2026年2月20日金曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

北海道のアイヌ語地名 (1349) 「オサツ川・二風谷」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

オサツ川

o-sat
河口・乾いている
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
二風谷小学校の北で「にぶたに湖」に注ぐ東支流です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヲサツ」という川が描かれていて……


北海道実測切図』(1895 頃) には「オサチ」という川が描かれています。


戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

またしばし過て
     ヲ サ ツ
東岸なり。小川。其名義は川口が干上たと云儀のよし也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.686 より引用)
どうやら o-sat で「河口・乾いている」と見て間違いなさそうな感じですね(おそらく -nay あたりが省略されたのでしょう)。現在は二風谷ダムができてしまったため「河口が乾く」ことは難しくなってしまいましたが……。

二風谷(にぶたに)

nup-ta-i?
野原・切る・もの(川)
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
言わずと知れた有名なコタンの所在地で、「萱野茂二風谷アイヌ資料館」や「平取町立二風谷アイヌ文化博物館」、「平取町アイヌ工芸伝承館ウレㇱパ」や「沙流川歴史館」などの文化施設が建ち並ぶほか、現在は「北海道大学文学部二風谷研究室」となっている「旧マンロー邸」もあります。

二つの「ニプタイ」

北海道実測切図』(1895 頃) には漢字で「二風谷」とあり、これはかつて「二風谷村」が存在していたことを示しています。「谷」の字の下にはカタカナで「ニプタイ」と描かれています。


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ニフタ」と描かれているのですが、これは「ヲサツ」(=オサツ川)よりも海側の川名(地名?)として描かれています。


実は「二風谷川」は「萱野茂二風谷アイヌ資料館」や「沙流川歴史館」のあるあたりから 3 km ほど南、二風谷ダムよりも 2 km ほど南を流れています。

松浦武四郎は戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」に「ニブタニ」を「東岸相応の川」として記録していますが、これは現在の「二風谷川」のあたりを指していたと思われます。別の言い方をすれば、松浦武四郎が「ニブタニ」と記録したのは現在の「二風谷コタン」のあたりではない、ということになります。

「柄・切る・ところ」?

更科源蔵さんの『アイヌ語地名解』(1982) には次のように記されていました。

アイヌ語のニプ・タ・イで柄にする木を伐るところといわれている。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.78 より引用)
ふむふむ。確かに nip は「柄」を意味するので nip-ta-i で「柄・切る・ところ」と読めそうですね。

もともとは小川の名であるが、この小川のふちに特別よい木があったのかもしれないが、多少の疑問もなくはない。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.78 より引用)
余韻を残す形で締めてしまうあたり、流石ですね……(汗)。

戊午日誌「左留日誌」には次のように記されていました。

また少し上り
     ニブタニ
東岸相応の川有。其名義木刀(木太刀)に金物を附て奉りし等古跡有て号く。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.683 より引用)
「???」ですが、山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) によると……

つまりニㇷ゚・タ・イ(nip-ta-i 柄を・作った・処) とでも読まれたのであろうか。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.364 より引用)
あ……そういうことでしたか。つまり松浦武四郎も更科さんも同じことを言っていた、ということになりますね。

nip-ta-i で間違いない?

「二風谷」の意味については、既にいくつかの説が出ていた……と記憶していました。山田秀三さんの『東北・アイヌ語地名の研究』にも「二風谷の原義は古来いくつかの説があるがはっきりしない」とあるのですが、手元の資料を読み直してみると何故か nip-ta-i に収斂しているように見えます。

辞書から単語を拾って意味を「考える」ならば、例えば nipu で「森中の川端に立てて冷凍鮭を貯えておく倉」というものがあります。また tay は「林」なので、nipu-tay で「森の中の倉・林」という解釈ができる……かどうかは微妙ですが、これらの語彙を組み入れた解も「考えられそう」な気がしますし、既に見かけたような気もするのですが……(どこ行った?)。

「二風谷」については nip-ta-i で「柄・作る・ところ」というコンセンサスが存在するので、素直に「その通り!」とか「結構!」とか言っておけば良いのですが、どうしても「違う、そうじゃない」という疑念が残るのですね。

「アイヌ語地名解」とは何か

そもそも論なのですが、この疑念は突き詰めれば「アイヌ語地名解とは何か」という問題にも辿り着くものです。最近だと「荷菜」という地名がありましたが、そこには「平目さん」が住んでいるので nina は「ヒラメ」だ……という「地名解」があります。

果たしてこの解釈が「正しい」のか、それとも「誤っている」のか……と問われたならば、「平目さん」が住んでいるという時点でそれは「誤っている」とは言えない、というのが正直な感覚です。

ただ「大津波があってヒラメがここまで流されたから nina と呼ぶようになった」という「地名解」の是非を問われたならば話は別です。元々は ninar という「面白くともなんともない」地名があり、その地名の「由来」と称する「物語」が *いつの間にか* 成立した……と考えたいところです。

「物語」の成立には「駄洒落」や「親父ギャグ」の影響も考えたくなります。人は何故年を取ると「親父ギャグ」を口にしてしまうのか……という人類学的な、あるいは脳科学的な問題とも絡んできそうですね。

では「『荷菜』のアイヌ語地名解とは?」という重大な問題にぶち当たります。道内には数千、あるいは万を超えるかも知れない膨大な「アイヌ語地名」がある筈ですが、「荷菜」のような面白い「物語」が伝えられているケースはごく僅かだと思われるのですね。

そんな訳で、現実的な解とファンタジーを並べる訳にはいかないと思うので、たとえ面白い「物語」があったとしても、なるべくそれをドリルダウンして「面白くともなんともない」地名に辿り着きたい……と考えています。つまり「『荷菜』のアイヌ語地名解とは?」と聞かれたならば、それは「ヒラメ」であり、同時に「台地」なのだと答えたい……というのが正直なところです。

そう言えば……という話ですが、この「アイヌ語地名の二義性」とも言うべき問題は、知里さんの「古老かならずしも真を語らず」という金言とも通底するかもしれませんね。

では「ニプタイ」は

今回の「二風谷」の場合も、nip-ta-i で「柄・作る・ところ」と考えるのは「物語」であり、その「物語」の元となる「面白くともなんともない」地名がある筈だ……と考えています。

「二風谷川」が「二風谷コタン」や「二風谷ダム」よりも南を流れている……というのは既に記しましたが、「ニフタニ」あるいは「ニプタイ」が現在の「二風谷川」のあたりの地名だと仮定した上で陸軍図を眺めてみたところ……。


あ。nup-ta-i で「野原・切る・もの」だったんじゃないかな、と思えてきました(「野原」を「切る」という表現がやや妙ではあるのですが)。あるいは nup-tanne で「野原・長い」だった可能性もあるのかも……?

前の記事

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事