2026年6月28日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1402) 「イモッペ川・長禰府」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

イモッペ川

e-muk-pe??
頭(水源)・ふさがっている・もの(川)
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
日高自動車道に沿って流れて、国道 235 号の「鵡川大橋」の南で鵡川に合流する支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「イモッペ」という川が描かれていて、流域の湿地帯に「井目戸」と描かれています。


これは当時「井目戸村」が存在したことを示すものです。『角川日本地名大辞典』(1987) によると 1868(明治初)年から 1915(大正 4)年まで「井目戸村」が存在し、1915(大正 4)年から 1943(昭和 18)年までは鵡川村の「大字井目戸村」だったとのこと。どうやら「いもくべ」と読ませていたみたいです。

「ノミがいたので」?

戊午日誌 (1859-1863) 「武加和日誌」には次のように記されていました。

また十七八丁も上るや
     イモツベ村
同じく東岸小川の上に有也。此辺川の西岸には谷地有て、茅蘆原也。少し洪水の時は沼の如く成るよし。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.497-498 より引用)
続けて地名の由来が記されていました。

其名義は此沢にはヲタタイキと云て、飛刎て歩行る虫有。是を夷言イムクと云よしなるが、其が居りしによつて号しとかや。本名はイムクベツのよし也。其ヲタタイキとは砂蚤と云事也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.498 より引用)※ 原文ママ
「ヲタタイキ」という飛び跳ねて歩く虫は「イムク」とも呼ばれ、その虫がいるので……とのこと。

「ノミ」か「ミミズ」か、それとも「餌」か

ただ「イモㇰ」は『アイヌ語沙流方言辞典』(1996) にも記載があり……

imok イモㇰ【名】餌(飼うためのではなく魚やネズミなどを取るのに使う餌)。☆参考 飼っている動物に与える餌は ep エプ。
(田村すず子『アイヌ語沙流方言辞典』草風館 p.230 より引用)
ん? これは……? ということでもう少し調べてみたところ、知里さんの『動物編』(1976) に imok を見つけたのですが……

§ 212. ミミズ
( 1 ) imók《旭》ミミズ,タマクラミミズ
( 2 ) tóy-imok《美》ミミズ
  小さいミミズには伝説等がある(美幌)
(知里真志保『知里真志保著作集 別巻 I「分類アイヌ語辞典 動物編」』平凡社 p.116 より引用)※ 原文ママ
旭川では「ミミズ」を imok と呼ぶとのこと。なお「ミミズ」は 20 種類ものバリエーションが記されていて(20 種類の語彙カードが未整理のまま残されたとも言える)、道南の語彙としては以下のあたりでしょうか。

( 7 ) túnin《礼》ミミズ
( 8 ) kenás-tunin《鵡》タマクラミミズ(真中に帯のあるもの)
(知里真志保『知里真志保著作集 別巻 I「分類アイヌ語辞典 動物編」』平凡社 p.117 より引用)※ 原文ママ
アイヌ語方言辞典』(1964) には「えさ」の項にて、八雲・幌別・沙流・美幌宗谷'imók が使われるとあります。

『永田地名解』(1891) には次のように記されていました。

Imokpe   イモㇰペ   オトシエ?ヲ置ク處 井目戸ヰモクベ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.210 より引用)※「エ」の次の「?」は判読不能
ちょっと妙なことになってきたので箇条書きにしてみると……
  • 「オタタイキ」(=砂蚤)の別名が「イムク」で、それが多いから(武加和日誌)
  • 「イモク」は魚やネズミを取るのに使う餌(アイヌ語沙流方言辞典)
  • imok は「ミミズ」だが、道南では tunin(動物編)
  • 'imok は道内各地で「えさ」(アイヌ語方言辞典)
  • imokpe は「餌を置くところ」(北海道蝦夷語地名解)
さて、ウソをついているのは誰でしょうか?

一見したところでは、明らかに「武加和日誌」がズレたことを言っているように思えます。imok は「えさ」という認識が一般的だとされる中、松浦武四郎だけは「飛び跳ねて歩く虫」(=おそらく「ノミ」)だとしています。ただ「ノミ」を「餌」として使うというのは、色々と非現実的なのでは……?

