2015年1月31日土曜日

函館~根室 各駅停車の旅 (13) 「小沢・銀山・然別・仁木・余市・蘭島・塩谷・小樽」

小沢駅(S22)

倶知安駅を発車すると、2 km ほどで「倶知安トンネル」に入ります。ここから先は岩内郡共和町です。

倶知安駅から 12 分ほどで、次の小沢(こざわ)に到着します。ここで倶知安行きの快速「ニセコライナー」3952D とすれ違いです。

小沢からは、かつて国鉄岩内線が分岐していました。岩内線の跡もかなりの部分が国道 276 号線に転用されています。

銀山駅(S21)

小沢駅を出発すると、線路は 90 度右に向きを変えて、今度は再び峠に向かって登ってゆきます。「稲穂トンネル」を抜けると余市郡仁木町の銀山駅です。ここから余市までは、余市川沿いを下ってゆくことになります。

峠越えが多かった「山線」も、稲穂トンネルが事実上最後の峠となります。

山道駅(廃止)

函館から小樽の間の函館本線は「北海道鉄道」という私鉄が建設したものですが、小樽側は 1902 年に蘭島と然別の間が開通したのが始まりです。半年後に蘭島から小樽中央(現在の小樽駅)まで延伸すると同時に、然別から「山道駅」までの区間が開通しました。

「山道駅」は、銀山駅と然別駅の間に設けられたそうですが、1 年後の 1904 年に山道から小沢まで延伸すると同時に、駅としては廃止されてしまったそうです。開業が 1903/6/28 で廃止が 1904/7/18 と言いますから、わずか一年強しか存在しなかった「幻の駅」と言えそうですね。

現在、仁木町には「山道」という地名は残っていないようですが、明治期の地図を見ると、現在の然別駅のあたりから南側の一帯を指していた地名だったようです。

明治期の地図は鉄道の予定線と思しきルートも描かれているのですが、「山道駅」から赤井川方面に向かって、「土木川」と「倶登山川」沿いを経由して倶知安に至るルートで検討していた様子が見受けられます。実際には「倶知安トンネル」と「稲穂トンネル」で二度の峠越えをするルートで建設されたわけですが、岩内へのルートを確保するためには妥当なルート変更だったと言えそうですね。

然別駅(S20)

銀山から然別までは、およそ 10 分ほどの区間です。ここで 2954D とすれ違いです。

前述の通り、函館-小樽間の函館本線は、函館側の亀田(廃止)-渡島大野間と、小樽側の然別-蘭島間が最初に開通した区間です(蘭島から小樽までは未開通なので「小樽側」という表現も微妙に誤りではあるのですが)。今では数ある駅のひとつと言った雰囲気でしか無いのですが、歴史を紐解いてみると面白い発見があるものですね。

仁木駅(S19)

然別から約 5 分で仁木に到着です。仁木も北海道鉄道の初回開通時に設けられた駅のひとつです。ちなみに仁木町の町名は徳島県からやってきた仁木武吉さんに因んで命名されました。アイヌ語とは関係の無い地名です。

余市駅(S18)

仁木から北へ 6 分ほど走ると、今、話題の?余市に到着です。余市は余市川が海に注ぐところにある町で、海沿いに町が広がっています。2 万人ほどの人口をかかえる、このあたりでは指折りの町ですね。

蘭島駅(S17)

余市を発車すると、線路は再び 90 度向きを変えて、海沿いを東に向かいます。蘭島はかつての「塩谷村」の西部にあたります(塩谷村は 1958 年に小樽市に編入されています)。北海道鉄道の初回開通時の、東側の終点があったところです。

……今から思うと「なんで蘭島?」と思わないでも無いのですが、とりあえず余市のあたりでは蘭島と然別の間の建設が早く済んだから、というだけのような気もしますね……。

塩谷駅(S16)

蘭島を発車して 10 分ほどで、次の塩谷に到着です。2949D はここで余市行きの 1956D とすれ違います。

蘭島から、次の小樽駅までの開通は 1903 年 6 月 28 日でしたから、蘭島・然別間の開通から半年遅れだったことになりますね。

小樽駅(S15)

さぁ、長かった 2949D での旅も、ついに次の小樽駅でおしまいです! 塩谷から小樽までの所要時間は約 10 分で、定刻の 20:42 に無事到着しました!

