2016年5月31日火曜日

新十津川→京都 1568.9 km (22) 「村上→新発田(33.4 km)」

新潟行きの「いなほ 8 号」は、定刻……よりもほんのちょっと(1 分弱?)早く村上駅に到着しました。凄いすごい!
数分の遅れを見事に取り戻してきたのは素直に凄いなーと思うのですが、それ以上にこの建物が気になってしまってですね……。
一体何が「日本で二番目」なんでしょう……。「美川 県一の町」でしょうか(それはたぶん関係ない)。

サケリンのふるさと「村上」

というわけで「サケリン」のふるさと・村上駅です。駅舎は駅の東側にあるようで、駅の西側は完全に「駅裏」扱いのようです。立派な防雪林が立ち並んでいますね。

SL のふるさと「坂町」

村上駅を発車して、岩船町(いわふねまち)駅、平林(ひらばやし)駅を通過すると、米坂線の分岐駅・坂町駅に到着です。
草むらの中にポツンと給水塔が立っていますが、かつては駅の構内に「坂町機関区」があって、蒸気機関車などが配置されていたのだとか。機関区のほかに貨車の操車場としての役割もあったとのことで、現在は草生した空き地が広がっています。
坂町駅のあるあたりは、現在は村上市に属していますが、2008 年までは「荒川町」という町でした。日本海東北自動車道の「荒川胎内 IC」に名前が残っていますね(荒川胎内 IC の開通は荒川町が消滅した後の 2009 年だそうですが)。

坂町駅は 1914 年 11 月の開業と言いますから、この時ちょうど 100 歳を迎えていたのでした。ゴロタ石を積んだホームにも歴史の長さが感じられますね。
坂町駅も東側に市街地が広がっていて、西側には水田が広がっています。手前の貨物操車場の跡は草が生え放題になっているので、なんか荒涼たる感じに……(汗)。

やらにゃんのふるさと「中条」

坂町駅を発車して、平木田駅を通過すると、7 分ほどで次の停車駅・中条です。このあたりは停車駅が多いですね。
中条駅はかつての中条町の中心駅です。今はお隣の黒川村と合併して「胎内市」となりました。「胎内」というのはなんとも不思議な地名に思えますが、市域のど真ん中を流れる「胎内川」に由来しているのだとか。ご当地キャラは「やらにゃん」だそうです。

三田村邦彦のふるさと「新発田」

中条駅を発車して、金塚(かなづか)駅、加治(かじ)駅を通過すると、羽越本線で最後の停車駅・新発田に到着です。
新発田駅の到着は定刻通りの 12:34 でした。新十津川から新発田まで、約 17 時間で 986.0 km を走破しました。あと残りは 582.9 km です。

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2016年5月30日月曜日

新十津川→京都 1568.9 km (21) 「鶴岡→村上(80.0 km)」

新潟行きの「いなほ 8 号」は、定刻通りに鶴岡駅を出発しました。羽前大山、羽前水沢の両駅を通過してトンネルを抜けると三瀬駅(通過)です。再び右前方に海が見えてきました。

奇岩がいっぱい

三瀬駅を過ぎると再びトンネルに入ります。小波渡(こばと)駅を通過して、更に長短合わせて 3 つのトンネルを抜けると五十川(いらがわ)駅です。
五十川駅を通過してトンネルを抜けると、列車は再び日本海沿いを走ります。所々に奇岩が見えるのが面白いですよね。これは「立岩」(と地形図に出ている岩)でしょうか。

ひらがな駅名の嚆矢「あつみ温泉」

1 km ほどの(ちょいと長めの)トンネルを抜けると、「あつみ温泉駅」に到着です。この駅名も「なんで平仮名なんだ」と話題になったものですよね。
ホームの上の方にはこんなものが。
昔はいろんな駅で見かけたものですが、段々と少なくなっているような感じも……。

新潟県に入りました

あつみ温泉駅を出発すると、列車は時折トンネルでショートカットしながら、引き続き海沿いを走ります。小岩川、鼠ヶ関(実はここまで鶴岡市)と通過すると……ついに新潟県に入ります。新潟県村上市に入るのですが、国道には「村上まで 47 km」の標識があったような……(汗)。

海辺のロケーションが最高な「府屋」

新潟県で最初の停車駅・府屋が近づいてきました。海沿いのとても眺めの良い駅ですね。
このロケーション……最高です!

