2015年8月30日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (278) 「辺計礼山・トクシンウシ沢川・ポンヌプリサンマクツベツ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

辺計礼山(ぺけれ──)

peker-iwa
明るい・岩山
(典拠あり、類型あり)
弟子屈町西部の山の名前です。はい、珍しく山の名前です。明治期の地形図には「ペケレイワ」と記載がありますね。

では、今回は更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」から。

 辺計礼山(ぺけれざん)
 美羅尾山の西の山。アイヌ語でペケレ・イワ(明るい岩山)と呼んでいたもの。この山は昔から木のない草山であった。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.255 より引用)
ふむふむ、なるほど。peker-iwa なのは想像がついていたのですが、木が生えていないので「明るい・岩山」なのですね。ちなみに知里さんの「──小辞典」を眺めていたところ、こんな記載もありました。

pekes-sir, -i ぺけㇱシㇽ 【テシオ】木の無い山。[<peker-sir]
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.88 より引用)
そういや羅臼にも「ペキンノ鼻」という場所がありましたね。実は意外と頻出語彙なのかも知れません。

トクシンウシ沢川

tukusis-us-i
アメマス・群在する・ところ
(典拠あり、類型あり)
弟子屈町西部を流れる鐺別川の支流の名前です。どことなくエリートな牛っぽい名前ですが、意味が今ひとつ良くわかりません。

明治期の地形図には「トクシンウシ」ではなく「タン子トユヨマペッ」と書かれているように見えます。鎌田正信さんは tanne-to-oma(n)-pet であるとして「『長い・沼・に行く(に入る)・川』と解したい」としましたが、妥当な解かな、と思います。ここで言う tanne-to は、山向こうの「パンケトー」を指すと考えられます。

この例だと、やはり知里さんの説の通り oma は「~に入る」と考えざるを得ないのですよね。

現在の川名である「トクシンウシ沢川」についても、鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」に記載がありました。

 トゥクシㇱ・ウㇱ・イ「tukusis-us-i アメマス・そこにごちゃごちゃいる・所(川)」の意である。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.328 から引用)
ふむふむ、なるほど。確かに tukusis-us-i だと「アメマス・群在する・ところ」となりますね。tukusis が「トクシン」になるのは少々解せない感もするのですが、どうやら「トクシ」は「トクシ」の誤記である可能性が高そうです。というのも

町界の三角点名「特宍丑」(897.9 メートル)は地名トクシシウシの当て字である。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.328 から引用)
こういった傍証があるようでして。それにしても「特宍丑」というのもかなり傑作な当て字ですよね(笑)。

「火事沢」の謎

ちなみに、トクシンウシ川の上流に「火事沢」という、何とも不穏な名前の川があるのですが、前述の鎌田正信さんによると元々「火串沢」だったのが、いつの間にか「火事沢」になってしまったのだそうです。これまた結構傑作な話なのでは……。

ポンヌプリサンマクツベツ川

pon-nupuri-san-mak-kus-pet??
小さな・山・(山から)出る・後ろ・通行する・川
(?? = 典拠なし、類型あり)
ポンヌプリサンマクツベツ川。カタカナにして 12 文字ということで、現在のところタイ記録だったような気がします。

「ポン」「ヌプリ」はいいとして「サンマクツベツ」とは何だろう……と思っていたのですが、戊午日誌に次のようなヒントがありました。

また中の川すじは
ノホリサンクシヘツと云。是山より落来ると云儀也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.432 より引用)
あ、「サンマクツベツ」じゃなくて「サンクシヘツ」だったのですね。そうだとすれば nupuri-san-kus-pet で「山・(山から)出る・通行する・川」だとなりますね。

鎌田正信さんは pon-nupuri-san-mak-kus-pet で「小さい・山(から)・下り・後を・通る・川」としていましたが、これも妥当な感じがします。なるほど、「サンマクツベツ」でもなく「サンクシヘツ」でもなく、「サンマクシベツ」だったと考えるのが自然な感じがします。pon-nupuri-san-mak-kus-pet で「小さな・山・(山から)出る・後ろ・通行する・川」としておきましょう。

少々ややこしいのが、pon-nupuri と呼ぶに相応しい山があったのか、あるいは戊午日誌にあるように nupuri-san-mak-kus-pet という川があり、その支流?として pon-{nupuri-san-mak-kus-pet} という川があったのかが判別できないのですが、これは流石に何とも言えないですね。

「奥二股」という山が「ポンヌプリ」だった可能性もありそうですし、あるいは「ポンヌプリサンマクツベツ川」自体を遡ると途中でふた手に分かれているので、どちらかが元々は「ヌプリサンマクツベツ川」だった可能性もありそうです。

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