無駄にテンションが上がっていますが、改めて考えてみると、前の日の 21:16 に上野駅から「あけぼの」に乗車しているんですよね。その後、函館で 2 時間ほど「青函連絡船記念館『摩周丸』」を見学したりしましたが、それ以外はほぼ列車内(もしくは駅施設内)にいたわけで……。思えば、随分と遠くまで来てしまったものです。

あとは札幌に向かうだけなのですが、まだ夕食を食べておらず、流石にかなりお腹が空いてきてしまいました。小樽から札幌に向かう電車は割と頻繁に出ているので、小樽で途中下車してささっと夕食を済ませることにしました。

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2015年1月30日金曜日

函館~根室 各駅停車の旅 (12) 「昆布・ニセコ・比羅夫・倶知安」

昆布駅(S26)

蘭越から尻別川沿いに走ること約 8 分で、次の昆布駅に到着です。この「昆布」駅は、珍名駅としても割と有名なところですね。ちなみに「コンブ」という単語はアイヌ語でも「コンプ」として借用されたケースもあるようなのですが、この「昆布駅」と「コンブ」は全く関係無いとの説が有力なのだとか。

ニセコ駅(S25)

昆布から、更に尻別川沿いを遡ること約 11 分でニセコ駅に到着です。国鉄時代は「カタカナの駅名」は全国的に珍しく、確かこの駅と、滋賀県の「マキノ駅」くらいしか無かったような、そうでもないような記憶があります(どっちだ)。

今は世界に名だたるブランド地名となった「ニセコ」ですが、この地名(駅名)への改称は紆余曲折あったらしく……。もともと、ニセコのあたりは「真狩村」だったのだそうです(真狩村自体はニセコの東隣に現存します。細川たかしの出身地としても有名ですね)。

その後、真狩村から分村して「狩太村」の戸長役場を設置したところで鉄道が開通し、当初は「真狩駅」と名付けられたのだそうです。

そして、1906 年に二級町村制が施行されたタイミングで、駅名も「狩太駅」という名前に変わります。

ただ、「狩太」(かりぶと)という地名が下ネタを連想させるからか、(当時の)狩太町が国鉄に「ニセコ駅」への改称を陳情、国鉄は「町名の変更後に改名に応じる」としたため、先ず 1964 年に「狩太町」から「ニセコ町」に改名、その後 1968 年に「狩太駅」から「ニセコ駅」への改称が実現した……のだそうです。

いや~、駅名に歴史在りですねぇ~。

比羅夫駅(S24)

ニセコから引き続き尻別川沿いを遡ること約 8 分で、倶知安(くっちゃん)町の比羅夫(ひらふ)駅に到着です。

久々の写真がこんなのですいません(汗)。
「比羅夫」は阿倍比羅夫に由来する地名で、飛鳥時代に阿倍比羅夫が粛慎を討伐した故事に由来する……とされています。

日本書紀によると「阿倍比羅夫」は「後方羊蹄(しりべし)に至った」とあるのですが、この「後方羊蹄」が現在の「後志」で、同地の秀峰が「後方羊蹄山」と呼ばれることになったのだとか。どこまで本当なのかなー、と思わないでも無いのですが……。

なお、比羅夫駅は、駅舎を利用した民宿があることでも有名みたいですね。

倶知安駅(S23)

比羅夫からさらに川沿いを遡ること 8 分ほどで、倶知安駅に到着です。
倶知安町は、このあたりではとても栄えている街で、乗り降りするお客さんの数も群を抜いていた……ような記憶があります。かつて国鉄胆振線が分岐していましたが、国鉄民営化の直前に廃止されています。
「スキーの町・くっちゃん」は、広く名の知れた名所も沢山あるようですね。

なお、昆布駅から倶知安駅までは、すべて 1904 年の路線開通時に設置されたものです。一世紀以上変わりが無い(駅が増えたわけでも、減ったわけでも無い)というのは、凄いことですよね。

