2015年8月31日月曜日

道東の旅 2013/春 (239) 「謎の『浦幌道路』へ」

まずは国道 336 号へ

というわけで、噂の(?)国道 336 号に入りました。案内標識にも書いてある通り、浦河、あるいは広尾に向かう道路です。それにしても、浦河まで 126 km はいいとして、広尾まで 71 km というのは結構遠いですねぇ……。
一応地図をつけておきますね。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

案内標識に「やる気」は必要か

国道 38 号は浦幌駅のほうに向かってしまいましたが、国道 336 号は引き続き十勝川の河口に向かって進みます。
海から 7~8 km はあろうかという場所ですが、標高は海抜 7 m とのこと。沖積平野(でいいんだっけ?)なんですねぇ。
下頃辺(したころべ)川を渡ります。それにしても、橋の名前の案内板、やる気がなさすぎなのでは……(汗)。

右も左も……

さて、問題の交差点が近づいてきました。「十勝地方 なだれ注意報発表中」は割とどうでもいい……と思ったのですが、そういやこの時は 5 月でしたよね。
案内板を拡大しておきますね。そう、今走っている道も国道 336 号なんですが、左に行っても国道 336 号、右に行っても国道 336 号なのです。
再度地図を出しておくと、こういうことです。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

謎の「浦幌道路」

まぁ、バイパスが建設されたなどでこういった標識ができることは割と良くあると思うのですが、国道 336 号の場合は現道が浦幌に向かっているのに対して、新たに建設された「浦幌道路」が現道とはかなり離れた海沿いを東に向かっていて、しかも途中で切れているのですね。

さらに言えば「浦幌道路」の計画は現状で「完成」なのだそうで、これ以上延伸する予定は今のところ無いのだとか。「支線」あるいは「枝線」という扱いになるのでしょうけど、なんか不思議な感じがするので気になっていたのでした。

ということで、ここはもちろん左折して、謎の「浦幌道路」区間を見に行くことにしましょう。

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2015年8月30日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (278) 「辺計礼山・トクシンウシ沢川・ポンヌプリサンマクツベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

辺計礼山(ぺけれ──)

peker-iwa
明るい・岩山
(典拠あり、類型あり)
弟子屈町西部の山の名前です。はい、珍しく山の名前です。明治期の地形図には「ペケレイワ」と記載がありますね。

では、今回は更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」から。

 辺計礼山(ぺけれざん)
 美羅尾山の西の山。アイヌ語でペケレ・イワ(明るい岩山)と呼んでいたもの。この山は昔から木のない草山であった。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.255 より引用)
ふむふむ、なるほど。peker-iwa なのは想像がついていたのですが、木が生えていないので「明るい・岩山」なのですね。ちなみに知里さんの「──小辞典」を眺めていたところ、こんな記載もありました。

pekes-sir, -i ぺけㇱシㇽ 【テシオ】木の無い山。[<peker-sir]
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.88 より引用)
そういや羅臼にも「ペキンノ鼻」という場所がありましたね。実は意外と頻出語彙なのかも知れません。

トクシンウシ沢川

tukusis-us-i
アメマス・群在する・ところ
(典拠あり、類型あり)
弟子屈町西部を流れる鐺別川の支流の名前です。どことなくエリートな牛っぽい名前ですが、意味が今ひとつ良くわかりません。

明治期の地形図には「トクシンウシ」ではなく「タン子トユヨマペッ」と書かれているように見えます。鎌田正信さんは tanne-to-oma(n)-pet であるとして「『長い・沼・に行く(に入る)・川』と解したい」としましたが、妥当な解かな、と思います。ここで言う tanne-to は、山向こうの「パンケトー」を指すと考えられます。

この例だと、やはり知里さんの説の通り oma は「~に入る」と考えざるを得ないのですよね。

現在の川名である「トクシンウシ沢川」についても、鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」に記載がありました。