風光明媚な車窓

「いなほ 8 号」は府屋駅を出発して、勝木(がつぎ)駅と越後寒川(えちごかんがわ)駅を通過しました。「風光明媚」という言葉は、まさにこんな景色のためにあるんだなぁ、と思わせます(大絶賛)。
これは越後寒川と次の今川の間(脇川のあたり?)でしょうか。このあたりの海岸には奇岩が多いですが、このような美しい砂浜もあります。
これは桑川駅の少し手前の「笹川」というところですが、笹川の河口と山の間の砂浜も「笹川海水浴場」のようですね。砂浜の延長は 120~130 m くらいしか無いようにも見えますが……。
桑川、越後早川、間島の各駅を通過して、上り線とくらべて大幅にショートカットしている「村上トンネル」を抜けると、次の停車駅・村上です。

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2016年5月29日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (343) 「ペンケオニケムシ川・パンケベツ沢川・セタウシ山」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ペンケオニケムシ川

penke-o-niti-{pus-ke}???
川上側の・そこに・串・{破れている}
(??? = 典拠なし、類型未確認)
静内川の上流部には「高見ダム」というダムがあるのですが、そのダム堤のすぐ北側に注いでいる支流の名前です。おそらく「パンケオニケムシ」もある筈で、すぐ南側の谷がそれに当たるのではないかな、と思います(地理院地図では川として扱われていない)。

さて、「オニケムシ」と言われたら鬼のような毛虫しか想像できないのですが、実はこちら、かなり困った物件でした。まずは東西蝦夷山川地理取調図ですが、「ハンケヲニチミフ」そして「ヲニチミフ」とあります。かなりイミフな感じです(ぉぃ)。

「ペンケオニケムシ川」と「パンケ──」を比較すると、明らかに「ペンケ──」のほうが流長があるので、「ペンケ──」を本流だと見做したのだと思われます。ただ、「ヲニチミフ」と「オニケムシ」では、どこがどのように訛ったのかも良くわかりません。

東蝦夷日誌にも記載がありました。

ヲニチブシケ(左)、ベンケチブシケ(同)爰(ここ)には櫛齒の如き数本立並びたる石有と。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.173 より引用)
今度は「ヲニチブシケ」となりました。しかも短いはずの「パンケ」が本流扱い?されています。あと「ベンケチブシケ」がこの先大問題になりますのでご注意を。

戊午日誌「東部志毘茶利志」にも記載がありました。

またしばし過て
     ハンケヲニチフシケ
     ヘンケヲニチフシケ
等二川とも左りの方也。魚類は鱒と鯇と有るとかや。其名義は櫛の如き岩有るによつて号るとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.614 より引用)
今回は「ヲニチフシケ」となりました。濁点に違いはありますが、ようやく落ち着いてきた感じですね。

そして、虫大好きの永田地名解には次のようにありました。

Onichimshbe  オニチム シュベ  ?
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.256 より引用)
さすがのナガタ・ホオセイさんも今回は伝家の宝刀を抜くしか無かったようです。

さて、ここまで見てきた感じでは、次のようなバリエーションがありました。

ヲニチブシケ
ベンケチブシケ
ハンケヲニチフシケ
ヘンケヲニチフシケ
オニチム シュベ
ペンケオニケムシ川

さあ、どうしましょうか(汗)。「ペンケオニケムシ」は明らかにズレてるっぽいので一旦外すとして、あとは全てをざっくり検討するしか無いですかね。

地名の意味を調べる意味で最も基本となる「音」が確定できないとなっては、「意味」から逆に攻めていくしかありません。意味について明確に記しているのは戊午日誌の「櫛の如き岩有る」くらいなので、そこから見るしかないですね。

髪の毛を整える「櫛」は kiray と言います。服部四郎さんの「アイヌ語方言辞典」を見た感じでは、北海道から千島・樺太に至るまで広く使われていた語彙のようです。そして「ヲニチフシケ」あるいは「チブシケ」には当てはまらないように見えます。

ですので、「櫛」ではなく「串」だと考えてみるとどうでしょうか。これだと nit という単語があります(「三石」で出てきましたね)。nit の所属形は niti ですので、どうやらこれが当たりのように思えてきました。

但し、この考え方だと東蝦夷日誌の「ベンケチブシケ」を説明することができません。「チブシケ」あるいは「エチブシケ」あたりで解釈を考えてみたのですが、可能性を見いだせる解釈が見当たりませんでした。「ベンケチブシケ」という記録には何らかの誤りがある、と考えるしか無さそうに思えます。