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2015年1月29日木曜日

函館~根室 各駅停車の旅 (11) 「長万部・二股・蕨岱・黒松内・熱郛・目名・蘭越」

長万部駅(H47)

長万部から小樽までは 2949D に乗車します。

2843D 函館 14:26 → 長万部 17:28
2949D 長万部 17:44 → 小樽 20:42

ドアの上の路線図で、途中の停車駅を確認しましょう。
拡大すると、なんとか読めそうですね。長万部から小樽の間には 17 の駅に停車することになります。
列車の前方を見てみると……
「道新受験情報」なんて雑誌があるんですね。……というのはさておき、
前方の見通しが悪かったのは、トイレがあったからでした。
上の時刻表をよーくご覧になるとお気づきになるかも知れませんが、長万部と小樽の間は 3 時間以上かかるのですね(ちなみに営業キロは 140.2 km とのこと)。札幌から長万部までは砂原回りで 125.1 km ですから、まだ半分も進んでいないことになります(汗)。

……まいったなぁ。これは気づかなかったことにしておきましょう(汗)。

二股駅(S32)

長万部を出発してから 9 分ほどで、次の二股駅です。この駅から「駅ナンバリング」のプレフィックスが「H」から「S」に変わります。ちなみに「S」は「札幌」の意味なのだとか。

二股駅も 1903 年の路線開通から存在する歴史の長い駅です。

蕨岱駅(S31)

ニセコ経由の函館本線は、「山線」の異名を取るに相応しく、分水嶺に向かって山の奥深くに入ってゆきます。次の蕨岱(わらびたい)駅は、黒松内町との町境にほど近いところです。

蕨岱駅は 1904 年の開業とのこと。歴史の古い路線だけあって、歴史の古い駅が続きますね。

黒松内駅(S30)

寿都郡黒松内町の中心駅にやってきました。黒松内はブナの北限地として売り出し中……のようですが、
おお、確かに駅舎にも「北限ブナの木」と掲げられていますね!

ちなみに、この黒松内駅で 2944D と交換(すれ違い)です。

熱郛駅(S29)

黒松内からふたたび勾配を駆け上がって 9 分ほど走ると、次の熱郛(ねっぷ)駅に到着です。なかなか見ることの無い字が使われているので、読めない人も少なくないかもしれませんね。

ちなみに、黒松内の道の駅は、熱郛駅の近くにあります。

目名駅(S28)

熱郛駅を過ぎると、朱太川水系から尻別川水系に移ります。長万部から数えて二つ目の峠越えになりますね。熱郛から次の目名までは、なんと 16 分もかかります。

熱郛と目名の間には「上目名駅」があったのですが、1984 年に廃止されています。

黒松内と熱郛は 1903 年に開業した駅ですが、熱郛から小沢(こざわ)の間は 1904 年に延伸開通した区間です。目名駅は 1904 年の開通当初から存在する、これまた歴史の長い駅です。

蘭越駅(S27)

長万部からちょうど 1 時間ほどで、蘭越町の中心駅・蘭越駅にやってきました。「蘭越」はそのまま「らんこし」と読みます(同名の地名が千歳市内にもありますね)。なお、蘭越で 2948D と交換です。

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2015年1月28日水曜日

函館~根室 各駅停車の旅 (10) 「鷲ノ巣・山崎・黒岩・北豊津・国縫・中ノ沢・長万部」

長万部行きの 2843D は 16:51 に八雲駅に到着しましたが、ここは日没の早い北海道、外がかなり暗くなってきました。
というわけで、ここまでは停車した駅すべてで写真を撮ってきましたが、全駅撮影はここで諦めることにしました。

鷲ノ巣駅(H53)

鷲ノ巣(わしのす)駅は、昔の国鉄の「三ノ宮」「西ノ宮」のような感じで「ノ」で繋ぐ駅名ですね。1944 年に信号場として開設されて、1949 年に仮乗降場、1942 年には「旅客扱いのある信号場」となり、JR 発足時に駅に昇格したとのことです。

