2016年5月22日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (341) 「ウロツナイ川・ペラリ川・農屋」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ウロツナイ川

o-u-kot-nay
そこで・互いに・くっつく・沢
(典拠あり、類型あり)
静内川の南東側を並流する「豊畑川」に注ぐ支流の名前です(もともとは静内川に直接注いでいたと思われますが……)。

どうも良くわからない名前なので、東西蝦夷山川地理取調図を見てみたところ、「ウコツナイ」と記されているのが確認できました。「ロ」は「コ」を見間違えた可能性がありそうですね。

東蝦夷日誌には、次のように記されていました。

東にてベンケウコツ(小川)、ウコツナイ(同)、チカフンナイ(同)、西にはメナブト(小川、人家)此川鮭多し。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.174 より引用)
ふーむ。「メナブト」は現在の「日高目名川」の河口部のことだと思いますが、やっぱ鮭が多いのですね。「シベチャリ」の sipe-ichan-i 説の傍証になりそうな記述ですね。

本題に戻りますと、東側の支流として「ベンケウコツ」と「ウコツナイ」がある、と記されています。このあたりの「東蝦夷日誌」は珍しく川を下った際の記録なので、出てくる川の名前も川上から川下に向かって並んでいます。ということで、penke(川上の)が先に来るのが正解です。

戊午日誌「東部志毘茶利志」には次のようにありました。

扨また少し上りて
     チカブンナイ
東岸山の間の小川也。其名義は鷲が居ると云事なり。またしばし上して
     ハンケウコツナイ
     ヘンケウコツナイ
此二河とも東岸にして小川。其名義は上の繋りし沢、また下の繋りし沢と云儀也。川口一ツにして、川上二ツになると云なり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.572 より引用)
はい、「東蝦夷日誌」と逆の順序で書かれていることがわかるかと思います。また、「ウコツナイ」が「ハンケウコツナイ」になっていますね。penkepanke(「川上」と「川下」)は対になっているケースが多いので、このほうが原型に近いのかも知れません。

戊午日誌のおかげでおおよその意味もわかってきました。u-kot-nay で「互い・付く・沢」ではないかと考えられます。オホーツク海沿いの「興部」が o-u-kot-pe で「川尻・互い・付く・もの」とされますが、それと似た地名ですね。

ここまでの予備知識をベースに「永田地名解」を見てみると、確かにそれっぽい川名が記録されていることに気が付きます。

Oukot nai     オウコッ ナイ      合(アヒ)川
Penke Oukot nai  ペンケ オウコッ ナイ  上ノ合(アヒ)川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.253 より引用)
うーむ。永田方正は道内各所に見られる o-u-kot-nay であるとしたのですね。松浦武四郎は一貫して「ウコツナイ」としていたので、果たして o- をかぶせてしまって良いものか、ちょっと迷ってしまいます。というのも、この「ウコツナイ」は上流部で綺麗に二手に分かれているのですね。

ただ、o-u-kot-nay における o- を「川尻」と考えるのではなく「そこで」と考えると話が変わってくるかも知れません(これ、いつも迷うんですよね)。これだと o-u-kot-nay は「そこで・互いに・くっつく・沢」になります。

penkepanke が並んでいるのは、たまたま上流部で二手に分かれる沢が、似たような感じで並んでいた……ということなのでしょうか。(o-)u-kot-nay が現在の「ウロツナイ川」で、penke-(o-)u-kot-nay は現在の「寺沢川」なのかな、と。

ペラリ川

pe-ran-i???
水・降りる・もの(川)
(??? = 典拠なし、類型未確認)
昔、「ヒラリ君」という新聞の四コマ漫画がありましたよね。日本各地の地方紙で連載されていたので、ご存じの方も多いかと思います。

さて「ペラリ川」です(お約束)。静内川の東支流で、ペラリ山の西側が水源のようですね。地図で見たところでは「ペラリ川」にも支流があり、本流から見て川上に「パンケペラリ川」があり、更にその川上に「ペンケペラリ川」があります。panke は「川下の」という意味なのですが、これは一体どうしたことでしょう……?

この、謎の「パンケペラリ川」について、「北海道地名誌」に記載がありました。

 パンケペラリ川 ペラリ山に発してペラリ地区で静内川に入る左支流。アイヌ語で川下にある崖の高い川の意。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.568 より引用)
ふむ……。「ペラリ」を pira-ri と解したのですね。ここで思い出されるのが「ヒラリ君」でして(関係ないです) 「高い崖」として ri-pira というのは聞いたことがあるのですが、逆順ではないか、という説ですね。

一方で、永田地名解には次のようにありました。

Panke perara  パンケ ペララ  下ノ水戰フ處 「ペララ」「水惡シ」トモ譯ス
Penka perara  ペンケ ペララ  上ノ水戰フ處
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.253 より引用)
これまた謎な解が出てきました。「水が戦う」とは一体どういう意味なのでしょう。あっ、水鉄砲でしょうか?(たぶん違うと思う

戊午日誌「東部志毘茶利志」にも記載がありました。

過て
     バンケベラリ
東岸崖の下に小川有。其左右は樹木多し。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.583-584 より引用)
残念ながら「其名義──」の一文は無かったようです。

地形図を見てみると、ペラリ川は高低差 20 メートル強の段丘を削り取るような形で流れていて、この様子を評して「崖の下に小川」とした可能性が考えられそうです。となると pira-ri 説が妥当な感じもしますが、他に類型を見ないところに少々引っかかりを覚えます。

永田説の「水戦う」「水悪い」については少し検討が必要ですが、最初は pe-(「水」)で確定のようですね。「戦う」あるいは「悪い」のニュアンスに近そうな単語を探してみると……ruy とかですかね? pe-ruy だと「水・甚だしい」となるのですが、地形を見た感じでは、それほど水量が急に増えそうな印象はありません。

完全に「音合わせ」になってしまっていますが、もしかしたら pe-{ran-i} とかでしょうかね? これだと「水・{その坂}」となります。どういうことかと言いますと、台地状の地形にあって、パンケペラリ川はあたかもスロープ状になっているのですね。水が流れるその坂……あ、ダムの「魚道」のほうが喩えとして適切だったかもしれませんね(今頃気づいた)。

2021/5 追記
pe-ran-i ですが、「水・降りる・もの(川)」と考えたほうがより自然かな、と思えてきました。

農屋(のや)

noya-sar
よもぎ・湿原
(典拠あり、類型あり)
なんだか良くわからない内容が二本続いてしまったので、最後はすっきりと行きたいですよね。静内川の中流部、北岸(西側)の地名です。明治期の地形図には「野家」と書かれていますね。

今回は更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」から。

 農屋(のや)
 静内町染退川の上流の部落。元名はノヤ・サラ(よもぎのしげみ)で、昔この辺一帯がよもぎ原であったのに名付けたもの。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.83 より引用)
戊午日誌「東部志毘茶利志」にも同様の記述がありました。

五六丁もへだちて
     ノヤシヤリ
此処マクンヘツの上の内に成りたり。其名義は艾(よもぎ)が多き処の谷地様と云儀のよし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.585 より引用)
山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のような一文が添えられていました。

よもぎはアイヌ時代には魔を払う植物として大切にされたためか,処々にノヤのつく地名がある。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.354 より引用)
なるほど、地名になる素地はそういったところにあったのですね。ということで、これ以上の新説(珍説?)も出てきそうにないので、noya-sar で「よもぎ・湿原」だと考えて良いかと思います。

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