流します。滝上に向かうには左、ですね。
道道 61 号は「士別滝の上線」という名前のようなのですが、町名は「滝上」なのに「──滝の上線」というのもちょいと妙な話ですね。もっとも、国鉄渚滑線の終着駅は「北見滝ノ上」だったので、「滝の上」という表記もあながち間違いでは無さそうですが。

滝上町をゆく

その「北見滝ノ上駅」の跡地は、バスターミナルになっているようでした。北紋バスの車両が停まっていますね。

2014/2/8 追記:twitter でご指摘いただきましたが、これは駅跡ではなく、駅跡より手前(西側)にあるバスの営業所の写真だったようです。大変失礼しました。
滝上からは国道 273 号で上川に向かいます。このまま真っ直ぐ行けば良さそうですね。
で、真っ直ぐ行ったら方向別に車線のある大きな交差点が。町中の道路が思った以上に良く整備されているのには驚いてしまいました。

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2014年1月29日水曜日

利尻・礼文の旅 2012/夏 (196) 「干貝柱塩ラーメン」

イチオシ「干貝柱塩ラーメン」

それでは、道の駅でお昼ごはんをいただくことにしましょう。メニューは、と言うと……。
ふむふむ。「干貝柱塩ラーメン」というメニューがフラッグシップのようですね。実際、テーブルにも……
パンフレット?だったり、
「おいしい食べ方」の紹介だったり。かなりイチオシっぽい感じがします。

というわけで

ここまでプッシュされると、「じゃあ、しょうゆラーメンで……」というネタに走りたくなったりするのですが(やめなさい)、ここは素直に「干貝柱塩ラーメン」を頼んでみました。
はい。期待通りのおいしさでした☆

西興部村から瀬戸牛峠へ

さぁ、ここからは西興部村を目指して国道 239 号線を南西に向かって走ります。ちょうど逆光の時間ですね……。
西興部村からは、道道 137 号線で滝上に向かいます。
まずは「瀬戸牛峠」を登ってゆきます。斜めに斜面を駆け上がっていく、快適な道です。
おっ、「西興部村」と書かれたバスが下りてきました。スクールバスでしょうかね。それとも、コミュニティバスのようなものなのか……。
ものの 3 分ほどで瀬戸牛峠の頂上に到着です。ここからは少し下がって、藻興部川沿いを滝上に向かって進みます。

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2014年1月28日火曜日

利尻・礼文の旅 2012/夏 (195) 「サスペンス劇場!?」

広場には動輪が

道の駅「おこっぺ」の話題を続けます。ここはかつての「興部駅」の跡のようで、広場として整備されています。向こう側にはバスの姿も見えますね。
その広場の中に突然、蒸気機関車の「動輪」と思しきものが。まるで単なるオブジェのようになっていますが、これ、本物なんでしょうか(現地ではあまり気にならなかったので、深追いはしてませんでした(汗))。

鉄道記念コーナー

さて。道の駅「おこっぺ」には「交通記念館」という建物があるのですが、その中の一角に「鉄道記念コーナー」なるスペースが設けられていました。
興部町を俯瞰する、割とシンプルなタイプの立体模型がありました。左手前から右に向かって伸びていたのが「名寄本線」で、興部から北に伸びていたのが「興浜南線」ですね。
盲腸線だった「興浜南線」が廃止されたのは少なからぬ人が予想していたことですが、まがりなりにも「本線」だった「名寄本線」が廃止されてしまったことには驚いた人も多かったようですね。興部も「本線と支線の分岐駅」だったのが、あっさりと鉄道が全部廃止されてしまって、地元の方も相当唖然としただろうな、と思います。

「ありがとう、そしてサヨナラ」として、当時の写真が残されています。左が「興浜南線」が廃止された昭和 60 年 7 月 14 日、そして右が「名寄本線」が廃止された平成元年 4 月 30 日です。その間わずか 4 年弱でした。

絵に描いたような「故障中」

「道の駅情報提供端末」なるものがあったのですが……。
見事に、絵に描いたような「故障中」でした。残念。

謎のアピール

その隣に、これまた謎めいた紙が貼ってあったのですが……。
ふむふむ。そうなんですね。それにしても唐突な内容で、しかも余白は何なんでしょう……。

サスペンス劇場!?