山崎駅(H52)

鷲ノ巣から 5 分ほどで、次の山崎駅に到着です。
このあたりの鉄道が開通したのが 1903 年のことだそうですが、山崎駅は翌 1904 年に開業しているので、随分と歴史の古い駅だということになりますね。

黒岩駅(H51)

山崎から 7 分ほどで、黒岩駅に到着です。八雲町と長万部町の境に近いところですが、ここは 1903 年の鉄道敷設時から存在する駅だったのだそうです。

北豊津駅(H50)

長万部町に入りました。ここも元々は「旅客扱いのある信号場」として開設されて、JR 発足時に駅に昇格したのだとか。かつては「北日本砂鉄鉱業」の専用線があったそうですが、どの辺にあったのか、良く分からないですね……。

国縫駅(H49)

北豊津から 5 分ほどで、国縫駅に到着です。この国縫駅も 1903 年の鉄道敷設時から存在する歴史の長い駅ですね。今年で開業 112 年を迎えることになりますね。

かつて、国縫からは国鉄瀬棚線が分岐していました。現在では一部の区間が国道 230 号線に転用されているので、線路の跡を車で走ることもできます。

中ノ沢駅(H48)

この駅も、1904 年に開業した歴史の長い駅です。駅の北側を「紋別川」が流れていることから「紋別駅」という名前だったらしいのですが、同名の駅があって紛らわしいことから 1914 年に「中ノ沢駅」に改称されたのだそうです。

長万部駅(H47)

函館駅を 14:26 に発車した 2843D は、定刻の 17:28 に長万部に到着しました。長万部は、函館駅から数えて 33 駅目の停車駅となります(砂原経由)。
函館から長万部まで乗車してきた車両を撮影した……のですが、早くもサイドボードが「大沼公園経由」に差し替えられています。砂原回りで長万部にやってきたこの車両ですが、37 分後に大沼公園経由で函館に戻るみたいです。
向かい側のホームには「東室蘭」行きの車両が。これは室蘭本線に向かう車両ですね。
函館本線(通称・山線)の小樽行きはどこに停まっているのだろう……と探してみたところ、なんと、意外なところに停車していました(東室蘭行きの後ろ)。
確かに、どの列車も 1~2 両ですし、わざわざ跨線橋を渡る手間も省けるので、こういった運用は助かりますね(ホームに屋根があるともっと嬉しいのだけど)。

小雨の降る中、ホームを小走りで移動して、小樽行き 2949D の車両に乗車しました。
二人掛けと四人掛けのボックス席がありましたが、ゆったりできそうな四人掛けのボックス席を選んでみました。
前方の運賃表にも「余市方面経由」と出ています。間違いないですね。

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2015年1月27日火曜日

函館~根室 各駅停車の旅 (9) 「本石倉・石倉・落部・野田生・山越・八雲」

本石倉駅(H59)

石谷駅を発車すると、5 分ほどで次の本石倉駅に到着です。この駅は、もともとは 1944 年に信号場として開設されたのが始まりで、1948 年に仮乗降場に昇格。ところが 1964 年に旅客扱いが廃止されて信号場に逆戻りしてから、1973 年に再度仮乗降場に復帰したという珍しい経歴の持ち主のようです。

石倉駅(H58)

本石倉駅が廃止されたり再開されたりという歴史を辿った理由の一端が、すぐそばに存在する石倉駅にあったのかも知れません。本石倉から石倉までは 2~3 分で到着してしまいます。
この駅舎は 1988 年に改築されたものだそうですが、あまり北海道らしくない感じがしますね。
石倉を出てすぐのところで、八雲町に入ります。八雲町に入ってからも、函館本線は海沿いを走り続けます。随分と外も暗くなってきました。

落部駅(H57)

約 5 分で、落部駅に到着です。
落部(おとしべ)は……あっ、「音標」と読みが同じですね。それはさておき、この界隈ではそれなりに大きな集落があります。現在は八雲町ですが、かつては独立した町だったのだろうなと思わせます。

