2026年3月13日金曜日

‹  前の投稿

北海道のアイヌ語地名 (1358) 「セタナイ川・土用井・モイワ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

セタナイ川

sep-tunnay??
広い・谷川
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
平取町貫気別の南東で貫気別川に南から合流する支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「パンケセタナイ」と描かれています。


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヒタナイ」という川が描かれていますが、これが現在の「セタナイ川」のことであるかどうかは不明です。


戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

 また少し上り
      セタナイ
 右の方小川有、上は平山。本名セタヲワイナイのよし。昔し土人の犬此処に来り穴を掘、其処にて子を持ちしによつて号しとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.25-26 より引用)※ 原文ママ
「犬がここに穴を掘って子を産んだから」と言うのですが……。seta は確かに「犬」を意味する語なので、seta-nay であれば「犬・川」ということになりますね。「ヲワイ」については手元の辞書を少し調べてみましたが、良くわかりませんでした。『アイヌ語沙流方言辞典』(1996) によると ay-ay で「人形」や「赤ちゃん」を意味する(幼児語?)とありましたが……。

さて、このまま seta-nay で「犬・川」と考えていいものか……という話です。このあたりの松浦武四郎の記録は、実に興味深いものが多いという印象があります。最近だと「アシバキ川」を「ここで聾者が死んだので」としていたのですが、率直に言って「それってどうなのよ」とツッコミを入れたくなるものです。

ということで「犬・川」についても疑いの目で見たくなるのですが、「セタナイ」が seta-nay では無いとすれば、どういった解が考えられるでしょうか。

少し考えてみたのですが、sep-tunnay で「広い・谷川」だった可能性は無いでしょうか。sep は「節婦」と同様に、入口が狭く奥が広い川ではないかと考えてみたいところですが、「セタナイ川」についても割とそれっぽいのではないかと……。

東隣には「ペンケセタナイ川」があり、このネーミングからは同様の特徴を有していたと見るべきでしょう。この川も「入口が狭く奥が(ちょっと)広い」川だと……言えなくは無いんじゃないかな、とも。

土用井(どよい)

toy-o-i
畑・ある・もの(川)
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
道道 71 号「平取静内線」の「蛇見橋」の北西に「土用井」という名前の三等三角点が存在します(標高 229.1 m)。「点の記」によると、このあたりはかつての「字ドヨイ」で、貫気別川の北支流として「ドヨイ沢」が存在していたとのこと。

「北海道実装切図」にはそれらしい川が描かれておらず、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にもそれらしき川名は見当たりません。ただ戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

 また少し上り
      トヨイ
 左りの方小沢。此処畑跡有。昔し畑有りしによつて号る也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.26 より引用)※ 原文ママ
toy は「土」を意味し、地名では「食土」を意味することが多いでしょうか。もちろん実際に土をそのまま食べるのではなく、鍋物のアク抜きのために入れる珪藻土をそう呼んでいたとのこと。

ただ toy には「畑」という意味もあるようで、今回の「トヨイ」は toy-o-i で「畑・ある・もの(川)」だったみたいです。

おそらく日頃は干上がっていたでしょうから、川として地図に描かれることもなく、「トヨイ」という地名も半ば忘れ去られていたと考えられますが、三角点の名前としてひっそりと生き延びていた……ということなのでしょうね。

モイワ川

mo-iwa
小さな・岩山
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「ペンケセタナイ川」の東で貫気別川に南から合流する支流です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい川名が見当たりませんが、『北海道実測切図』(1895 頃) には「モユワ」という名前の川が描かれていました。


戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

 また少し上りて
      モイワ
 右の方に小山有、其を号。モとは小さし、イワとは山のことなり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.26 より引用)
mo-iwa で「小さな・岩山」とのこと。札幌の「藻岩山」と同じ……ですが、札幌の「藻岩山」自体は本来の「モイワ」とは位置を取り違えられているのでその点には注意が必要です。

iwa について、『地名アイヌ語小辞典』(1956) には次のように記されていました。

iwa イわ 岩山;山。──この語は今はただ山の意に用いるが,もとは祖先の祭場のある神聖な山をさしたらしい。
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.38 より引用)
こういった背景?を考慮して iwa を「霊山」と訳すケースもあるようです。「普通の山」とはちょっと異なったところのある山を指していたとも考えられるのですが、「モイワ川」の東に標高 214 m ほどの山があり、その山は比較的整った形をしているようにも見えます。もしかするとこれが「モイワ」だった可能性があるかもしれませんね。

前の記事

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事