2025年12月13日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1320) 「コリバシシナイ川・パンケウクツライ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

コリバシシナイ川

yuk-pas-us-i?
鹿・走る・いつもする・ところ
(? = 旧地図に記載あるが位置に疑問あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
北海道電力・岩清水発電所の南で新冠川に合流する南支流です。地理院地図には川として描かれていません(川名は国土数値情報による)。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ユクハユンナイ」という名前の川が描かれていました。『北海道実測切図』(1895 頃) には「コ?パシナイ」という川が何故か北支流として描かれていました。。


永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Korepa ush nai   コレパ ウㇱュ ナイ   蕗頭ノ澤 松浦地圖「ハシナウシナイ」ニ作ル
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.246 より引用)
あれ? 確かに『東西蝦夷山川地理取調図』には「ハシナウシナイ」という川も描かれていますが、「トエイ」(=ツウイ沢)と「ピンニ」(=ピンネ沢)の間に存在するように描かれています。他の川との位置関係を考慮すると、現在の「コリバシシナイ川」は「ユクハユンナイ」だと思われるのですが……。

「コレパ ウㇱュ ナイ」は「フキノトウの沢」とのことですが、知里さんの『植物編』(1976) によると「フキ」を意味する語は
  • kor
  • kor-ham
  • koram
  • koriyam
  • korkoni
  • ruwe-kina
  • ruye-kina
  • makayo
  • makao
  • pinne-makao
  • matne-makao
  • pinne-kina
  • paxkay
  • makayo-nonno
  • makayo-epuy
  • etetarax
  • kina-sapa
などがあるとのこと。ざっくりまとめると kor-hammakayo ですが、kor-ham は「フキの葉」で makayo が「フキノトウ」です。

「コレパ ウㇱュ ナイ」は {kor-ham}-us-nay で「{フキの葉}・多くある・川」かと思ったのですが、田村すず子さんの辞書によると koripas(あるいは koripasi)で「フキのたくさん生えている所」という語があるとのこと。koripas-us-nay で「フキのたくさん生えている所・ついている・川」とすれば、現在の川名「コリバシシナイ川」とも非常に近くなります。

「ユクハ──」と「コレパ──」

ただ、一つ大きな疑念が残ります。「東西蝦夷──」の「ユクハユンナイ」と「コレパウㇱュナイ」、発音は全く異なりますが「ユクハ──」と「コレパ──」の字形が *やや似ている* ようにも見えるのですね。午手控 (1858) の頭註にも「F コリパシシナイ川。岩清水。『ユクパ』を読み誤ったらしい」とあります(松浦武四郎選集 六 p.78)。

戊午日誌 (1859-1863) 「毘保久誌」には次のように記されていました。

しばしにて
     ユクパシユシナイ
右の方小川。其名義不解なり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.180 より引用)
「其名義不解なり」とありますが、頭註には「ユク 鹿」「パシ 走る」「ウシ ところ」とあります。yuk-pas-us-i で「鹿・走る・いつもする・ところ」と解釈できそうですね。

果たして「コレパウㇱュナイ」という川は実在したのか? という疑問ですが、「コレパ──」と「ユクパ──」の字形の類似性が誤記・誤読の可能性を想起させる一方で、永田方正が「松浦地図『ハシナウシナイ』に作る」としたのはその想定と矛盾します。ただ永田方正が「松浦武四郎の地図」をチェックしていたことは間違いないとも言えるので、やはり「ユクパ」を「コレパ」と見誤った可能性を考えたくなります。

時系列的に逆はあり得ないので、「ユクパシユシナイ」と口伝されていた川名を永田方正が「コレパウㇱュナイ」に改変しちゃった……と見るべきでしょうか。

パンケウクツライ川

panke-ukouturu-nay??
川下側・あの間・川
(?? = 旧地図に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
北海道電力・岩清水発電所(毎度毎度ですが、ランドマークとして便利なので……)の東で新冠川に注ぐ南支流です。(新冠川の)上流側には「ペンケウクツライ川」も存在します(国土数値情報では「ペンケクツライ川」)。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) では「ハンケヲクラハ」と「ヘンケヲクラハ」という川が描かれていて、これらが現在の「パンケウクツライ川」「ペンケ──」に相当すると思われます。