ということで、続いて「フシケ」「ブシケ」あるいは「ム シュベ」に相当する語を探してみましょう。「フシ」であれば -us も検討対象になるのですが、「ブシ」を us と考えるのは少々厳しいように思えます。chip で「舟」というのも考えたのですが、これだと「シケ」の意味が良くわからなくなります。

「ブシケ」を pus-ke と考えて、o-niti-{pus-ke} で「そこに・串・{破れている}」と解釈して見ました(串のような岩が複数あって、その間を破って川が流れているような感じで)。ただ、これだと「オニチム シュベ」から少し遠いので、あるいは o-niti-pus-pet あたりの別解?もあったのかも知れません。

そして「オニチム シュベ」の「チ」が「ケ」に誤記されてしまい、pet を「川」と和訳したと考えると「オニケムシ」になりますね。

パンケベツ沢川

panke-pet
川下側の・川
(典拠あり、類型多数)
高見湖の北側を流れている支流の名前です。下流部は高見湖の一部になっていますね。panke-pet で「川下の・川」なんだろ? というご指摘もあろうかと思いますが、実はその通りでして……(汗)。

いや、決して「ペンケオニケムシ川」で消耗したからとか楽をしようとか、そういうことじゃ無くてですね……(汗)。

まずは戊午日誌「東部志毘茶利志」を見てみましょう。

またしばし過て
     ハンベツ
左りの方小川也。其名義は下川と云儀也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.615 より引用)
はい。実は panke-pet ではなくて pan-pet だったと言うのですね。知里さんの説では、そもそも pan 自体が pa-ne で「川下・である」が合成されたものじゃないかとのことで、pan-pet というのはちょっと古い形のアイヌ語川名なのかな、と思ったりもします。

そして、パンケベツ沢川の支流の名前は今でも「ポンパンベツ沢」です。推測ですが、アイヌ語の地名に少し造詣のある人が「これは pankeke が落とされたのだな」と解釈して panpanke に改めた……と言ったところでしょうか。

「東蝦夷日誌」にも記載がありました。

下川(パンベツ)(左)、上川(ペンベツ)、何れも瀧に成落る。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.173 より引用)
また、永田地名解(虫大好き)にも記載がありました。

Poe pet  ペン ペッ  上川 瀧トナリテ落ツ
Pan pet  パン ペッ  下川 瀧トナリテ落ツ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.256 より引用)
永田さん……。パクりましたね?(汗)

セタウシ山

seta-us-i
狼・多くいる・ところ
(典拠あり、類型あり)
高見湖の東側にそびえる標高 859 m の山の名前です。東西蝦夷山川地理取調図を見ると静内川の支流として「セタウシ」という川も描かれていますが、どの川を指しているのかは特定できませんでした。何となく「セタウシ山」頂上から真西に流れていく川かなぁ、と思ったりはしますが……。

この「セタウシ山」ですが、「東蝦夷日誌」には「セタウシ岳」と記されています。また戊午日誌「東部志毘茶利志」にも記載がありました。

過て
     セタウシ
右の方尖りし高山一ツ有。其名義は狼の洞が有るによつて号るとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.617 より引用)
ふーむ。seta と言えば「犬」という印象があったのですが、ここでは「狼」とされていますね。

一方で、永田地名解には次のようにありました。

Shietai ushi  シェタイ ウシ  大山
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.255 より引用)
うーん。これまたちと謎な感じの解が出てきましたね。萱野さんの辞書によると si-etaye だと「引っ込む」という意味だそうですが、etaye で「引っ張る」と言う意味にもなるそうなので、「大いなる・引っ張る・いつもする・もの」という解釈もできなくは無いようなできないような(どっちだ)。

更科さんの「アイヌ語地名解」にも言及がありましたので、見ておきましょうか。

 セタウシ山
 静内町と三石町の境の山。セタは犬であるのがここでは狼のこと、ウㇱは沢山いるの意。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.84 より引用)
あ、思った以上に普通の解でしたね(汗)。永田地名解の「シェタイ ウシ」はちょっと謎な感じがするので、ここはやはり seta-us-i で「狼・多くいる・ところ」と考えるのが自然ではないでしょうか。

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2016年5月28日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (342) 「ポヨップ沢川・ペンケモシヨシ沢川・ピセナイ沢川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ポヨップ沢川

poyop-us-nay
狼・多い・川
horka-us-nay??
逆戻り・いつもする・沢
(典拠あり、類型あり)(?? = 典拠なし、類型あり)
静内川を遡っていくと、段々と左右に山が迫ってきます。東から西に流れる静内川の本流に対して、北から南に合流する「シュンベツ川」が合流するところは、おなじみの「ペテウコピ」と呼ばれていました。

