2014年3月8日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (182) 「山部・老節布・パンケアラヤ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)

山部(やまべ)

yam-pe?
冷たい・水

(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
富良野市南部の地名で、同名の駅もあります。せっかく駅があるので、まずは「北海道駅名の起源」から。

  山 部(やまべ)
所在地 富良野市
開 駅 明治34年4月1日(北海道鉄道部)
起 源 むかし「ヤマエ」といったともいうが、その意味は不明である。むしろ「ヤム・ぺ」(冷たい水) がなまったものでないかと思われる。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.120 より引用)
ふむふむ。yam-pe で「冷たい・水」ではないか、とのことですね。ただ、山田秀三さんは「むかし『ヤマエ』といったともいうが」という部分に引っかかったのか、次のように記しています。

 松浦図では「ヤマイ」で,明治29年5万分図では「ヤマエ」である。似た地名では沙流川中流にヤムエがあり,永田地名解は「yam-e。栗を・食ふ」と訳した。もしかしたらこれと同じ,あるいはヤマエ(yam-a-e 栗を・我ら・食べる)ぐらいの名だったかもしれない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.71 より引用)
確かに、「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヤマイ」と記されていますね。

一方で、更科源蔵さんは次のように記しています。

 富良野市の空知川渓谷の山村であるが、この地名はヤムペのなまりで、栗のあるところの意であるといわれてきた。しかし栗の多いところならヤムウシ(栗の多いところ)というはずであり、ヤムペは「栗のもの」ということになるのでうなずけない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.121 より引用)
ふーむ。これも至極もっともな指摘であるように感じられます。

昔はヤマエといったともいわれているが、ヤマエの意味は不明で、むしろヤム・ぺで冷たい水とかヤム・べッ(水の冷たい川の意)のなまったものではないかとも言われている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.121 より引用)
おー、「栗」説については見事に見解が分かれましたね。そして「北海道駅名の起源」の yam-pe 説は、もしかしたら更科さんの手によるものかも知れないなぁとも感じさせます。

老節布(ろうせっぷ)

ru-o-sep
道・そこで・広い

(典拠あり、類型あり)
富良野市南東部の地名です。同名の川があります。「ろうせっぷ」という音はいかにもアイヌ語起源っぽいのですが、その由来は今ひとつピンと来ません。はてさて……。まずは「角川──」(略──)を見てみましょう。

 ろうせっぷ 老節布 <富良野市>
〔近代〕昭和24年~現在の行政字名。はじめ東山村,同31年富良野町,同41年からは富良野市の行政字。もとは東山村字西達布の一部。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1633 より引用)
ふむふむ。西達布は永田方正の「北海道蝦夷語地名解」にも記録が残るほどの地名でしたから、このあたりでは大地名のひとつだったのでしょうね。

地内は老節布市街・あかまつ・からまつ・くろまつ・いちい・とどまつの各地域に分かれる。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1633 より引用)
これは洒落てますね。元となった小地名が抹殺されてしまったのなら、それはかなり残念な話とも言えますが……。

そろそろ本題に戻りましょう。ということで……

地名の由来は,アイヌ語のロウセップ(道端に巣のある所),ルオセプ(路がそこから広くなる)によるという(アイヌ語地名解・富良野市史)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1633 より引用)
んー……。西達布の「樹木収縮スル處」ほどではありませんが、これも相当に謎な感じですね。「道端に巣のある所」って……(汗)。ru-set-pe とでも考えたのでしょうか。

一方で、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には、次のように記されています。

 老節布(ろうせっぷ)
 現在は文字の発音に忠実にロウセップと呼ばれているが、もとはルヲセッフと呼んで老節布という字を当てはめたのであった。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.121 より引用)
ふむふむ。

ル・オ・セプは路がそこから広くなるというような意味だと思う。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.121 より引用)
どうやら、「角川──」()の「ルオセプ」が更科説のようですね。となると「道端に巣のある所」は富良野市史の解だったようです。ru-o-sep で「道・そこで・広い」と解釈すれば良さそうです。

パンケアラヤ川

panke-yar(-pet)?
川下の・破れる(・川)

(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
JR 根室本線の金山駅のあたりから、国道 237 号線に沿って流れている空知川支流の名前です。

狩勝峠(国道 38 号)の近くを流れる「パンケヤーラ川」と名前が似ているのですが、東西蝦夷山川地理取調図を見てみると、パンケアラヤ川と思しきところに「ハンケヤーラ」と書いてあるではありませんか。「パンケアラヤ」は「パンケヤーラ」の音韻転倒だった可能性がありそうです。

狩勝峠の近くを流れる「パンケヤーラ川」は、panke-yar(-pet) で「川下の・破れる(・川)」だとされていますが、更科源蔵さんは panke-ara(-pet) で「川下の・とかげ(・川)」としています。「とかげ」は haram あるいは aram なのですが、この「パンケアラヤ川」の場合は「破れる」と「とかげ」、一体どっちだったのでしょう。

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