駅員さんの制服と思しきものも展示されていたのですが……(「○曜サスペンス劇場」のテーマとともにご覧ください)。
ちょっ。これは……。顔の位置に帽子が下向きに置かれているのですが、これ、なにか不穏な感じがしませんか? その、まるでうつむいているように見えるというか、その……(汗)。
うーん、やっぱりこれはマネキンに着せてあげるほうがいいんじゃないかなぁ。

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2014年1月27日月曜日

利尻・礼文の旅 2012/夏 (194) 「道の駅『おこっぺ』」

興部で給油を

13 時を少しまわったところで、興部に入ります。
ここからは西興部村に向かうのですが、ガソリンも少なくなってきていたので、ここで給油です。
Day 2 に音威子府で満タンにして以来の給油で、その間およそ 700 km。さすが北海道だけあって悪くない数字です。
この車のハンドルを握って 5 年になるのですが、こんな表示は初めて見ました。

道の駅「おこっぺ」

ガソリンを給油して、西興部村に向かう国道 239 号を走っていると、「道の駅 おこっぺ」の案内が見えてきました。
そう言えば、まだ昼ご飯を食べていません。ちょうどいい時間なので、ちょっと寄ってみましょうか。……ということで、車を停めて道の駅に向かうと……おおっ!
なにやら見慣れない色のディーゼルカーが保存してあります。プラットホームのようなウッドデッキがありますね。別アングルからもう一枚。
二両編成のようですが、車両と車両の連結部に説明板がありました。
「ご利用のご案内」とあります。ふむふむ、宿泊施設や休憩所として使用されているのですね。これ自体は良くある話なのですが、「この施設は無料でご利用できます」というのは凄いですね。これ、タダで泊まれるってことですよね?

あれ、これは……?

一般的に、風雨に晒されたまま動かなくなった鉄道車両というものは、あちこちが腐食したり塗装が剥がれたりと、なかなか維持も大変なのですが、そう言えばこの車両も塗装が剥がれているところがありました。
これは……錆びているのではなく、昔の塗装ですよね。クリーム色と朱色のツートンカラー、国鉄時代の塗装が下に隠れていたのですね。

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2014年1月26日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (171) 「雄鎮内・白鳥・茂瀬」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)

雄鎮内(おちんない)

o-chin-nay???
河口・崖脚・川

(??? = 典拠なし、類型未確認)
滝上町東部の地名。国鉄渚滑(しょこつ)線に同名の仮乗降場もありました。

雄鎮内は、「──内」という位ですからもともとは川の名前なのですが、地図を見てみると、西隣の濁川のあたりで渚滑川に注ぎ込む「パンケオチンナイ川」という川があります。このあたりの渚滑川は切り立った崖の下を流れているように、地形図からは見て取れますが……。

音からは o-chin-nay と読み取れます。これだと意味は「河口・崖脚・川」となりますね。「崖脚」という言葉は耳慣れないのですが、どうやら「崖錐」のことのようで、崖の下の方にある岩屑のことなのだとか。

「滝上」というところは、その名の通り滝が多いところなのだそうですが、雄鎮内の場合は「滝」ではなく、岩が崩れたような状態……なのかも知れません。Очень хорошо!

白鳥(しらとり)

sir-utur-oma-p?
山・間・そこにある・もの

(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
滝上町南部の地名です(もっとも町域が南北に広いので、町域の中心よりは北東に位置しますが)。一見、和名に思えますが……そうでは無いようでして。

というわけで、我らが「角川──」(略──)を見てみましょう。

 しらとりまっぷ シラトリマップ〈滝上町〉
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.725 より引用)
なるほどっ。もともと「シラトリマップ」と呼ばれていたところが、下略されて「シラトリ」になった、ということのようです。

地名はアイヌ語のシリトクオマプ(山の出鼻にある川)によるという(滝上町史)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.725 より引用)
ふむふむ。sir-etok-oma-p で「山・頭の突出部・そこにある・もの」と解釈できますね。あるいは「山・頭の突出部・そこに行く・もの」のほうがわかりやすいかもしれません。

ただ、ちょっと気になるのが、滝上町白鳥を流れる川の名前が「シュウトルマップ川」なのですね。「シリトクオマプ」とは似ているようでもあり、しかし、ちょっと違うようにも思えます。違うというか、sir-utur-oma-p で「山・間・そこにある・もの」とも解釈できてしまうのですね。

地形図を見た感じでは、どちらにでも解釈できそうな気がします。音としても似たようなものですから、案外どっちでも通用していたのかもしれませんね。

茂瀬(もせ)

mose-kar-us-nay
イラクサ・刈る・いつもする・川

(典拠あり、類型あり)
滝上町西部の地名です。一見、和名に思えますが……(もういい)。

地図を見ると、「茂瀬」の近くに「モセカルシュナイ川」があることに気がつきます。モセカルシュナイ川について、山田秀三さんの「北海道の地名」によると……

 渚滑川本流を滝上布街から約10キロ上った処に入る西支流の名。割合に長い川で川筋に平らな処も見える。モセカルシナイ(mose-kar-ush-nai いらくさ・を刈る・いつもする・川)の意。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.183 より引用)
はい。これも良くある地名ですね。mose-kar-us-nay で「いらくさ・刈る・いつもする・川」という意味です。おそらく「モセカルシュナイ」が下略されて「茂瀬」になった、ということなのでしょう。

ちなみに……

現名の中のシュは永田方正氏の変な仮名使いが残ったもので,アイヌ語はシ(子音)なのであった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.183 より引用)
そうなんですね。子音の「ㇱ」を「シュ」と綴る氏の悪癖が、未だに川の名前として残ってしまっている例の一つなのでした。

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2014年1月25日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (170) 「瀬戸牛・忍路子・札久留」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)