ちなみに、「ペテウコピ」の北側には「タㇷ゚コㇷ゚」があるのですが、山田秀三さんによると「これだけ見事なのは珍しい。こんな山中まで行かれる方があったら一見をおすすめしたい」とのこと。確かに地形図を見ても 30 m ほどのこんもりした丘がポツンとあるのがわかります。車道が妙に高台を通っているのですが、もしかしていずれ水没する予定だったりするのでしょうか。

シュンベツ川と静内川の合流点から本流を更に遡っていくと、「双川ダム」という小さなダム(発電所?)があって、そこからもう少し遡ったところで南から北に注ぐ「ポヨップ沢川」という支流があります。

戊午日誌「東部志毘茶利志」には次のように記されていました。

漸々の事上りしや
     ホ ヨ
右のかた相応の川也。然し滝川に成て来り両岸皆雑木原。是当ヘテウコヒより上の第一の支流也。其名義は昔し此沢にて狼の子ども多く有りしを見付てより号しとかや。それまではホロナイと申せしとかや。本名はホヨウシナイなり。ホヨは狼のこと也。又ホロケウとも云へり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.610-611 より引用)
昔、蝦夷地には「エゾオオカミ」という種の狼がいたのですが、明治時代に「家畜を襲う害獣である」として徹底的に駆除が行われ、結果的に絶滅してしまったと言われていますね。エゾシカにとっては天敵だったエゾオオカミが絶滅してしまったことで、現在は個体数が増加傾向にあります。「害獣」の排除と生態系のバランスの維持を両立させるのは難しいですよね。

本題に戻りますが、永田地名解にも次のように記されていました。

Poiyop, or Hoiyop  ポヨㇷ゚  狼 此邊狼多シ故ニ名ク「ポヨㇷ゚」ハ凶害ヲ為ス者ノ義
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.254 より引用)
この「ポヨㇷ゚」という謎の単語についてですが、知里さんの「──動物編」には次のようにあります。

( 6 )poyóp ((ワダムラ;シズナイ))
 注 1.──「和田村誌」(イトオ・ハツタロオ執筆。1938年。ネムロ国ネムロ郡ワダ村役場発行)11ページに「ポヨプ(狼)」とある。
 注 2.──ヒダカ国シズナイ郡に「ポヨプ」という地名があって,ナガタ・ホオセイ氏はこれに“poiyop or hoiyop”とローマ字をあて,オオカミの意味にとり,『コノアタリ狼多シ。故ニ名ズク。「ホヨプ」ハ凶害ヲナス者ノ義』と注している(Nagata, p. 254)。
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 動物編』」平凡社 p.142 より引用)
永田地名解の中の「ポヨㇷ゚」は半濁点なしの「ホヨㇷ゚」にも見えるのですが、かすかに半濁音の欠片が見えたように思ったので「ポヨㇷ゚」としました。ただ、知里さんが参照した分も同じように半濁点が欠けていたということでしょうか。

知里さんの「動物編」からわかることは、poyop は静内だけで見られる単語ではなく、遥か東の根室でも記録されている方言である、ということですね。

さて、「方言と共通語」ではありませんが、「狼」を意味するアイヌ語には別の単語もあります。実は既に戊午日誌でも言及されているのですが、hórkew という単語があるのですね。服部四郎さんの「アイヌ語方言辞典」を見ても、hórkew は八雲・沙流から名寄・美幌あるいは樺太のあたりまで広いエリアで通じていたようです。

ここでようやく「あっ」と思い当たったのですが、hórkewhorka-us と音が似ています。horka-us-nay だとすれば「逆戻り・いつもする・沢」となります。静内川は北東から南西に向かって流れていますが、「ポヨップ沢川」は南南東から北北西に向かって流れています。完全に horka しているとは言い切れないですが、ポヨップ沢川の上流部は南西から北東に流れているため、「後戻りする川」と言えるのではないかな、と。

ただ面白いのは、川の名前が horkew(-us-nay) ではなく poyop-us-nay として伝わっているところです。その名の意味を辿ると horka ではないかと思われるのですが、かなり早いタイミングでその意味が失われて「狼の川」になってしまったことが伺えます(horkew から poyop に変わったのは少々謎ですが、このあたりでは poyop のほうが広く使われていたということなんでしょうか)。

この「ポヨップ沢川」からは、言葉遊びから地名説話の誕生に至るまでの流れを読み解けるような気がします。「狼の多い川」という解も否定できるものではありませんし、大切にしたいですね。