 トゥクシㇱ・ウㇱ・イ「tukusis-us-i アメマス・そこにごちゃごちゃいる・所(川)」の意である。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.328 から引用)
ふむふむ、なるほど。確かに tukusis-us-i だと「アメマス・群在する・ところ」となりますね。tukusis が「トクシン」になるのは少々解せない感もするのですが、どうやら「トクシ」は「トクシ」の誤記である可能性が高そうです。というのも

町界の三角点名「特宍丑」(897.9 メートル)は地名トクシシウシの当て字である。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.328 から引用)
こういった傍証があるようでして。それにしても「特宍丑」というのもかなり傑作な当て字ですよね(笑)。

「火事沢」の謎

ちなみに、トクシンウシ川の上流に「火事沢」という、何とも不穏な名前の川があるのですが、前述の鎌田正信さんによると元々「火串沢」だったのが、いつの間にか「火事沢」になってしまったのだそうです。これまた結構傑作な話なのでは……。

ポンヌプリサンマクツベツ川

pon-nupuri-san-mak-kus-pet??
小さな・山・(山から)出る・後ろ・通行する・川
(?? = 典拠なし、類型あり)
ポンヌプリサンマクツベツ川。カタカナにして 12 文字ということで、現在のところタイ記録だったような気がします。

「ポン」「ヌプリ」はいいとして「サンマクツベツ」とは何だろう……と思っていたのですが、戊午日誌に次のようなヒントがありました。

また中の川すじは
ノホリサンクシヘツと云。是山より落来ると云儀也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.432 より引用)
あ、「サンマクツベツ」じゃなくて「サンクシヘツ」だったのですね。そうだとすれば nupuri-san-kus-pet で「山・(山から)出る・通行する・川」だとなりますね。

鎌田正信さんは pon-nupuri-san-mak-kus-pet で「小さい・山(から)・下り・後を・通る・川」としていましたが、これも妥当な感じがします。なるほど、「サンマクツベツ」でもなく「サンクシヘツ」でもなく、「サンマクシベツ」だったと考えるのが自然な感じがします。pon-nupuri-san-mak-kus-pet で「小さな・山・(山から)出る・後ろ・通行する・川」としておきましょう。

少々ややこしいのが、pon-nupuri と呼ぶに相応しい山があったのか、あるいは戊午日誌にあるように nupuri-san-mak-kus-pet という川があり、その支流?として pon-{nupuri-san-mak-kus-pet} という川があったのかが判別できないのですが、これは流石に何とも言えないですね。

「奥二股」という山が「ポンヌプリ」だった可能性もありそうですし、あるいは「ポンヌプリサンマクツベツ川」自体を遡ると途中でふた手に分かれているので、どちらかが元々は「ヌプリサンマクツベツ川」だった可能性もありそうです。

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2015年8月29日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (277) 「最栄利別・重内・志計礼辺山」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

最栄利別(もえりべつ)

moyre-pet
流れの遅い・川
(典拠あり、類型あり)
弟子屈町南部の地名で、同名の川も流れています。最初は「なんじゃこりゃ」と思ったのですが、読みがわかってしまえばなんてことは無い……んじゃないかと。

戊午日誌に記載がありました。

また並びて左りに
モイレヘツ、惣て此川すじ平地多きが故に川遅流なるに、別ても此川遅流にして有るが故に此名有る也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.431 より引用)
はい。ということで、moyre-pet で「流れの遅い・川」と解釈して良さそうです。

ここまで見た限りでは、特に珍しい地名というわけでは無いのですが、moyre-pet に「最栄利別」という字を当てたところがポイント高いかなぁ、と。なかなか読めないですが、実は佳字揃いだったりするのですよね。

重内(おもない)

o-mu-nay?
河口・塞がる・沢川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
弟子屈の西、鐺別川の南側にある地名で、最栄利別の北西、奥春別の南に位置します。近くを「オモナイ川」が流れていて、オモナイ川を遡って行くと「重内山」という山もあります。グランドスラムですね(何が)。

