2026年3月7日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1356) 「荷負・キタルシナイ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

荷負(におい)

ni-o-i?
漂木・多くある・ところ
(? = 旧地図等に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
国道 237 号と道道 71 号「平取静内線」が分岐するあたりの地名です。ただ 『北海道実測切図』(1895 頃) では額平川を少し遡ったあたりに漢字で「荷負」と描かれています。これは当時「荷負村」が存在していたことを示すものです。


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) でも、現在「荷負」とされるあたりは「ヘテウコヒ」(=二股)と描かれていて、「ニヨイ」は現在の「荷負」と「貫気別」の間あたりに描かれていました。


陸軍図でも「ニオイ」は貫気別の近く、「荷負川」の河口付近に描かれています。


「荷負」こと「ニオイ」は、本来は「荷負川」あたりの地名で、一帯の村名に昇格した後に、西側のホビボエ(=ポピポイ)やペナコレ(=ペナコリ)あたりを指すようになってしまった……ということのように思われます。広義の「移転地名」とも言えそうですね。

彫刻する?

戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

またしばし過て
     ニヨイ
右の方相応の川也。ニヨイとは此辺の惣名にして村名に成居たり。則下のヘナコリ、シケレへと当所川の南北に有ども、惣名はニヨイ村と云也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.17 より引用)
「荷負」がこのあたり一帯を指す地名になったのは明治以降かと思ったのですが、これを見る限り、松浦武四郎が紀行した当時から一帯を指す地名だったようですね。

名義は、此上の山に何か雑木が多く有るが、遠目に見ては彫刻にてもなせし物の様に見ゆるが故に号しと。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.17 より引用)
ここまで見た限りでは、ni-o-i で「樹木・多くある・ところ」のように思えますが……

惣て夷人は*繍のみならず、*刻等の類ひ皆ヌヒと云、また文字等を書ことまでもヌヒと称する也。其れの如しと云より起りしと。今訛りてヌイをニヨイとと転じたる也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.17-18 より引用)
頭註によると「* 縫繍」は「裁縫・刺繍」とあり、「* 劂刻」は「けつこく・彫刻」とあります。どうやら松浦武四郎は「ニヨイ」を nuye(彫刻する;書く)の転訛と捉えたようですね。

漂木がある?

ただ永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Nioi,=Ni-oーi, ニオイ   樹木多キ處 ○荷負村
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.234 より引用)
この解に対して、山田秀三さんは『北海道の地名』(1994) にて次のように指摘していました。

永田地名解は「ニ・オ・イ。樹木多き処」と書いたが,知里博士は,立木の多いのはニ・ウㇱ(樹木・群生する)で,ニ・オは「地面から離れた木,木片がごちゃごちゃある」と解すべきだとされていた。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.365 より引用)
個人的には「ぐう正論」と思わせる指摘です。松浦武四郎が「ニヨイ」を nuye と解したのは少々気になりますが、「ニヨイ」は ni-o-i で「漂木・多くある・ところ」と見ていいのではないでしょうか……?

キタルシナイ川

kuttar-us-nay?
イタドリ・多くある・川
(? = 旧地図等に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
平取貫気別の西で額平川に合流する北支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) にも「キタルシナイ」と描かれています。


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「クタルンナイ」と言う名前で描かれているのですが……


来た……?

戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」を見ると、ちょっと妙なことになっていました。

また少し上に
     キタルシナイ
同じく左り岸也。其名義或る処の土人数日山中に迷ひ居て、此処え漸々の事にて出来りしによつて号しとかや。また少し上り、此辺右は平岡茅野也。
     クタルシナイ
左りの方小川。是クツタルウシナイの訛りの由也。虎杖多きよりして号しとかや。小川。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.20 より引用)※ 原文ママ
あれ……? 「キタルシナイ」という川があり、そのすぐ隣に「クタルシナイ」があると言うのですが……?

『午手控』(1858) には「ウムンチヤシ」(=ウンチャシ沢)「ニヨイ」(=荷負)に続いて「キタルシナイ」が記されていました。

キタルシナイ
 昔し山に迷居て此処え着せし由と云。キタは人言(和語)のよし
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編『松浦武四郎選集 六』北海道出版企画センター p.443 より引用)
こちらは「キタルシナイ」のみで「クタルシナイ」に相当する川の情報はありません。ただこの後に「セトシベ」「ヒヨタサンケナイ」「イトウシナイ」と続いているのですが、これらの川の所在が良くわかりません。「東西蝦夷──」には「ニヨイ」と「タルンナイ」の間に「セトシヘ」とあるのですが……。

それはそうと、「キタは人言のよし」とあるのも気になります。つまり「キタ」は「来た」だと言うのでしょうか……?

「キタルシ」は「クタルシ」?

色々と釈然としないのですが、永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Kuttar'un nai   クッタ ルン ナイ   虎杖澤イタドリノサハ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.234 より引用)
まぁ、普通はそうなりますよね。永田方正は地名を自身が理解できたアイヌ語に「校訂」する悪癖があったので、これもその一つではないかと危惧されるのですが、ちょっと他に解釈のしようが無く……。

ikitara-us-nay で「チシマザサ・多くある・川」という可能性も考えてはみたのですが、平取のあたりで iktara あるいは ikitara という語が使われていたかどうかは確証が持てません(少なくとも『アイヌ語沙流方言辞典』(1996) では確認できません)。

ということで、これまた喉の奥に小骨が刺さった感もあるのですが、「キタルシナイ」は kuttar-us-nay で「イタドリ・多くある・川」と見るしか無いかなぁ……という感じです。

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