ペンケモシヨシ沢川

penke-mo-so-us(-nay)??
川上の・静かな・滝・ついている(・沢)
(?? = 典拠なし、類型あり)
静内川にポヨップ沢川が合流するところのすぐ上流に「静内ダム」があります。ダム堤から 0.4 km ほどのところで「パンケモシヨシ沢川」が合流していて、その更に 0.6 km ほど先で「ペンケモシヨシ沢川」が合流しています。いずれも南東から北西に注ぐ支流です。

こちらも戊午日誌「東部志毘茶利志」に記載がありました。

過て
     ハンケモシヨシ
右のかた小川。其名義は蛆の事也。訳は昔し此処にて熊をとりし処、其熊の肉直に皆蛆になりて喰はれざりしが故に、此沢え捨置し処、その蛆追々山まで上りて多く成、今に多く居るよりして号るとかや。夷言蛆をモシヨシと云よし也。魚類鱒と鯇と也。また上りて
     ヘンケモシヨシ
同じく並び也。其名義上の蛆の沢と云義也。是も鱒と鯇と有。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.612 より引用)
えー……もしもし? 「クマを仕留めたらクマの肉が一瞬でウジ虫に喰われてしまったので放置したところ、ウジ虫が山のようにウジャウジャ増えてしまったから『ウジムシ川』になった」って……(汗)。どんな三流ホラーですか!?

気を取り直して、永田地名解を見てみましょう。

Panke moshoshi  パンケ モショシ  下ノ蛆(ウジムシ)
Penke Moshoshi  ペンケ モショシ  上ノ蛆(ウジムシ)
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.254 より引用)
うっ(汗)。どんだけウジ虫が好きなんですか……。うん、確かに mosóspe で「ウジ虫」という意味はありますけれども……。

さて、ウジ虫と言えば、平取にもこんな川がありました。

Moso ush pe  モソ ウㇱュ ペ  蚋(ウジ)多キ處 鹿死シテ蚋多シ故ニ名ク
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.236 より引用)
ということで、ナガタ・ホオセイさんはウジ虫を猛烈にプッシュ中のようですが、「ペンケモシヨシ沢川」は penke-mo-so-us-nay と考えるべきじゃないかなと思うんですよね。「川上の・静かな・滝・ついている・沢」ではないかなぁ、と。

あるいは、既に so-us-nay という川があって、それと区別するために mo(この場合は「小さな」と考えるほうがわかりやすい)を冠したのかな、とも考えてみたのですが、ちらっと見た感じではそれっぽい川は見当たらないようなので、どちらの川も小ぢんまりした滝があったのではないかなぁ、と思います。ウジ虫が山のように湧いていた……というのは、ちょっと想像したく無いですしねぇ(汗)。

でも、「ウジ虫たくさん川」が平取だけではなく静内でも見つかったとなると、これは意図的な改変を疑うべきなのでしょうね(笑)。「意図的な改変」というと只ならぬ雰囲気すら感じられますが、どちらかと言えば「言葉遊び」に類するものだとお考えください。たまたま音調の似ている別の言葉を持ってきてストーリーをでっち上げてしまうというのは、現代の日本でも割と良く見かけます。俗に「オヤジギャグ」とも言いますよね(汗)。

ピセナイ沢川

pise-nay??
魚の浮袋・沢
nisey-nay?
渓谷・沢
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
ペンケモシヨシ沢川の上流側を流れる川の名前です。では早速ですが永田地名解(ウジ虫推し)の記述を見てみましょうか。

Pise nai  ピセ ナイ  魚膓川 ?
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.254 より引用)
pise は魚類の「浮袋」を意味する単語です。pise-nay だと「魚の浮袋・沢」となりますが、魚の浮袋が山のようにある川だったのでしょうか。

さて、この「魚の浮袋川」ですが、残念ながら戊午日誌「東部志毘茶利志」には記載がありません。また、東西蝦夷山川地理取調図にも記載が無いようです。ということで、戊午日誌から静内川の右支流を抜き出してみることにしました。

ハンケモシヨシ(右のかた小川)
ヘンケモシヨシ(同じく並び)
ウエンシリウトルクシナイ(右の方小川)
リイセナイ(右の方中川)
シケラフケウシナイ(右のかた小川)

