2026年3月29日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1363) 「モソシベツ川・総主別川・宿主別川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

モソシベツ川

mo-so-us-pet
小さな・滝・ついている・川
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
平取ダムの手前(西側)で南から額平川に合流する支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「モソウㇱュペ」と描かれています。


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「モシヨシヘツ」と描かれていました。


永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Moso ush pe   モソ ウㇱュ ペ   ウジ多キ處 鹿死シテ蚋多シ故ニ名ク
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.236 より引用)
これは……。ちょっと俄には信じたくないような解ですね。『アイヌ語沙流方言辞典』(1996) によると mosospe で「ウジ虫」を意味するようですが、永田方正はこれを moso に略してしまった、ということでしょうか。

一方、戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

しばし過て
     モウシヨシベツ
右の方小川。高山より滝に成て落るが故に此名有と。モウとは小さし、シヨシとはシヤウウシの詰りにして、滝有る川と云儀也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.32 より引用)
こちらはめちゃくちゃ安心感のある解ですね。mo-so-us-pet で「小さな・滝・ついている・川」と見て良いかと思われます。

となると、永田方正は何を思って「ウジが湧いているところ」という解を記録したのかが気になってきます。インフォーマントにそう吹き込まれた、ということなのでしょうか……?

総主別川(そうしゅべつ──)

so-us-pet
滝・ついている・川
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
額平川の南支流で、平取ダムの手前(西側)、モソシベツ川の東隣を流れています。『北海道実測切図』(1895 頃) には「ソウㇱュペ」と描かれていますが、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には何故かそれらしい川が見当たりません。


「総主別川」は明らかに「モソシベツ川」よりも大きな川ですが、不思議なことに、永田地名解 (1891) にもそれらしい記録が見当たらないように思えます。

戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

モウとは小さし、シヨシとはシヤウウシの詰りにして、滝有る川と云儀也。また此処
     シヨウシベツ
     ヘテウコヒ
になりたりと。二股。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.32 より引用)
これは so-us-pet で「滝・ついている・川」と見て良さそうですね。

so-us-pet のすぐ隣に似た特徴を有する mo-so-us-pet が存在するというのは良くある話だと思われるのですが、永田方正はなんで「ウジ」を持ち出したのか、本当に謎なんですよね……。

宿主別川(しゅくしゅべつ──)

sir-kus-pet?
山・横切る・川
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
平取ダムの堰堤は宿主別川が額平川に合流する地点に建設されています。そのためダム湖も額平川と宿主別川の二手に分かれていて、道道 845 号「芽生貫気別線」は「宿主別橋」でダム湖を一気に横断しています。

北海道実測切図』(1895 頃) には「シクシュペッ」と描かれています。


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) では「シユクシベツ」が額平川本流と同レベルの川として描かれています(厳密には「シユクシベツ」という名前の川は描かれていませんが、最上流部に「シノマンシユクシベツ」と描かれています)。


現実には「額平川」が「幌尻岳」の北西から流れているのに対し、「宿主別川」は「新冠湖」の西から流れていて、流長ではかなり差があります。ただ額平川の支流としては、宿主別川は貫気別川と同レベルの大河川です。

「天気のいい川」?

戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

また此処
     シヨウシベツ
     ヘテウコヒ
になりたりと。二股。また東の方え入る方少し小さし、依て是をまた先例になぞらふて一字下げにしるす。
      シヨクシベツ
 と云。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.32 より引用)
既に記した通りですが、松浦武四郎は「シヨクシベツ」(=宿主別川)を額平川と同レベルの川として認識する一方で、額平川が本流で「シヨクシベツ」は「支流」と考えていました。そのため「シヨクシベツ」とその支流については「一字下げ」で記すことにした……ということですね。

地名解については次のように続けているのですが……

 義は水明くして天気の好き如く何を落してもよく見ゆと云也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.32 より引用)
これはちょっと謎ですね……。ということで山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) を見てみたところ、次のような「解説」がありました。

松浦氏左留日誌は「シユクシベツ。名義は水明くして天気のよき如く何を落てもよく見ゆると云義也。シユクシは天気のよき儀」と書いた(川名シヨクシとあるがシユクシの誤記)。現代流に書けばシュクシ・ペッ(shukush-pet 天気・川)。萱野茂さんは日当たりのよい川だといわれた。シュクシは日光,天気の意。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.365 より引用)
アイヌ語沙流方言辞典』(1996) にも、確かに sukus は「日ざし」を意味するとあります。sukus-pet で「日ざし・川」だと言うのですが、宿主別川は比較的まっすぐ東から西に向かって流れているので、西日が差し込みやすいと言えばそうなのかもしれません。ただ類例に記憶がないので、他の可能性も考えたくなります。

「エゾネギの多い沢」?

別解もあったようで……

 永田地名解が「シキ・ウシ・ナイ shiki-us-nai。鬼茅・ある・沢」と書いたのはこれだったろうか。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.365 より引用)
あー。永田地名解の p.235 に「シキ ウㇱュ ナイ」とあるのですが、註に「松浦地圖『シイキルシナイ』ニ誤ル」とあります。ただ『東西蝦夷山川地理取調図』を確認したところ、「シイキルシナイ」は貫気別川の支流のようにも見えます。

北海道地名誌は「シュクッ・ウシ・ペッ 蝦夷葱・の多い・沢の意味」と書いた。shukutut-ush-pet の意に解されたのであろうか。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.365-366 より引用)
確かに『北海道地名誌』(1975) には次のように記されています。

 宿主別川 (しゅくしゅべつがわ) 額平川上流左支流でアイヌ語「シュクッ・ウシ・ペッ」蝦夷葱の多い沢の意味
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.557 より引用)
確かに「エゾネギ」を意味する sukutut という語があります。知里さんの『植物編』(1976) によると沙流鵡川・千歳では sikutur だとありますが、まぁ誤差の範囲ですし、地名では古い言い回しがそのまま残ることも十分考えられます。

「山を横切る川」?

ただ、個人的には全く違う解を考えたくなります(ぉぃ)。これだけ大きな支流を「エゾネギの多い川」と呼んだというのも、ちょっと疑問を感じるもので……。

根拠のない思いつきで恐縮ですが、si-kus-pet で「主たる・通行する・川」か、あるいは sir-kus-pet で「山・横切る・川」あたりの可能性は考えられないでしょうか。

平取ダムから新冠湖上流部に抜ける交通需要がどの程度あったかは謎ですが、面白いことに「宿主別川」の上流部には「ルトランシュンベツ川」が現存します。「ルトラン──」の ru は「路」である可能性が高そうなので、使用頻度はさておき「宿主別川」沿いに交通路があったことを窺わせます。

と言いつつも、宿主別川の流路は南の「貫気別山」と北の「於曽牛おそうし山」の間を豪快に横切っているので、sir-kus-pet で「山を横切る川」だったんじゃないかなぁと考えたいのですが……。

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