ちなみに、同名の川が道南の知内町にもあります。津軽海峡線には「第一重内トンネル」「第二重内トンネル」などがありますね。

さて弟子屈の重内ですが、こちらも戊午日誌に記載が見つかりました。

またしばし上り左りの方小川
ヲムナイ、此川すじ小石にして川流処々に小石の中に入ては乾き、又流れ等するが故に号るなり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.431-432 より引用)
うーん、この説明だと、どちらかと言えば sat-nay になりそうなんですよね。ここはむしろ o-mu-nay で「河口・塞がる・沢川」と考えるべきかなぁと思うのです。実情は戊午日誌に記された通りなのかも知れませんが……(河口を土砂で塞がれたから伏流したのか、あるいは伏流しているから河口が塞がっているように見えるのか、の違い)。

志計礼辺山(しけれべ──)

sikerpe-(u)n-pet
キハダの実・ある・川
(典拠あり、類型あり)
弟子屈町南西部の山の名前です。山の名前とは珍しい……と思われるかもしれませんが、ご安心下さい(何に)。近くを「シケレベンベツ川」という川も流れています。

というわけで、今回も「戊午日誌」からです。

またしばし過て左り
シケレヘウンベ、小川。此沢に五味子(シコロの実)有るが故に号るなり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.432 より引用)
ということで、もともと「シケレベンベツ川」が sikerpe-(u)n-pet で「キハダの実・ある・川」だったと考えられそうです。「キハダ」は北海道方言で「シコロ」と言うらしいのですが、「シコロ」は sikerpe から来ているのではないか、と知里さんは見ていたようです。

ちょっと長いですが、「植物編」の「キワダ」の項から引用しておきましょう。

注 1. ──キワダ(黄蘗)わ,北海道の和人方言でわ,一般にシコロ,或いわシコロノキとゆう。シコロノキわ,シコロの生ずる木の意味で,シコロが本來わ果實をさす名稱であったことを思わせる。さらに古くわシコロペだったかもしれない。日本で古くこの果實を薬用にしてそれをシコノヘイと云っているからである。それについて金田一京助博士わ, アイヌ語の shikerpe がシコロペに訛り,それがシコノヘイになったのでわないか,と云って居られる(アイヌ語と國語, 國語科學講座所収,p. 30)。或いわ,sikorpe がもとの形で,古くその形が日本にとり入れられてシコロペ,シコノヘイとなり,一方でわ sikerpe に變って現在のアイヌ語となったのでわなかろうかとも考えられる。
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.102 より引用)
「キハダ」は漢字では「黄蘗」(あるいは「黄檗」)と書きます。京都の宇治市には「黄檗駅」があるので馴染み深い方もいらっしゃるかも知れません(「黄檗駅」は「おうばく──」と読みます)。

ちなみに黄檗の次の駅は「木幡」と書いて「こわた」と読むのですが、「キハダ」あるいは「キワダ」と似ているのが面白いですよね。宇治の「黄檗」は寺院の号なのですが、もともと「木幡」という地名があって、そこから「木幡」→「キハダ」→「黄檗」という流れがあったんじゃないかな、と想像していたりします。

閑話休題。そんなわけで「キハダ」は「黄蘗」なのですが、シケレベンベツ川の隣には「黄壁沢」という沢があったりします。どう見ても「檗」ではなくて「壁」なんですが……これはやっちゃいました系でしょうかね?(汗)

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2015年8月28日金曜日

道東の旅 2013/春 (238) 「豊頃大橋」

日本の農村風景

「礼作別」から更に先に進んでゆくと、今度は「農野牛」というところにやってきました。これは「のやうし」と読むのですが、これほど農村の風景がしっくり来る地名も珍しいのではないかと……。

豊頃大橋

国道 38 号を十勝川の河口のほうに向かって進んでいますが、左に 90 度ほどカーブすると、今度は前方に何やら立派な橋が見えてきました。
こちらの立派な橋は、十勝川にかかる「豊頃大橋」でした。どことなく根室の温根沼大橋と似てるような感じがするような気が……。
ちなみに、温根沼大橋はこんな形でした。
似て……ますよね?