また、東西蝦夷山川地理取調図からリストアップするとこんな感じです。

ハンケモシヨシ
ヘンケモシヨシ
ウエンシリウトルナイ
ウツナイ
リイセナイ
シケラツケウフシナイ

この情報を頭の隅に措いた上で、永田地名解を見てみましょう。

Panke moshoshi  パンケ モショシ
Penke Moshoshi  ペンケ モショシ
Wen shiri uturu kusu nai  ウェン シリ ウト゚ル クㇱュ ナイ
Utu nai  ウト゚ ナイ
Risei nai  リセィ ナイ
Pise nai  ピセ ナイ
Shike rapke ushi  シケ ラㇷ゚ヶ ウㇱ

まず言えることは、このあたりの永田地名解は静内川の右支流を下流から遡って順に記しているように見えます。また、戊午日誌には「ウツナイ」の記載が無いこともわかりますね。

そして、永田地名解にある「ピセ ナイ」の実在が、個人的には少々疑わしく思えてきます。少なくとも現在の「ピセナイ沢川」は、永田地名解に言う「リセィ ナイ」のほうが適切だったように思えるんですよね。

そう思いながら「戊午日誌」を見てみると、あっさり答が書いてありました。

また上りて
     リイセナイ
右の方中川也。其名義は本名ヒイセナイにして、むかし此処に土人鹿取り居て、鹿の糞袋を取り、それに油を入置しに、跡にて犬が喰てしまゐしと云によって号る也。ヒイは腸の事也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.613 より引用)
ああ、やはり「リイセナイ」と「ピセナイ」は同じ川を指していたようですね。「ヒイは腸の事也」とありますが、ちらっと調べたところでは piye で「脂がのった」という意味なのだとか。そういえば「美瑛」の由来が piye でしたっけ……。

「ピセナイ沢川」は戊午日誌に言う「リイセナイ」に由来するっぽいということで、永田地名解の「リセィ ナイ」の項を見ておきましょうか。

Risei nai  リセィ ナイ  ?
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.254 より引用)
これまたお約束の展開ですが、幸いなことに補足がありました。

此處断岸絶壁登ル能ハズ恐クハ「ニセイナイ」ノ訛リナランナレドモ土人ハ「リセイナイ」ナリ苗ヲ抜取ルノ義ナリト云フ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.254 より引用)
現代語風に直しておきますね。

ここは断崖絶壁で登ることができないので、おそらく「ニセイナイ」の訛りだと思われるが、土地の人間は「リセイナイ」で苗を抜き取るという意味だと言っている。

ふむ。rise で「抜く」という意味がありますから、rise-i-nay で「抜く・それ・川」あたりで考えたのでしょうか。ただ、地勢を考えると nisey-nay で「渓谷・沢」と考えるのが自然に思えます。

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2016年5月27日金曜日

新十津川→京都 1568.9 km (20) 「酒田→鶴岡(27.5 km)」

新潟行きの「いなほ 8 号」は、定刻の 10:45 に酒田駅に到着しました。ずーっと 1~2 分遅れていたのに……やればできる子ですね!
昨日の記事でも触れましたが、特急「いなほ」は秋田と新潟を結んでいる……と思いきや、一日 7 往復のうち 4 往復は酒田発着なんですよね。なるほど、だから秋田県からは「スギッチ」しかいなかったのか……。

まぁ、秋田とは比べ物にならないくらい庄内と新潟の結びつきが強いのも事実でしょうが、目的地を「東京」に変えると「あ、そゆこと!」と納得が行きますね。秋田からは「こまち」一本で東京に行けますが、酒田からは一旦新潟に出るのが一番速い、ということなのだと思います。

流浪の旅芸人状態

さて、秋田から酒田まで海沿いの 2 人席を勝手に占拠していたのですが、酒田駅で指定券をお持ちのお客様が乗車されてきました。ということで……懲りずに一列後ろの 2 人席に移動してみることにしました。まだ空いてるので、いいですよね?(汗)

あ、ちゃんと車掌さんには断りを入れてますので念のため。

陸羽西線の終点「余目」

酒田からは、列車は東に向きを変えて東酒田へ。次の砂越(さごし)で再び南に向きを変えて北余目に。この 3 駅をサクッと通過して、およそ 8 分ほどで次の停車駅・余目(あまるめ)に到着です。
余目からは、新庄に向かう陸羽西線が分岐しています。酒田から最も近い新幹線の駅は新庄なのですが、最速で東京に向かうにはやっぱり新潟に向かうのが正解のようですね。
改札口の前のホームには「ようこそ余目駅へ」の横断幕が。右にはトリ○のおじさん……じゃなくて「きてけろくん」もいますね。あ、こんなところに横断幕が出ているということは、ここはもうホームとしては使用していないということですね(今頃気づいた)。

