2026年2月11日水曜日

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「日本奥地紀行」を読む (184) 函館(函館市) (1878/8/13(火))

 

イザベラ・バードの『日本奥地紀行』(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。ようやく「蝦夷に関するノート」を読み終えたので、今日からは、普及版の「第三十三信」(初版では「第三十八信」)を見ていきます。
この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳『バード 日本紀行』(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。

風光

「風光」というサブタイトルですが、原文では Form and Colour となっていました。時岡敬子さんの訳では「形と色」で、これはこれでストレートな訳ですが、高梨謙吉さんはこれを「風光」としていて、ちょっと謎ですね……。

イザベラは、よりによって夜行便で大荒れの津軽海峡を渡って函館にやってきたのですが、函館上陸の翌日になって「ようやく美しく晴れてきた」と記していました。

ここの気候は本土よりも爽快に感じられる。ここも日本なのであるが、何か異なったところがある。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.339 より引用)
函館に上陸してからのイザベラの文章には共感できるところが多いのですが、これなんかもそうですね。日本なんだけど日本離れした爽快さがある……と感じる人は今でも多いはずです。

霧が晴れると、一面に緑で包まれた山々ではなくて、裸の峰や火山が現われてくる。火山は、ほんの最近に爆発したもので、赤い灰が昼の太陽の下に燃え、夕日には桃色から紫色に変わってゆく。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.339 より引用)
これは恵山や駒ヶ岳を念頭に置いた記述でしょうか。「ほんの最近に爆発」とありますが、駒ヶ岳(北海道)は 1856 年に大噴火を起こした記録があるとのこと。1888 年にも噴火の記録があるようですが、これはイザベラの蝦夷紀行の 10 年後の出来事です。

町の背後に聳える二つの山は、杉の林におおわれて、それほど険しくも見えない。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.339 より引用)
「町の背後に聳える二つの山」ですが、一つは「横津岳」でしょうか。もう一つがやや謎ですが、「木地挽山」あたりでしょうか。

砂浜が岬と本土を結んでいるので、ジブラルタルと地形が非常によく似ている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.339 より引用)
北海道は本州よりも緯度がヨーロッパに近いということもあってか、イザベラは蝦夷地の景色にヨーロッパの面影を重ねようとしていたようです。

しかし西欧世界のことを考えていると、人力車クルマが前を走って通り、お寺の太鼓が聞こえてくるが、それは「英国のドラムのすり打ち」とは似ていないものである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.339 より引用)
(笑)。本州と比べて冷涼で快適な気候であるとは言え、少なくとも函館の町中は間違いなく「日本」だったようですね。

風の都

イザベラは「お寺の太鼓」や「大八車」で我に返ったのか、函館の街の印象を次のように記していました。

 函館を一見しただけで、やはりどこからどこまでも日本的だと感ずる。街路は非常に広くて清潔だが、家屋は低くてみすぼらしい。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.340 より引用)
我らのイザベラ姐さんが帰ってきましたね。函館の町並みについても一刀両断です。

この町はあたかも大火からようやく復興したばかりのように見える。家屋は燃えやすいマッチも同然である。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.340 より引用)
函館はこれまで何度も大火に見舞われていて、日本語版 Wikipedia にも「函館大火」という記事ができていました。これによると 1871 年と 1873 年にも 1,000 戸以上が焼失する火事があったとのこと。イザベラが函館を訪れた 1878 年には道路の拡幅が実施されたとのことで、これが「復興したばかりのように見える」一因だったのかもしれません。

奇異な屋根の波

そしてイザベラは函館の町並みに「瓦屋根」が見られないことに気づきます。

町はまた骸骨のような様相を呈している。それは屋根の上にたくさんのがっちりした「物干し台」が見えるせいもあろう。しかし恒久性のものに石がある。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.340 より引用)
「しかし恒久性のものに石がある」というのはどういう意味だろう……と疑問に思ったのですが、原文では Stones, however, are its prominent feature. とある部分でしょうか。

時岡敬子さんはこれを「とはいえ、突出した特徴は石です」と訳していました。あっ、もしかして……高梨さんは prominentpermanent と見間違えた……とか?

高いところから町を見下ろすと、何マイルも、灰色の丸石が波のように続いて見える。この風の都の屋根は、どれも敷き石の重みで押さえつけてあることが分かる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.340 より引用)
イザベラは、函館の家屋の多くが瓦ではなく丸石を積んでいるだけではなく、小石を敷き詰めたものや芝生や草花で覆われたものがあることにも気づいたようです。イザベラは、これらの構造を「火の粉を防ぐため」としています。

これらの屋根に葺いてある石は、このように風の多い地方の家屋の屋根を守るために最も安価な方法であることは確かである。しかしそれは奇妙に見える。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.340 より引用)
確かにその通りでしょうね。ちょっと明確ではないように思えるのが玉石積みを選択した理由で、単に瓦よりも安価だからなのか、それとも普通の瓦ではすぐに飛んでしまうからなのか……。両方の理由の合わせ技のような気もしますが、どうなんでしょう。

 街路はどれも注目をひかないが、丘を高く登って行く街路だけは、りっぱな寺院や境内が並んでいる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.341 より引用)
これはもしかして八幡坂のあたりでしょうか……?

ほとんどどの家も商店である。たいていの店は、多数の貧乏な住民が消費する日用品だけを販売している。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.341 より引用)
「多数な貧乏な住民」とか、また身も蓋もない表現が……と思ってしまいますが、原文では poor population とのこと。こればかりは時岡敬子さんも「貧しい住民」と訳すしか無かったようです。

本物や偽物の外国商品が本通りに満ちているが、珍しいものは毛皮、皮革、角で、その専門店に豊富に出ている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.341 より引用)
ちょっと文意が掴みにくい感じもありますが、「毛皮」「皮革」「角」は外国商品ではなく地場のもの、ですよね。

私は熊の毛皮や、アイヌ犬の濃いクリーム色の毛皮が欲しい。それはりっぱであるとともに安価でもある。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.341 より引用)
あ、イザベラ姐さんも普通に毛皮が欲しいのですね。ちょっと意外な感じがしたもので……。

多くの古物商、すなわち「骨董屋」と呼ばれるものが多い。青森から来る安価な漆器も旅人の心を誘う。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.341 より引用)
「骨董屋」は原文では "curio" となっていました。「津軽塗」の漆器はアイヌにも出回っていたのか、ちょっと興味が湧いてきました。

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