2026年2月14日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1347) 「小平・パンケオユンベ川・シケレべ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

小平(こびら)

ku-o-pira
仕掛け弓・ある・崖
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
平取本町から「平取橋」を渡った先(沙流川の東側)の地名です。「こだいら」でも「おびら」でも無く「こびら」と読みます。

北海道実測切図』(1895 頃) には「クピラ」と描かれているように見えますが……


意外なことに、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい地名が見当たりません。川名ではなく地名であるが故、でしょうか。


戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

扨また是より屈曲たる処を上り行ことしばしにて
     クヲヒラ
東の方さして高く無れども、峨々たる崖の下平になりたり。其名義は此上弓を仕懸置処なり。其が故に号るとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.681 より引用)
どうやら ku-o-pira で「仕掛け弓・ある・崖」と見て良さそうな感じですね。「仕掛け弓」は獲物が通りそうなところに予め弓を仕掛けておいて、獲物が「さわり糸」に引っかかったタイミングで矢が射出されるというものです(無人で狩りができる)。鏃にはトリカブトなどの神経毒が塗られているので、一本の矢が当たっただけで致命傷を与えることができた……ということなのでしょうね。

「仕掛け弓」は獲物のサイズに応じたセッティングがなされているので、うっかり通りがかりの人が「さわり糸」を引っ掛けても大丈夫なようになっている……らしいですが、それでもうっかり人に当たってしまうという「事故」はちょくちょくあったみたいです。

そのため「仕掛け弓のある場所」は広く周知する必要があり、故に地名として残った……ということなのでしょうね。「実測切図」の「クピラ」は「ヲ」を「ラ」に誤読あるいは誤記してしまった、ということだと思われます。

パンケオユンベ川

panke-o-i-un-pe?
川下側の・河口・湯・ある・もの(川)
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
沙流川の西支流で、ハヨピラの北、小平から見ると沙流川の向かい側を流れる川です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「ンケオユウンペ」という川が描かれていますが、地理院地図が「ンケオユンベ川」とする川と同一のようにも見えます。


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ハンケヲユンヘ」と「ヲユンヘ」という二つの川が描かれているように見えます。


戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

また少し上りて
     ヘンケヲユンベ
西岸相応の川也。其名義不解、其名義不知也。源ムカワなるヲフ(シ)ユシケイと合するよし也。また並びて
     ヘンケヲユンベ
西岸、是も相応の川にて、源はムカワ、チヤルシナイと合するより号しもの也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.682 より引用)
残念なことに「其名義不解」とあります。ただ永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

O yu un pe   オ ユ ウン ペ   溫泉アル處 熱泉ニアラズ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.229 より引用)
ほほー……。確かに o-yu-un-pe で「河口・湯・ある・もの(川)」と読めますね。ただ、このあたりに「天然温泉」があったかと言うと、少々微妙な感じもします(故に永田方正も「熱泉にあらず」と注意書きしているようにも見えますね)。

パンケオユンベ川のあたりは「マムシ注意」の看板が出ている場所なので、o-i-un-pe で「河口・アレ・ある・もの(川)」だったのではないでしょうか。

i は言挙げを憚るものを指すのに使う代名詞で、ヒグマやマムシなどを言い表すのに使用されるものです。「河口・アレ・ある・もの(川)」をドリルダウンすると「河口にマムシが出る川」となるでしょうか。似たような川が二つあったので、川下(海)側は panke-、川上(山)側は penke- を冠して呼んだ、ということでしょうね。

シケレべ川

sikerpe
キハダの実
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
沙流川の東支流で、二風谷ダムの 0.5 km ほど南を流れています。『北海道実測切図』(1895 頃) には「シケレペ」と描かれていますが……


不思議なことに、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい川が見当たりません。


ところが、戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

またしばし上り行て
     シケレベ
東岸相応の川也。此名義黄蘗木きはだ多きよりして号るなり。其源はニフタニの源のケナシハヲマナイの山へ行よしなりとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.686 より引用)
キハダの実」を意味する sikerpe という語があるので、それがそのまま川名に転用されたっぽい感じですね。sikerpe は時折地名に出てきますが、『萱野茂のアイヌ語辞典』(2010) には次のように記されていました。

シケㇾペ【sikerpe】
 シコロ(キハダ)の実.ブドウのような実がなりその実を香辛料として用いる.木の内側の黄色い部分を剥いで乾燥させ粉にしたものを打ち身や挫きをした時水で練って患部に貼ると効き目がある.
萱野茂『萱野茂のアイヌ語辞典』三省堂 p.263 より引用)
「キハダの実」が香辛料として用いられただけではなく、外樹皮を取り除いて樹皮を乾燥させたものを鎮痛剤として用いたようですが、実は Wikipedia の記事の「生薬」の項にほぼ同じ内容が記されています。

これらの用法が大陸から伝えられたものなのか、それともアイヌが自ら編み出したものなのかは(私には)わかりませんが、薬効が認められない風習も少なくなかった中では、かなり「効く」部類の用法だったのでしょうね。

故にその自生地も地名となり長く伝えられた……ということなのだと思われます。sikerpe は「キハダの実」ですが、-us-i とか -us-nay あたりが略された可能性も高そうです。

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