庄内平野の中心都市(あれ?)「鶴岡」

北余目・余目そして次の西袋までが東田川郡庄内町の駅です。西袋の次の藤島駅からは鶴岡市に入ります。いや、鶴岡より酒田のほうが大きな街だと思ったのですが、人口は鶴岡のほうが上なのだとか(すいませんすいません)。
余目から 10 分ほどで、次の停車駅・鶴岡に到着です。
ところで、現在乗車中の「いなほ 8 号」のグリーン席は、海側が 2 列シートで、山側が 1 列シートです。新十津川から京都までぼっち旅を敢行中の Bojan さんは山側のシートの指定券を持っていましたが、既述の通り、眺めのいい海側の座席に勝手に移動していたのでした。

そして、鶴岡でもお客様が乗車されてきたのですが、……あれ? その山側の座席の指定券、私が持ってるんですが……(汗)。

良くわからなくなってきたので

なんだか良くわからないことになってきましたが、とりあえず海が見えてきました。海いいですよね!(良くわからなくなってきたので逃避中

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2016年5月26日木曜日

新十津川→京都 1568.9 km (19) 「小砂川→酒田(27.9 km)」

秋田県最後の駅・小砂川を通過すると、すぐ右手に海水浴場が見えてきます。小さいながらもなかなかいい雰囲気だなぁ、と思ったのですが……
なんかびみょうに電柱がフレームイン(しかもスマホならではの歪みっぷり)。次の入江もなかなかいい感じだったのですが……
ああああっ(汗)。

USA じゃないよ「遊佐」

気を取り直して……はい、山形県に入りました!(おおっ) 女鹿駅を過ぎると国道 7 号線(吹浦バイパス)は山側に入りますが、旧道が国道 345 号として健在です。相変わらず海も素敵な色をしていますね。
大物忌神社の下をトンネルで抜けて、吹浦駅を通り過ぎると、次の停車駅・遊佐が近づいてきます。
立派な跨線橋の手前には、古そうな石垣の上に嵩上げされたと思しきプラットホームが。ただ縁石の向こうは草生した状態なので、日常的には使用されていないように見えますね。
今更ですが、「遊佐」で「ゆざ」と読みます。「佐」は濁るのでご注意を。

庄内平野の中心都市「酒田」

遊佐も 1~2 分遅れで出発して、南鳥海、本楯(もとたて)の各駅を通過すると、間も無く次の停車駅・酒田です。おや、海側から別の線路が見えてきました。これは何線ですかね?
……貨物線のようでした。酒田港駅から酒田駅まで、羽越本線の貨物支線があるんですね。
そして反対側には、新潟色(でいいんでしたっけ?)のディーゼルカーが。酒田からちょいと南に行ったところにある「余目駅」が陸羽西線の終着駅で、そこから酒田までディーゼルカーが直通運転しているんですね。

あるいは羽越本線の普通列車用……でしょうか。
そういえば、ここまでタイミングが無くて書けてなかったのですが、指定を取ったのは山側の一人席のほうでした。空席が多いのをいいことに、勝手に海側の席を占拠しているのですが、本来指定を取っているお客さんが来た時点で、席を明け渡さないといけません。
間も無く酒田駅に到着です。新十津川から酒田までは 845.1 km、ということは……いつの間にか Half way を越えていたことになりますね! 京都までは残り 723.8 km となりました!

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2016年5月25日水曜日

新十津川→京都 1568.9 km (18) 「羽後本荘→小砂川(34.1 km)」

新潟行きの「いなほ 8 号」は由利本荘市の羽後本荘駅を発車しました。……そういやいつの間にか「由利本荘市」になってたんですね(平成の大合併で名前が変わったのだとか)。

確かに西のほうにあるけど

羽後本荘を出発して短いトンネルを抜けると、次の駅が「西目駅」です。もうちょい先には「余目」という駅もありますが、この「目」って一体何なんでしょうね。かつては「西目町」という自治体もありましたが、例の大合併で由利本荘市に合流しています。

西目駅を通過して、もう一度短いトンネルを抜けると、再び国道 7 号と並んで海沿いを走ります。いやー、いい眺めですよね。

あのメーカーの街「仁賀保」

西目から 6~7 分で次の停車駅・仁賀保に到着です。
駅の南側には、何やら工場のような建物が見えます(実際には、工場はちょい東寄りのインターチェンジに近いところにあります)。
そう、ご存じの方も多いかと思いますが、仁賀保と言えばこの企業の城下町(のようなもの)なんですよね。答え合わせはこちら。
そう、「東京電気化学工業」こと TDK の工場があるのです。ということで、ちょいと Wikipedia から引用してみましょう。