瀬戸牛(せとうし)

set-us-nay?
巣・多くある・川
sep-us-nay??
広くある・そうである・川

(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)(?? = 典拠未確認、類型あり)
西興部村役場から見て東側にある峠の名前です。かつては国鉄名寄本線にも同名の駅があったとのこと。あれ? と思ったのですが、昭和 36 年に「西興部駅」に改称されたのだそうです。なるほど、現在の「西興部」集落の旧名だったのですね。

というわけで、今回は「北海道駅名の起源」から。

起 源「興部」の西方にあるため、「西」をつけたものである。もと「瀬戸牛」といい、アイヌ語の「セツ・ウシ・ナイ」(鳥の巣の多い沢)からとっていたが、昭和36年3月20日改めた。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.195 より引用)
ふむふむ。set-us-nay で「巣・多くある・川」なのですね。ところで、現在の地形図を見た限りでは「瀬戸牛川」という川は見当たりません。現在のどの川が set-us-nay だったのか、ちょっと気になるところです。

2020/9/5 追記
set-us-nay は現在「山形団体の川」と呼ばれている川のことである可能性がありそうです。その場合、地形的な特徴から set-us-nay ではなく sep-us-nay で「広くある・そうである・川」である可能性があるのではないか、と考え始めています。

忍路子(おしょろっこ)

o-so-rutke-{set-us}?
河口・水中のかくれ岩・崩れている・{瀬戸牛川}

(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
西興部村中央部、役場から少し南へ進んだあたりの地名です。同名の川もあります。

かなりマイナーな地名ですが、我らが「角川──」(略──)に記載がありました。

地名は,オソ(ショ)ルツケセトシ(川口,水中のかくれ岩,くずれているセトシ川)に由来するという。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.291 より引用)
うぅーむ。o-so-rutke-set-us だと確かに「河口・水中のかくれ岩・崩れている・(巣・多くある)」となりますね。この場合の set-us は「セトシ川」という固有名詞を意味するので、逐語訳はあまり意味がありません。

ただ、このような記録もあるようで……。

松浦武四郎「廻浦日記」に, オシユルリヤツプと見える。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.291 より引用)
むぅ。これは……。osor-riya-p であれば、「尻・越冬する・もの」とも読めそうな感じがします。地形を見ても、忍路子川が興部側に注ぎ込むあたりはなんとなーく尻っぽいような……(ただ、riya-p という例が他には見当たらないので、そこがちょっと難点かも)。

「おしょろっこ」に戻りますが、音の感じからは osor-kot (「尻・くぼみ」)という解釈も成り立ちそうな感じがするんですよね。いかがでしょうか。

札久留(さっくる、さくるー)

sak-ru
夏・道

(典拠あり、類型多数)
西興部村から札久留峠を越えた先にある地名です(滝上町札久留)。近くには「サクルー川」も流れています。

この地名の由来は、sak-ru で「夏・道」ですね。更科源蔵さんは次のように記しています。

アイヌ語サク・ル(夏道)は、夏に興部川や天塩川の上流の柵留川に越える道であったからである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.297 より引用)
確かに、サクルー川支流の原子川を遡っていくと「柵留山」があり、山を越えた西側には「サックル川」があります。サックル川は岩尾内湖のあたりで天塩川と合流するので、これが本来の sak-ru だったと考えることに特に異論はありません。

ただ、厄介なのが「札久留峠」の存在です。この峠を越えると藻興部川筋に出ることができるのですが、これは本来の sak-ru では無いんじゃないかな……と思ったりします(確証はありませんが)。サクルー川流域に「札久留」という集落ができて、そこに抜けるための峠の名前として(便宜的に)名付けられただけなんじゃないかなぁ……と思ったりします。

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2014年1月24日金曜日

利尻・礼文の旅 2012/夏 (193) 「美しく青きオホーツク海」

道は流れて東へ西へ

道道 49 号線は、下川町からやってきた道道 60 号線と合流して、オホーツク海へと向かいます。
……が、ものの数分ほどで再度分岐します。道道 60 号は幌内川沿いに北へ、そして道道 49 号は「上幌内越峠」沿いに東へと向かいます。ここから北に回るのは遠回りになるので、引き続き道道 49 号線を東へと進みます。
いやー、それにしても相変わらずいい天気です。

とっても寒そう

「五十寒橋」と書いて「いそさむ──」と読ませる橋がありました。雄武川支流のイソサム川を越える橋なのですが、うまい字を充てたものですね(笑)。

「イソサム」の由来については 2013/12/22 の記事もご覧ください。

国道 238 号へ

仁宇布(美深町)からおよそ 35 分ほど走ったところで、オホーツク海沿いを走る国道 238 号が見えてきました。
右に曲がって、興部(おこっぺ)を目指します。
興部まではおよそ 18 km。すごく近いですね(距離感覚麻痺中)。

美しく青きオホーツク海

晴れ渡った秋の空、そして……
穏やかな海を眺めながら、興部に向かいます。

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