豊頃から浦幌へ

さて、パクリ疑惑に揺れる(揺れてません)豊頃大橋を渡ると……
国道 38 号はお隣の浦幌へと向かいます。
その後程なく、あっさりと(でもないですが)浦幌町に入りました。

右か左か真ん中か

浦幌町の「新吉野駅」の近くにやってきました。国道 38 号は次の交差点を左折です。ちなみに直進すると霧止峠経由で厚内に、右折すると国道 336 号で日高方面に向かいます。
実はどの道も未踏だったりするのですが、中でも国道 336 号がとても謎めいていて気になっていたので、ここは右折で。左折可のサインを眺めながら、のんびりと信号が青になるのを待ちます。
あれっ?(汗)

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2015年8月27日木曜日

道東の旅 2013/春 (237) 「誰も知らない『礼作別』」

またしても蛍光色のアレが

国道 38 号線を十勝川の河口に向かって進みます。
小雪が舞う中の走行が続きます。雑木林の中の一本道なので、天気が良ければさぞかし快適な道なのでしょうが……
「すべりやすい」の標識がありますね。このあたりが特に滑りやすいという事情は無かったような気がするのですが……。あと、道内だと「すべりやすい」ではなく「すべる注意」という補足がついているケースが多いですね。
えぇと(汗)。はい。まぁ、こんな感じで真っ直ぐな道が続いているのですね。
豊頃町統内(「統内」は素直に「とうない」と読むのだそうです)から、同じく豊頃町の礼作別に向かう途中の景色です。
ちなみに地図だとこのあたりですね。

ピサっぽい?

ちなみに、豊頃町礼作別からお隣の浦幌までは 23 km らしいのですが……
この傾き加減は結構なものですよね。なんでこんなに傾いてしまったのでしょう。

誰も知らない「礼作別」

さらに真っ直ぐ進んでゆくと、「礼作別橋」という名前の橋を渡ります。
「礼作別」もアイヌ語由来の地名なのですが、これ、実は「名を持たぬ川」という意味なんですね。

きっと、
「この川はなんという名前だ?」
「名前の無い川だ」
「ほう、この川は『レーサクベツ』と言うのか!」
といった感じの、どこかで聞いたことがあるようなやりとりがあったのでしょうね。

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2015年8月26日水曜日

道東の旅 2013/春 (236) 「雪景色の中」

パークゴルフのまち・幕別

まさかの雪景色の中、国道 38 号で十勝川の下流に向かいます。車線にはほとんど雪がありませんが、中央分離帯のあたりは結構残っていますね。そして、雪は未だに降り続いていたのでした。
幕別町にやってきました。幕別町は「パークゴルフのまち」なんですね。ちなみに幕別町は帯広市の東隣の町ですが、帯広市の西隣にある芽室町は「ゲートボール発祥の地」なのだそうです。ややこしいことこの上ないですね(笑)。
いつしか国道も片側 1 車線の対面交通に。ここから十勝川の河口に近い浦幌までは 39 km とのこと。なんともびみょうな距離ですね。
そして、小雪が舞う中、某政党のポスターが貼られた看板を立てようとしている人たち……。

止若橋

幕別駅の手前を流れている猿別川が見えてきました。ちなみにこの橋の名前は「止若橋」と言うのだそうです。北海道の地名に多少の心得がある方ならすぐに読めそうな名前ですね。おそらく「ヤムワッカ橋」なのでしょう。

yam-wakka で「冷たい・水」ですね。稚内の元となった地名も「ヤムワッカナイ」でした。

幕別町を一気に通過

橋の手前から目一杯主張していた「Y 字路」にやってきました。国道 39 号はこの先を斜め左です。
幕別の市街地は面白い形をしていて、北半分は猿別川と JR 根室本線の間の 300 m ほどの幅の土地に家が密集しています。セイコーマートの先は JR を越える陸橋で、その先は工場の敷地の中を国道が通っているような感じです。

そして豊頃町へ

セイコマから 1 km ほど東に走ると、国道 242 号が分岐する交差点が近づいてきます。左折すると「ワイン城」で有名な池田町ですが、今回はこのまま直進です。
国道 38 号は十勝川沿いを南東に向かいます。国道 242 号の分岐から 4~5 km ほど走ったところで豊頃町に入ります。