本当に「ミミズ」あるいは「餌」だったのか

山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) には次のように記されていました。

宮戸 みやと(イモㇰペ)
 汐見のすぐ北の字名。前はイモㇰペ(井目戸)と呼んでいた。永田地名解は「イモㇰペ。陥の餌を置く処)と書いた。イモㇰペ(imokpe)は,餌,みみずの意。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.370 より引用)
敢えて細かいツッコミを入れると、「餌」や「ミミズ」を意味するのは imok のようです。imok-pe で「餌・もの」という表現があり得るのかどうかは……?(「餌」であれば imok だけで十分ですよね?)

imok-pet で「餌・川」だったという可能性も……どうなんでしょう。なんとなくですが、松浦武四郎以来ミスリードされているような気もするんですよね。「ノミが多いので『エサ』という地名なんです」という時点で支離滅裂に思えるので、そもそも「餌」でも「ミミズ」でも「ノミ」でも無かったのではないか……と考えたくなります。

確かに「イモクペ」だと他に解釈のしようが無いようにも思えますが、「エムクペ」だとしたら……? e-muk-pe で「頭(水源)・ふさがっている・もの(川)」と読めなくもないかも……?

イモッペ川を水源まで遡った先には「いすゞ北海道試験場」があるのですが、イモッペ川は試験場の手前で山に邪魔をされているようにも見えます。川を遡るといつしか分水嶺にぶつかるのは当たり前ですが、イモッペ川の場合は分水嶺と言うよりも山そのものにぶつかっているように見えなくもないような。

まぁ類例に記憶がない時点で厳しいのも事実ですが、「鵡川」そのものが mukap あるいは muka-pet だったのではと言われているので、「鵡川」の存在を念頭に置いた上で「ふさがる川」という亜種?を生み出したという可能性も考えたくなるんですよね。

長禰府(おさねっぷ)

e-san-ne-p??
水源・棚・のような・もの
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
以前は「株式会社ワーカム北海道」だった「いすゞ北海道試験場」の西に「長禰府」という名前の三等三角点があります(標高 58.3 m)。

北海道実測切図』(1895 頃) には「オサン子ㇷ゚」という川が描かれていました。「オサン子ㇷ゚」は途中で「ポロオサン子ㇷ゚」と「ポンオサン子ㇷ゚」に分かれているように描かれています。


陸軍図には「ヲサネップ」あるいは「長根布ヲサネップ」と描かれていました(ちょうど図幅の切れ目で表記に揺れがある)。現在のむかわ町米原よねはらに相当するあたりです。国民が戦争で正気を失っていた頃に多くのアイヌ語に由来する地名が失われましたが、この「米原」も 1943(昭和 18)年に改められた地名とのこと。

戊午日誌 (1859-1863) 「武加和日誌」には次のように記されていました。

また少し上りて
     ヲサン子フ
東岸に小川有。其名義は洪水の時に大木を多く流し来り、其木棚の如く畳み重りしによつて号るとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.505 より引用)※ 原文ママ
ところが、永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Osannep   オサンネプ   ?
(永田方正『北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.210 より引用)
久々に伝家の宝刀「?」が炸裂しましたね。松浦武四郎は「洪水で流された流木が棚のように積み重なったから」としましたが、永田方正はその解釈を見聞きすることが無かったということでしょうか。

san は「棚」を意味し net は「流木」を意味します。松浦武四郎が記した解はそのあたりからの連想だと思われるのですが、文法的にも奇異な感じがあります。

o-san-ne-p であれば「河口・棚・のような・もの」となりますが、これはこれでそれらしい地形が見いだせないという点で違和感があります。ただ e-san-ne-p だったとしたら「水源・棚・のような・もの」と解釈できそうな気も……?

もっとも、この仮説にも穴はあって、san だけで「棚のような平山」をも意味するので、san-ne-p という言い回しは屋上に屋を架すようにも見えます。まぁ san は「棚」でもあるので、明らかに間違いではないと思いたいですが……。

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