「オウコッナイ」はどこにあったか

ところが 『北海道実測切図』(1895 頃) にはそれらしい川が見当たりません。これはどうしたものか……と思ったのですが、よく見ると北西隣の比宇川筋に「パンケオウコッナイ」「ペンケオウコッナイ」という川が描かれています。


以前は「比宇川にも似たような名前の川があった」と勘違いしていたのですが、これは『北海道実測切図』の大胆な描写ミスだった可能性がありそうに思えてきました。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Panke oukot nai   パンケ オウコッ ナイ   下ノ合川 松浦地圖「ハンケヲクラハ」ニ誤ル
Penke oukot nai   ペンケ オウコッ ナイ   上ノ合川 松浦地圖「ヘンケヲクラハ」ニ誤ル
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.246 より引用)
やはり……と思わせる内容ですね。ただ永田地名解は「ピポク川筋」(=新冠川筋)の地名として記しているので、この川を「比宇川筋」にプロットしたのは「実測切図」のミスと見て良さそうな感じです。

戊午日誌 (1859-1863) 「毘保久誌」には次のように記されていました。

またしばしを過て
     ハンケヲクマナイ
     ヘンケヲクマナイ
等も右の方、相応の川すじ也。其名義も不解よし答えぬ。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.180 より引用)
松浦武四郎の記録もちょっと面白いことになっていて、『戊午日誌』では「ハンケヲクマナイ」で、「東西蝦夷──」では「ハンケヲクラハ」でしたが、ネタ元と思しき『午手控』(1858) は、秋葉實さんによると次のようになっていたとのこと。

フツタフ 左大川。此川沢多けれども不(名)伝也。源ヒウ、ヲヽコツナイの源と合す
ユクバシュシナイ 右小川
ハンケヲクツライ 右小川
ヘンケヲクツライ 右小川
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編『松浦武四郎選集 六』北海道出版企画センター p.79-80 より引用)
えっ……! 「フツタフ」(=スタップ川)を遡ると「ヲヽコツナイの源と合す」とありますが、これは「比宇川筋」に「ヲヽコツナイ」が存在したということ……? つまり
  • 永田方正が新冠川筋に「パンケ オウコッ ナイ」という地名を記録した
  • たまたま隣の比宇川筋に「ヲヽコツナイ」が存在したために、北海道実測切図では比宇川筋に「パンケオウコッナイ」(と「ペンケオウコッナイ」)を描いた
というコンボが決まった可能性が……!

「ウクツライ」とは何か

ということで、例によってではあるのですが、松浦武四郎が記録した「──ヲクマナイ」や「──ヲクラハ」、あるいは「──ヲクツライ」を永田方正が「違う、そうじゃない」として「──オウコッナイ」に *改変* したものの、最終的には「──ウクツライ」に落ち着いた(元の鞘に収まった)可能性が高そうに思えます。

となると「パンケウクツライ」の本来の意味を永田地名解に求めるのはお門違い……ということになりますね。これまでも何度か引用してきた『新冠町郷土資料館調査報告書 3』(1991) によると「狩野義美氏によれば、パンケウクツナイ、ペンケウクツナイと呼んでいたと言う」とのこと。

田村すず子さんの辞書には ukoutur(あるいは ukowtur)という項目があり、これは u-ko-utur で「互い・に対して・……の間」と分解できるとのこと。所属形では ukouturu で「そのあいだ」(「あの間」でもいいかも)となりそうですが、「ウクツライ」は ukouturu-nay で「あの間・川」だったのかもしれません。「パンケウクツライ川」であれば panke-ukouturu-nay で「川下側・あの間・川」かな、と。

戊午日誌の「ハンケヲクマナイ」という解からは、o-ku-oma-nay で「河口・仕掛け弓・ある・川」という可能性も想起させるのですが、「河口に仕掛け弓を置く」というのも妙な感じがしますし、類例も思い出せません。

もっとも ukouturu-nay も類例の記憶は無いのですが、『地名アイヌ語小辞典』(1956) には uko-chisne-i という項目があり、これは「互いに・中凹みになっている・ところ」で「山の鞍部」を意味するとのこと。

「パンケウクツライ川」と「ペンケウクツライ川」は、どちらもそれなりに深く掘れた直線的な谷なので、そのことを形容して「互いに対しての間にある川」と呼んだ……と言ったところかもしれません。説明が饒舌になるのは自信の無さの現れでもあるのですが……(汗)。

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