  • 1935年
    • 7月 - 齋藤憲三(秋田県にかほ市出身)がフェライトの発明者である東京工業大学教授加藤与五郎、武井武と出会い、フェライトの工業化を決意する。
(Wikipedia 日本語版「TDK」より引用)
ふむふむ、なるほど。ということで「にかほ市」は TDK の創業の地(のようなもの)だったのでした。その割に「なぜ東京?」という疑問も湧いてくるのですが、

創業時の社名「東京電気化学工業」は、フェライトの発明者である加藤与五郎と武井武が所属していた東京工業大学電気化学科にちなんで名づけられた。
(Wikipedia 日本語版「TDK」より引用)
うは(笑)。まさかこんなオチがあろうとは(笑)。でもまぁ、「仁賀保電気化学工業」よりは「東京──」のほうがドイツ村っぽい……じゃなくて全国的な知名度は期待できそうですよね。

難読な「象潟」

ということで、「TDK の街」仁賀保を後にして、次の停車駅・象潟に向かいます。金浦駅を通過すると、次が象潟駅です。
象潟もかなり難読ですよね。「ぞうがた」ではなくて「きさかた」と読みます。
軽く駅員さんと目が合ってしまいました。……偶然ですよね?

斜めに見えるその理由は

象潟駅も安定の 2 分遅れで発車しました。上浜(かみはま)、小砂川の両駅を通過すると……もうすぐ山形県です。相変わらず右手に見える日本海が素敵ですね。
この写真を見て「ん……?」と思った方、ええ、実はそうなんです。
実は、デジカメの電池を切らすというミスをやらかしてしまいまして、秋田からの写真は全部 iPhone で撮影していたのですね。走行中の車内から iPhone のカメラで撮影すると、本来は直方体に見えるはずのものが平行四辺形になっちゃうんですよね。ちょっと残念な感じもしますが、仕方がありません。

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2016年5月24日火曜日

新十津川→京都 1568.9 km (17) 「秋田→羽後本荘(42.8 km)」

さぁ、今日は久々に移動距離が進みますよ!(汗)

秋田発新潟行きの特急「いなほ 8 号」は、定刻の 9:16 ……から 1 分ほど遅かったかもしれませんが、ほぼ定刻通りに秋田駅を発車しました。今頃気がついたのですが、「いなほ 8 号」は秋田から出る特急「いなほ」の一番電車だったんですね(7 本中 4 本は酒田始発でした)。

白くてでっかいアレ

秋田からは、なんと 42.8 km 先の羽後本荘までノンストップです。羽後牛島、新屋と通過して、次の桂根を通過したあたりで……
車窓右側に日本海が見えてきました。グリーン車の新潟寄りに「海を眺められる謎のスペース」があるのですが、こりゃあ確かにのんびりと海を眺めたくもなるロケーションですよね。

ところで、先ほどの写真、よーく見るとあるものが写っているのですが、お気づきでしょうか? 実は……
こちらです。この白を基調としたカラーリングは……
我らが「新日本海フェリー」の船ですね! 苫小牧東(周文埠頭)から秋田経由で新潟に向かうフェリーがあるのですが、秋田から新潟に向かう便の出港が 8:45 なんだとか。つまり、ちょうど秋田港を出てこれから新潟に向かうところに出会ったようです。

一瞬「あっ、フェリーに乗るという選択肢があったかっ」と思ったのですが、「つがる 2 号」の秋田駅着が 8:22(予定)でしたから、8:45 に出るフェリーに乗るのは少々無理があります。というか、新十津川から京都まで丸一日かけて鉄道で移動するというストーリーから完全に外れちゃいますから、そもそも論外なんですけどね。

由利高原鉄道の乗換駅「羽後本荘」

下浜、道川、岩城みなとの各駅を通過して、羽後亀田からは内陸部に入ります。折渡、羽後岩谷と通過して……
駅に到着しました(わかります)。せめて駅名標を入れておかないと……あっ。
気を取り直してもう一度。はい、羽後本荘に到着です。
なんか 2~3 分ほど遅れているような気もしますが、まぁ気にしないでおきましょう(実は次の新潟駅でも、乗り換え時分に結構余裕があるのです)。
羽後本荘では多少の乗り降りがあったかな、といったところでしょうか。「いなほ 8 号」のグリーン車は定員 18 名だったと思いますが、秋田からの乗客は(自分も含めて)2~3 名だったような。まぁ、日曜の朝 9 時台の電車ですからねぇ……。

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