2026年6月12日金曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1394) 「パンケユクトラシナイ川・ペンケユクトラシナイ川・春別沢川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

パンケユクトラシナイ川

panke-yuk-turasi-nay
川下側の・鹿・それに沿ってのぼる・川
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
カシコトンナイ川」の 1 km ほど南(上流側)で「千呂露川」に合流する西支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「パンケユㇰト゚ラシナイ」と描かれています。


ちょっと面白いのが「ユㇰト゚ラシ」とあるところで、永田方正だったら「ユㇰト゚ラㇱュ」と書きそうな気がするんですよね。案の定、永田地名解 (1891) には記載がありません。

更科源蔵さんの『アイヌ語地名解』(1982) には次のように記されていました。

 ユクトラシナイ川
 ペンケ(川上の)とパンケ(川下の)とあり、どちらも千呂露川に入る左支流。どちらも鹿の越えて行く沢の意。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.80 より引用)
panke-yuk-turasi-nay で「川下側の・鹿・それに沿ってのぼる・川」と見て良さそうですね。

ペンケユクトラシナイ川

penke-yuk-turasi-nay
川上側の・鹿・それに沿ってのぼる・川
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「パンケユクトラシナイ川」の 1.2 km ほど南(上流側)で「千呂露川」に南西から合流する支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「ペンケユㇰト゚ラシナイ」と描かれています。


penke-yuk-turasi-nay で「川上側の・鹿・それに沿ってのぼる・川」と見て良いでしょう。この川の支流の「右ノ沢川」を遡って町境を越えた先に「パンケユックルベシュベ沢」があり、こちらは yuk-ru-pes-pe で「鹿・それに沿って下る・もの(川)」と読めます。

これらのネーミングを素直に受け取ると、鹿は千呂露川を遡って額平川側に抜けたことになります。本当に全ての鹿が南に向かうだけだったとは思えない(北に向かう鹿もいたと思う)のですが、ネーミングに整合性があるのは面白いですね。

春別沢川(しゅんべつさわがわ)

sum-pet?
北西・川
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「ペンケユクトラシナイ川」の 1 km ほど南東で、「千呂露川」に東から合流する支流です。国土数値情報では何故かカタカナで「シュンベツ沢川」となっています。

北海道実測切図』(1895 頃) には「シュㇺペッ」と描かれています。


「シュムペッ」を素直に解釈すると sum-pet で「西・川」となります。ただアイヌ語における方位は「東西」に *近い*(厳密には東西ではない)ものがいくつか存在するのみで、「南北」については地名において目にすることはあまりありません(ただし「東西」が変位して結果的に「南北」になるケースは存在する)。

sum はとりあえず「西」としましたが、実際には地域依存で、道内では「海沿いを千島に向かう方角」が menas で、その逆が sum と考えられます。従って広尾のあたりでは menas が「北」で sum は「南」となりますが、日高地方では menas は「襟裳岬の方」すなわち「南東」で、sum はその逆、つまり「北西」を指すことになります。

従ってこの sum-pet は「西・川」よりも「北西・川」と捉えるべきでしょうか。「北西・川」があるということは「南東・川」もあることになるのですが、「北西(側の)川」というのは「千呂露川」と対比した概念だと考えたいです(「南東・川」=「千呂露川」という想定)。

便宜上(?)「北西の」としましたが、ニュアンスとしては限りなく「北の」に近いと見るべきかもしれませんね。

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