2026年4月3日金曜日

‹  前の投稿

北海道のアイヌ語地名 (1364) 「江無須志山・シカルスナイ沢・パンケルナイ沢」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

江無須志山(えむすしやま)

emus-us-i?
刀・ついている・もの(山)
(? = 旧地図等に記載あり、既存説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
平取ダムと額平川の東、宿主別川の北に聳える山で、同名の三等三角点も存在します(標高 463.2 m)。

『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) や『北海道実測切図』(1895 頃) 、更には『陸軍図』にはそれらしい山名が確認できませんが、戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

 またしばし過て
      ヱムシユシ
 左の方山也。其名義はむかし爺が熊に捕れし処、ヌツケヘツ、ニヨイの土人等其敵打に山え上りて、此処にて其熊を取、太刀にて切こまざきて置し也。依て其太刀を今其処え納め木幣を建て神に祭り置より号しもの也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.33 より引用)
ちゃんと地名解が記されているのは助かりますが、なんか地名説話っぽいですよね……。ただ、実際にこのような逸話があったかどうかはさておき、「ヱムシユシ」は emus-us-i で「刀・ついている・もの(山)」と考えたくなります。

地名に emus という語が使われるのは極めて異例に思えますが、地形図を見ると……

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
山から南に向かって「刀」が伸びているように見えるんですよね。おそらく、こんな外見上の特徴から「敵討ちでクマを討伐」みたいな「物語」が生まれたんじゃないかなぁ……と想像しています。

シカルスナイ沢

e-sikari-us-nay?
頭(水源)・まわる・いつもする・川
(? = 旧地図等に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
江無須志山の南東で宿主別川に合流する南支流です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「インカルシナイ」と描かれているように見えます。『北海道実測切図』(1895 頃) にはそれらしい川名が見当たりません。


戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

 またしばし過て
      イシカルンナイ
 右の方小川。其名義は奥の方つき当り閉りて有る処を云よし。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.33 より引用)
これは……ちょっと迷いが生じますね。『東西蝦夷──』の「インカルシナイ」だと「遠軽」や「五十嵐」でおなじみ?の inkar-us-i で「見張る・いつもする・ところ」になるのですが、「イシカルンナイ」であれば e-sikari-i-un-nay で「頭(水源)・まわる・ところ・ある・川」あたりでしょうか……?

奇妙なことに、現在名の「シカルスナイ沢」であれば sikari-us-nay で「まわる・いつもする・川」となり、より違和感の少ない形で解釈できてしまいます。頭に e- がついていたとすれば「頭(水源)・まわる・いつもする・川」となりそうですね。

パンケルナイ沢

panke-ru-nay??
川下側の・とける・川
(?? = 旧地図等に記載あり、既存説に疑問あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
シカルスナイ沢の東で宿主別川に合流する南支流です。「パンケルナイ沢」の東(宿主別川の上流側)には「ペンケルナイ沢」も存在します。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ハンケルナイ」と「ヘンケルナイ」という川が描かれています。


北海道実測切図』(1895 頃) には「パンケナイ」と「ペンケナイ」という川が描かれていますが、両河川の間に無名の支流が描かれています。現在の「パンケルナイ沢」と「ペンケルナイ沢」の間には支流らしい支流が存在しないので、『北海道実測切図』の「ペンケナイ」は誤った位置に描かれている可能性もありそうです。


北海道地名誌』(1975) には次のように記されていました。

 パンケ(ペンケ)ルナイ沢 豊糠地区左支流沢。川下の(川上の)路の川の意。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.558 より引用)
確かに素直に解釈すれば panke-ru-nay で「川下側の・路・川」となるのですが、パンケルナイ沢(やペンケルナイ沢)を遡ったところで貫気別山にぶつかるだけなので、路(交通路)としての実用価値があったとは思えないところもあります。

戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

 また少し上りて
      ハンケルナイ
      ヘンケルナイ
 二河とも右の方也。小川也。其名義は此二河とも春雪が早く融るよりして号しとかや。此沢下に谷地有、少し水気有る也。よつて号ると(早くとける)かや。ルとは消ると云事也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.33-34 より引用)※ 原文ママ
panke-ru-nay で「川下側の・とける・川」だとのこと。「とける川」という地名も割と珍しいような……?

現時点では「川下側のとける川」と考えるしか無いのですが、正直なところでは違和感ありまくり……です。敢えて憶測を記してしまえば、panke-tunnay で「川下側の・谷川」だったのが転訛したのではないか……と考えたくなります。

前の記事

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事