落部村と八雲町が合併したのは 1957 年とのこと。意外と古い話だったのですね。

トタン屋根に落雪ストッパーがついた駅舎が改築されたのは 1991 年とのこと。今回は赤い屋根では無いですね。

野田生駅(H56)

野田*追*川の近くにある野田*生*集落の最寄り駅です。かつては「野田追」という駅名で、1959 年に現在の「野田生」に改称したとのこと。
このあたりは野田追川の河口部に開けた土地なのですが、漁港と少し離れているからか、駅舎はコンパクトなものになっていますね。

山越駅(H55)

野田生から 4 分ほどで、次の山越(やまこし)駅に到着です。
落部・野田生・山越と、アイヌ語に由来する駅名が続き始めました。駅舎が純和風の関所のような作りになっているのが目を惹きます。

八雲駅(H54)

函館発長万部行きの 2843D は、2 時間 24 分かけて八雲までやってきました。
ここから終点の長万部までは、7 駅・37 分の道のりです。

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2015年1月26日月曜日

きょうの出来事(2015/1/26)

苫小牧東 FT から敦賀 FT に向かう、新日本海フェリー「あかしあ」で移動中です。
案内所の前にあるいつものオブジェですが、「あかしあ乗船記念」の文字の下には「小樽」と書いてあります。それもその筈で、実はこの「あかしあ」、本来は小樽-舞鶴航路の船なんですね。苫小牧東-敦賀航路を担当するのは「すずらん」と「すいせん」なのですが、どちらかがドック入りしているのかも知れません。

新日本海フェリーの北海道-関西直行便には予備船舶が無いので、フェリーがドック入りした場合は、小樽便の設定が無くなります。

朝と言えば朝食!

さて……。秋田県の男鹿半島沖で朝を迎えました!
今回は、冬期(閑散期)ということで、グリルなどの営業がありません。食事はレストランで取ることになります。
レストラン、朝の営業は 8 時からです。
繁忙期のレストランは学食のようなシステムなのですが(これで通じるのかどうか少々不安)、今回はカウンターが一ヶ所だけで、そこで(ドリンク類以外の)すべてのメニューをオーダーできます。支払いを済ませて席に向かうと、後で調理済みの品物が出てくる……という仕組みです。
洋定食のご飯・味噌汁無しというメニューを選んでみました(定食……じゃないか)。いやー、ここに来てかなり理想的なメニューに巡り会えたのは意外でした。あとはクロワッサンとオレンジジュース、ヨーグルトあたりがあれば完璧でしたね(単品メニューで揃える手もあったのですが)。

穴場めぐり(そのいち)

朝食の後は、新日本海フェリーの穴場・フォワードサロンに行ってきました。
このフォワードサロンは、その名の通り、船の真ん前にあるサロンです。船内の他のフリースペースとは離れた場所にあるので、普通にウロウロしただけでは見つからない場所にあります。ソファーなどもあるのでのんびりと寛ぐこともできます。繁忙期はこのサロンに居座る人も多いような……。

で、肝心のフロントガラスはカーテンが閉まったままだったので、開けてみたところ、なんと……!
ちょっとこの写真では分かりづらいですが、雨戸相当のものでガラスが塞がれていました(汗)。この時期は観光目的のお客さんも少ないですし、海も荒れ気味なので、わざわざ前面のガラスを開放する必要は無い、という判断なのかもしれませんね。

というわけで、この「フォワードサロン」、景色を眺めることができない単なるムーディーな空間として絶賛開放中でした。誰もいなかったですけどね。

穴場めぐり(そのに)

誰もいなかったと言えば、こちらの「コンファレンスルーム」も。
映画の上映は午後からだったのですが、朝からドアが開放されていました。ビデオが流れていたのですが、杉原千畝のドキュメンタリーのようでした。

杉原千畝と言えば、第二次大戦中、ナチスの迫害から逃れるために出国を試みていたユダヤ人に対して、ビザを発給し続けたことで有名な人なのですが、実は(フェリーの目的地である)敦賀には「人道の港 敦賀ムゼウム」という記念館があるのですね。前から一度行っておきたいなーと思いながら、未だに果たせずにいるのですが、その「敦賀ムゼウム」の PR 映像のようでした。

