2026年6月26日金曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1400) 「平賀・コンカン川・オコタン川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

平賀(びらが)

pira-ka?
崖・上
(? = 旧地図等に記載あるが位置に疑問あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
エショロカン沢川」の流域一帯の地名です。『北海道実測切図』(1895 頃) には漢字で「平賀」とあり、少し北のほうにカタカナで「ピラカ」と描かれています。


戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

扨また川まゝ上り行や、此辺は西岸とも同じく崩欠岸、ホウ・槲柏原なるに、しばし過て川端より凡十四丁、東の方引上ひきのぼり
     ヒラカ村
此処平山にして同じく槲柏原にして、下草苅かや・白(芽)等多し。其名義は此村の下に大なる平崩有る故に号るとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.642-643 より引用)※ 原文ママ
(芽)は(茅)の誤植のような気もするのですが、確証はありません。注目すべきところは「東の方」とあることで、確かに 『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にも沙流川の *東側* に「ヒラカ」と描かれています。


現在、日高自動車道が通っているあたりは、沙流川より 2~30 m ほど高い河岸段丘になっています。永田地名解 (1891) には次のように記されていたのですが……

Pira ka   ピラ カ   崖上 平賀村
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.228 より引用)
「東西蝦夷──」に描かれた「ヒラカ」が本来の位置だったとすると、確かに河岸段丘の上なので、pira-ka で「崖・上」と呼んだのも納得ですね。

コンカン川

{kom-ni}-kar?
{樫の木}・切る
(? = 旧地図等に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
日高町(旧・門別町)富川の市街地を流れる川です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「コンカ」と描かれています。


北海道実測切図』(1895 頃) には「コムカラ」と描かれていました。


戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

またしばし上りて針位戌酉に向て
     コンカラ
左りの方、此川すじ欠崩の処に落る。其名義は柏木多しと云儀也、本名コムニの訛りたるなり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.647 より引用)
地名アイヌ語小辞典』(1956) を見ると、kom は「鍋のつるの両端の曲がり」または「どんぐり」とあります。kom-ni は「カシワギ」または「灌木」とあるので、松浦武四郎の記録は概ね矛盾が無さそうな感じでしょうか。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Kom kara,   コム カラ   ナラヲ取ル處
(永田方正『北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.227 より引用)
kar は「打つ」「作る」「取る」「刈る」「する」あたりの意味なので、kom-kar であれば「どんぐり・取る」となるでしょうか。ただ松浦武四郎も永田方正もそのようには記しておらず、どちらかと言えば「樫」あるいは「楢」を切るようなニュアンスであるように感じられます。

{kom-ni}-kar で「{樫の木}・切る」だったものが、いつしか -ni が略されるようになった……ということかもしれません。

ちょっと気になるのが kom-ke で「曲がっている」という意味になることです(オホーツク海沿いに「コムケ湖」という湖がありますね)。「コムカラ」の「コム」も実は「曲がる」を意味していた……という可能性も、頭の隅にとどめておきたいです。

オコタン川

o-kotan-us-sar?
河口・村落・ついている・沙流川(の支流)
(? = 旧地図等に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
日高町富川の南、沙流川の南支流です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヲコタノサル」と描かれています。


北海道実測切図』(1895 頃) には「オコタンサロ」と描かれています。


戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

扨川まゝ上ることまがりて凡北向に行けるに、凡七八丁にして
     ヲコタノサル
右のかた小川有。其名義は、元来サル村は此処に有りしによつて号と。是サル村の根元によつて号也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.641 より引用)※ 原文ママ
永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Okotan sara   ヲコタン サラ   村尾ノ茅
(永田方正『北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.227 より引用)
なんか良くわからないことになっていますね。素直に解釈すれば o-kotan-us-sar で「河口・村落・ついている・沙流川(の支流)」になると思うのですが……。

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