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2015年8月25日火曜日

道東の旅 2013/春 (235) 「大雪の Day 6、スタートっ!」

まずは Day 5 のおさらいから

さて。突然ふわっと「ホテル探訪」に移ってしまいましたが、Day 5 は釧路を出発してから弟子屈 → 北見相生 → 美幌 → 北見 → 石北峠 → 三股山荘 を経由して帯広の北海道ホテルまでの行程でした。Google Map の計算だと 397 km とのことですが、実際の走行距離は「釧路市立博物館」などに立ち寄った関係もあり、411.3 km となりました。

大雪の Day 6、スタートっ!

では、ここからは道内最終日の Day 6 の話題です! Day 6 の朝、目を覚ますと目の前には……
雪景色が広がっていたのでした。いやー、この時ほどスタッドレス履いてきて良かったぁ~と思ったことは無かったですね(汗)。

まずは雪下ろしから

チェックアウトを済ませて駐車場に向かったところ……
車が雪に埋もれていました。ただ、この辺はホテルの人も心得たもので、「ご出発ですか?」と声をかけると、車を停めてあるところまで同行して、スノーブラシでささっと雪を落として下さいました。さすが、慣れてますね……。
ひと仕事終えると、ホテルの人は次の車のところに向かいました。いやー、プロフェッショナルですねぇ~
さて、車のエンジンを始動すると……
外気温センサーは「1 ℃」の表示が。そりゃあ雪も積もる筈ですね。

慣れない雪道走行

では、そろそろ出発しましょうか。
幹線道路に出ると、幸いな事に路面はかなりクリーンな状態でした。とは言え、シャーベット状の雪がうっすらと積もっている状態でもあるので、気を使いながらの走行となります。
色々と勝手が違うこともありました。これはルームミラーで後方を確認したところですが、デフロスタが完全に機能するまで少々時間がかかるらしく、後方の視界があまり良くない状態が暫く続きました。
あと、フロントガラスについた雪をワイパーで拭くわけですが、そのうち雪が溜まりだして視界が狭くなったりもしました。まぁ、この辺の雪の塊は放っておけばそのうち落ちてくれるんですけどね。
慣れない雪道走行にドギマギしながら、まずは浦幌を目指すことにしました。

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2015年8月24日月曜日

Bojan のホテル探訪~二度目の「北海道ホテル」編(おしまい)

夜が明けて、5 月 6 日の朝を迎えました。……迎えたんです、がっ!
マジですか……。部屋の窓から外を眺めてみると、まさかの雪景色でした。

レストラン "Bird Watch Cafe" へ

さすがに少々呆気にとられていたのですが、気を取り直して朝食をいただくことに。レストランに向かいます。
廊下の窓から眺めてみても、当然のことながら雪景色なのは変わらず。
西側にある「日高ウイング」から、東側にあるレストランに移動します。もちろん建物はつながっているので、渡り廊下を歩くようなことはありません。
テラスレストラン "Bird Watch Cafe" に到着しました。

素晴らしい朝食

朝食はバイキング形式ではなく、テーブルまで運んでもらえます。しかもふわふわのオムレツにカリカリのベーコン。これはたまりませんね!
ほっかほかのパンは最後に運ばれてきます。うーん、幸せですねぇ。
ホテルの実力を推し量る指標としては、朝食の出来というのはとても有効なものだと思っているのですが、これは……さすがですね。かなりパーフェクトに近いのではないかと……。

窓の外には雪化粧した木々の姿が。夏場は小鳥の姿を眺めることも出来たりするのでしょうか。

Rating

今回宿泊した部屋は「スタンダードツイン」ということで、「スーペリアツイン」と比べるとどうしても狭く感じられるところもありました。ですが、ゆったりした広さのバスルームはとても寛げるものでしたし、朝食は相変わらず最強でした。ということで、Rating は前回と同じく「★★★★☆」(四つ星半)で! 日本中に数あるホテルの中でもお気に入りのひとつです。また泊まりに行きますね。

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