2026年3月6日金曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1355) 「パンケオタスイ川・アシバキ川・ウンチャシ沢」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

パンケオタスイ川

ota-suy?
砂・穴
(? = 旧地図等に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
額平川の南支流で、シラカベ川の東隣を流れています。パンケオタスイ川の東(川上側)には「ペンケウタスイ川」も流れていて、その間に「歌吹」という四等三角点(標高 168.8 m)もあるのですが……なんと「点の記」によると「うたふき」と読むとのこと。

「吹」は「吹田」や「吹奏楽」では「すい」と読むので、きっと元々は「うたすい」と読ませていたのだと思われますが……。

北海道実測切図』(1895 頃) には「パンケオタシュー」と「ペンケオタシュー」という川が描かれていました。


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヲタシユ」と「ヘンケヲタシユ」と描かれています。


永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Ota shū   オタ シュー   土鍋 土鍋ヲ作リシ處ナリト云
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.233 より引用)
鍋料理の美味しい季節になって久しいですが(実は年中いつでも美味しい)、永田方正さんは「紫雲古津」も「鍋谷」とするなど、無類の鍋好きだった可能性が取り沙汰されています[誰によって?][要出典]

その証拠……というわけではありませんが、戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌​」には次のように記されていました。

またしばし過て
     ハンケヲタシユイ
右の方小川也。此川鱒・鯇入るよし也。其名義は砂計有る川と云儀のよし也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.15 より引用)
「砂ばかりある川」とのことですが、確かに ota は「土」と言うよりは「砂」と解釈するほうが自然でしょうか。

日高山脈を越えた先にある新得町にも、ほぼ同名の「パンケオタソイ川」「ペンケオタソイ川」があり、山田秀三さんによると……

読みにくい地名なので日高の萱野茂氏に相談したら,オタスイなら沙流川筋の額平川にもある。ぼろぼろな砂岩にシュイ(スイ。穴)があってその名がついたと語られた。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.320 より引用)
ota-suy で「砂・穴」だったのではとのこと。他ならぬ(二風谷の)萱野さんの解なので、現時点ではこの解が最有力候補と言ったところでしょうか。正直に言えば、ちょっと喉に小骨が引っかかったような感覚も無いわけでは無いのですが……。

なお、かつて樺太は敷香の郊外に「オタスの杜」と呼ばれる少数民族の居住区(穏当すぎる表現かも)が存在していて、そこは ota-sut で「砂浜・根もと」だった可能性があります。ota-sut という地名の具体的なイメージは持ち合わせていないのですが、ちょっと気にしておきたいところです。

アシバキ川

as-pake??
立っている・岬の突端の崖
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
額平川の来た支流で、ポンスケレベ川の東を流れています。ペンケウタスイ川から見ると対岸にあたるところです。道道 71 号「平取静内線」はこの川を「足巻あしまき橋」で渡っていて、川の北西には「芦葉毛あしばけ」という四等三角点(標高 156.8 m)が存在します。

不思議なことに、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) や『北海道実測切図』(1895 頃) にはそれらしい川名が見当たりません。ただ戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

またしばし過て上は河流屈曲して岸欠(崩)多し。
     アシバケ
左りの方小川。其名義昔し聾が何処よりか此処え来りて死せしとかや。アシハケは聾のことなり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.17 より引用)
これは……。『アイヌ語沙流方言辞典』(1996) によると aspa は「耳が聞こえない」を意味するとあるので、おそらくそこからの連想なのでしょう。

ただ、「ここで聾者が死んだので」というのは……流石に違う解の可能性を考えたくなります。「アシバキ」あるいは「アシバケ」という音からは、as-pake で「立っている・岬の突端の崖」と読めそうな気がします。アシバキ川は比較的深い谷を形成しているので、そのことを形容したのだと思いますが……。

ウンチャシ沢

unun-chasi??
間にある・砦
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ペンケウタスイ川荷負川の間、「荷負沢」四等三角点の西を流れる川です。地理院地図には川名は記されているものの、川の流れは描かれていません。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ウムンチヤシ」と描かれています。


北海道実測切図』(1895 頃) には「ウヌンチヤシ」と描かれていますが、これは地名のようにも見えますね。


戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

またしばし過て
     ウムンチヤシ
右のかた小川。名義は菅を年々此処にて苅よりして号しといへり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.17 より引用)
う……そう来ましたか。cha-us-i で「刈る・いつもする・ところ」ですが、『アイヌ語沙流方言辞典』(1996) によると umcakina と呼ばれる草を刈ってゴザを編んでいた……とあります。

umcakina は、知里さんの『植物編』(1976) によると un-cha-kina で「我らを・切る・草」ではないかとのこと(p.219)。『アイヌ語沙流方言辞典』(p.768)には「らを・切る・草」とありますが、これは誤字……でしょうか?

un-cha-us-i であれば「我らを・切る・いつもする・ところ」と解釈できるでしょうか。ただそれだったら kina-cha-us-i で「草・刈る・いつもする・ところ」となるのが一般的なので、ちょっとどうかなーと正直思ってしまいます。

『北海道実測切図』には「ウヌンチヤシ」とあります。ununkoy という地名があり、これは「両方から山が迫る土地」と言ったニュアンスで、平たく言えば「峡谷」あたりでしょうか。

似た語に tununkot というものもあり、これも「谷間」や「狭間」を意味しますが、知里さんによると utur-un-kot(間にある谷)が転じたものではないか……とのこと。つまり、utur-un が転訛を重ねて unun になった可能性もありそうな感じがしてきました。

chasi は「砦」を意味するので、ちょっと(かなり?)強引な感じもしますが unun-chasi で「間にある・砦」だったんじゃないかな……と思うのですが……。

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