2025年12月7日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1318) 「アブカシャンペ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

アブカシャンペ川

apka-o-san-pe?
牡鹿・そこに・出てくる・ところ
(? = 旧地図に記載あるが位置に疑問あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
北海道電力・岩清水発電所の 1.5 km ほど下流側で新冠川に注ぐ南支流です。地理院地図では「アブカシャンペ川」ですが、国土数値情報では「ブカシャン川」となっています。

北海道実測切図』(1895 頃) には「アㇷ゚カサンペ」という川が描かれている……のですが、複数の支流を持つそこそこ大きな川として描かれています。現在の「アブカシャンペ川」は明確な支流は持ちませんが、いくつかの谷が枝分かれしているので解釈が難しいところです。ちょっと描かれ方が誇大ではあるものの、概ね今の「アブカシャンペ川」と同一の川を描いているのかもしれません。

右か、それとも左か

問題を更にややこしくしているのが、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には新冠川の北側に「アフサンヘ」が描かれているという点です。

戊午日誌 (1859-1863) 「毘保久誌」には次のように記されていました。

又しばしを過て
     アフコサンベ
左りの方小川。其名義は不解よし也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.178 より引用)
遅まきながら、表の出番ですかね……。

戊午日誌
「毘保久誌」
東西蝦夷山川地理取調図北海道実測切図国土数値情報
ヲサナイ
(左りの方相応の川)
ヲサナイサナイオサナイ川
ヲニセベツ
(左りの方小川)
セヘツ--
アフコサンベ
(左りの方小川)
アフサンヘ--
サツテキナイ
(右のかた小川)
-サッテキナイオニシベツ川
バユンナイ
(右の方高山の根
少しの滝川)
---
シユフトシユマナイ
(右の方高山の間)
シユフトシユマナイアㇷ゚カサンペマブカシャンベ川
--シットクㇱュマナイヤルカワ沢川
フツタフ
(左りの方相応の川)
フツタフプッタㇷ゚スタップ川

松浦武四郎が記録した「左右」が全て正しかったと仮定してみたところ、意外なことにそれほど大きく混乱することなく表にまとまりました(多少の混乱が見受けられますが、もっと酷いと思ってました)。大きな異同としては「アフコサンベ」と「サツテキナイ」の順番で、松浦武四郎は「アフコサンベ」を「サツテキナイ」の手前左側(=新冠川の北側)にある、としています。

松浦武四郎の記録が概ね正しく、かつ「ヲサナイ」(=オサナイ川)と「フツタフ」(=スタップ川)の位置が正しかったと仮定すると、「アフコサンベ」は現在の「オニシベツ川」の対岸の沢を指していた可能性がありそうです。

「牡鹿」か「われら歩く」か

肝心の地名解ですが、永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Apkosanpe=Apku-o-san pe アプコサンペ   牡鹿ノ下ル處 松浦地圖「アフユサレヘ」ニ誤ル
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.248 より引用)
「アブカシャンペ川」という川名については、ほぼ同名と言える「上アブカサンベ沢川」がお隣の新ひだか町(旧・静内町)にあり、既に現時点で想定される解について検討を行いました。この川名を悩ましくしているのが apka(雄のシカ)と apkas(歩く)という語の存在で、
  • apka-san-pe で「牡鹿・出てくる・ところ
  • {apkas-an}-pe で「{われら歩く}・もの(川)
という複数の解釈が成り立つ余地がありそうに思えるのです。

「上アブカサンベ沢川」の項でも記しましたが、知里さんは永田地名解の「牡鹿ノ下ル處」という解を追認していたようで、『アイヌ語入門』(1956) では音韻変化の実例として紹介していました。

   apka-o-san-pe(雄鹿〔が〕・そこへ・出てくる・所) →Apkosampe[あㇷ゚コサンペ](地名解 248)
(知里真志保『アイヌ語入門 復刻─とくに地名研究者のために』北海道出版企画センター p.160-161 より引用)
ということで、まずは apka-o-san-pe で「牡鹿・そこに・出てくる・ところ」と見て良さそうな感じですね。もっとも yuk という、事実上「エゾシカ」全般を意味する語があるにもかかわらず、敢えて「牡鹿」に限定したというのは謎ではあるのですが……。

「戸口」の可能性

そしてこれまた毎度のことですが、apa(戸口、入口)が転訛した可能性についても考慮したくなります。これはおそらく独自研究だと思うのですが、川の上流側を望んだ際に、山が邪魔をして上流側を覗えない地形を指して apa と呼んだ……というケースが少なからずあるように感じています。

「アブカシャンペ」も、強引に解釈すれば apa-kasu-us-pe で「戸口・上を越す・いつもする・もの(川)」となるかもしれませんし、あるいは apa-kasi-un-pe で「戸口・その上・にある・もの」と見ることも可能でしょうか。apa-kus-un-pe で「戸口・向こう・にある・もの」という解釈もできるかもしれません。

apa- ではないかという仮説の是非は、実際の地形と照らし合わせることで検討可能ですが、松浦武四郎が記録した「アフコサンベ」が現在の「アブカシャンペ川」と同一だったとすれば、確かに上流部を遮る形の山がいくつか存在するように見受けられます。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ただ、松浦武四郎は「アフコサンベ」を「新冠川の北」に位置するとしていて、その記述は実際の地形と(それなりに)整合性が取れているように思われます(上表参照)。松浦武四郎が記録した「アフコサンベ」の手前に、上流側の見通しを遮るような山があったかと言うと……

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「・191」の南にちょっとした出っ張りがあり、それが(新冠川の)上流側を遮っているようにも見えますね……。まぁこんな地形はいくらでも存在するので、とても apa 説の「証拠」とは言えませんが、「大きな矛盾はない」とは言えそうな気がします。

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