お昼と言えば昼食!(ぉ)

つい先ほど、お昼もいただいてきました。
お昼は事実上、ラーメンか丼物の二者択一だったのですが、とりあえず「豚角煮丼」をチョイス。なかなかのお味でしたよ♪

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2015年1月25日日曜日

きょうの出来事(2015/1/25)

まずはホテルの朝ご飯から。朝食はバイキングだったんですが、どちらかと言えば和食の食材が多かったので、ボリュームは少なめになりました。
ホテルの駐車場は満杯だったので、ホテルの人にキーを渡していたのですが、なんと玄関の前の特等席?に停められていました。いや、決してさらし者にされていたわけでは無い……と信じたいですが(汗)。

「カニの爪」

その後はオホーツクラインを北西に向かって紋別へ。道の駅の近くで、ついにあの「カニの爪」と念願の対面を果たしました(笑)。
このオブジェ、知る人ぞ知る……と言うべきか、意外と知名度があると言うべきか、世間一般ではどうなんでしょうね。
紋別の道の駅は「流氷科学センター」と併設されているのですが、建物の前にこんな氷の家が……。ん、これって何て言うんでしたっけ? イグルー?(ちょっと違うような気も)

「からくり人形」

紋別からは渚滑川沿いを西に向かい、滝上からは一転して北上して、西興部村に向かいました。
道の駅に立ち寄ったのですが、ちょうどからくり人形のオーケストラが、ドラえもんのオープニング曲を演奏していました。

また、西興部の道の駅はフラワーガーデンも併設されているのですが、それとは別に温室が無料開放されていました。
中に入ると何ともいい匂いがしたのですが、今から思えばあれはキンモクセイの匂いだったのでしょうか。それだけでは無かったと思いたいですが……。

そして「万里の長城」

西興部からはそのまま西に向かい、念願の下川町へ。下川町の謎スポットをしっかりと見てきました。
こちらの「万里の長城」です(笑)。

今から帰ります

下川から名寄に出て、士別剣淵から道央道に乗り、岩見沢から栗山経由で苫小牧まで戻ってきました。夕食はこちらの回転寿司で。
で、おいしいお寿司を食べ終わって、車の助手席でこの記事を書いていたりします(汗)。

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2015年1月24日土曜日

きょうの出来事(2015/1/24)

朝ご飯はホテルのレストランで。ありがたいことにバイキングではありません。「洋定食」を選択したのですが、予想以上に素敵なものが出てきました。
今日は厚岸あたりに寄り道して、あわよくば生牡蠣でも……などと考えていたのですが、この道路状況を鑑み、帯広から真っすぐ網走を目指すことにしました(もともと時間的にギリギリのルートだったので、無理は禁物……という判断です)。

足寄より

というわけで、今回も国道 242 号線を北上することとなりました。今回は、前回スルーしてしまった足寄の道の駅にも立ち寄ってみました。
足寄と言えば、やはりこの人ですね……。
一瞬、松山千春が北海道遺産に選定されたのかと思ってしまいました(汗)。

流氷!

その後、陸別から訓子府に抜けて、北見・美幌・網走と経由して能取岬へ。
酷い汚れようですが……それはさておき。
寒風吹きすさぶ中、灯台の近くまで歩いてですね……
流氷を見てきました!

……実は、流氷を見るだけなら、何も能取岬まで行く必要は全然無くて、網走や常呂の海岸に行けば、ふつーに氷で埋まったオホーツク海を見ることができます。たぶん能取岬よりもいい写真が撮れる筈……(汗)。

常呂にて

その後は、厚岸・生牡蠣オプションを断念した関係で、まだ時間が少し余っていたので、明日に訪問することを考えていた常呂町のカーリングホールに行ってきました。
おおっ、ホントにカーリング場だ!(当たり前です)
最後に、常呂から網走に戻ってホテルにチェックインしました。気持ち平均速度が遅めの車の後ろをついて走っていたところ、
久しぶりに「エコステータス」がアップしました。:-)

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